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順姐の自由恋愛5 (終)

顺姐在乡间重逢自己的哥哥。哥哥诧怪说:“我们都翻了身,你怎么倒翻下去了
呢?”村干部也承认当初把她错划了阶级,因为她并非小老婆,只是个丫头,当地人都
知道的。这个地主家有一名轿夫、一名厨子还活着,都可作证。“文革”中,顺姐的大
女儿因出身不好,已退伍转业。儿子由同一缘故,未得申请入党。儿女们都要为妈妈要
求纠正错划,然后才能把她的户口迁回北京。

村にいる時に順姐は兄に再会したが、兄は訝しげに言った、「俺たちは解放されたのに、なんでお前は違うんだ?」村の幹部は彼女の階級が初め間違って区分されたのを知っていた。彼女は若奥さんどころか女中に過ぎなかったのだから。地主の家の車夫と料理番がまだ存命で証人となった。「文革」中は順姐の子供たちは出身が悪いため除隊し職を変えた。息子は同自理由で入党願を出せなかった。子供たちも母親の名誉回復が必要だったのである。そしてやっと戸籍を北京に戻すことができた。

他们中间有“笔杆子”,写了申请书请我过目。他们笔下的顺姐,简直就是电影里
的“白毛女”。顺姐对此没发表意见。我当然也没有意见。他们为了纠正错划的阶级,
在北京原住处的居委和乡村干部两方双管齐下,送了不少“人事”。儿子女儿还特地回
乡一次。但事情老拖着。村干部说:“没有问题,只待外调,不过一时还没有机会。”
北京街道上那位大娘满口答应,说只需到派出所一谈就妥。我怀疑两方都是受了礼物,
空口敷衍。

子供の中で「筆の立つ者」が申請書を書き私に目を通してくれと頼んだが、順姐をまさしく映画の「白毛女」に例えていた。彼女はこれに関してなにも言わなかった。私としても異論はない。子供たちは名誉回復を求めるため、北京の元の居住地と村の幹部の双方に等しく少なからぬ「袖の下」を使った。子供たちは特にそのために村を訪れもした。しかし事はなかなか進まない。村の幹部は「問題ない、外部の調査を待っている。しかしまだ機会がない。」と言う。北京のあのご近所の奥さんは、派出所に出向いて話せば済む問題だと言う。双方とも礼品を受け取っておいて、全くの口先ばかりなのかと私は疑惑を持った。

一年、两年、三年过去,事情还是拖延着。街道上那位大娘给人揭发了受贿
的劣迹;我也看到村里一个不知什么职位的干部写信要这要那。顺姐进医院动了手术,
病愈又在我家干活。她白花了两三年来攒下的钱,仍然是个没户口的“黑人”。每逢节
日,街道查户口,她只好闻风躲避。她叹气说:“人家过节快活,就我苦,像个没处藏
身的逃犯。”

一年、二年、三年と過ぎても進展がなかった。ご近所さんは賄賂を受け取った悪事を暴露しろと言う。どんな職務の者かは知らないが、村の幹部があれが欲しいこれが欲しいと寄こした手紙を私も見た事がある。順姐は病院へ行き手術を受け、病気を治してまた私の家で働いていた。彼女は二、三年来貯めたお金を使ったのに、戸籍は以前として「黒い」ままであった。節季ごとに、街の戸籍調べの度、気配を感じると彼女は身を隠すしかなかった。彼女はため息をつき言った。「みんなは節季を楽しめるのにあたしには苦でしかない。まるで隠れる場所がどこにもない逃亡犯のよう。」

那时候我们住一间办公室,顺姐住她儿子家,每天到我家干活,早来晚归。她一天
早上跑来,面无人色,好像刚见了讨命鬼似的。原来她在火车站附近看见了她家的大小
姐。我安慰她说,不要紧,北京地方大,不会再碰见。可是大小姐晚上竟找到她弟弟家
里,揪住顺姐和她吵闹,怪她卖掉了乡间的房子家具。她自己虽是“黑人”,却毫无顾
忌地向派出所去告顺姐,要找她还帐。派出所就到顺姐儿子家去找她。顺姐是积威之下,
见了大小姐的影子都害怕的。派出所又是她逃避都来不及的机关。

その当時、私たちは事務室に暮らし、順姐は子供の家に住んでいた。毎日家に仕事にきて、夕方に帰る。ある日、朝早くやってきたが鬼でも見たかのように顔色を失くしていた。駅の近くであのお嬢さんを見かけたのだった。心配ない、北京は広いのだからまた出会う事もないわよ、と私は慰めた。ところがお嬢さんは晩方には弟の家を探し当ててしまった。順姐を掴んで、なぜ村の家にあった家具を売り払ってしまったかと悶着を起こしたお嬢さんは自分が「黒い」にも係らず派出所に行き、順姐に貸したお金を返させるよう訴えた。職員が息子の家へ順姐を探しに来た。順姐の恐怖は積もり積もっていたし、お嬢さんの影にもひどく怯えていた。派出所ももう避けられない役所であった。

可是逼到这个地步,
她也直起腰板子来自卫了。乡间的房子是她花钱造的,家具什物是她备的,“老太婆”
的遗产她分文未取,因为“剥削来的财物她不要”。顺姐虽然钝口笨舌,只为理直气壮,
说话有力。她多次到派出所去和大小姐对质,博得了派出所同志的了解和同情。顺姐转
祸为福,“黑人”从此出了官,也就不再急于恢复户籍了。

しかし此処に至って順姐は背筋を伸ばし自分を守った。田舎の家は自分のお金で建てたこと、家具什器も自分で買ったこと、「姐姐」の遺産は受け取っていないこと、なぜなら「搾取した財物は欲しくないから」 順姐は訥々とではあるが、はっきり筋を通して語ったので説得力があった。彼女は何度か派出所へ出向きお嬢さんと向き合い、職員の理解と同情を得た。順姐の禍は福と転じ「黒」の身分からから出て公の身分になったばかりか戸籍も回復となった。

反正她在我们家,足有粮食可吃。
到“四人帮”下台,她不但立即恢复户籍,她错划的阶级,那时候也无所谓了。
我们搬入新居,她来同住,无忧无虑,大大发福起来,人人见了她就说她“又胖
了”。我说:“顺姐,你得减食,太胖了要多病的。”她说:“不行呢,我是饿怕了的,
我得吃饱呢!”

