順姐の自由恋愛1

                           顺姐的“自由恋爱”             楊絳 

那天恰是春光明媚的好天气,我在卧房窗前伏案工作。顺姐在屋里拖地,墩布作在
地下,她倚着把儿,一心要引诱我和她说话。
“太太”(她很固执,定要把这个过时的尊称强加于我),“你今晚去吃喜酒吗?”
我说:“没请我。”
“新娘子已经来了,你没看见吗?”
“没看。”
“新郎五十,新娘子才十九!”
我说:“不,新郎四十九。”我还是埋头工作。
顺姐叹息一声,没头没脑地说:“新娘子就和我一样呢!”
我不禁停下笔,抬头看着她发愣。人家是年轻漂亮、华衣美服的风流人物,顺姐却
是个衣衫褴褛、四十来岁的粗胖女佣,怎么“一样”呢?

まさしく麗らかな春の日であった。私は寝室の窓辺の机に向かい仕事をしていた。順姐(シュンジエ)は部屋で拭き掃除をしていたが、モップの手を止めて棒に寄り掛かり、私をお喋りに誘いこもうとしていた。
「奥さん」(彼女は頑固に、この時代遅れの尊称を私に使っていた)、「今晩のお祝いに行きなさるか?」
「呼ばれていないわ。」と私は答えた。
「お嫁さんはもう来てるけど、見なさったか?」
「まだよ。」
「婿さんは五十で、嫁さんはやっと十九なんですよネ!」
「違うわ、お婿さんは四十九よ。」私はまだ仕事に没頭しながら言った。
順姐はため息をつき、唐突に「嫁さんとあたしはおんなじですネ!」と言った。
私は思わず筆を置き、あっけにとられて彼女を見た。お嫁さんは若い器量よしで、装いも華やかに美しく風雅である。順姐はと云えば着古した服の四十にもなろうという太ったお手伝いさん、一体どこが「おんなじ」なのか?

顺姐看出她已经引起我的兴趣,先拖了几下地,缓缓说:
“我现在也觉悟了呢!就是贪享受呢!”(顺姐的乡音:“呢”字用得特多。)
我认为顺姐是最勤劳、最肯吃苦的人。重活儿、脏活儿她都干,每天在三个人家帮
佣,一人兼挑几人的担子。她享受什么?

私の関心を引いたのを見て取った順姐はまた少し床を拭き、間をとってから言う、
「あたしも今じゃ分かったんですよネ!楽しみを欲張ったネ!」(順姐は国訛りで語尾にネを多用する)
私は彼女が大そう勤勉で苦労を厭わないのを知っている。力仕事も汚れ仕事もし、毎日、三軒の家で働き、数人分の仕事を一人で担っている。いったい何を楽しんだのか?

顺姐曾告诉我,她家有个“姐姐”。不久我从她的话里发现:她和“姐姐”共有一
个丈夫,丈夫已去世。“姐姐”想必是“大老婆”的美称。随后我又知道,她夫家是大
地主——她家乡最大的地主。据她告诉我,她是随她妈妈逃荒要饭跑进那个城市的。我
不免诧怪:“‘姐姐’思想解放,和顺姐姐妹相称了?”可是我后来渐渐明白了,所谓
“姐姐”,只是顺姐对我捏造的称呼,她才不敢当面称“姐姐”。

順姐は家に“姐姐(お姉さん)”がいると話した事がある。程なくして彼女の話から分かった事は、夫はもう亡くなっていたが、彼女と“姐姐”はその夫を共有していたという。きっと“姐姐”とは“本妻”のことだろう。その後、夫の家は大地主だったことも分かった-----故郷で一番の大地主であった。彼女の話に依れば、母親と飢饉を逃れその町に来たそうだ。私は訝しく思わずにはいられなかった。“姐姐”は思想解放がされていて順姐にそう呼ばせているのだろうか? 次第に明らかになったのだが、この“姐姐”とは順姐が私に話す時の言い方であって、本人に向かって“姐姐”と呼ぶなど順姐に出来はしなかった。

我说:“你怎么贪享受啊?”
她答非所问,只是继续说她自己的话:
“我自己愿意的呢!我们是自由恋爱呢!”
我忍不住要笑。我诧异说:“你们怎么自由恋爱呢?”我心想,一个地主少爷,一
个逃荒要饭的,哪会有机会“自由恋爱”?
她低头拖几下地,停下说:
“是我自己愿意的呢。我家里人都反对呢。我哥哥、我妈妈都反对。我是早就有了
人家的,可是我不愿意——”
“你定过亲?怎么样的一个人?”
“就那么个人呢。我不愿意,我是自由恋爱的。”
“你怎么自由恋爱呢?”我想不明白。
“嗯,我们是自由恋爱的。”她好像怕我不信,加劲肯定一句。
“你们又不在一个地方。”
“在一块儿呢!”她立即回答。

「どう楽しんだの?」私は聞いた。
彼女の返事は答えになっていなかった。ただ自分の話を続けただけだった。
「あたしは自分で決めたんですよネ!あたしらは自由恋愛だったですネ!」
私は我慢できずに笑ってしまい、不思議に思って聞いた「あなた達がどうして自由恋愛なの?」片や地主の若旦那、片や飢饉で逃げてきた乞食娘である。どこに“自由恋愛”の余地があるのかと心で呟いた。
彼女はうつむいて床を少し拭くと、手を止めて言った、
「あたしが望んだんですよネ。家の者はみな反対したけどネ。兄さんも母さんも反対。あたしにはもう決った人が居たけど、だけどあたしは嫌だった----」
「婚約していたの?どんな人と?」
「とにかく唯の人でネ。あたしは嫌だった、あたしは自由恋愛ですよ。」
「どんな自由恋愛だったの?」どうにも分からない。
「ええ、あたしらは自由恋愛だった。」まるで私が信じないのを危ぶむように、彼女は力を込めて言った。
「あなた達は同じ所に居もしなかったじゃないの。」
「一緒にいましたともネ!」彼女はすぐさま答えた。

我想了一想,明白了,她准是在地主家当丫头的。我没有再问,只觉得很可笑:既
说“贪享受”,又说什么“自由恋爱”。
我认识顺姐,恰像小孩子玩“拼板”:把一幅图板割裂出来的大小碎片凑拼成原先
的图西。零星的图片包括她自己的倾诉,我历次和她的问答,旁人的传说和她偶然的吐
露。我由这一天的谈话,第一次拼凑出一小部分图面。

暫く考えて、分かった。彼女は地主の家の使用人だったのだ。私はもう尋ねなかった。「楽しんだ」に「自由恋愛」である、只々可笑しかった。
私は順姐を、まるで子供がジクソーパズルで遊ぶように知っていった。一幅の絵が大小に砕け、寄せ集められ、つなぎ合わされて、元の絵と成る。バラバラの絵の断片には彼女の思いの丈がこもっているのだ。これまでの彼女との会話や、人から伝え聞いたこと、彼女が偶々洩らした事。この日の会話で、わたしは初めてパズルの小さな一片を嵌めたのだった。

