離歌12

  秋天非常慢地来了,小河里开始铺起一层枯叶枯枝,还有掉下来的野浆果子,三爷有时划船经过,捞一些上来,已被小鸟啄得满是小洞,洗洗咬开一吃,酸得真甜。三爷便让小黑船停在水中打圈,一心一意感觉那甜味在齿间消磨——日子里的许多好处,他都喜欢这样小气而慢慢地受用,因他知道,这日子,不是自己的,而是上天的,他赐你一日便是一日,要好好过……他有时想把这感悟跟旁人都说一说,却又觉得,说出来便不好,也是叫大家都不得劲了。

 秋は非常にゆっくりと訪れた。小さな河に枯れた葉や枝が積もり始め、その上、流れてきた野生のブドウやトマトもある。三爷は船を漕いでいる時、掬い取ってみた。小鳥についばまれて瑕になってはいるが洗って一口齧れば、酸っぱいがとても甘くもあった。彼は黒い小舟を止めて水面に漂うままにし、ただひたすら歯間に消えていく果実の甘みを味わった――日常の日々にも様々な好い事がある。三爷はこんなにも小さな、ゆっくりと訪れる心地よさを楽しんだ。彼はこの日々が自分の物ではなく、神の物だと知っていた。神は人に一日、一日と与える、大事に生きなければ・・・三爷は時としてこの悟りを周りの人々にも説きたいと思う事があるのだが、うまく言葉に出来ないとも思うのだ。人には伝えられないと。
 
  不过,就算他什么也不说,从夏到秋,还是出门了不少趟——老牛倌被人发现死在牛棚里。张家老大,因为欠债,竟不声不响寻死去了。宋裁缝的老母亲,大暑第二天,嚷着热嚷着头昏就过去了。
  那河水倒还好好地丰满着,瘦都没瘦。
  彭老人没什么事可做,但仍是每天在对岸坐坐,带着水烟袋,想起什么,便装着无心般地跟三爷东扯西拉。
一会儿问刻碑的材石,一会儿论起吹打班子的价钱,一会儿疑惑着相片与画像的好坏:三爷,我想不通,那相片,按说是真的,可不论谁,总越瞧越不像。可画像呢,那么假,我倒是越看越像他本人……


 しかし、彼が何も言わなくても、夏から秋へと時は移り、多くの人が逝ってしまった――年寄りの牛飼いは牛舎で事切れていたのを見つけられた。張家の老人は負債があったがために、ひっそりと死を尋ねて行った。宋裁縫師の母は大暑の二日目に暑い暑いと倒れ、それっきりであった。
 
川の水はしかし満々と流れ、涸れるどころではなかった。
彭老人は仕事はしなかったが毎日やって来た。対岸に座り水煙管を手に胸に何か秘めつつも、無心を装いながら三爷と取りとめもなく話をした。

 墓にする石材の事を尋ねたり、葬式鳴り物の代金を語ったり、写真と肖像画のどちらが良いかなどなどを。なあ三爷、俺には分からないんだが、写真は本人そっくりだと言うが、なるほど誰もがそう言うが、いつだってよくよく見れば似ていない。肖像画はな、実物ではないが、見れば見る程本人そっくりだと俺には思えるがな・・・


  这天,他又突然想起这个:“你们那大和尚,还是打算让他儿子接班当和尚?”
  他问的是通常跟三爷一块儿出入丧仪的俗和尚。在东坝,俗和尚也是讨生活的一门手艺,他照样娶妻生养,酒肉穿肠,需要时才披挂上珠袍,敲起小木鱼,超度亡魂。只要模样圆满、唱经婉转,便是好的。经常有人特地赶来,痴站在一边,就为听大和尚念经,一边不自觉地掉下泪来,却又说不清到底伤心什么。

 この日、老人は突然思い出して言った。「あの親父の方の和尚な、息子に住職を継がせるつもりかな?」
 老人の聞いたのは、いつも三爷と一緒に葬式を仕切っている生臭和尚のことだ。東堰では僧職は生計のたつきであり、人並みに妻帯し子を持つし、酒も飲めば肉も喰らう。そして必要があれば衣を着け数珠を持ち、木魚を鳴らし死者のために経を読む。型どおりに手抜かりなく、耳に心地よく経を唱えれば、それはそれでよき事である。いつも誰かがわざわざやって来て、傍に立ち和尚の詠む経に涙を流しながら一心に聴き入っている。が一体なぜに悲しいのかはっきりは分からないのである。 
  
  “是啊,他那儿子,有时跟在大和尚后面出来;有时单独主事,耳朵上也夹着烟,老练得很。”
  彭老人担心了:“我就只中意大和尚唱经,他唱得响,声音也拖得长。那到时可怎么办?我可不要那小家伙……”
  三爷一听便懂,却不愿说得明白:“你只管放心。我跟大和尚,还是有些交情的。”
  彭老人突然站起来,脸上激动得变了模样:“三爷,你待我这样好……真把我愧死了!其实……我修这桥,存有私心……”
  三爷瞧老人摇摇晃晃的,欲伸手去扶,却够不着,那河水隔着!“老哥,瞧你这话说的!你天天在这里敲敲打打,还说什么私心不私心?”