いずれにせよ彼女は私の家に住むようになった。食物は足りていたので食べていかれた。
「四人組」が去り、順姐は直ちに戸籍を回復したばかりでなく、その当時は問題にもされなくなっていた間違った身分も元に戻った。私たちは新居に引っ越し、順姐も一緒に暮らした。何の心配もなくなり大きな幸せがやってきた。人は彼女を見ると、「また太ったわね」と言った。「順姐、食事を減らしたほうがいいわ。太りすぎは体に悪いのよ。」と私は言ったが、彼女は「だめですよ、お腹が空くのは嫌なの、お腹いっぱい食べたいです。」と言った。

顺姐对我不再像以前那样爱面子、遮遮掩掩。她告诉我,她随母逃荒出来,曾在别
人家当丫头,可是她都不乐意,她最喜欢这个地主家,因为那里有吃有玩,最自在快活。
她和同伙的丫头每逢过节,一同偷酒喝,既醉且饱,睡觉醒来还晕头晕脑,一身酒气,
不免讨打,可是她很乐。
原来她就是为贪图这点“享受”,“自由恋爱”了。从此她丧失了小丫头所享受的
那点子快活自在,成了“幺幺”。她说自己“觉悟了”,确也是真情。

以前と違い、順姐は私には体裁をつくろわなくなった。彼女が母と飢饉で逃げた時、別の家でも女中として働いた事があると言った。でもそこは良くなかった。彼女が一番好きだったのはあの地主の家、食べられて遊べて、とても気楽で愉快だった。一緒に働く女の子たちと節季毎にこっそりお酒を飲み、酔っぱらってもまだ飲んだ。目が覚めると二日酔いで酒臭くて叱られたけど、すごく楽しかった。
そうだったのか、彼女が求めていたのはこのような「楽しみ」と「自由恋愛」だったのか。そして可愛い女中が楽しんでいたこの気ままな暮らしは失われ、”ねえや”と成り変った。彼女の「あたし分かったんです」、は確かに偽りのない気持ちだったろう。

她没享受到什么,身体已坏得不能再承受任何享受。一次她连天不想吃东西。我急
了。我说:“顺姐,你好好想想,你要吃什么?”
她认真想了一下,说:“我想吃个‘那交’(辣椒)呢。” “生的?还是干的?”
“北阳台上,泡菜坛子里的。”
我去捞了一只最长的红辣椒,她全吃下,说舒服了。不过那是暂时的。不久她大病,
我又一次把她送入医院。这回是割掉了胆囊。病愈不到两年,曲张的静脉裂口,流了一
地血。这时她家境已经很好,她就告老回家了。

彼女は何も楽しめなくなくなった、もう体はどんな楽しみも受けられないほど損なられてしまった。一度、何日も食べ物を欲しがらないない時があった。私は焦って、「さあ考えて、何が食べたい?」と聞いた。
彼女は暫し真剣に考えてから「唐辛子が食べたい。」と言った。
「生の?それとも干したもの?」
「ベランダの、漬物甕のが。」
一番大きな赤い唐辛子を掬ってくると、彼女は全部食べ気分が良くなったと言った。しかしそれも一時の事であった。程なく病は重くなり、私はまた彼女を病院へ行かせた。
今度は胆嚢を切り取ったが、傷口は二年もふさがらなかったし、静脈瘤も切れて血が流れた。この頃は彼女の家の状況も良くなっていたので、家に帰ると言った。

现在她的儿女辈都工作顺利,有的是厂长,有的是经理,还有两个八级工。折磨她
的那位大小姐,“右派”原是错划;她得到落实政策,飞往国外去了。顺姐现在是自己
的主人了,逢时过节,总做些我爱吃的菜肴来看望我。称她“顺姐”的,只我一人了。
也许只我一人,知道她的“自由恋爱”;只我一人,領会她“我也觉悟了呢”的滋味。

                                          
今では子供たちの仕事も順調で、一人は工場長一人は社長で、更に二人は八級工である。あの意地悪なお嬢さんは、元々「右派」に間違って区分されていたが、政策の実施を受けて国外へ飛び去った。順姐も今は自分が主人で、節季になるといつも私の好きな料理を作って会いに来てくれる。順姐と彼女を呼ぶのも私だけとなった。彼女の「自由恋愛」を知っているのも私だけかもしれない。ただ私一人だけが、彼女の「分かったんです」の妙味を知っている。                      
 一九九一年一月一日
           (終)

                                                2011・4   
原文  http://www.5156edu.com/html/15524/40.html        
# by dangao41 | 2011-08-23 06:08 | 楊絳 | Comments(0)

                            凧                魯迅

   北京的冬季,地上还有积雪,灰黑色的秃树枝丫叉于晴朗的天空中,而远处有
一二风筝浮动,在我是一种惊异和悲哀。故乡的风筝时节,是春二月,倘听到沙沙的风轮声,仰头便能看见一个淡黑色的蟹风筝或嫩蓝色的蜈蚣风筝。还有寂寞的瓦片风筝,没有风轮,又放得很低,伶仃地显出樵悴可怜模样。但此时地上的杨柳已经发芽,早的山桃也多吐蕾,和孩子们的天上的点缀照应,打成一片春日的温和。我现在在那里呢?四面都还是严冬的肃杀,而久经诀别的故乡的久经逝去的春天,却就在这天空中荡漾了。

地面にはまだ雪が積もり葉の落ちた木の枝が晴れた空に色濃く浮き、遠く凧がぽつりぽつりと漂う北京の冬に、私は不思議さと悲しさを覚える。 故郷の凧の季節は春二月である。もしシャーシャーと風を切る音が聞こえたなら、仰ぎ見れば濃い灰色の蟹凧や空色の百足凧が見られるだろう。ひっそりとした瓦凧は風を切る音も立てず低く浮かび、独りぼっちで元気もなく哀れを誘う。けれどこの時期にはすでに柳が芽吹き、早咲きの山桃もたくさんの蕾を付けている。空に舞う子供らの凧と共に、春の暖かさを感じさせる一幅となっているのだ。私は今どこに居るのだろう? 厳しい冬の寒々しさの中だというのに見上げた空に、とっくに決別した故郷の過ぎ去って久しい春の日が浮かんでいるではないか。

  但我是向来不爱放风筝的,不但不爱,并且嫌恶他,因为我以为这是没出息孩子所做的玩艺。和我相反的是我的小兄弟,他那时大概十岁内外罢,多病,瘦得不堪,然而最喜欢风筝,自己买不起,我又不许放,他只得张着小嘴,呆看着空中出神,有时至于小半日。远处的蟹风筝突然落下来了,他惊呼;两个瓦片风筝的缠绕解开了,他高兴得跳跃。他的这些,在我看来都是笑柄,可鄙的。