她初来我家,是我们搬到干面胡同那年的冬天。寒风凛冽的清早,她拿着个隔宿的
冷馒头,顶着风边走边吃。这是她的早饭。午饭也是一个干冷的馒头,她边走边吃,到
第二家去,专为这家病人洗屎裤子,因为这家女佣不肯干这事。然后她又到第三家去干
一下午活儿,直到做完晚饭,洗过碗,才回自己家吃饭。我问她晚上吃什么。她说“吃
饭吃菜”。什么菜呢?荤的素的都有,听来很丰盛。

彼女が初めて家に来たのは、私たちが干面フートンに越してきた年の冬であった。寒風肌を刺す早朝に、彼女は前の晩の冷たいマントウを手にし、風を受け歩きながら食べていた。それが彼女の朝食であった。昼食も乾いて冷たいマントウを歩きながら食べていた。二軒目の家ではもっぱら病人のおむつを洗った。その家のお手伝いが洗おうとしなかったからだ。そのあと、彼女は三軒目に行き午後中仕事をする。晩御飯を作って皿を洗い終え、やっと帰ってご飯を食べる。晩ご飯に何を食べるのか聞いたことがある。彼女は「ご飯とおかず。」と答えた。どんなおかずか?肉に魚に野菜と、聞いたところでは充分そうだった。

“等着你回家吃吗?”
她含糊其辞。经我追问,她说回家很晚,家里已经吃过晚饭了。
“给你留着菜吗?”
她又含含糊糊。我料想留给她的,只是残羹冷炙和剩饭了。
我看不过她冷风里啃个干馒头当早饭。我家现成有多余的粥、饭、菜肴和汤汤水水,
我叫她烤热了馒头,吃煮热的汤菜粥饭。中午就让她吃了饭走。这是她和我交情的开始。

「あなたが帰るのを待ってから食べるの?」
彼女は言葉を濁した。私が更に聞くと帰るのは遅いので家族は先に済ませていると答えた。
「おかずはあなたに取って置いてあるの?」
やはり彼女ははっきり言わない。彼女の食事は余って冷えた残りものであろうと思われた。
私は彼女が寒風の中、冷たいマントウを朝食にするのを見過ごせなかった。家にはもうできているお粥とご飯やお菜とスープがある。彼女にマントウを温めさせて、熱くしたスープやお粥を出した。お昼も私の家で食べてから行くようにさせた。こうやって彼女との付き合いが始まった。
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# by dangao41 | 2011-08-23 10:33 | 楊絳 | Comments(2)

順姐の自由恋愛2

她原先每星期的上午分别在几家做,逐渐把每个上午都归并到我家来。
她家人口不少。“姐姐”有个独生女,最高学府毕业,右派分子,因不肯下乡改造,
脱离了岗位。这位大小姐新近离婚,有一个女儿一个儿子,都归她抚养,离异的丈夫每
月给赡养费。顺姐自己有个儿子已高中毕业,在工厂工作;大女儿在文工团,小女儿在
上学。

始め彼女は午前は曜日決めでに何軒かの家の仕事をしていたが、次第に毎日私の家だけに来るようになった。彼女の家族は多かった。“姐姐”には最高学府を出た一人娘がいて、右派分子の下放改造を受け入れなかったため、失職していた。このお嬢さんは離婚していて息子と娘を自分が引き取って育て、元夫からは毎月の養育費を受けていた。順姐自身には高校を出て働いている息子と、演芸団員の長女と学生の次女がいた。

我问顺姐:“你‘姐姐’早饭也吃个馒头吗?”
“不,她喝牛奶。”
“白牛奶。”
“加糖。”
“还吃什么呢?”
“高级点心。”
那时候还在“三年困难”期间,这些东西都不易得。我又问别人吃什么,顺姐支吾其辞,
可是早饭、午饭各啃一个冷馒头的,显然只顺姐一人。
“你的钱都交给‘姐姐’?”
“我还债呢,我看病花了不少钱呢。”
我当时没问她生什么病,只说:“她们都不干活儿吗?”
她又含含糊糊,只说:“也干。”

「あなたの“姐姐”も朝マントウを食べるの?」と聞くと、
「いや、あの人は牛乳を飲むんです。」
「そのままで?」
「砂糖をいれて。」
「他に何か食べるの?」
「上等な点心。」
まだ“三年困難”な時期であったからそう云った物を手に入れるのは易しい事ではなかった。他の家族は何を食べるのかとも聞くと、順姐は言葉を濁したが、朝も昼も冷たいマントウをかじっているのが彼女だけなのは明らかであった。
「あなたのお給料はみんな“姐姐”に渡すの?」
「まだ借りがあるんでネ。病気でお金をたくさん使ったですからネ。」
私はこの時は何の病気だったか聞かないで、ただ「みんなは働かないの?」と聞いた。
彼女はやはり歯切れも悪く、「働いてる。」とだけ答えた。

有一天,她忽从最贴身的内衣口袋里掏出一个破烂的银行存折给我看,得意地说:
“我自己存的钱呢!”
我一看存折是“零存零取”,结余的钱不足三元。她使我想起故事里的“小癫子”
把私房钱藏在嘴里,可惜存折不能含在嘴里。
我说:“你这存折磨得字都看不清了,还是让我给你藏着吧。”
她大为高兴,把存折交我保管。她说,她只管家里的房租、水电、煤火,还有每天
买菜的开销;多余的该是她的钱。她并不花钱买吃的,她只想攒点儿钱,梦想有朝一日
攒得一笔钱,她就是自己的主人了。我因此为她加了工资,又把过节钱或大热天的双倍
工资等,都让她存上。她另开了一个“零存整取”的存单。

ある日、彼女はいきなり下衣のポケットからよれよれの預金通帳を出して私に見せ、得意そうに
「自分で貯めたお金ネ!」と言った
見ると“少額を入れたり出したり”で残高は三元にも満たないのだ。口の中にへそくりを隠す“小狂人”の話を思い出させたが、残念ながら通帳は口に入らない。
「あなたの通帳は擦れて字がはっきりしないわ、私がしまっておいてあげましょうか?」
彼女はとても喜んで通帳を私に預けた。家賃、電気水道、石炭、毎日の食費の支払いは彼女が受け持ち、余ったお金が彼女のものと云う。決して食べ物を買ったりしないでお金を貯める事だけ考えていた。そしてそれがまとまった金額になる日を夢見ていた。そうしたら彼女が自分の主人になれるのだ。お金を貯められるよう私は彼女の給金を上げ、節句や酷暑の日には倍の支払いをした。彼女は新しく“積立”の口座を作った。

每逢过节,她照例要求给假一天。我说:“你就在我家过节不行吗?”她又大为高
兴,就在我家过节,还叫自己的两个女儿来向我拜节。她们俩长得都不错,很斯文,有
点拘谨,也带点矜持。顺姐常夸她大女儿刻苦练功,又笑她小女儿“虚荣呢”。我给顺
姐几只半旧的手提包,小女儿看中一只有肩带的,挂在身上当装饰。我注意到顺姐有一
口整齐的好牙齿,两颊两笑涡,一对耳朵肥厚伏贴,不过鼻子太尖瘦,眼睛大昏浊,而
且眼睛是横的。人眼当然是横生的,不知为什么她的眼睛叫人觉得是横的,我也说不明
白。她的大女儿身材苗条,面貌秀丽;小女儿是娇滴滴的,都有一口好牙齿。小女儿更
像妈妈;眼神很清,却也横。

節句の度にいつも彼女は一日の暇を願い出た。「ここでお節句をするのはどう?」と言うと、彼女はやはりとても喜んで、私の家で過ごすようになった。二人の娘も私に挨拶するように連れてきた。二人とも上品で生真面目で自尊心も持っていた。長女は骨身を惜しまず稽古に励んでいると、順姐はいつも言っていた。そして次女は“ええかっこしい”だと笑っていた。私が順姐にお古の手提げを幾つかあげると、次女は中の一つで肩掛けの付いているのが気にいり、身につけた。私は順姐の綺麗に揃った歯と、両頬の笑くぼ、形のよいふっくらした耳に気が付いた。けれど細い鼻は尖がり目は澄んでいなかった。しかも目が横に平たいのだ。人の目はもちろん横についているのだから、なぜ彼女の目が特に横の感じを与えるのか私には分からない。長女は華奢な体に美しい顔立ちで、次女は愛嬌があり、二人とも綺麗な歯をしていた。次女は母親に似て、澄んではいたがやはり横になった目をしていた。  (目が横???)