 「そう、あの息子は和尚に付いて来る時もあるが、時には一人で取り仕切る。耳に煙草を挟んだりして、手慣れたものさ。」
彭老人は心配した、「俺は親父の和尚がいい。経の声はよく通って余韻がある。俺の時、どうしたもんだろう?倅には来て欲しくない・・・」
三爷はそれを聞くだけで理解したが、敢えて口にしたくはなかった。「心配いらない。俺は和尚と付き合いがあるんだから。」

 老人はいきなり立ち上がった。心の高ぶりで表情が変わっていた。「三爷、なんて好くしてくれるんだ・・・俺は心底恥ずかしい!実はな・・・橋を直したのには、分けがある・・・」
老人がふらついたのを見て、三爷は手を差し伸べて支えたいと思ったが、届きはしない。川の水が隔てている。「あにさん、そんな事を言うなよ!毎日毎日仕事してくれて分けも何もないだろうが?」
  
  “……三爷,你是知道的,我自小到老,七十三年,一直都在东坝,哪里都没去过,半步都没离过,弄了一辈子庄稼地,这里的沟啊水啊树啊,不论哪个角角落落的,我真的都舍不下,恨不能一并带到那边去……我总想着,临了到最后那一晚,魂都要飞走了,我哪能不到处走走瞧瞧?特别是河那边,我前后统共只去过一次,怎么着也得再去看看啊……所以呢,我其实主要是为了自己,到了那晚上,要没个桥,黑里头,可真不方便过去……”老人没忍住,伸手掬了把泪,手背上一块又一块黄豆大的圆黄斑。他是真老了。
 三爷望望对面,这才注意到,不知什么时候,老人已经把那些木板、桥墩儿按照桥的模样,有板有眼地排在那里,冷不丁一看,像是有座木桥活灵活现地卧在秋风里。

 「・・・三爷、お前も知ってるだろうが、俺は生まれた時から七十三年間ずっと東堰に暮らした、どこにも行った事がない、半歩といえど離れた事はない。一生を畑で過ごした。この土地の小道も流れも木々も、どんな隅っこだって、置いてくことはしたくない。ここを一緒に持ってあっちに行かれないのが悔しい・・・俺はいつも思っていた、最後の晩に魂は飛び回る。どこもかしこも見られるだろうか?特に河の向こうな、後にも先にも一度しか行ったことがないのに、どうやったらもう一回行けるか・・・だからな、俺は自分のためにやったんだ。その時がきて橋がなかったら、真っ暗闇で行かれないじゃないか・・・」老人は耐えきれずに、大豆程の黄色いシミの出ている手で涙をぬぐった。本当に老いたものだ・・・  
 
三爷は向こう岸を見てやっと気が付いたのだが、何時の間にしたものか老人は既に木材を手に橋桁を並べていた。きちんと適所に嵌るように。いきなりに、秋風のなか、橋は本当に架かっているように見えた。
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# by dangao41 | 2011-08-15 03:45 | 魯敏・離歌  | Comments(0)

離歌13

  彭老人到底没等到冬天水枯。
  他到米缸取米——东坝有一种米缸,叫大洋团,小口大肚,深约半人——米可能不多了,加之腰驼,老人站在小凳上伸头进去,不承想脚下凳子一滑,头朝下栽进去。
  三爷几天不见他来,划了船过河去看,迟了,该着三天都过去了。

 老人が冬の水涸れを待つ事はなかった。
 米を取りに行き――東堰には大洋団と呼ばれる、人の半分ほどの丈の口のすぼまった甕型の米櫃があった――米が一杯ではなかったろうし、老人の腰も曲がっていた。踏み台に乗って上半身を屈めると、思いがけなくも足が滑り、頭から真っ逆さまに落ちてしまった。
 三爷は老人が数日姿を見せないので船を漕ぎ川を渡ったが、既に遅かった。3日も過ぎていたのであった。
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# by dangao41 | 2011-08-15 02:51 | 魯敏・離歌  | Comments(0)