しかし私はもともと凧上げが好きではなかった。好きでないと言うより、嫌悪していた。意気地なしの子供の遊びだと思っていたからだ。相反して弟は、その頃10歳かそこらだったであろうか、病気がちの痩せっぽちで凧上げが一番好きであった。けれど自分では凧を買うことができず、私もさせてやらなかった。弟はポカンと口を開けて憑かれたように空を見上げ、時には半日もそうしている事もあった。遠くの蟹凧が突然落下すると弟はびっくりして声をあげ、絡まった二つの瓦凧がほどければ嬉しくて飛び跳ねた。
弟のこんな様を、私はいつも恥ずべき奴だと冷笑した。

  有一天,我忽然想起,似乎多旧不很看见他了,但记得曾见他在后园拾枯竹。我恍然大悟似的,便跑向少有人去的一同堆积杂物的小屋去,推开门,果然就在尘封的什物堆中发见了他。他向着大方凳,坐在小凳上;便很惊惶地站了起来,失了色瑟缩着。大方凳旁靠着一个蝴蝶风筝的竹骨,还没有糊上纸,凳上是一对做眼睛用的小风轮,正用红纸条装饰着,将要完工了。我在破获秘密的满足中,又很愤怒他的瞒了我的眼睛,这样苦心孤诣地来偷做没出息孩子的玩艺。我即刻伸手折断了蝴蝶的一支翅骨,又将风轮掷在地下,踏扁了。论长幼,论力气,他是都敌不过我的,我当然得到完全的胜利,于是傲然走出,留他绝望地站在小屋里。后来他怎样,我不知道,也没有留心。
 
ある日、気がつくと弟がいない。裏庭で枯れ竹を拾っていたなと思いだし、はっと気がついた。そこで人がめったに行かない物置小屋へ向かった。戸を開けると案の定、埃だらけの什器が積み上げられた部屋の中に弟はいた。大きな方形の台に向かい低い腰かけに座っていた。私を見ると驚いて立ち上がり、青くなって縮こまった。台のかたわらには胡蝶凧の竹枠が立てかけられ、まだ糊付けしていない紙もある。台には一対の目玉となる風輪と、正月用の赤い紙飾りもあって殆ど完成していた。私はしてやったりと満足に浸りつつも、弟が私に隠れ、苦心してこっそりと子供の手業とは思えない物を作っていた事にひどく腹を立てた。私はすぐさま手を伸ばし胡蝶の翅の骨を折り、風輪を地面に投げつけ、ぺしゃんこに踏みつけた。弟は年齢も体力も私に敵う訳もなく、当然のこと完全な勝利を得た私は、呆然と立ちすくむ弟を小屋に残し、傲然と立ち去ったのだった。その後、弟がどうしたか私は知らないし、気にも留めなかった。

  然而我的惩罚终于轮到了,在我们离别得很久之后,我已经是中年。我不幸偶而看了一本外国的讲论儿童的书,才知道 游戏是儿童最正当的行为,玩具是儿童的天使。于是二十年来毫不忆及的幼小时候对于精神的虐杀的这一幕,忽地在眼前展开,而我的心也仿佛同时变了铅块,很重很重的堕下去了。
但心又不竟堕下去而至于断绝,他只是很重很重地堕着,堕着。

けれど私への懲罰は、弟と離別して久しい後になってやって来た。私は既に中年になっていた。遺憾ながら偶然にも一冊、児童書を論述した外国の本を読み、遊びは子供の正当な行為であり、おもちゃは子供のエンゼルであると知るに至った。そして20年間、全く思い出すこともなかった子供時代の精神的虐殺の一幕が、急に目の前に広がり私の心は忽ち鉛の固まりと化したかの如く重く重く沈んでいった。
しかし心は沈んでぷつりと切れてしまう迄には至らない、ただ重く重く落ちて落ちて行く。

  我也知道补过的方法的:送他风筝,赞成他放,劝他放,我和他一同放。我们
嚷着,跑着,笑着。──然而他其时已经和我一样,早已有了胡子了。

埋め合わせ方を私は知ってはいる。弟に凧を与え遊ぶのを認めて揚げるのを励ます、私も一緒に凧を揚げるのだ。紐を引きながら私達は転げ回り、走り、笑う。──-けれども、今の弟は私と同様に髭も生えているのだ。

我也知道还有一个补过的方法的:去讨他的宽恕,等他说,“我可是毫不怪你
呵。”那么,我的心一定就轻松了,这确是一个可行的方法。有一回,我们会面的
时候,是脸上都已添刻了许多“生”的辛苦的条纹,而我的心很沉重。我们渐渐谈
起几时的旧事来,我便叙述到这一节,自说少年时代的胡涂。“我可是毫不怪你呵。”

私は別の償い方も知っている。弟に許しを求めるのだ、弟が「兄さんを責めたりしていない」と言うのを待つのだ。それで私の気持ちはすっかり軽くなる。これは確かに実行可能な方法だ。いつか、会うことがあったとしたら、お互いの顔には“人生”の苦労の皺が刻まれていて、しかも私の心はとても重い。私達の会話は徐々に昔の事になっていく。そこで私はこの事を持ち出し、少年時代の愚かさを自分から話す。弟は「ちっとも兄さんを悪くなんか思ってないよ。」と言う。

  我想,他要说了,我即刻便受了宽恕,我的心从此也宽松了罢。
“有过这样的事么?”他惊异地笑着说,就像旁听着别人的故事一样。他什么
也不记得了。
全然忘却,毫无怨恨,又有什么宽恕之可言呢?无怨的恕,说谎罢了。
我还能希求什么呢?我的心只得沉重着。
现在,故乡的春天又在这异地的空中了,既给我久经逝去的儿时的回忆,而一
并也带着无可把握的悲哀。我倒不如躲到肃杀的严冬中去罢,──但是,四面又明
明是严冬,正给我非常的寒威和冷气。
                                            一九二五年一月二十四日

弟がこう言ったら私はすぐさま彼の許しを受け取り、私の気持ちは軽くなるだろう。
「そんな事あったかな?」と弟は首をかしげ笑いながら言う、まるで別の人の話を聞いたかの様に。何も覚えていないのだ。
すっかり忘れてる、全く恨んでなんてない。だから許すも許さないもないだろう?
怨みがないのに許すなど、嘘にすぎない。
私がこの上何を求められるというのか?私の心はただ重いばかりだ。
今、故郷の春の日がこの異郷の空に映り、過ぎ去って久しい子供時代の思い出を私にもたらした、名状しがたい悲しみを供に。それなら私はむしろ殺伐とした厳冬の中に隠れていたほうがよい──しかし、四面は明々たる厳冬ではなかったか、それが非常な寒さと冷たさを正にもたらしているというのに。
                                                 
2010/3
   
# by dangao41 | 2011-08-17 17:40 | 魯迅 | Comments(0)

凧 読解の参考

三. 阅读下文,回答13—20题(23分)