顺姐常说我喝水太多,人都喝胖了。
我笑问:“你胖还是我胖?”
她说:“当然你胖啊!”
我的大棉袄罩衣,只能作她的紧身衬衣。我瞧她裤子单薄,给了她一条我嫌太大的
厚毛裤,她却伸不进腿去,只好拆了重结。我笑着拉了她并立在大镜子前面,问她谁胖。
她惊奇地望着镜子里的自己,好像从未见过这种发胖的女人。我自从见了她的女儿,才
悟到她心目中的自己,还像十几岁小姑娘时代那么苗条、那么娇小呢。

順姐はいつも私が水分を取りすぎると言っていた、太ると言うのだ。
私は笑って言った「あなたと私とどちらが太っているかしら?」
「もちろん奥さんですよ!」
私の綿入れの上着は、彼女にはぴたぴたの下着にしかならない。彼女が薄手のズボンを穿いていたので、私には大きすぎるので好きではない厚手の毛織のズボンをあげた。だが足が入らない、縫い目を解くしかないだろう。私が笑いながら彼女を鏡の前に引っ張っていき、どっちが太っているかと尋ねたると、まるで見知らぬ太った女を見るように、彼女は不思議そうに鏡に写った我が身をながめていた。彼女の娘たちに会ったからこそ私には理解できたのだが、彼女の心にあるのは未だ10代だった娘の頃の、あんなにもほっそりとした、あんなにも愛らしかった自分の姿だったのである。

我为她攒的钱渐渐积到一百元。顺姐第一次见到我的三姐姐和七妹妹,第一句话都
是“太太给我攒了一百块钱呢!”说是我为她攒的也对,因为都是额外多给的。她名义
上的工资照例全交给“姐姐”。她的存款逐渐增长,二百,三百,快到四百了,她家的
大小姐突然光临,很不客气,岸然进来,问:

彼女のために貯めておいたお金はようやく百元になった。順姐が私の三姐や七妹に初めて会った時の第一声はいずれも「奥さんが百元貯めてくれたんですよネ!」だった。預かってもてもくれたし、何より余分にお給金をくれたから貯まったのだ、と言う。彼女の表向きの給料はいつも“姐姐”に全額行ってしまうのだから。順姐の貯金が二百、三百と次第に増えて四百元になろうとする頃、本妻のお嬢さんが突然にお出でになった。たいそう無遠慮に取り澄ましてやってくると尋ねた。

“我们的顺姐在你家做吧?”
她相貌端庄,已是稍为发福的中年人了,虽然家常打扮,看得出她年轻时准比顺姐
的大女儿还美。我请她进来,问她有什么事。
她傲然在沙发上一坐,问我:“她每月工钱多少?”
我说:“你问她自己嘛。”
“我问她了,她不肯说。”她口齿清楚斩截。
我说:“那么,我没有义务向你报告,你也没有权利来调查我呀。”
她很无礼地说:“唷!你们倒是相处得很好啊!”
我说:“她工作好,我很满意”。
她瞪着我,我也瞪着她。她坐了一会儿,只好告辞。

「家の順姐はお宅で働いておりますね?」
端正な顔立ちの、いささか福々しい中年女性で、普段着であったが若い頃は順姐の長女よりも更に美しかったに違いないと見てとれた。私は招き入れ要件を尋ねた。
お嬢さんはソファに傲然と座ると「あの人の月々のお給料はいかほどでしょうか?」と聞いた。
「ご自分でお聞きになってくださいな。」と私は言った。
「聞きましたけど、言おうとしません。」彼女は言葉もはっきりと答える。
「では、私は答える義務はないし、あなたも聞く権利はありません。」
「まあ、なんて仲良くやっている事!」彼女は言った。
「よく働いてくれて、満足していますよ。」私は言う。
彼女は私を睨みつけ、私も見返した。彼女はしばらく居座っていたが、暇を告げるしかなかった。

这位大小姐,和顺姐的大女儿长得比较相像。我因此猜想:她们的爸爸准是个文秀
的少爷。顺姐年轻时准也是个玲珑的小丫头。
据顺姐先后流露,这位大小姐最利害,最会折磨人。顺姐的“姐姐”曾给她儿子几
件新衬衫。大小姐想起这事,半夜三更立逼顺姐开箱子找出来退还她。顺姐常说,她干
活儿不怕累,只求晚上睡个好觉。可是她总不得睡。这位大小姐中午睡大觉,自己睡足
了,晚上就折腾顺姐,叫她不得安宁。顺姐睡在她家堆放箱笼什物的小屋里。大小姐随
时出出进进,开亮了电灯,翻箱倒柜。据同住一院的邻居传出来,这位小姐经常半夜里
罚顺姐下跪、打她耳光。我料想大小姐来我家凋查顺姐工资的那天晚上,顺姐准罚跪并
吃了耳光。可是她没有告诉我。

お嬢さんは順姐の長女とよく似ていた。このことから私は、子供たちの父親は眉目秀麗な若旦那だったのだろうと思った。順姐も若い時は美しい娘であったろう。
順姐がその前後に洩らした事によれば、このお嬢さんは最悪でひどく意地悪だという。“姐姐”が息子に新しいシャツを数枚くれた事があった。お嬢さんはこれを思いだすと、真夜中に返せと順姐に迫り、箱を開けて探させた。夜ぐっすり睡眠をとれさえすれば、仕事で疲れるのは構わないと順姐はいつも言っていた。しかしこれでは全く眠れない。お嬢さんは昼寝をするので寝足りている。夜になると順姐を苛めるので彼女は安眠できない。順姐は物置部屋に寝ているのである。お嬢さんは好きに出入りし、浩々と灯りをつけ物入れをかき回す。近所の噂によればお嬢さんはしょっちゅう夜なかに順姐を叱って土下座させひっぱたくという。お嬢さんが我が家に給金の額を調べにやって来たあの晩も、順姐は座らせられて頬を張られた事であろうと私は思った。けれど彼女が私にそれを告げる事はなかった。 
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# by dangao41 | 2011-08-23 09:48 | 楊絳 | Comments(0)

