凧 読解の参考

三. 阅读下文,回答13—20题(23分)

北京的冬季,地上还有积雪,灰黑色的秃树枝丫叉于晴朗的天空中,而远处有一二风筝浮动,在我是一种惊异和悲哀。

故乡的风筝时节,是春二月,倘听到沙沙的风轮声,仰头便能看见一个淡墨色的蟹风筝或嫩蓝色的蜈蚣风筝。还有寂寞的瓦片风筝,没有风轮,又放得很低,伶仃地显出憔悴可怜的模样。但此时地上的杨柳已经发芽,早的山桃也多叶蕾,和孩子们的天上的点缀相照应,打成一片春日的温和。我现在在哪里呢?四面都还是严冬的肃杀,而久经诀别的故乡的久经逝去的春天,却就在这天空中荡漾了。

但我是向来不爱放风筝的,不但不爱,并且嫌恶他,因为我以为这是没有出息的孩子所做的玩艺。和我相反的是我的小兄弟,他那时大概十岁内外罢,多病,瘦得不堪,然而喜欢风筝,自己买不起,我又不许放,他只得张着小嘴,呆看着空中出神,有时至于小半日。远处的蟹风筝突然落下来了,他惊呼;两个瓦片风筝的缠绕解开了,他高兴得跳跃。他的这些,在我看来都是笑柄,可鄙的。

有一天,我忽然想起,似乎多日不很看见他了,但记得曾见他在后园拾枯竹。我恍然大悟似的,便跑向少有人去的一间堆积杂物的小屋去,推开门,果然就在尘封的什物堆中发现了他。①大方凳旁靠着一个蝴蝶风筝的竹骨,还没有糊上纸,凳上是一对做眼睛用的小风轮,正用红纸条装饰着,将要完工了。②我即刻伸手折断了蝴蝶的一支翅骨,又将风轮掷在地下,踏扁了。③他向着大方凳,坐在小凳上;便很惊惶地站了起来,失了色瑟缩着。④论长幼,论力气,他是敌不过我的,我当然得到完全的胜利,于是傲然走出,留他绝望地站在小屋里。⑤我在破获得秘密的满足中,又很愤怒他的瞒了我的眼睛,这样苦心了孤诣地偷做没出息孩子的玩艺。⑥后来他怎样,我不知道,也没留心。

然而我的惩罚终于轮到了,在我们离别得很久以后,我已经是中年。我不幸偶尔看了一本外国的讲论儿童的书,才知道游戏是儿童最正当的行为,玩具是儿童的天使。于是二十年来毫不忆及的幼小时候对于精神的虐杀的这一幕,忽地在眼前展开,而我的心也仿佛同时变了铅块,很重地堕下去了。

但心又不竟堕下去而至于断绝,他只是很重地堕着,堕着。

我也知道补过的方法:送他风筝,赞成他放,劝他放,我和他一同放。我们跳着,跑着,笑着。——然而他其时已和我一样,早已有了胡子了。

我也知道还有一个补过的方法:去讨他的宽恕,等他说,“我可毫不怪你呵。”那么,我的心一定就轻松了,这确是一个不可行的方法。有一回,我们会面的时候,是脸上都已添刻了许多“生”的辛苦的条纹,而我的心很沉重。我们渐渐谈起儿时的旧事来,我便叙述到这一节,自说少年时代的糊涂。“我可是毫不怪你呵。”我想,他要说了,我即刻便受了宽恕,我的心从此也是宽松了罢。

“有过这样的事么?”他惊异地笑着说,就像旁听着别人的故事一样,他什么也不记得了。

全然忘却,毫无怨恨,又有什么宽恕之可言呢?无怨的恕,说谎罢了。

我还能希求什么呢?我的心只得沉重着。

现在,故乡的春天又在这异地的空中了,既给我久经逝去的儿时的回忆,而一并也带着无可把握的悲哀。我倒不如躲到肃杀的严冬中去罢,——但是,四面又明明是严冬,正给我非常的寒威和冷气。


13. 文章开头写看见了风筝,“在我是一种惊异和悲哀。”这是为什么?结合全文内容简要回答。(4分)

答:

14. 第②段描写故乡放风筝的情景,表达了“我”什么情感?这段描写对下文起什么作用?(2分)

答:

15. 文中第④段标有①—⑥序号的语序被打乱,调整后正确的语序是( )(3分)

A. ②③⑤④①⑥ B. ③①⑤②④⑥

C. ③②④⑤①⑥ D. ②①⑤③④⑥

16. 第⑤段中说“然而我的惩罚终于轮到了”,“我的惩罚”指的是:(2分)



17. 第⑥段说,“但心又竟堕下去而至于断绝”,是因为:(2分)

__ 。

18. “脸上都已添刻了许多‘生’的辛苦的条纹”的含义是:(3分)



19. “无可把握的悲哀”是指( )(3分)

A. 把握不住的悲哀 B. 无可奈何的悲哀

C. 无法解脱的悲哀 D. 无处诉说的悲哀

20. 文末写道:“四面又明明是严冬,正给我非常的寒威和冷气。”这里仅指自然气侯吗?为什么?(4分)

__ 。



三. 阅读下文,回答13—20题(23分)

13. 在寒冷的北京看见风筝,使“我”想起故乡和故乡的春天,因而惊异;又因风筝勾起了“我”对儿时那“精神虐杀”一幕的回忆,又感到悲哀。

14.

① 表现“我”对故乡的怀念和对故乡春天的向往之情。

② 为下文的怀念作铺垫。

15. B

16. 当“我”明白对小弟的粗暴干涉是对儿童的天性的压抑时,我所受到的悔恨和痛苦的折磨。

17. 还希望找到补过的机会。

18. 为生活忙碌奔波,随岁月流逝,年纪大了。

19. C

20. 不仅指自然气候,还指当时的社会环境,表现封建传统势力还很强大,封建伦理道德及教育思想还严重地束缚着人们,以致小弟受了“精神虐杀”还不自觉。
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# by dangao41 | 2011-08-17 17:35 | 魯迅 | Comments(2)

百草園

       百草園から三味書屋へ  (从百草园到三味书屋)  鲁迅

  我家的后面有一个很大的园,相传叫作百草园。现在是早已并屋子一起卖给朱文公的子孙了,连那最末次的相见也已经隔了七八年,其中似乎确凿只有一些野草;但那时却是我的乐园。
 
 私の家の裏には広い庭があり百草園と呼びならわされていた。今は既に家と一緒に朱文公の子孫に売却してしまったが最後に見たのは7,8年のことである。たしかに雑草しか生えていない庭であったと思うが、あの当時は私の楽園であったのだ。

  不必说碧绿的菜畦,光滑的石井栏,高大的皂荚树,紫红的桑椹;也不必说鸣蝉在树叶里长吟,肥胖的黄蜂伏在菜花上,轻捷的叫天子(云雀)忽然从草间直窜向云霄里去了。单是周围的短短的泥墙根一带,就有无限趣味。油蛉在这里低唱,蟋蟀们在这里弹琴。翻开断砖来,有时会遇见蜈蚣;还有斑蝥,倘若用手指按住它的脊梁,便会拍的一声,从后窍喷出一阵烟雾。何首乌藤和木莲藤缠络着,木莲有莲房一般的果实,何首乌有拥肿的根。有人说,何首乌根是有象人形的,吃了便可以成仙,我于是常常拔它起来,牵连不断地拔起来,也曾因此弄坏了泥墙,却从来没有见过有一块根象人样。如果不怕刺,还可以摘到覆盆子,象小珊瑚珠攒成的小球,又酸又甜,色味都比桑椹要好得远。
 
 緑の野菜畑は言うに及ばず、井戸の滑らかな石の欄干、大きなトウサイカチの木、赤紫の桑の実。セミは木の葉の陰で鳴き続け、丸々とした雀蜂は菜の花に隠れ、すばしっこい雲雀は急に草間から逃げ出て高い空に真っ直ぐに飛んでいく。周囲の所々崩れた土塀の根もとでさえも限りなく面白かった。ブヨは低く歌い、蟋蟀は楽器を奏でる。割れた煉瓦をひっくり返せば、ムカデに遭遇する時もあった。ハンミョウもいて、指でその背中を押すと尻からピュッと体液を噴射する。ツルドクダミと木蓮の蔓は絡みあっていた。木蓮は蓮の花托のような果実を付け、ツルドクダミは膨らんだ根っこをもっていた。ツルドクダミの根には人間の形をしているものもあって、食べれば仙人になれると聞いた。そこで私は根を引っこ抜き始め、次々と抜いたので土壁を壊してしまったが、人の形の根を一個だって見つけた事はなかった。もし刺されるのを厭わないなら、トックリイチゴを摘む事もできた。小さな珊瑚玉を集めたような球形で、酸っぱくて甘く、色合いも味わいも桑の実よりずっと良かったのだ。