北京的冬季,地上还有积雪,灰黑色的秃树枝丫叉于晴朗的天空中,而远处有一二风筝浮动,在我是一种惊异和悲哀。

故乡的风筝时节,是春二月,倘听到沙沙的风轮声,仰头便能看见一个淡墨色的蟹风筝或嫩蓝色的蜈蚣风筝。还有寂寞的瓦片风筝,没有风轮,又放得很低,伶仃地显出憔悴可怜的模样。但此时地上的杨柳已经发芽,早的山桃也多叶蕾,和孩子们的天上的点缀相照应,打成一片春日的温和。我现在在哪里呢?四面都还是严冬的肃杀,而久经诀别的故乡的久经逝去的春天,却就在这天空中荡漾了。

但我是向来不爱放风筝的,不但不爱,并且嫌恶他,因为我以为这是没有出息的孩子所做的玩艺。和我相反的是我的小兄弟,他那时大概十岁内外罢,多病,瘦得不堪,然而喜欢风筝,自己买不起,我又不许放,他只得张着小嘴,呆看着空中出神,有时至于小半日。远处的蟹风筝突然落下来了,他惊呼;两个瓦片风筝的缠绕解开了,他高兴得跳跃。他的这些,在我看来都是笑柄,可鄙的。

有一天,我忽然想起,似乎多日不很看见他了,但记得曾见他在后园拾枯竹。我恍然大悟似的,便跑向少有人去的一间堆积杂物的小屋去,推开门,果然就在尘封的什物堆中发现了他。①大方凳旁靠着一个蝴蝶风筝的竹骨,还没有糊上纸,凳上是一对做眼睛用的小风轮,正用红纸条装饰着,将要完工了。②我即刻伸手折断了蝴蝶的一支翅骨,又将风轮掷在地下,踏扁了。③他向着大方凳,坐在小凳上;便很惊惶地站了起来,失了色瑟缩着。④论长幼,论力气,他是敌不过我的,我当然得到完全的胜利,于是傲然走出,留他绝望地站在小屋里。⑤我在破获得秘密的满足中,又很愤怒他的瞒了我的眼睛,这样苦心了孤诣地偷做没出息孩子的玩艺。⑥后来他怎样,我不知道,也没留心。

然而我的惩罚终于轮到了,在我们离别得很久以后,我已经是中年。我不幸偶尔看了一本外国的讲论儿童的书,才知道游戏是儿童最正当的行为,玩具是儿童的天使。于是二十年来毫不忆及的幼小时候对于精神的虐杀的这一幕,忽地在眼前展开,而我的心也仿佛同时变了铅块,很重地堕下去了。

但心又不竟堕下去而至于断绝,他只是很重地堕着,堕着。

我也知道补过的方法:送他风筝,赞成他放,劝他放,我和他一同放。我们跳着,跑着,笑着。——然而他其时已和我一样,早已有了胡子了。

我也知道还有一个补过的方法:去讨他的宽恕,等他说,“我可毫不怪你呵。”那么,我的心一定就轻松了,这确是一个不可行的方法。有一回,我们会面的时候,是脸上都已添刻了许多“生”的辛苦的条纹,而我的心很沉重。我们渐渐谈起儿时的旧事来,我便叙述到这一节,自说少年时代的糊涂。“我可是毫不怪你呵。”我想,他要说了,我即刻便受了宽恕,我的心从此也是宽松了罢。

“有过这样的事么?”他惊异地笑着说,就像旁听着别人的故事一样,他什么也不记得了。

全然忘却,毫无怨恨,又有什么宽恕之可言呢?无怨的恕,说谎罢了。

我还能希求什么呢?我的心只得沉重着。

现在,故乡的春天又在这异地的空中了,既给我久经逝去的儿时的回忆,而一并也带着无可把握的悲哀。我倒不如躲到肃杀的严冬中去罢,——但是,四面又明明是严冬,正给我非常的寒威和冷气。


13. 文章开头写看见了风筝,“在我是一种惊异和悲哀。”这是为什么?结合全文内容简要回答。(4分)

答:

14. 第②段描写故乡放风筝的情景,表达了“我”什么情感?这段描写对下文起什么作用?(2分)

答:

15. 文中第④段标有①—⑥序号的语序被打乱,调整后正确的语序是( )(3分)

A. ②③⑤④①⑥ B. ③①⑤②④⑥

C. ③②④⑤①⑥ D. ②①⑤③④⑥

16. 第⑤段中说“然而我的惩罚终于轮到了”,“我的惩罚”指的是:(2分)



17. 第⑥段说,“但心又竟堕下去而至于断绝”,是因为:(2分)

__ 。

18. “脸上都已添刻了许多‘生’的辛苦的条纹”的含义是:(3分)



19. “无可把握的悲哀”是指( )(3分)

A. 把握不住的悲哀 B. 无可奈何的悲哀

C. 无法解脱的悲哀 D. 无处诉说的悲哀

20. 文末写道:“四面又明明是严冬,正给我非常的寒威和冷气。”这里仅指自然气侯吗?为什么?(4分)

__ 。



三. 阅读下文,回答13—20题(23分)

13. 在寒冷的北京看见风筝,使“我”想起故乡和故乡的春天,因而惊异;又因风筝勾起了“我”对儿时那“精神虐杀”一幕的回忆,又感到悲哀。

14.

① 表现“我”对故乡的怀念和对故乡春天的向往之情。

② 为下文的怀念作铺垫。

15. B

16. 当“我”明白对小弟的粗暴干涉是对儿童的天性的压抑时,我所受到的悔恨和痛苦的折磨。

17. 还希望找到补过的机会。

18. 为生活忙碌奔波,随岁月流逝,年纪大了。

19. C

20. 不仅指自然气候,还指当时的社会环境,表现封建传统势力还很强大,封建伦理道德及教育思想还严重地束缚着人们,以致小弟受了“精神虐杀”还不自觉。
# by dangao41 | 2011-08-17 17:35 | 魯迅 | Comments(2)

百草園

       百草園から三味書屋へ  (从百草园到三味书屋)  鲁迅

  我家的后面有一个很大的园,相传叫作百草园。现在是早已并屋子一起卖给朱文公的子孙了,连那最末次的相见也已经隔了七八年,其中似乎确凿只有一些野草;但那时却是我的乐园。
 
 私の家の裏には広い庭があり百草園と呼びならわされていた。今は既に家と一緒に朱文公の子孫に売却してしまったが最後に見たのは7,8年のことである。たしかに雑草しか生えていない庭であったと思うが、あの当時は私の楽園であったのだ。