順姐の自由恋愛3

顺姐常强调自己来北京之前,在家乡劳动多年,已经脱掉地主的帽子。据她后来告
诉我,全国解放时,她家大小姐在北京上大学,立即把她妈妈接到北京(她就是个逃亡
地主婆)。她丈夫没有被镇压,只是拘捕入狱,死在监牢里了。顺姐顶缸做了地主婆。
当时她的小女儿出生不久,她就下地劳动,得了子宫高度下垂症。这就是她治病花了不
少钱的缘故。她虽然动了手术,并没有除净病根。顺姐不懂生理学,只求干脆割除病根,
就可以轻轻松松干活儿,她还得了静脉曲张的病,当时也没理会,以为只需把曲曲弯弯
的筋全部抽掉就行。

北京に来る前に地方で長いこと労働をしたので地主の汚点は取れている、と順姐は常に強調していた。後に私に告げたところに依ると、全国解放時にはお嬢さんは北京の大学に行っていて、即刻母親を北京に迎えた。(すなわち本妻は逃亡した地主妻である)夫は弾劾はされなかったが捕らえられて牢に入れられ、そこで死亡した。順姐は代わりに女地主の立場になった。それは次女が生まれて間もない頃で、労働のため重症の子宮下垂となってしまった。これが治療に少なからずのお金を使った所以である。手術もしたのだが病根は取り除けなかった。彼女は生理学は理解しないまま、ただ悪いところを取りさえすれば具合が良くなると思っていた。静脈瘤も患ったが、当時はこの事も分かっていなくて、くねくね曲がった血管を全部取りさえすればいいのだと思っていた。

我常夸顺姐干活勤快利索,可当劳模。她叹气说,她和一个寡妇亲戚都可以当上劳
模,只要她们肯改嫁。她们俩都不肯。想娶顺姐的恰巧是管她劳动的干部,因为她拒绝,
故意刁难她,分配她干最重的活儿,她总算都顶过来了。我问她当时多少年纪。她才三
十岁。

順姐は精を出してきびきびと仕事に励む、模範労働者になれると私はいつも褒めた。彼女はため息をついて、彼女ともう一人、親戚の寡婦は再婚さえすれば模範労働者になれるだろう、でも二人とも再婚はしたくない。順姐を望んだのは職場の幹部で、断わったがために嫌がらせに一番きつい仕事を割り当てたそうだ。彼女はやっとのことでそれに耐えた。その頃、幾つだったのと私は尋ねた。彼女がまだ30歳の時であったという。

她称丈夫为“他”,有时怕我不明白,称“他们爹”或“老头子”。她也许为“他”
开脱地主之罪,也许为了卖弄“他”的学问,几次对我说,“他开学校,他是校长呢!”
又说,她的“公公”对待下人顶厚道,就只“老太婆”利害。(顺姐和我逐渐熟了,有
时不称“姐姐”,干脆称“老太婆”或“老婆子”。)这位太太是名门之女,有个亲妹
妹在英国留学,一直没有回国。

彼女は夫を“彼”と呼んだが、時々私にはっきり分かるように“子供たちの父親”とか“じじい”とかとも呼んだ。もしかしたら“彼”が地主だった罪を弁護するため、或いは“彼”の学歴をひけらかすためか、幾度か「彼は学校を作った。校長だったですネ!」と言った。また、“じいさん”は雇い人に親切だったが、”ばあさん“はひどかったと言った。(順姐は私と慣れるにつれて、時には”姐姐“とは呼ばずに、あっさりと”ばあさん“とか”ばばあ“を使った)この人は名門の子女で、イギリスに留学して一度も帰国しない妹がいるという。

有一天,顺姐忽来向我报喜,她的大女儿转正了,穿上军装了,也升了级,加了工
资。我向她贺喜,她却气得淌眼抹泪。
“一家人都早已知道了,只瞒我一个呢!”
她的子女,一出世就由大太太抱去抚养:孩子只认大太太为“妈妈”,顺姐称为
“幺幺”(读如“夭”),连姨娘都不是。他们心上怎会有什么“幺幺”啊!

ある日、順姐はだし抜けに長女が正規職員となったと喜ばしい報告をした。軍服を着られるし昇進して給料も増える。私はお祝いを述べたが、彼女はしょんぼりと涙を拭いている。
「家のみんなはとっくに知ってたんです。あたしだけがつんぼ桟敷だったんですよネ!」
彼女の娘は生まれ落ちるや正妻が連れて行って育て、子供は正妻を“お母さん”と呼び順姐を”ねえや”と呼んだ。彼女は妾ですらなかったのだ。彼らの心をどうして”ねえや”が占められるであろうか!

不久后,她告诉我,她家大小姐倒运了,那离了婚的丈夫犯下错误,降了级,工资
减少了,判定的赡养费也相应打了折扣。大小姐没好气,顺姐难免多受折磨。有一天,
她满面忧虑,又对我说起还债,还给我看一份法院的判决书和一份原告的状子。原来她
家大小姐向法院告了一状,说自己现在经济困难,她的弟弟妹妹都由她抚育成人,如今
二人都已工作,该每月各出一半工资,偿还她抚养的费用。这位小姐笔头很健,状子写
得头头是道。还说自己政治上处于不利地位,如何处处受压。法院判令弟妹每月各将工
资之半,津贴姐姐的生活。我仔细看了法院的判决和原告的状子,真想不到会有这等奇
事。我问顺姐:

暫くして順姐は、お嬢さんの運が変わったのだと私に告げた。離婚した夫は過ちを犯して格下げされ給料も減り、決められていた養育費もかなり減額となった。お嬢さんは不気嫌となり、順姐は彼女の腹いせを避けられなかった。ある日、憂鬱な顔で借金の話をし、裁判所の判決文と原告の起訴状を見せた。お嬢さんは裁判所に訴えを出していたのだった。現在経済的に困窮している、自分が弟妹を養なった、今は二人とも働いているのであるから、毎月給料の半を出して、姉に養育の費用を返す、と云うものであった。このお嬢さんは頗る筆が立っていて、書状の道理は通っている。そして自分は政治的に不利な立場にあっていろいろ圧力を受けているとも述べていた。裁判所は弟妹に毎月の給料の半分を、 姉の生活費に充てるように命じていた。私は仔細に判決文と起訴状を読んだが、まさかそんな事ははないだろうと順姐に尋ねた。

“你的孩子是她抚养的吗?”
顺姐说,大小姐当大学生时期,每年要花家里多少多少钱;毕业后以至结婚后,月
月要家里贴多少多少钱,她哪里抚养过弟弟妹妹呢!她家的钱,她弟弟妹妹就没份吗?
至于顺姐欠的债,确是欠了。她顶缸当地主婆,劳累过度,得了一身病;等到脱掉地主
的帽子,她已经病得很厉害,当时丈夫已经去世,她带了小女儿,投奔太太和大小姐。
她们把她送进医院,动了一个不小的手术,花了不少钱——这就是她欠的债,天天在偿
还。

「あなたの子供も彼女が面倒をみたの?」
順姐は、お嬢さんはその頃大学生で毎年かなりのお金を家から出してもらっていた、卒業して結婚してからも家からお金をもらっていた、弟妹を養うなんて事あるものですかネ!と言う。弟妹たちは家の財産を分けてもらわなかったのか?順姐の借金について言えば、確かに借りたのであろう。地主の身代わりになった為の過度の労苦で彼女は体を悪くした。地主の汚名が取れた時には病はたいそう進んでいた。夫は既にこの世を去り、子供を連れて正妻とお嬢さんの所へ身を寄せたのだった。彼らは順姐を医者にかからせ、そこで簡単とはいえない手術を受け、少なからずの費用がかかった。これが順姐の借金であり、ずっと返済してきたのだった。