  长的草里是不去的,因为相传这园里有一条很大的赤练蛇。
  长妈妈曾经讲给我一个故事听:先前,有一个读书人住在古庙里用功,晚间,
在院子里纳凉的时候,突然听到有人在叫他。答应着,四面看时,却见一个美女的脸露在墙头上,向他一笑,隐去了。他很高兴;但竟给那走来夜谈的老和尚识破了机关。说他脸上有些妖气,一定遇见“美女蛇”了;这是人首蛇身的怪物,能唤人名,倘一答应,夜间便要来吃这人的肉的。他自然吓得要死,而那老和尚却道无妨,给他一个小盒子,说只要放在枕边,便可高枕而卧。他虽然照样办,却总是睡不着,——当然睡不着的。到半夜,果然来了,沙沙沙!门外象是风雨声。他正抖作一团时,却听得豁的一声,一道金光从枕边飞出,外面便什么声音也没有了,那金光也就飞回来,敛在盒子里。后来呢?后来,老和尚说,这是飞蜈蚣,它能吸蛇的脑髓,美女蛇就被它治死了。

草が生い茂っているところへは行かなかった。この庭には大きな赤斑が一匹いるとの言い伝えがあったからだ。 
長妈妈が話してくれたのだが、昔、一人の書生が古廟に住み込み学んでいたという。晩方に庭で涼んでいると不意に誰かが彼の名を呼ぶ、返事してあたりを見回すと、美しい女が塀の向こうで彼に笑いかけると姿を消した。彼はたいそう嬉しくなった。しかしこの晩の事を聞いた和尚は女の実態を見破った。書生の顔には妖気があった、“美女蛇”に出くわしたのだろう。これは人間の顔を持った蛇の妖怪であり、相手の名前をもって呼びかける。もし返事をしてしまったら、夜更けにその者を食べにやって来るという。書生は当然に恐れ慄いたが、大丈夫だと和尚は小箱を書生に与え、これを枕元に置きぐっすり眠るがいいと言った。書生は言われた通りにしたものの寝つけなかった。眠れないのも無理はなかろう。夜も更けた頃、果たしてそれはやって来た。シャシャシャッ~!戸の外では風雨の様な音がする。書生が縮こまって震えていると、フッと箱が開く音がして、ひと筋の金色の光が枕元から飛び出していった。そとでは何の物音もしない。金の光もすぐ戻ってきて箱の中に収まった。それからは、って?和尚が言ったその続き、「あれは空飛ぶムカデで蛇の脳髄を吸うことができる。美しい蛇女はムカデに退治されたのだ。」

  结末的教训是:所以倘有陌生的声音叫你的名字,你万不可答应他。

  教訓:であるから、もしも見知らぬ人に名を呼ばれても、絶対に返事をしてはいけない。

  这故事很使我觉得做人之险,夏夜乘凉,往往有些担心,不敢去看墙上,而且极想得到一盒老和尚那样的飞蜈蚣。走到百草园的草丛旁边时,也常常这样想。但直到现在,总还没有得到,但也没有遇见过赤练蛇和美女蛇。叫我名字的陌生声音自然是常有的,然而都不是美女蛇。
 
この話は私に世の中は怖いと思わせた。夏の夜に涼んでいる時など、よくよく心配で塀に目を向けられなかったし、果てには和尚の飛ぶムカデの箱がとても欲しかった。百草園の草むらの傍に行った時はいつもそう思っていた。しかし今に至るまで、なにも起こらなかったし、赤斑蛇にも美しい蛇女にも出くわさなかった。私の名を呼ぶ見知らぬ人の声など自然に常となったが、美しい蛇女だった事などはない。
 