離歌14 (終)

  清晨的雾气里,三爷到地里扯了两个老萎了的晚南瓜,又红又圆,还带着湿漉漉的秧儿,悄悄放在彭老人身边,端庄敦厚,样子蛮好。当天其他的丧仪,仍依着各样的程序,一步一步地来。前来帮忙的妇女们,围成一堆,不免又提到那木桥,好像木桥成了孤儿似的,它的命,没人说得好。
  到晚上,人差不多散了,三爷照例要回家替彭老人准备纸活——回来奔丧的两子一女及一群孩子木呆而疲倦地坐在灯下守夜。三爷走了好远,突又转回来嘱咐:“今天晚上,记住,家中所有的门,万不可关啊。”那群儿女果然不懂,但仍诧异地应了。
 
 朝霧の中を三爷は畑へ行き、萎びた遅成りのカボチャを二つ取った。赤くて丸く未だじくじくと湿っている蔓をつけていた。老人の傍にそっと置いたが、どっしりと立派で形のきれいなカボチャであった。その日の葬儀は従来通りの手順で一つひとつ進められた。やって来た手伝いの女たちは、寄り合えばあの橋を話題に持ち出さずにはいられなかった。まるで橋は孤児になったようで先行きどうなるのか誰にも分からない。
 
夜になり大方の人々は立ち去り、三爷もいつも通り老人のための紙細工を用意しに家に戻る----葬儀のために帰郷した息子二人と娘、孫たちは気も抜け疲労しつつも灯りの元に座り通夜を行う。三爷はかなり行ったところで急に向きを変え戻って来ると言った。「忘れないでくれ、今夜は家中の戸口を絶対に閉めてはいけないよ。」案の定、子供たちは分かっていなかったが、訝りながらも承知した。

  三爷来到河边,看到那漂漂亮亮卧着的木桥,又宽又结实,月光下,发着黄白的油光,像是活了一般。
  他在河岸边坐着,等了好久,然后才上船,划得极慢——船,好像比平常略沉一些,却又分外飘逸——到了自家的岸边,他复又坐下,头朝着那模糊而森严的半片山张望,仍像在等人。等了一会儿,再重新慢慢划过去。
  往返两岸,如是一夜。
  水在夜色中黑亮黑亮,那样澄明,像是通到无边的深处。

 三爷が川辺まで戻ると、岸に整えて置かれた橋が見えた。幅広く頑丈で月明かりの下で金と銀に輝き、実際に川に架かっているかのようであった。
 彼は岸に腰を下ろし長いこと待った。それからやっと船を出しゆっくりゆっくり漕いだ----船は、普段より少し重くなったようでもあり、軽く漂っているようでもあった----向こうの岸辺に着くと三爷はまた座りこんだ。霞んだ険しい山の面に顔を向け、やはり人を待つように。暫く経つと、またゆっくり船を漕ぎ向こうへ渡った。
両岸を往って返してと、かくの如くの一夜であった。
水は夜の闇に黒々ときらめいて、果てのない深い淵まで届いているかのように澄んでいた。 (終)

2010/6

原文 http://www.eduww.com/xsxk8010/ShowArticle.asp?ArticleID=20249
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# by dangao41 | 2011-08-15 01:01 | 魯敏・離歌  | Comments(0)

燕子

         ≪燕子≫     席幕容
 初中的时候,学会了那一首"送别"的歌,常常爱唱:
  长亭外,古道边,芳草碧连天……
  有一个下午,父亲忽然叫住我,要我从头再唱一遍。很少被父亲这样注意过的我,心里觉得很兴奋,赶快再从头来好好地唱一次:
  长亭外,古道边……
  刚开了头,就被父亲打断了,他问我:
  "怎么是长亭外,怎么不是长城外呢?我一直以为是长城外啊!"
  我把音乐课本拿出来,想要向父亲证明他的错误。可是父亲并不要看,他只是很懊丧地对我说:
  "好可惜!我一直以为是长城外,以为写的是我们老家,所以第一次听这首歌时就特别地感动,并且一直没有忘记,想不到竟然这么多年是听错了,好可惜!"
  父亲一连说了两个好可惜,然后就走开了,留我一个人站在空空的屋子里,不知道如何是好。