顺姐叙事交代不清,代名词所指不明,事情发生的先后也没个次序,得耐心听,还
得费很多时间。经我提纲挚领地盘问,知道她在地主家当丫头时,十四岁就怀孕了。地
主家承认她怀的是他们家的子息,拿出三十元给顺姐的男家退婚,又出三十元给顺姐的
妈,把她买下来。顺姐是个“没工钱、白吃饭的”。她为主人家生儿育女,贴身伺候主
人主妇,也下地劳动。主人家从没给过工资,也没有节赏,也没有月例钱,只为她做过
一身绨料的衣裤。(这大约是生了儿子以后吧?)她吃饭不和主人同桌,只站在桌旁伺
候,添汤添饭,热天还打扇。她是个三十元卖掉终身的女奴。我算算她历年该得的最低
工资,治病的费用即使还大几倍,还债还绰有余裕。她一天帮三家,赚的钱(除了我为
她存的私房)全供家用开销。抚育她儿女的,不是她,倒是她家的大小姐吗?

順姐の説明ははっきりせず、誰が誰を指しているのか分からなかった。事の次第も連脈がないので辛抱を要し、かなりの時間も費やした。要点をかいつまんで問いただして分かった事は、地主の家で働いていた時分、14歳で妊娠してしまった。地主は彼女を孕ませたのは息子だと承知して、三十元を順姐の約束相手に払い婚約を解消させ、彼女の母親にも三十元を渡して順姐を買ったのだ。彼女は“給金無しで食事だけ”の者となった。主人の家で出産し子供を育てるため、主人夫婦の世話も畑仕事もした。給料も節気の小遣いも月々の係りも貰えず、ただ衣服だけを与えられた。(多分、これは息子を産んだ後の事であろうか)彼女は主人一家と食卓を共にせず、傍に給仕として侍り、夏には団扇で扇いだりと仕えた。三十元で生涯を奴婢として売られたのだ。私は彼女のこれまでの最低賃金を計算したが、治療費をとっくに数倍も超えていて余りある。彼女は毎日三件の家庭で働き、得たお金を(私が預かっているへそくりを除いて)全部家計に出している。子供の養育をしたのが彼女でなくて、お嬢さんだとでも言うつもりか?

看来,大小姐准料定顺姐有私蓄,要逼她吐出来;叫她眼看儿女还债,少不得多拿
出些钱来补贴儿女。顺姐愁的是,一经法院判决,有案可稽,她的子女也就像她一样,
老得还债了。
我问顺姐,“你说的事都有凭有据吗?”
她说:“都有呢。”大小姐到手的一注注款子,何年何月,什么名目,她历历如数
家珍。
我说:“顺姐,我给你写个状子,向中级人民法院上诉,怎么样?我也能写状子。”
她快活得像翻译文章里常说的“不敢相信自己的耳朵”。

お嬢さんは順姐にへそくりが有りそうだと見て吐き出させようと思ったようだ。子供たちが借金を返済しているのを順姐に見せて、もっとお金を出してその返済に充てなければどうにもならないと言った。順姐が心配していたのは一経法院の判決だった。記録があれば、子供たちも彼女のように返済しなければならない。
「あなたの話には裏付けがあるかしら?」と私は聞いた。
「みんなありますともネ。」と彼女はお嬢さんに渡したその金額、年月日、件名を一つ一つすらすらと列挙した。
「順姐、起訴状を書いてあげる。中級裁判所へ訴えなさい、どう?私だって起訴状を書けるのよ。」
翻訳文によくある「己の耳が信じられない」様子さながらに、彼女は大喜びした。
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# by dangao41 | 2011-08-23 08:48 | 楊絳 | Comments(0)

順姐の自由恋愛4

我按她的意思替她上诉。我摆出大量事实,都证据确凿,一目了然。摆出了这些事
实,道理不讲自明。中级法院驳回大小姐的原诉,判定顺姐的子女没有义务还债;但如
果出于友爱,不妨酌量对他们的姐姐给些帮助。
我看了中级法院的判决,十分惬意,觉得吐了一口气。可是顺姐并不喜形于色。我
后来猜想:顺姐为这事,一定给大小姐罚跪,吃了狠狠的一顿嘴巴子呢。而且她的子女
并不感谢她。他们自愿每月贴大姐一半工资。

私は彼女の意思を受け告訴した。確証があり一目瞭然の大量の事実を並べた。提出したこれらの事柄は論じるまでもなく道理が通っていた。中級裁判所はお嬢さんの訴えを却下し、順姐の子供たちには返済の義務がないとの判決を出した。しかし肉親の情を持って彼らが姉を援助するのは構わない、と。
中級裁判所の決定に私は満足し、安堵した。けれど順姐は顔に出している程は喜んでいなかった。後の推測であるが、順姐はこの件でお嬢さんに土下座させられ、情け容赦なくひっぱたかれたに違いなかったろう。しかも子供たちは順姐に感謝もせず、姉に収入の半分を進んで差し出した事だったろう。

我设身处地,也能体会那位大小姐的恚恨,也能替她暗暗咒骂顺姐:“我们好好一
个家!偏有你这个死不要脸的贱丫头,眼睛横呀横的,扁着身于挤进我们家来。你算挣
气,会生儿子!我妈妈在封建压力下,把你的子女当亲生的一般抚养,你还不心足?财
产原该是我的,现在反正大家都没有了,你倒把陈年宿帐记得清楚?”

お嬢さんの立場になって考えてみれば、その恨みは理解できるし、順姐を心の中で罵る事さえできる。「家は立派な家庭なのよ!選りによってお前みたいな厚かましくて卑しい横目の女中が無理やり入り込んで来るなんて。計算づくで子供まで生んで!お母さまは封建的な縛りの中でお前の子供を自分の子のように育てたのよ、それでも足りないというの?いずれにせよ今は無くなってしまったけど財産は元々私の物の筈よ、それなのに長年の貸し借りをはっきり覚えてるですって?」

不记得哪个节日,顺姐的儿女到我家来了。我指着顺姐问他们:“她是你们的生身
妈妈,你们知道不知道?”
他们愕然。他们说不知道。能不知道吗?我不能理解。但他们不知道,顺姐当然不
敢自己说啊。
顺姐以后曾说,要不是我当面说明,她的子女不会认她做妈。可思顺姐仍然是个
“幺幺”。直到文化大革命,顺姐一家(除了她的一子二女)全给赶回家乡,顺姐的
“姐姐”去世,顺姐九死一生又回北京,她的子女才改口称“妈妈”。不过这是后话了。