  冬天的百草园比较的无味;雪一下,可就两样了。拍雪人(将自己的全形印在雪上)和塑雪罗汉需要人们鉴赏,这是荒园,人迹罕至,所以不相宜,只好来捕鸟。薄薄的雪,是不行的;总须积雪盖了地面一两天,鸟雀们久已无处觅食的时候才好。扫开一块雪,露出地面,用一支短棒支起一面大的竹筛来,下面撒些秕谷,棒上系一条长绳,人远远地牵着,看鸟雀下来啄食,走到竹筛底下的时候,将绳子一拉,便罩住了。但所得的是麻雀居多,也有白颊的“张飞鸟”,性子很躁,养不过夜的。
 
冬の百草園は少しつまらない。だが雪が降れば一変した。雪人型(雪に全身を押しつけて人型をつける)や雪だるま作りは、出来上がれば人に見せたいが、荒れた庭で人はめったに通らないから相応しい場所ではなかった。それで鳥を捕るしかなかった。薄っすらの雪ではいけない。一日二日と一面に降り積もり、鳥たちがもう何処にも餌を探せなくなった頃がチャンスであった。一塊の雪を除き地面を露出し、その場を覆う大きな竹笊を短い棒で支えて穀物をばら撒く。棒には長い縄を結び、離れた場所で縄を持つ。鳥がやってきて啄み竹笊の下に入った時、縄を引いて覆い被せる。しかし捕れるのはたいてい雀だった。頬の白い張飛鳥も捕まえたが、気が短い鳥でその日の内に死んでしまった。 

  这是闰土的父亲所传授的方法,我却不大能用。明明见它们进去了,拉了绳,
跑去一看,却什么都没有,费了半天力,捉住的不过三四只。闰土的父亲是小半天便能捕获几十只,装在叉袋里叫着撞着的。我曾经问他得失的缘由,他只静静地笑道:你太性急,来不及等它走到中间去。
 
これは闰土の父親に教わった方法だが、私はあまり上手にできなかった。鳥が入って来たのをしっかり見て縄を引く、飛んで行って見れば何も無い。長い時間を費やして三、四羽しか捕ることができなかった。闰土の父親は私よりずっと短い時間で幾十羽も捕ることができて、袋の中でビービーバタバタとしていた。
どうして私には出来ないか理由を尋ねた事がある。彼は静かに微笑んで言った。坊っちゃんはせっかち過ぎて、鳥が真ん中に入るまで待てないからですよ。 

  我不知道为什么家里的人要将我送进书塾里去了,而且还是全城中称为最严厉的书塾。也许是因为拔何首乌毁了泥墙罢,也许是因为将砖头抛到间壁的梁家去了罢,也许是因为站在石井栏上跳下来罢,……都无从知道。总而言之:我将不能常到百草园了。Ade,我的蟋蟀们!Ade,我的覆盆子们和木莲们!
  
家人がどうして私を塾に行かせたのか分からない。しかもそれは町で一番厳しい塾であった。何首鳥を引きぬいて土壁を壊したからか、煉瓦を投げて隣の梁家との仕切り壁を壊したせいか、井戸の柵に上って飛び降りたせいか、・・・知るすべもない。要するに私は百草園にしょっちゅうは行かれなくなった。
さらば、私の蟋蟀よ!さらば、私の覆盆子よ、木蓮よ!

  出门向东,不上半里,走过一道石桥,便是我的先生的家了。从一扇黑油的竹门进去,第三间是书房。中间挂着一块扁道:三味书屋;扁下面是一幅画,画着一只很肥大的梅花鹿伏在古树下。没有孔子牌位,我们便对着那扁和鹿行礼。第一次算是拜孔子,第二次算是拜先生。

門を出て東に向かい200メートル程行き石橋を渡ると先生の家だった。黒光りした竹の入口から入って三つ目の部屋がが教室であった。真ん中には「三味本屋」の額が掛かっていて、その下には大きな梅花鹿が古木の元に座っている一幅の絵があった。孔子の位牌はなかったので、私たちはその額と鹿に向かってお辞儀した。一回目は孔子への礼で、二回目は先生への礼であった。

  第二次行礼时,先生便和蔼地在一旁答礼。他是一个高而瘦的老人,须发都花白了,还戴着大眼镜。我对他很恭敬,因为我早听到,他是本城中极方正,质朴,博学的人。
  
二度目の礼の時、先生は穏やかに返礼した。先生は背が高い痩せた老人で髭も髪も半白で大きな眼鏡をかけていた。私はたいそう礼儀正しくしていた。先生が町でも極めて公正・質朴・博学の人であると、とっくに聞き知っていたからだ。