  不必说碧绿的菜畦,光滑的石井栏,高大的皂荚树,紫红的桑椹;也不必说鸣蝉在树叶里长吟,肥胖的黄蜂伏在菜花上,轻捷的叫天子(云雀)忽然从草间直窜向云霄里去了。单是周围的短短的泥墙根一带,就有无限趣味。油蛉在这里低唱,蟋蟀们在这里弹琴。翻开断砖来,有时会遇见蜈蚣;还有斑蝥,倘若用手指按住它的脊梁,便会拍的一声,从后窍喷出一阵烟雾。何首乌藤和木莲藤缠络着,木莲有莲房一般的果实,何首乌有拥肿的根。有人说,何首乌根是有象人形的,吃了便可以成仙,我于是常常拔它起来,牵连不断地拔起来,也曾因此弄坏了泥墙,却从来没有见过有一块根象人样。如果不怕刺,还可以摘到覆盆子,象小珊瑚珠攒成的小球,又酸又甜,色味都比桑椹要好得远。
 
 緑の野菜畑は言うに及ばず、井戸の滑らかな石の欄干、大きなトウサイカチの木、赤紫の桑の実。セミは木の葉の陰で鳴き続け、丸々とした雀蜂は菜の花に隠れ、すばしっこい雲雀は急に草間から逃げ出て高い空に真っ直ぐに飛んでいく。周囲の所々崩れた土塀の根もとでさえも限りなく面白かった。ブヨは低く歌い、蟋蟀は楽器を奏でる。割れた煉瓦をひっくり返せば、ムカデに遭遇する時もあった。ハンミョウもいて、指でその背中を押すと尻からピュッと体液を噴射する。ツルドクダミと木蓮の蔓は絡みあっていた。木蓮は蓮の花托のような果実を付け、ツルドクダミは膨らんだ根っこをもっていた。ツルドクダミの根には人間の形をしているものもあって、食べれば仙人になれると聞いた。そこで私は根を引っこ抜き始め、次々と抜いたので土壁を壊してしまったが、人の形の根を一個だって見つけた事はなかった。もし刺されるのを厭わないなら、トックリイチゴを摘む事もできた。小さな珊瑚玉を集めたような球形で、酸っぱくて甘く、色合いも味わいも桑の実よりずっと良かったのだ。

  长的草里是不去的,因为相传这园里有一条很大的赤练蛇。
  长妈妈曾经讲给我一个故事听:先前,有一个读书人住在古庙里用功,晚间,
在院子里纳凉的时候,突然听到有人在叫他。答应着,四面看时,却见一个美女的脸露在墙头上,向他一笑,隐去了。他很高兴;但竟给那走来夜谈的老和尚识破了机关。说他脸上有些妖气,一定遇见“美女蛇”了;这是人首蛇身的怪物,能唤人名,倘一答应,夜间便要来吃这人的肉的。他自然吓得要死,而那老和尚却道无妨,给他一个小盒子,说只要放在枕边,便可高枕而卧。他虽然照样办,却总是睡不着,——当然睡不着的。到半夜,果然来了,沙沙沙!门外象是风雨声。他正抖作一团时,却听得豁的一声,一道金光从枕边飞出,外面便什么声音也没有了,那金光也就飞回来,敛在盒子里。后来呢?后来,老和尚说,这是飞蜈蚣,它能吸蛇的脑髓,美女蛇就被它治死了。

草が生い茂っているところへは行かなかった。この庭には大きな赤斑が一匹いるとの言い伝えがあったからだ。 
長妈妈が話してくれたのだが、昔、一人の書生が古廟に住み込み学んでいたという。晩方に庭で涼んでいると不意に誰かが彼の名を呼ぶ、返事してあたりを見回すと、美しい女が塀の向こうで彼に笑いかけると姿を消した。彼はたいそう嬉しくなった。しかしこの晩の事を聞いた和尚は女の実態を見破った。書生の顔には妖気があった、“美女蛇”に出くわしたのだろう。これは人間の顔を持った蛇の妖怪であり、相手の名前をもって呼びかける。もし返事をしてしまったら、夜更けにその者を食べにやって来るという。書生は当然に恐れ慄いたが、大丈夫だと和尚は小箱を書生に与え、これを枕元に置きぐっすり眠るがいいと言った。書生は言われた通りにしたものの寝つけなかった。眠れないのも無理はなかろう。夜も更けた頃、果たしてそれはやって来た。シャシャシャッ~!戸の外では風雨の様な音がする。書生が縮こまって震えていると、フッと箱が開く音がして、ひと筋の金色の光が枕元から飛び出していった。そとでは何の物音もしない。金の光もすぐ戻ってきて箱の中に収まった。それからは、って?和尚が言ったその続き、「あれは空飛ぶムカデで蛇の脳髄を吸うことができる。美しい蛇女はムカデに退治されたのだ。」

  结末的教训是:所以倘有陌生的声音叫你的名字,你万不可答应他。

  教訓:であるから、もしも見知らぬ人に名を呼ばれても、絶対に返事をしてはいけない。

  这故事很使我觉得做人之险,夏夜乘凉,往往有些担心,不敢去看墙上,而且极想得到一盒老和尚那样的飞蜈蚣。走到百草园的草丛旁边时,也常常这样想。但直到现在,总还没有得到,但也没有遇见过赤练蛇和美女蛇。叫我名字的陌生声音自然是常有的,然而都不是美女蛇。
 
この話は私に世の中は怖いと思わせた。夏の夜に涼んでいる時など、よくよく心配で塀に目を向けられなかったし、果てには和尚の飛ぶムカデの箱がとても欲しかった。百草園の草むらの傍に行った時はいつもそう思っていた。しかし今に至るまで、なにも起こらなかったし、赤斑蛇にも美しい蛇女にも出くわさなかった。私の名を呼ぶ見知らぬ人の声など自然に常となったが、美しい蛇女だった事などはない。
 
  冬天的百草园比较的无味;雪一下,可就两样了。拍雪人(将自己的全形印在雪上)和塑雪罗汉需要人们鉴赏,这是荒园,人迹罕至,所以不相宜,只好来捕鸟。薄薄的雪,是不行的;总须积雪盖了地面一两天,鸟雀们久已无处觅食的时候才好。扫开一块雪,露出地面,用一支短棒支起一面大的竹筛来,下面撒些秕谷,棒上系一条长绳,人远远地牵着,看鸟雀下来啄食,走到竹筛底下的时候,将绳子一拉,便罩住了。但所得的是麻雀居多,也有白颊的“张飞鸟”,性子很躁,养不过夜的。
 