何時の節季だか覚えていないのだが、順姐が娘たちを連れて遊びに来た時の事だ。私は順姐を指して聞いた、「あなた達を産んだお母さんだって事、知っているの?」
娘たちはびっくりし、知らなかったと言った。知らない筈があろうかと、私には理解できなかった。しかし彼女たちは知らなかったし、順姐が自分からは言えなかったのは勿論の事である。
後に順姐が言ったことだが、直に私が話さなかったら子供たちは彼女が母親だとは認めなかっただろう、まだ“ねえや”だと思っていただろうと。文化大革命の始まる前、順姐の一家(彼女の息子一人と娘二人を除いて)は、直ちに田舎に戻された。“姐姐”が亡くなって順姐は危ういところで北京に戻り、娘たちはやっと順姐を“お母さん”と呼ぶようになった。しかしこれは後の話である。

顺姐日夜劳累,又不得睡觉,腿上屈曲的静脉胀得疼痛,不能站立。我叫她上协和
医院理疗,果然有效。顺姐觉得我花了冤钱,重活儿又不是我家给她干的。所以我越叫
她休息,她越要卖命。结果,原来需要的一两个疗程延伸到两三个疗程才见效。我说理
疗当和休息结合,她怎么也听不进。

順姐は昼も夜も働き睡眠もとれず、足の静脈瘤が痛くて立てなくなった。私は彼女に共和病院の物理療法科に行くように進め、案の定良くなった。彼女は私に散財させてしまったと思い、私の家だけでなく他家でも仕事をするようになった。そこで彼女に休むように言ったが彼女は更に一生懸命に働いた。その結果、本来は1,2クールの治療で済むはずの物が、効果がでるまでに3クールとなった。私は治療と休息はセットなのだと説いたが、彼女はどうしても聞き入れなかった。

接下就来了“文化大革命”。院子里一个“极左大娘”叫顺姐写我的大字报。顺姐
说:写别的太太,都可以,就这个太太她不能写。她举出种种原因,“极左大娘”也无
可奈何。我陪斗给剃了半个光头(所谓阴阳头),“极左大娘”高兴得对我们邻居的阿
姨说:“你们对门的美人子,成了秃瓢儿了!公母俩一对秃瓢儿!”那位阿姨和我也有
交情,就回答说:“这个年头儿,谁都不知道自己怎样呢!”顺姐把这话传给我听,安
慰我说:“到这时候,你就知道谁是好人、谁是坏人了。不过,还是好人多呢。”我常
记着她这句话。

続いて「文化大革命」が起こった。敷地内に“極左おばさん”がいて、私の告発を書くよう順姐に迫った。順姐は別の人のなら書くけれどあの奥さんのは書けないと言い、色々と理由をあげたが“極左おばさん”は承知しなかった。私の夫は髪を半分剃られていたので(いわゆる陰陽頭)、“極左おばさん”は私の近所の人に「向かいの気どりや夫人は禿げ頭になるわ!夫婦揃って禿げ頭よ!」と愉快そうに言った。その人は私と仲良しだったので、すぐにこう言った、「このご時世だもの、誰だってどうなるか分かるものですか!」順姐はこの話を私に聞かせて慰めるように言った。「こうなってみると誰が好い人で誰が悪い人か分かります。でも、やはり好い人のほうが多いですよネ。」私はこの言葉をいつも思い出す。

红卫兵开始只剪短了我的头发。顺姐为我修齐头发,用爽身粉掸去头发楂子,一面
在我后颈和肩背上轻轻摩挲,摩挲着自言自语:
“‘他’用的就是这种爽身粉呢。蓝腰牌,就是这个牌子呢。”
大约她闻到了这种爽身粉的香,不由得想起死去的丈夫,忘了自己摩挲的是我的皮
肉了。我当时虽然没有心情喜笑,却不禁暗暗好笑,又不忍笑她。从前听她自称“我们
是自由恋爱”,觉得滑稽,这时我只有怜悯和同情了。

紅衛兵が私の髪を短く刈った。順姐は私の髪を整えるために天花粉を付けて細かい毛を払い、後ろ首と肩を優しく揉みながら独りごちた。
「“彼”が使っていたのもこの天花粉だわネ。藍腰印、これだったわネ。」
天花粉の香りで思わず夫を思い出したのだろう、私の体を揉んでいる事を忘れてしまった。その時の私は笑えるような心情ではなかったのだが、忍び笑いを禁じ得なかった。以前彼女が「私たちは自由恋愛なんです」と言った時は可笑しかったが、この時の私はただ可哀想にと思い遣ったのである。

红卫兵要到她家去“造反”,同院住户都教她控诉她家的大小姐。顺姐事先对我说:
“赶下乡去劳动我不怕,我倒是喜欢在地里劳动。我就怕和大小姐在一块儿。”那位大
小姐口才很好,红卫兵去造反,她出来侃侃而谈,把顺姐一把拖下水。结果,大小姐和
她的子女、她的妈妈,连同顺姐,一齐给赶回家乡。顺姐没有控诉大小姐,也没为自己
辩白一句。

紅衛兵が彼女のところに「造反」にやって来た時、そこに住む人々はお嬢さんの事を告発しろと勧めた。彼女は事に先立ち私に言っていた、「下放されて働くのは怖くないどころか、野良仕事は好きなんですよ。お嬢さんと一緒に行かされるのが嫌なんです。」お嬢さんは口が達者で紅衛兵がやって来ると、出て来て臆せずに談判し、順姐を巻き添えにした。その結果、お嬢さんとその子供、本妻と共に、順姐も一緒に田舎へ帰る破目になった。順姐はお嬢さんを訴える事もせず、一言の自己弁護もしなかった。

“文革”初期,我自忖难免成为牛鬼蛇神,乘早把顺姐的银行存单交还她自己保管。
她已有七百多元存款。我教她藏在身边,别给家人知道,存单的帐号我已替她记下,存
单丢失也不怕,不过她至少得告知自己的儿子(她儿子忠厚可靠,和顺姐长得最像)。
我下干校前曾偷偷到她家去探看,同院的人说“全家都给轰走了”。我和顺姐失去了联
系。

「文革」初期、私は自分が知識人とみなされるのを免れないと考え、早々に彼女の預金証書を自分で管理するよう渡しておいた。彼女の蓄えはすでに七百元余りとなっていた。身につけて仕舞っておくよう、家の人に知られないように注意を与え、番号はもう私が控えてあるから証書を失くしても心配しないように伝えた。しかし息子(正直で温厚で信頼できる、最も順姐似であった)にだけは教えておくようにと言った。
私が幹校に行かされるま前に、こっそりと彼女の家の様子を見に行った事がある。隣人は「一家全員追い出された」と言う。順姐との繋がりは切れてしまった。

有一天,我在街上走,忽有个女孩子从我后面窜出来,叫一声“钱姨妈”。我回脸
一看,原来是顺姐的小女儿,她毕业后没升学,分配在工厂工作。据说,他们兄妹三况都在工作的单位寄宿。我问起她家的人,说是在乡下。她没给我留个地址就走了。

街を歩いていたある日、急に後ろから女の子が「銭おばさん」と呼びかけた。振り向くと何と順姐の次女であった。卒業後は進学せず、工場に配置されていたのだ。聞いたところでは兄妹三人はみな職場の寮にいるという。家族のことを尋ねると田舎にいると言った。が、住所は告げずに去って行った。