中学の時、あの「別れの歌」を教えてもらってよく歌っていたものだ。 
  長亭の鄙びた小道、芳しい碧草は空に連なり……
ある日の午後、父がふと私を止めて、もう一度歌ってと言った。このように父の注意を引くのはめったになかった私は、たいそう嬉しくてすぐに最初から歌い出した。
長亭の鄙びた小道……
「長亭なのか、長城じゃないのか?お父さんはずっと長城だと思っていたよ!」
私は音楽の教科書を出して、父が間違っていると見せようと思った。けれど父は見ようともせず、とてもがっかりした様子で言った。
「残念だなぁ!ずっと長城だと思っていた。お父さんの故郷の歌だと思っていたのに。だから初めて聞いた時は心が震えたよ。ずっと忘れたことがなかったのだが。こうも長いこと聞き間違えていたとは思いもしなかった。残念だ!」
父は残念と二度も続けて言うと行ってしまった。一人空っぽの部屋に残された私はどうしたらよいか分からなかった。
  
前几年刚搬到石门乡间的时候,我还怀着凯儿,听医生的嘱咐,一个人常常在田野间散步。那个时候,山上还种满了相思树,苍苍翠翠的,走在里面,可以听到各式各样的小鸟的鸣声,田里面也总是绿意盎然,好多小鸟也会很大胆地从我身边飞掠而过。

石門郷間に越して間もない数年前のこと、凱を身ごもっていた私は医者の言い付け通りに、一人でよく野原を散歩した。山にはまだ相思樹がたくさん植わっていた頃で、濃い緑は青々と、歩けば様々な小鳥たちの鳴き声が聞こえた。畑もやはり緑に満ち満ち、小鳥たちが大胆にも私の傍を掠めて飛んでいくのも度々であった。

  我就是那个时候看到那一只孤单的小鸟的,在田边的电线杆上,在细细的电线上,它安静地站在那里,黑色的羽毛,像剪刀一样的双尾。
  "燕子!"我心中像触电一样地呆住了。
  可不是吗?这不就是燕子吗?这不就是我从来没有见过的燕子吗?这不就是书里说的,外婆歌里唱的那一只燕子吗?
  在南国的温热的阳光里,我心中开始一遍又一遍地唱起外婆爱唱的那一首歌来了:
  燕子啊!燕子啊!你是我温柔可爱的小小燕子啊……

独りぼっちの小鳥が畑そばの電線に止まっているのを私が見たのはその頃であった。小鳥は細い電線の上に静かに止まっていた。黒い羽に鋏のようなふた筋の尾。
「燕!」私は心に電気が走ったように立ちすくんだ。
これかしら? これが燕ではないかしら? 私が見たこともなかった燕ではないかしら?
本で読んだ、祖母の歌の中の、あの燕ではないかしら?
南国の暖かい陽光を浴び、私は心の中で祖母の愛唱したあの歌を繰り返し歌い始めた。
 燕や!燕や!お前は優しい可愛いちっちゃな私の燕……

  在以后的好几年里,我都会常常看到这种相同的小鸟,有的时候,我是牵着慈儿,有的时候,我是抱着凯儿,每一次,我都会很兴奋地指给孩子看:
  "快看!宝贝,快看!那就是燕子,那就是妈妈最喜欢的小小燕子啊!"
  怀中的凯儿正咿呀学语,香香软软唇间也随着我说出一些不成腔调的儿语。天好蓝,风好柔,我抱着我的孩子,站在南国的阡陌上,注视着那一只黑色的安静的飞鸟,心中充满了一种朦胧的欢喜和一种朦胧的悲伤。

その後何年も、私はしょっちゅうこの仲間の小鳥を見かけた。時には慈儿の手を引き、時には凱儿を抱いて。その度に私は嬉しくて指をさし子供たちに言った。
 「ほら、見て!いい子、見てごらん!これが燕よ。お母さんが大好きな小さな燕ちゃんよ!」
懐にいるちょうどばぶばぶ言い始めた時期の凱儿も、香しい柔らかな唇からの何とも判断しがたい調子の南語で私に続く。碧い空に優しい風。子供を抱いて南国のあぜ道で黒い鳥がただ一羽で静かに飛ぶのを見つめていると、心はおぼろげな喜びとおぼろげな悲しみに満ちた。

  一直到了去年的夏天,因为内政部的邀请,我和几位画家朋友一起,到南部的国家公园去写生,在一本报道垦丁附近天然资源的画里,我看到了我的燕子。图片上的它有着一样的黑色羽毛,一样的剪状的双尾,然而,在图片下的解释和说明里,却写着它的名字是"乌秋"。