冬の百草園は少しつまらない。だが雪が降れば一変した。雪人型(雪に全身を押しつけて人型をつける)や雪だるま作りは、出来上がれば人に見せたいが、荒れた庭で人はめったに通らないから相応しい場所ではなかった。それで鳥を捕るしかなかった。薄っすらの雪ではいけない。一日二日と一面に降り積もり、鳥たちがもう何処にも餌を探せなくなった頃がチャンスであった。一塊の雪を除き地面を露出し、その場を覆う大きな竹笊を短い棒で支えて穀物をばら撒く。棒には長い縄を結び、離れた場所で縄を持つ。鳥がやってきて啄み竹笊の下に入った時、縄を引いて覆い被せる。しかし捕れるのはたいてい雀だった。頬の白い張飛鳥も捕まえたが、気が短い鳥でその日の内に死んでしまった。 

  这是闰土的父亲所传授的方法,我却不大能用。明明见它们进去了,拉了绳,
跑去一看,却什么都没有,费了半天力,捉住的不过三四只。闰土的父亲是小半天便能捕获几十只,装在叉袋里叫着撞着的。我曾经问他得失的缘由,他只静静地笑道:你太性急,来不及等它走到中间去。
 
これは闰土の父親に教わった方法だが、私はあまり上手にできなかった。鳥が入って来たのをしっかり見て縄を引く、飛んで行って見れば何も無い。長い時間を費やして三、四羽しか捕ることができなかった。闰土の父親は私よりずっと短い時間で幾十羽も捕ることができて、袋の中でビービーバタバタとしていた。
どうして私には出来ないか理由を尋ねた事がある。彼は静かに微笑んで言った。坊っちゃんはせっかち過ぎて、鳥が真ん中に入るまで待てないからですよ。 

  我不知道为什么家里的人要将我送进书塾里去了,而且还是全城中称为最严厉的书塾。也许是因为拔何首乌毁了泥墙罢,也许是因为将砖头抛到间壁的梁家去了罢,也许是因为站在石井栏上跳下来罢,……都无从知道。总而言之:我将不能常到百草园了。Ade,我的蟋蟀们!Ade,我的覆盆子们和木莲们!
  
家の人がどうして私を塾に行かせたのか分からない。しかもそれは町で一番厳しい塾であった。何首鳥を引きぬいて土壁を壊したからか、煉瓦を投げて隣の梁家との仕切り壁を壊したせいか、井戸の柵に上って飛び降りたせいか、・・・知るすべもない。要するに私は百草園にしょっちゅうは行かれなくなった。
さらば、私の蟋蟀よ!さらば、私の覆盆子よ、木蓮よ!

  出门向东,不上半里,走过一道石桥,便是我的先生的家了。从一扇黑油的竹门进去,第三间是书房。中间挂着一块扁道:三味书屋;扁下面是一幅画,画着一只很肥大的梅花鹿伏在古树下。没有孔子牌位,我们便对着那扁和鹿行礼。第一次算是拜孔子,第二次算是拜先生。

門を出て東に向かい200メートル程行き石橋を渡ると先生の家だった。黒光りした竹の入口から入って三つ目の部屋が教室であった。真ん中には「三味本屋」の額が掛かっていて、その下には大きな梅花鹿が古木の下に伏せっている一幅の絵があった。孔子の位牌はなかったので、私たちはその額と鹿に向かってお辞儀した。一回目は孔子への礼で、二回目は先生への礼であった。

  第二次行礼时,先生便和蔼地在一旁答礼。他是一个高而瘦的老人,须发都花白了,还戴着大眼镜。我对他很恭敬,因为我早听到,他是本城中极方正,质朴,博学的人。
  
二度目の礼の時、先生は穏やかに返礼した。先生は背が高い痩せた老人で髭も髪も半白で大きな眼鏡をかけていた。私はたいそう礼儀正しくしていた。先生が町でも極めて公正・質朴・博学の人であると、とっくに聞き知っていたからだ。

  不知从那里听来的,东方朔也很渊博,他认识一种虫,名曰“怪哉”,冤气所化,用酒一浇,就消释了。我很想详细地知道这故事,但阿长是不知道的,因为她毕竟不渊博。现在得到机会了,可以问先生。
   “先生,‘怪哉’这虫,是怎么一回事?……”我上了生书,将要退下来的时候,赶忙问。
  “不知道!”他似乎很不高兴,脸上还有怒色了。

どこで私が耳にしたものか分からないが、東方朔も該博で“怪哉”という名の虫を知っていたという。これは恨みつらみが化けた虫で、酒を浴びせると溶けてしまうという。私はこの話を詳しく知りたかったのだが、長おばさんは博識ではなかったので知らなかった。さあ、今なら先生に聞ける。
 「先生、‘怪哉’という虫はいったい何なのですか?・・・」初めての授業が終って帰りの時間になった時、心逸らせ尋ねた。
 「知りません!」先生はとても不愉快そうで、顔に怒りの色さえみえた。

  我才知道做学生是不应该问这些事的,只要读书,因为他是渊博的宿儒,决不至于不知道,所谓不知道者,乃是不愿意说。年纪比我大的人,往往如此,我遇见过好几回了。
  
そこで私は生徒は勉強だけするべきで、このような事を聞いてはいけないのだなと理解した。なぜなら先生は該博の老学者で知らない事などない。知らないというのは即ち言いたくないのだ。大人は往々にしてこのようである、私は何度もそんな場面に出くわした。

  我就只读书,正午习字,晚上对课。先生最初这几天对我很严厉,后来却好起来了,不过给我读的书渐渐加多,对课也渐渐地加上字去,从三言到五言,终于到七言。
 
私は勉強だけするようになり、昼には字を習い晩には教科書を読んだ。先生は最初の幾日かは私に大変厳格であったが、その後は和らいでいった。しかし私に読ませる本は段々に多くなり、授業も次第に難しくなって三言から五言に、とうとう七言になっていった。

  三味书屋后面也有一个园,虽然小,但在那里也可以爬上花坛去折腊梅花,在地上或桂花树上寻蝉蜕。最好的工作是捉了苍蝇喂蚂蚁,静悄悄地没有声音。然而同窗们到园里的太多,太久,可就不行了,先生在书房里便大叫起来:
—“人都到那里去了?”
 
三味書屋の後ろには庭があり、小さいとはいえ花壇に登って蝋梅の枝を折れたし、地面で木犀の枝やセミの抜け殻を探すことができた。一番楽しいのは蝿を捕まえて蟻の餌にすることで、静かに声を出さずにやる。しかし多くの同級生が庭に出るので、長く居るのは無理であった。教室の先生の大声が聞こえてくる、「みんなどこへ行ったのか?」

  人们便一个一个陆续走回去;一同回去,也不行的。他有一条戒尺,但是不常用,也有罚跪的规矩,但也不常用,普通总不过瞪几眼,大声道:——“读书!”