我从干校回京,顺姐的两个女儿忽来看我,流泪说:她们的妈病得要死了,“那个
妈妈”已经去世,大姐跑得不知去向了。那时,他们兄妹三个都已结婚。我建议她们姐
妹下乡去看看(因为她们比哥哥容易请假),如有可能,把她们的妈接回北京治病。她
们回去和自己的丈夫、哥嫂等商量,三家凑了钱(我也搭一份),由她们姐妹买了许多
赠送乡村干部的礼品,回乡探母。不久,她们竟把顺姐接了出来。顺姐头发全都灰白了,
两目无光,横都不横了,路也不能走,由子女用自行车推着到我家。她当着儿女们没多
说话。我到她住处去看她,当时家里没别人,经我盘问,才知道她在乡间的详细情况。

幹校から北京に戻ると、順姐の二人の娘が突然会いにやってきて、泣きながらお母さんが重い病気で死にそうだと言う。“あのお母さん”はもう既に亡く、お嬢さんは出て行ってしまい行方知らずだという。この頃には三兄妹はみな結婚していた。私は姉妹に田舎に会いに帰るよう勧めた(兄より休暇を取り易いであろうから)。そして可能ならば、お母さんを連れ帰り北京で治療を受ければ、と。娘たちは帰って夫や兄嫁と相談し、三家族がお金を出し合い(私も分担した)、姉妹は村の幹部に贈る沢山の礼品を買い、田舎の母親に会いに行った。程なく、娘たちは母親を連れ帰ってきた。順姐の髪は灰色となり、横だった目は光りが失せ目じりも垂れて、歩くことも出来なかったので自転車に乗せられ押してもらって我が家にやってきた。彼女は娘たちの前では多くを話さなかった。しかし私が彼女の住まいを尋ねたとき、家には誰もいなかったので、私はやっと田舎での詳しい話を聞き出せた。

大小姐一到乡间,就告诉村干部顺姐有很多钱。顺姐只好拿出钱来,盖了一所房子,
置买了家具和生活必需品,又分得一块地,顺姐下地劳动,养活家里人。没多久,“姐
姐”投水自尽了,大小姐逃跑几次,抓回来又溜走,最后她带着女儿跑了,在各地流窜,
撩下个儿子给顺姐带。顺姐干惯农活,交了公粮,还有余裕,日子过得不错。只是她旧
病复发,子宫快要脱落,非医治不可。这次她能回京固然靠了礼品,她两个女儿也表现
特好。虽然从没下过乡,居然下地去劳动。顺姐把房子连同家具半送半卖给生产队,把
大小姐的儿子带回北京送还他父亲。村干部出一纸证明,表扬顺姐劳动积极,乐于助人
等等。

お嬢さんは田舎に着くや村の幹部に順姐がお金をたくさん持っていると言い付けた。順姐は差し出す以外になく、家を建て家具や必要な物を買い、配分された畑で働き家族を養った。暫くして「姐姐」は入水し命を絶った。お嬢さんは幾度か逃亡を企て、捕まってはまたこっそりと逃げた。とうとう娘を連れて出て各地を転々と逃げ回った。息子の方は順姐の元に置いていった。順姐は農村生活に慣れて、税作物を納めても余裕があり、日々の暮らしは悪くなかった。ただ古い病気がぶり返し、子宮脱になりかかり医者でなければ治せない。今回彼女が北京に帰れたのは、ひとえに礼品のお陰であったし、二人の娘も格別に良くやったのである。下放された事もないのに、なんと野良仕事もこなしたのだった。順姐は家と家具を生産隊に半ば上げ半ば売りして、お嬢さんの息子を北京のその父親の元へ連れ帰った。村の幹部は、順姐の勤勉な労働と喜んで人を助けた事に対して、表彰の証明書を出した。
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# by dangao41 | 2011-08-23 07:13 | 楊絳 | Comments(0)

順姐の自由恋愛5 (終)

顺姐在乡间重逢自己的哥哥。哥哥诧怪说:“我们都翻了身,你怎么倒翻下去了
呢?”村干部也承认当初把她错划了阶级,因为她并非小老婆,只是个丫头,当地人都
知道的。这个地主家有一名轿夫、一名厨子还活着,都可作证。“文革”中,顺姐的大
女儿因出身不好,已退伍转业。儿子由同一缘故,未得申请入党。儿女们都要为妈妈要
求纠正错划,然后才能把她的户口迁回北京。

村にいる時に順姐は兄に再会したが、兄は訝しげに言った、「俺たちは解放されたのに、なんでお前は違うんだ?」村の幹部は彼女の階級が初め間違って区分されたのを知っていた。彼女は若奥さんどころか女中に過ぎなかったのだから。地主の家の車夫と料理番がまだ存命で証人となった。「文革」中は順姐の子供たちは出身が悪いため除隊し職を変えた。息子は同自理由で入党願を出せなかった。子供たちも母親の名誉回復が必要だったのである。そしてやっと戸籍を北京に戻すことができた。

他们中间有“笔杆子”,写了申请书请我过目。他们笔下的顺姐,简直就是电影里
的“白毛女”。顺姐对此没发表意见。我当然也没有意见。他们为了纠正错划的阶级,
在北京原住处的居委和乡村干部两方双管齐下,送了不少“人事”。儿子女儿还特地回
乡一次。但事情老拖着。村干部说:“没有问题,只待外调,不过一时还没有机会。”
北京街道上那位大娘满口答应,说只需到派出所一谈就妥。我怀疑两方都是受了礼物,
空口敷衍。

子供の中で「筆の立つ者」が申請書を書き私に目を通してくれと頼んだが、順姐をまさしく映画の「白毛女」に例えていた。彼女はこれに関してなにも言わなかった。私としても異論はない。子供たちは名誉回復を求めるため、北京の元の居住地と村の幹部の双方に等しく少なからぬ「袖の下」を使った。子供たちは特にそのために村を訪れもした。しかし事はなかなか進まない。村の幹部は「問題ない、外部の調査を待っている。しかしまだ機会がない。」と言う。北京のあのご近所の奥さんは、派出所に出向いて話せば済む問題だと言う。双方とも礼品を受け取っておいて、全くの口先ばかりなのかと私は疑惑を持った。

一年、两年、三年过去,事情还是拖延着。街道上那位大娘给人揭发了受贿
的劣迹;我也看到村里一个不知什么职位的干部写信要这要那。顺姐进医院动了手术,
病愈又在我家干活。她白花了两三年来攒下的钱,仍然是个没户口的“黑人”。每逢节
日,街道查户口,她只好闻风躲避。她叹气说:“人家过节快活,就我苦,像个没处藏
身的逃犯。”

一年、二年、三年と過ぎても進展がなかった。ご近所さんは賄賂を受け取った悪事を暴露しろと言う。どんな職務の者かは知らないが、村の幹部があれが欲しいこれが欲しいと寄こした手紙を私も見た事がある。順姐は病院へ行き手術を受け、病気を治してまた私の家で働いていた。彼女は二、三年来貯めたお金を使ったのに、戸籍は以前として「黒い」ままであった。節季ごとに、街の戸籍調べの度、気配を感じると彼女は身を隠すしかなかった。彼女はため息をつき言った。「みんなは節季を楽しめるのにあたしには苦でしかない。まるで隠れる場所がどこにもない逃亡犯のよう。」