時は経って昨年の夏になり、内政部に招かれて、画家である友達数人と共に、南部の国立公園にスケッチに行った。そして垦丁の天然資源レポートの中に私の燕を見つけたのだ。写真のそれは同じ黒い羽毛に鋏状の二本の尾を持っていた。しかし写真に付いた説明の名前は、なんと"乌秋"となっていた。

  在那个时候,我的周围有着好多的朋友,我却在忽然之间觉得非常的孤单、在我的朋友里,有好多位在这方面很有研究心得的专家,我只要提出我的问题,一定可以马上得到解答,可是,我在那个时候唯一的反应,却只是把那本画静静地合上,然后静静地走了出去。
 
その時の私は多くの友に囲まれていたのにも係わらず、ふっと非常な孤独を覚えた。
友の中にはその分野に詳しい専門家もいて、私が尋ねさえすればすぐに答えてもらえたはずだった。しかし、その時の私は、ただ本をそっと閉じ、ただひっそりと立ち去ったのだ
 
  在那一刹那,我忽然体会出来多年以前的那一个下午,父亲失望的心情了。其实,不必向别人提出问题,我自己心里也已经明白了自己的错误。但是,我想,虽然有的时候,在人生的道路上,我们是应该面对所有的真相,可是,有的时候,我们实在也可以保有一些小小的美丽的错误,与人无害,与世无争,却能带给我们非常深沉的安慰的那一种错误。
  我实在是舍不得我心中那一只小小的燕子啊!
 
その瞬間、私はずっと昔のあの日の午後の、がっかりした父の心を理解したのだ。実のところ人に問うまでもなく、私は自分の間違いをはっきりと認識していたのだった。けれども、私は思うのだ。生きていく過程で、人はさまざまな真実を直視せねばならない。けれど、時には、人は小さな小さな美しい思い違いを大事にしてもいいのではなかろうか。人に害を与える事も無く、世間とは関係もなく、それでいてあなたに深い慰めを与えてくれる思い違いならば。
 私は確かに心の中のあの小さな小さな燕を失いたくないのだ。                   
                                                     2011・8
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# by dangao41 | 2011-08-11 22:53 | 席幕容 | Comments(11)

林奶奶  

            林奶奶 1         楊絳

  林奶奶小我三岁,今年七十。十七年前,“文化大革命”的第二年,她忽到我家打门,问我用不用人。我说:“不请人了,家务事自己都能干。”她叹气说:“您自己都能,可我们吃什么饭呀?”她介绍自己是“给家家儿洗衣服的”。我就请她每星期来洗一次衣服。据我后来知道,她的“家家儿”包括很多人家。当时大家对保姆有戒心。有人只为保姆的一张大字报就给揪出来扫街的,林奶奶大咧咧的不理红卫兵的茬儿。她不肯胡说东家的坏话,大嚷“那哪儿成!我不能瞎说呀!”许多人家不敢找保姆,就请林奶奶去做零工。

リンおばさんは私より三歳若く今年七十歳である。十七年前「文化大革命」の二年目、彼女は突然戸口に現われて人手は要らないかと問うた。私は「必要ないわ、家の事は自分でできるから。」と答えると、彼女はため息をつき「奥さんが全部自分でするなら、あたしらはどうやって食べてくんだね?」と言い、自分は「皆さんちの洗濯をしている」と説明した。そこで週に一度家に洗濯に来てもらうことにした。後で知ったところによると彼女の「皆さんち」はたいそう多かった。当時、人々は雇い人を警戒していた。雇い人の貼った壁新聞の為に、掴み出されて道路掃除をさせられた人もあったのだ。リンおばさんは紅衛兵に何と言われようと気にもかけなかったし、雇い主の蔭口も言いふらさなかった。「そんな事はできないよ!あたしはデタラメは言えないよ!」と大声で言っていた。人々は恐くて雇人を探せないので、おばさんに賃仕事を頼んだ。

  我问林奶奶:“干吗帮那么多人家?集中两三家,活儿不轻省些吗?”她说做零工“活着些”。这就是说:自由些,或主动些;干活儿瞧她高兴,不合意可以不干。比如说吧,某太太特难伺候,林奶奶白卖力气不讨好,反招了一顿没趣,气得她当场左右开弓,打了自己两个嘴巴子。这倒像旧式妇女不能打妯娌的孩子的屁股,就打自己孩子的屁股。不过林奶奶却是认真责怪自己。据说那位太太曾在林奶奶干活儿的时候,把钟拨慢“十好几分钟”(林奶奶是论时计工资的),和这种太太打什么交道呢!林奶奶和另一位太太也闹过别扭。她在那家院子里洗衣服。雨后满院积水。那家的孩子故意把污水往林奶奶身上溅。孩子的妈正在院子里站着,林奶奶跑去告状,那位太太不耐烦,一扭脖子说:“活该!”气得林奶奶蹲下身掬起污水就往那位太太身上泼。我听了忍不住笑说:“活该了!”不过林奶奶既然干了那一行,委屈是家常便饭,她一般是吃在肚里就罢了,并不随便告诉人。她有原则:不搬嘴弄舌。