生徒は一人また一人と続いて戻っていく、一緒に戻らなくてはならない。先生はお仕置き棒を持っているが常に使いはしない。膝まずかせる罰則もあるが常にさせはしない。普通はカッと目を開き大声でこう言った——「本を読みなさい!」

  于是大家放开喉咙读一阵书,真是人声鼎沸。有念“仁远乎哉我欲仁斯仁至矣”的,有念“笑人齿缺曰狗窦大开”的,有念“上九潜龙勿用”的,有念“厥土下上上错厥贡苞茅橘柚”的……先生自己也念书。后来,我们的声音便低下去,静下去了,只有他还大声朗读着:——
“铁如意,指挥倜傥,一座皆惊呢~~;金叵罗,颠倒淋漓噫,千杯未醉嗬~~……”
 我疑心这是极好的文章,因为读到这里,他总是微笑起来,而且将头仰起,摇着,向后面拗过去,拗过去。

そこで生徒は声を振り絞って朗読し、まさしく人声沸き立つのである。“仁远乎哉我欲仁斯仁至矣”を読む者あり、“笑人齿缺曰狗窦大开”を読む者あり、“上九潜龙勿用”を読む者あり、“厥土下上上错厥贡苞茅橘柚”を読む者あり・・・・先生も自分の本を読む。少しすると生徒の声は低くなっていき、やがて静まってしまう。先生だけが大きな声で読み続ける-----“铁如意,指挥倜傥,一座皆惊呢~~;金叵罗,颠倒淋漓噫,千杯未醉嗬~~……”
私はこれはきっと素晴らしい文章なのに違いない、と思った。というのはこの部分にくると先生はいつも笑みを浮かべ、顔を仰向けて体をどんどん後ろへ反らせたからである。
 
  先生读书入神的时候,于我们是很相宜的。有几个便用纸糊的盔甲套在指甲上做戏。我是画画儿,用一种叫作“荆川纸”的,蒙在小说的绣像上一个个描下来,象习字时候的影写一样。读的书多起来,画的画也多起来;书没有读成,画的成绩却不少了,最成片断的是《荡寇志》和《西游记》的绣像,都有一大本。后来,因为要钱用,卖给一个有钱的同窗了。他的父亲是开锡箔店的;听说现在自己已经做了店主,而且快要升到绅士的地位了。这东西早已没有了罢。         九月十八日                                                       
先生が朗読に陶酔している時間、これは私たちには好都合であった。紙と糊で兜を作り指に嵌め遊んでいる者もいたが、私は絵を描いた。“荆川纸”と呼ばれた紙を小説の挿絵に重ねてなぞった。習字の時なぞるのと同じようにである。本が多くなれば挿絵も多くなる。本は読み切れないのに絵は沢山描いた。通して描いて完成させたのは《荡寇志》と《西游記》の挿絵である。二冊とも長い本だった。その後お金が必要となって金持ちの同級生に売ってしまった。彼の父親は錫箔店を経営していた。聞くところによると彼が今は主人だそうで、おまけにもうすぐ「紳士」にまでなるらしい。あの写し絵はもう無くなっているであろうな。                                2010/9
                                              (《朝花夕拾》)
原文 http://www.xys.org/xys/classics/Lu-Xun/Zhaohua/baicao.txt

# by dangao41 | 2011-08-16 14:16 | 魯迅 | Comments(10)

落花生  

                落花生   許地山

  我們屋後有半畝隙地。母親說: 「讓它荒蕪著怪可惜, 既然你們那麼愛吃花生, 就闢來做花生園罷。」我們姊弟幾個都很喜歡, ──買種的買種,動土的動土,灌園的灌園;過不了幾個月,居然收穫了!
  媽媽說:「今晚我們可以做一個收穫節,也請你們爹爹來嘗嘗我們的新花生,如何?」我們都答應了。母親把花生做好成好幾樣食品,還吩附這集會要在園裏的茅亭舉行。
  
  那晚上的天色不大好,可是爹爹也到了,實在很難得!爹爹說:「你們愛吃花生嗎?
我們都爭著答應:「愛!」
「誰能把花生的好處說出來?」
姐姐說:「花生的氣味很美。」
哥哥說:「花生可以製油。」
我說:「無論何等人都可以用賤價買它來吃;都喜歡吃它。這就是它的好處。」

  爹爹說:「花生的用處固然很多,但有一樣是很可貴的。這小小的豆不像那好看的蘋果、桃子、石榴,把它們的果實懸在枝上,鮮紅嫩綠的顏色,令人一望而發生羨慕的心;它只把果子埋在地下,等到成熟,才容人把它挖出來。你們偶然看見一棵花生瑟縮的長在地上,不能立刻辨出它有沒有果實,必得等到你接觸它,才能知道。」

  我們說:「是的。」母親也點點頭。爹爹接下去說:「所以你們要像花生;因為它是有用的,不是偉大、好看的東西。」我說:「那麼人要做有用的人,不要做偉大、體面的人了。」爹爹說:「這是我對於你們的希望。」
  我們談到夜闌才散,所有的花生食品雖然沒有了,然而父親的話現在還師在我心版上。

  
            落花生     許地山
 
 家の裏には半畝の空き地がありました。母は「荒れたままにして置くのはもったいないわ。うちでは皆、落花生が好きだから畑にして落花生を植えましょう。」と言いました。私たち兄弟はみな喜んで、それ種を買いに行こう、さあ土を耕して、ほら水をやってと働きました。幾月も経たないで何と収穫となりました。
 「今夜は収穫祭をしましょう。お父さんもお呼びしてみんなで作った落花生を味わっていただきましょうよ。どう?」と母が言い、私たちみんなが賛成しました。母は落花生でいくつもの料理を作り、その上、裏庭の東屋で食事をしましょうと言いいました。
 
 その晩の空もようはさして良くはありませんでしたが父も来てくれました、実に珍しいことなのです!
父は「お前たちは落花生が好きかい?」と聞きました。 私たちはみな口々に「好き!」と答えました。 
 「誰か落花生の好いところを言えるかな?」
 「とても美味しいです。」と姉が言いました。
 「油を絞ることも出来ます。」と兄が言いました。
 「誰でも少しのお金で買って食べることができて、誰もが好きです。これが好いところです。」と私が言いました。

  父は「むろん落花生は様々に使えるね、でももっと評価されるべきところがあるのだよ。この小さな実は、林檎や桃や石榴のようにきれいではない。木に成る果実は鮮やかな色合いで見ただけで人に欲しいと云う気持ちを起こさせるね。しかし落花生はね、土の中で熟すのを待ってやっと人は掘り出すことができる。お前たちがもし落花生が縮こまって生えているのを見たとして、実があるかないか直ぐに見分けるのは無理だろう。掘ってみて初めて分かるのだよ。」