那时候我们住一间办公室,顺姐住她儿子家,每天到我家干活,早来晚归。她一天
早上跑来,面无人色,好像刚见了讨命鬼似的。原来她在火车站附近看见了她家的大小
姐。我安慰她说,不要紧,北京地方大,不会再碰见。可是大小姐晚上竟找到她弟弟家
里,揪住顺姐和她吵闹,怪她卖掉了乡间的房子家具。她自己虽是“黑人”,却毫无顾
忌地向派出所去告顺姐,要找她还帐。派出所就到顺姐儿子家去找她。顺姐是积威之下,
见了大小姐的影子都害怕的。派出所又是她逃避都来不及的机关。

その当時、私たちは事務室に暮らし、順姐は子供の家に住んでいた。毎日家に仕事にきて、夕方に帰る。ある日、朝早くやってきたが鬼でも見たかのように顔色を失くしていた。駅の近くであのお嬢さんを見かけたのだった。心配ない、北京は広いのだからまた出会う事もないわよ、と私は慰めた。ところがお嬢さんは晩方には弟の家を探し当ててしまった。順姐を掴んで、なぜ村の家にあった家具を売り払ってしまったかと悶着を起こしたお嬢さんは自分が「黒い」にも係らず派出所に行き、順姐に貸したお金を返させるよう訴えた。職員が息子の家へ順姐を探しに来た。順姐の恐怖は積もり積もっていたし、お嬢さんの影にもひどく怯えていた。派出所ももう避けられない役所であった。

可是逼到这个地步,
她也直起腰板子来自卫了。乡间的房子是她花钱造的,家具什物是她备的,“老太婆”
的遗产她分文未取,因为“剥削来的财物她不要”。顺姐虽然钝口笨舌,只为理直气壮,
说话有力。她多次到派出所去和大小姐对质,博得了派出所同志的了解和同情。顺姐转
祸为福,“黑人”从此出了官,也就不再急于恢复户籍了。

しかし此処に至って順姐は背筋を伸ばし自分を守った。田舎の家は自分のお金で建てたこと、家具什器も自分で買ったこと、「姐姐」の遺産は受け取っていないこと、なぜなら「搾取した財物は欲しくないから」 順姐は訥々とではあるが、はっきり筋を通して語ったので説得力があった。彼女は何度か派出所へ出向きお嬢さんと向き合い、職員の理解と同情を得た。順姐の禍は福と転じ「黒」の身分からから出て公の身分になったばかりか戸籍も回復となった。

反正她在我们家,足有粮食可吃。
到“四人帮”下台,她不但立即恢复户籍,她错划的阶级,那时候也无所谓了。
我们搬入新居,她来同住,无忧无虑,大大发福起来,人人见了她就说她“又胖
了”。我说:“顺姐,你得减食,太胖了要多病的。”她说:“不行呢,我是饿怕了的,
我得吃饱呢!”

いずれにせよ彼女は私の家に住むようになった。食物は足りていたので食べていかれた。
「四人組」が去り、順姐は直ちに戸籍を回復したばかりでなく、その当時は問題にもされなくなっていた間違った身分も元に戻った。私たちは新居に引っ越し、順姐も一緒に暮らした。何の心配もなくなり大きな幸せがやってきた。人は彼女を見ると、「また太ったわね」と言った。「順姐、食事を減らしたほうがいいわ。太りすぎは体に悪いのよ。」と私は言ったが、彼女は「だめですよ、お腹が空くのは嫌なの、お腹いっぱい食べたいです。」と言った。

顺姐对我不再像以前那样爱面子、遮遮掩掩。她告诉我,她随母逃荒出来,曾在别
人家当丫头,可是她都不乐意,她最喜欢这个地主家,因为那里有吃有玩,最自在快活。
她和同伙的丫头每逢过节,一同偷酒喝,既醉且饱,睡觉醒来还晕头晕脑,一身酒气,
不免讨打,可是她很乐。
原来她就是为贪图这点“享受”,“自由恋爱”了。从此她丧失了小丫头所享受的
那点子快活自在,成了“幺幺”。她说自己“觉悟了”,确也是真情。

以前と違い、順姐は私には体裁をつくろわなくなった。彼女が母と飢饉で逃げた時、別の家でも女中として働いた事があると言った。でもそこは良くなかった。彼女が一番好きだったのはあの地主の家、食べられて遊べて、とても気楽で愉快だった。一緒に働く女の子たちと節季毎にこっそりお酒を飲み、酔っぱらってもまだ飲んだ。目が覚めると二日酔いで酒臭くて叱られたけど、すごく楽しかった。
そうだったのか、彼女が求めていたのはこのような「楽しみ」と「自由恋愛」だったのか。そして可愛い女中が楽しんでいたこの気ままな暮らしは失われ、”ねえや”と成り変った。彼女の「あたし分かったんです」、は確かに偽りのない気持ちだったろう。

她没享受到什么,身体已坏得不能再承受任何享受。一次她连天不想吃东西。我急
了。我说:“顺姐,你好好想想,你要吃什么?”
她认真想了一下,说:“我想吃个‘那交’(辣椒)呢。” “生的?还是干的?”
“北阳台上,泡菜坛子里的。”
我去捞了一只最长的红辣椒,她全吃下,说舒服了。不过那是暂时的。不久她大病,
我又一次把她送入医院。这回是割掉了胆囊。病愈不到两年,曲张的静脉裂口,流了一
地血。这时她家境已经很好,她就告老回家了。

彼女は何も楽しめなくなくなった、もう体はどんな楽しみも受けられないほど損なられてしまった。一度、何日も食べ物を欲しがらないない時があった。私は焦って、「さあ考えて、何が食べたい?」と聞いた。
彼女は暫し真剣に考えてから「唐辛子が食べたい。」と言った。
「生の?それとも干したもの?」
「ベランダの、漬物甕のが。」
一番大きな赤い唐辛子を掬ってくると、彼女は全部食べ気分が良くなったと言った。しかしそれも一時の事であった。程なく病は重くなり、私はまた彼女を病院へ行かせた。
今度は胆嚢を切り取ったが、傷口は二年もふさがらなかったし、静脈瘤も切れて血が流れた。この頃は彼女の家の状況も良くなっていたので、家に帰ると言った。

现在她的儿女辈都工作顺利,有的是厂长,有的是经理,还有两个八级工。折磨她
的那位大小姐,“右派”原是错划;她得到落实政策,飞往国外去了。顺姐现在是自己
的主人了,逢时过节,总做些我爱吃的菜肴来看望我。称她“顺姐”的,只我一人了。
也许只我一人,知道她的“自由恋爱”;只我一人,領会她“我也觉悟了呢”的滋味。

                                          
今では子供たちの仕事も順調で、一人は工場長一人は社長で、更に二人は八級工である。あの意地悪なお嬢さんは、元々「右派」に間違って区分されていたが、政策の実施を受けて国外へ飛び去った。順姐も今は自分が主人で、節季になるといつも私の好きな料理を作って会いに来てくれる。順姐と彼女を呼ぶのも私だけとなった。彼女の「自由恋愛」を知っているのも私だけかもしれない。ただ私一人だけが、彼女の「分かったんです」の妙味を知っている。                      
 一九九一年一月一日
           (終)

                                                2011・4   
原文  http://www.5156edu.com/html/15524/40.html        
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# by dangao41 | 2011-08-23 06:08 | 楊絳 | Comments(0)