おばさんに聞いたことがある、「どうしてそんなにたくさんの家で仕事をしているの?二軒か三軒の家に絞れば少し楽になるでしょう?」おばさんは賃仕事は「まあまあなのだ。」と言う。それはつまり、少しは自由も利き自分の裁量も利く、仕事は好きだし気に入らなければやらない、と云うわけだ。
例えば、ある家の奥さんは取り分けて気難しかった、おばさんは気に入られるように骨身を惜しまなかったにも拘わらず、不興を買ってしまった。腹を立てたおばさんは両の手で自分の頬をその場で叩いたのだ。昔の女たちが兄嫁の子供の尻を叩けないので、代りに自分の子供の尻を叩いた様に。だというのにおばさんは本気で自分を罰していた。その人はおばさんの仕事中に時計の針を「たっぷり十数分」遅らせた事もあるらしい。(彼女は時間給である)こんな雇い主とどう折り合いをつけるのだろう!
彼女は又、別の家で揉めた事もある。おばさんは庭で洗濯をしていたのだが、雨の後で庭には水たまりがあった。その家の子供はわざと汚水をおばさんにはね返した。子供の母親はちょうど庭にいたのに、おばさんが訴えても彼女は相手にせず顔をそむけて「しょうがないわよ!」と言った。怒ったおばさんは屈んで汚水を掬うとその奥さんに掛けてやったという。聞いていた私は「しょうがないわよね!」と思わずに笑ってしまった。
こういった時もあったにしろ、悔しい思いは日常茶飯事であり、普通は自分の胸に収めて済ませ、いちいち人に告げるなどしなかった。蔭口を言わないという原則を持っていたのだ。

  她倒是不怕没主顾,因为她干活儿认真,衣服洗得干净;如果经手买什么东西,分文也不肯沾人家的便宜。也许她称得上“清介”、“耿直”等美名,不过这种词儿一般不用在渺小的人物身上。人家只说她“人靠得住,脾气可倔”。

仕事振りは真面目であったから、おばさんはお客を失う心配はなかった。衣服はきれいに洗いあげたし、買い物の時は 少しのお金も誤魔化したりはしなかった。彼女は「清廉」「真正直」などの美名で称されてよいのであろうが、このような言葉は一般に身分の低い者には使われない。人々は彼女を「信用はできる、でも偏屈だ」と言うだけであった。 

  她为了自卫,有时候像好斗的公鸡。一次我偶在胡同里碰见她端着一只空碗去打醋,我们俩就说着话同走。忽有个小学生闯过,把她的碗撞落地下,砸了。林奶奶一把揪住那孩子破口大骂。我说:“孩子不是故意,碗砸了我赔你两只。”我又叫孩子向她道歉。她这才松了手,气呼呼地跟我回家。我说:“干吗生这么大气?”她说孩子们尽跟她捣乱。

おばさんは自分を守るために、時とすると闘う雄鶏のようであった。一度、フートンで空のお碗を持って酢を買いに出た彼女に行き合わせた事がある。私たちは一緒にお喋りしながら歩き出した。突然、ひとりの小学生がぶつかってきてお碗は地面に落ちてしまった。彼女は子供の襟首を掴み罵った。「わざとじゃないわ。落としたお碗は二個にして弁償してあげる」と私は言い、子供にもおばさんに謝らせた。彼女はやっと手をゆるめ、ぷんぷんしながらも私と一緒に家に戻った。「なぜそんなに怒るの?」と聞くと、子供たちはいつも彼女を相手に悪ふざけをする、と言う。