 「本当ですね。」と私たちは言いました。母も頷きました。父は続けてこう言いました。「だからお前たちも落花生のようであるべきなのだ。落花生は小さくて、きれいでもないが有用なのだよ。」「役に立つ人間になるべきなのですね。立派である必要はなく、中身のある人間ですね。」と私は言い、父は「私はその様にお前たちに望むのだよ。」と言いました。

 私たちは夜更けまで話し続けました。落花生のお料理は全部食べてしまいましたが、父の話は未だ私の心に刻まれています。
                                                        2009・12


我们 家 的 屋 後 有 半 亩 隙 地 。 母亲 说 : 「 让 它 荒芜 着 怪 可惜 , 既然 你们 那么 爱 吃 花生 , 就 辟 来 做 花生 园 罢 。 」
 
wǒmen jiā de wū hòu yǒu bàn mǔ xì dì . mǔqīn shuō : 「 ràng tā huāngwú zhe/zhuó guài kěxī , jìrán nǐmen nàme ài chī huāshēng , jiù pì lái zuò huāshēng yuán ba . 」

我们 姊 弟 几 个 都 很 喜欢 , ─ ─ 买 种 的 买 种 , 动土 的 动土 , 灌 园 的 灌 园 ; 过 不了 几 个 月 , 居然 收 穫 了 ! 妈妈 说 : 「 今晚 我们 可以 做 一个 收 穫 节 , 也 请 你们 父亲 来 尝尝 我们 的 新 花生 , 如何 ? 」 我们 都 答应 了 。 母亲 把 花生 做 好 成 好几 样 食品 , 还 吩 附 这 集会 要 在 园 里 的 茅 亭 举行 。

wǒmen zǐ dì jǐ gè dōu hěn xǐhuān , ─ ─ mǎi zhǒng de mǎi zhǒng , dòngtǔ de dòngtǔ , guàn yuán de guàn yuán ; guò bùliǎo jǐ gè yuè , jūrán shōu 穫 le ! māma shuō : 「 jīnwǎn wǒmen kěyǐ zuò yīgè shōu 穫 jié , yě qǐng nǐmen fùqin lái chángcháng wǒmen de xīn huāshēng , rúhé ? 」 wǒmen dōu dāying le . mǔqīn bǎ huāshēng zuò hǎo/hào chéng hǎojǐ yàng shípǐn , hái/huán fēn fù zhè jíhuì yào zài yuán lǐ de máo tíng jǔxíng .

那 晚上 的 天色 不 大好 , 可是 爹爹 也 到 了 , 实在 很 难得 ! 父亲 说 : 「 你们 爱 吃 花生 吗 ? 」 我们 都 争 着 答应 : 「 爱 ! 「 谁 能 把 花生 的 好处 说 出来 ? 」 姐姐 说 : 「 花生 的 气味 很 美 。 」 哥哥 说 : 「 花生 可以 製 油 。 」 我 说 : 「 无论 何等 人 都 可以 用 贱价 买 它 来 吃 ; 都 喜欢 吃 它 。 这 就是 它 的 好处 。 」

nà wǎnshàng de tiānsè bù dàhǎo , kěshì diēdiē yě dào le , shízai hěn nándé ! fùqin shuō : 「 nǐmen ài chī huāshēng ma ? 」 wǒmen dōu zhēng zhe/zhuó dāying : 「 ài ! 「 shuí néng bǎ huāshēng de hǎochù shuō chūlái ? 」 jiějie shuō : 「 huāshēng de qìwèi hěn měi . 」 gēge shuō : 「 huāshēng kěyǐ 製 yóu . 」 wǒ shuō : 「 wúlùn héděng rén dōu kěyǐ yòng jiànjià mǎi tā lái chī ; dōu xǐhuān chī tā . zhè jiùshì tā de hǎochù . 」

父亲 说 : 「 花生 的 用处 固然 很多 , 但 有 一样 是 很 可贵 的 。 这 小小的 豆 不 像 那 好看 的 蘋 果 、 桃子 、 石榴 , 把 它们 的 果实 悬 在 枝 上 , 鲜红 嫩绿 的 颜色 , 令 人 一 望 而 发生 羡慕 的 心 ; 它 只 把 果子 埋 在 地下 , 等到 成熟 , 才 容 人 把 它 挖 出来 。 你们 偶然 看见 一 棵 花生 瑟缩 的 长 在 地上 , 不能 立刻 辨 出 它 有 没有 果实 , 必得 等到 你 接触 它 , 才能 知道 。 」 我们 说 : 「 是的 。 」 母亲 也 点点头 。

fùqin shuō : 「 huāshēng de yòngchu gùrán hěnduō , dàn yǒu yīyàng shì hěn kěguì de . zhè xiǎoxiǎode dòu bù xiàng nà hǎokàn de 蘋 guǒ 、 táozi 、 shíliu , bǎ tāmen de guǒshí xuán zài zhī shàng , xiānhóng nènlǜ de yánsè , lìng rén yī wàng ér fāshēng xiànmù de xīn ; tā zhī/zhǐ bǎ guǒzi mái zài dìxia(dìxià) , děngdào chéngshú , cái róng rén bǎ tā wā chūlái . nǐmen ǒurán kànjiàn yī kē huāshēng sèsuō de cháng/zhǎng zài dìshàng , bùnéng lìkè biàn chū tā yǒu méiyǒu guǒshí , bìděi děngdào nǐ jiēchù tā , cáinéng zhīdào . 」 wǒmen shuō : 「 shìde . 」 mǔqīn yě diǎndiǎntóu .

父亲 接 下去 说 : 「 所以 你们 要 像 花生 ; 因为 它 是 有用 的 , 不是 伟大 、 好看 的 东西 。 」 我 说 : 「 那么 人 要 做 有用 的 人 , 不要 做 伟大 、 体面 的 人 了 。 」 父亲 说 : 「 这 是 我 对 於 你们 的 希望 。 」 我们 谈到 夜阑 才 散 , 所 有的 花生 食品 虽然 没有 了 , 然而 父亲 的话 现在 还 师 在 我 心 版 上 。

fùqin jiē xiàqù shuō : 「 suǒyǐ nǐmen yào xiàng huāshēng ; yīnwèi tā shì yǒuyòng de , bùshi wěidà 、 hǎokàn de dōngxi(dōngxī) . 」 wǒ shuō : 「 nàme rén yào zuò yǒuyòng de rén , bùyào zuò wěidà 、 tǐmiàn de rén le . 」 fùqin shuō : 「 zhè shì wǒ duì wū/yū nǐmen de xīwàng . 」 wǒmen tándào yèlán cái sǎn/sàn , suǒ yǒude huāshēng shípǐn suīrán méiyǒu le , rán'ér fùqin dehuà xiànzài hái/huán shī zài wǒ xīn bǎn shàng .
# by dangao41 | 2011-08-16 12:07 | 許地山 | Comments(5)