  那个孩子虽不是故意,林奶奶的话却是真的。也许因为她穿得太破烂肮脏,像个叫化婆子,我猜想她年轻的时候相貌身材都不错呢。老来倒眉塌眼,有一副可怜相,可是笑起来还是和善可爱。她天天哈着腰坐在小矮凳上洗衣,一年来,一年去,背渐渐地弯得不肯再直,不到六十已经驼背;身上虽瘦,肚皮却大。其实那是虚有其表。只要掀开她的大襟,就知道衣下鼓鼓囊囊一大嘟噜是倒垂的裤腰。她系一条红裤带,六七寸高的裤腰有几层,有的往左歪,有的往右歪,有的往下倒。一重重的衣服都有小襟,小襟上都钉着口袋,一个、两个或三个:上一个,下一个,反面再一个,大小不等,颜色各别。衣袋深处装着她的家当:布票,粮票,油票,一角二角或一元二元或五元十元的钱。她分别放开,当然都有计较。我若给她些什么,得在她的袋口别上一二只大别针,或三只小的,才保住东西不外掉。

この時の子供は故意ではなかったのだが、おばさんの話は本当であった。恐らく彼女が襤褸を纏っているせいで乞食婆さんのようであったからだろう。でも若い頃は顔も姿もなかなかであったろうにと私は見ている。老いて眼は窪み哀れな様子になってはいるが、笑うと人が善さそうで可愛いのである。毎日、腰を屈め小さな腰掛けに座って洗濯をして一年また一年と背中は徐々に曲がり、もう真っ直ぐにはできない、六十前にもう猫背になっていた。痩せているのにお腹周りは大きかった。が実は見かけだけなのである。
上着を開いてみればその下にはパンパンに膨れた袋がいくつも腰にぶら下がっているのだ。彼女は赤い腰帯を締めていたが、六,七寸の幅の帯は左に右に下にと幾段かに歪んでいた。何枚も重ね着した下衣にはみな衽があり、その衽の全てに袋が止めてある、一つか二つか、或いは三つ。上に一つ、下に一つ、反対側にもう一つ、大きさも色合いも様々であった。ポケットの深くに彼女の財産を詰め込んでいたのだ。
綿布、穀物、油の配給切符に一角二角一元二元五元十元のお金。彼女は其々分けていたが、当然、考えがあってのことだ。もし私が幾らかあげると、ポケットには一つ二つの大きな安全ピンか或いは三つの小さなピンが止まることになる。それでやっとこぼれずに済むという訳だ。。

  我曾问起她家的情况。林奶奶叙事全按古希腊悲剧的“从半中间起”;用的代名词很省,一个“他”字,同时代替男女老少不知多少人。我越听越糊涂,事情越问越复杂,只好“不求甚解”。比如她说:“我们穷人家嘛,没钱娶媳妇儿,他哥儿俩吧,就合那一个嫂子。”我不知是同时还是先后合娶一个嫂子——好像是先后。我也不知“哥儿俩”是她的谁,反正不是她的丈夫,因为她只嫁过一个丈夫,早死了,她是青年守寡的。她伺候婆婆好多年,听她口气,对婆婆很有情谊。她有一子一女,都已成家。她把儿子栽培到高中毕业。女儿呢,据说是“他嫂子的,四岁没了妈,吃我的奶。”死了的嫂子大概是她的妯娌。她另外还有嫂子,不知是否“哥儿俩”合娶的,她曾托那嫂子给我做过一双棉鞋。

彼女の家の状況を尋ねたことがある。おばさんの物語は全く古代のギリシャ悲劇さながらで“途中から述べる”のである。使う代名詞はごく少なく“あの人”の一語がどれほど多くの老若男女を同時に表したことか。聞けば聞くほど曖昧模糊となり、それを問えば更に複雑となる。”大体のところ“でよしとするしかなかった。例えば彼女はこう言う、「家は貧乏で、嫁取りのお金がなかった、だから兄ちゃん二人に、嫁は一人貰った。」
同時にか、それとも前後して一人が嫁を娶ったのか私には分からなかった・・・どうやら前後してのようだったが。兄ちゃん二人、が彼女の何に当たるかも分からなかったが、いずれにせよ彼女の夫ではないであろう。彼女は夫一人にしかまみえなかったし、その夫は早くに亡くなり若後家を守ったのだから。そして姑に長いこと仕え、彼女の口ぶりからすれば関係は良かったらしい。おばさんには息子と娘がいて既に所帯を持っている。おばさんは息子を高校まで上げて卒業させた。娘の方は話によれば「兄嫁の子だ、この子が4才の時に亡くなったのであたしの乳を飲ませた。」という。亡くなった兄嫁とは多分おばさんの相嫁であろう。他にも兄嫁がいて“兄ちゃん二人”が娶った嫁かどうか分からないのだが、おばさんがその兄嫁に頼んで、私の綿入れ靴を作ってもらった事がある。

  林奶奶得意扬扬抱了那双棉鞋来送我,一再强调鞋是按着我脚寸特制的。我恍惚记起她曾哄我让她量过脚寸。可是那双棉鞋显然是男鞋的尺码。我谢了她,领下礼物,等她走了,就让给默存穿。想不到非但他穿不下,连阿圆都穿不下。我自己一试,恰恰一脚,真是按着我脚寸特制的呢!那位嫂子准也按着林奶奶的嘱咐,把棉花絮得厚厚的,比平常的棉鞋厚三五倍不止。簇新的白布包底,用麻线纳得密密麻麻,比牛皮底还硬。我双脚穿上新鞋,就像猩猩穿上木屐,行动不得;稳重地站着,两脚和大象的脚一样肥硕。

おばさんは得意げに綿靴を抱えて来て、靴は私の足に合わせて作った物だと何度も強調した。そういえば、おばさんが騒いで私の足のサイズを測った事があったのをなんとなく思い出したが靴は明らかに男のサイズであった。私はお礼を言い受け取ったが、おばさんが帰ってから黙存に履かせてみた。何と彼には小さ過ぎたばかりでなく、阿円ですら履けなかった。そこで私の足に試してみるとぴったりなのである。本当に私の足に合わせた特製であった!兄嫁さんはおばさんの注文通りに詰め綿を厚く厚くして、普通の靴の比ではなかった。真っ新の白い底は麻糸でびっしりと刺してあり牛革底より硬かった。私は両足に新しい靴を履いたが、猩が下駄を履いたようで動きが取れなかった。只そのまま立っていると、両足は象の脚のように大きかった。

  林奶奶老家在郊区,她在城里做零工,活儿重些,工钱却多,而且她白天黑夜的干,身上穿的是破烂,吃的像猪食。她婆婆已经去世,儿女都已成家,多年省吃俭用,攒下钱在城里置了一所房子;花一二千块钱呢。恰逢“文化大革命”,林奶奶赶紧把房“献”了。她深悔置房子“千不该、万不该”,却倒眉倒眼地笑着用中间三个指头点着胸口说:“我成了地主资本家!我!我!”我说:“放心,房子早晚会还你,至少折了价还。”不过我问她:“你想吃瓦片儿吗?”她不答理,只说“您不懂”,她自有她的道理。

おばさんはの家は郊外にあり、町に働きに来ていた。仕事はきつい分賃金は多かったし、昼夜を分かたず働き、古い物を着て食事も切り詰めた。姑はすでに亡く子供たちは家庭を持っていた。以前、長年の倹約で貯めたお金で町に家を買った。一、二千元だった。それがちょうど“文化大革命”にぶつかり、おばさんは大急ぎで家を“献上”した。彼女は家を買ったのをとても後悔していた。「買うんじゃなかった、ほんとに間違ってた。」しかしおばさんは顔をくしゃくしゃにして笑いながら中三本の指で自分の胸を差して言うのだった、「あたしは資本家の地主に成ったちゃったんだ!あたしが!あたしがね!」私は言った「心配ないわ、家はそのうち返ってくるわよ。少なくとも換金されてね。」そして聞いてみた「家賃で食べてくつもりなの?」彼女はそれには返事をせずに「奥さんには分からないよ」と言った。おばさんには自分なりの考えがあったのだ。

  我从干校回来,房管处已经把她置的那所房子拆掉,另赔了一间房给她——新盖的,很小,我去看过,里面还有个自来水龙头,只是没有下水道。林奶奶指着窗外的院子和旁边两间房说:“他住那边。”“他”指拆房子又盖房子的人,好像是个管房子的,林奶奶称为“街坊”。她指着“街坊”门前大堆木材说:“那是我的,都给他偷了”。她和“街坊”为那堆木材成了冤家。所以林奶奶不走前院,却从自己房间直通街道的小门
出入。

私が干校から戻って来ると、住居管理局はおばさんの家を壊してしまっていた。賠償に建てた家はたいそう狭かった。私が見に行くと家には水道が引けていたが、下水道はないのである。おばさんは窓から庭と隣の二軒を指さして言った。「あいつがあそこに住んでる。」“あいつ”とは家を壊して建てた人のことで管理局の人間らく、おばさんは“隣”と呼んでいた。おばさんは“隣”の戸口前に積んである材木を差して、「あれはあたしのだ、あいつが盗んだ。」と言う。彼女と“隣”は材木の件で仇同士となっていた。それでおばさんは前庭を通らずに、部屋から直接に街道へでる木戸を使っていた。
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# by dangao41 | 2011-08-10 18:02 | 楊絳 | Comments(6)