  不知从那里听来的,东方朔也很渊博,他认识一种虫,名曰“怪哉”,冤气所化,用酒一浇,就消释了。我很想详细地知道这故事,但阿长是不知道的,因为她毕竟不渊博。现在得到机会了,可以问先生。
   “先生,‘怪哉’这虫,是怎么一回事?……”我上了生书,将要退下来的时候,赶忙问。
  “不知道!”他似乎很不高兴,脸上还有怒色了。

どこで私が耳にしたものか分からないが、東方朔も該博で“怪哉”という名の虫を知っていたという。これは恨みつらみが化けた虫で、酒を浴びせると溶けてしまうという。私はこの話を詳しく知りたかったのだが、長おばさんは博識ではなかったので知らなかった。さあ、今なら先生に聞ける。
 「先生、‘怪哉’という虫はいったい何なのですか?・・・」初めての授業が終って帰りの時間になった時、心逸らせ尋ねた。
 「知りません!」先生はとても不愉快そうで、顔に怒りの色さえみえた。

  我才知道做学生是不应该问这些事的,只要读书,因为他是渊博的宿儒,决不至于不知道,所谓不知道者,乃是不愿意说。年纪比我大的人,往往如此,我遇见过好几回了。
  
そこで私は生徒は勉強だけするべきで、このような事を聞いてはいけないのだなと理解した。なぜなら先生は該博の老学者で知らない事などない。知らないというのは即ち言いたくないのだ。大人は往々にしてこのようである、私は何度もそんな場面に出くわした。

  我就只读书,正午习字,晚上对课。先生最初这几天对我很严厉,后来却好起来了,不过给我读的书渐渐加多,对课也渐渐地加上字去,从三言到五言,终于到七言。
 
私は勉強だけするようになり、昼には字を習い晩には教科書を読んだ。先生は最初の幾日かは私に大変厳格であったが、その後は和らいでいった。しかし私に読ませる本は段々に多くなり、授業も次第に難しくなって三言から五言に、とうとう七言になっていった。

  三味书屋后面也有一个园,虽然小,但在那里也可以爬上花坛去折腊梅花,在地上或桂花树上寻蝉蜕。最好的工作是捉了苍蝇喂蚂蚁,静悄悄地没有声音。然而同窗们到园里的太多,太久,可就不行了,先生在书房里便大叫起来:
—“人都到那里去了?”
 
三味書屋の後ろには庭があり、小さいとはいえ花壇に登って蝋梅の枝を折れたし、地面で木犀の枝やセミの抜け殻を探すことができた。一番楽しいのは蝿を捕まえて蟻の餌にすることで、静かに声を出さずにやる。しかし多くの同級生が庭に出るので、長く居るのは無理であった。教室の先生の大声が聞こえてくる、「みんなどこへ行ったのか?」

  人们便一个一个陆续走回去;一同回去,也不行的。他有一条戒尺,但是不常用,也有罚跪的规矩,但也不常用,普通总不过瞪几眼,大声道:——“读书!”

生徒は一人また一人と続いて戻っていく、一緒に戻らなくてはならない。先生はお仕置き棒を持っているが常に使いはしない。罰として膝まずかせる習わしもあるが常にさせはしない。普通はカッと目を開き大声でこう言った——「本を読みなさい!」

  于是大家放开喉咙读一阵书,真是人声鼎沸。有念“仁远乎哉我欲仁斯仁至矣”的,有念“笑人齿缺曰狗窦大开”的,有念“上九潜龙勿用”的,有念“厥土下上上错厥贡苞茅橘柚”的……先生自己也念书。后来,我们的声音便低下去,静下去了,只有他还大声朗读着:——
“铁如意,指挥倜傥,一座皆惊呢~~;金叵罗,颠倒淋漓噫,千杯未醉嗬~~……”
 我疑心这是极好的文章,因为读到这里,他总是微笑起来,而且将头仰起,摇着,向后面拗过去,拗过去。

そこで生徒は声を振り絞って朗読し、まさしく人声沸き立つのである。“仁远乎哉我欲仁斯仁至矣”を読む者あり、“笑人齿缺曰狗窦大开”を読む者あり、“上九潜龙勿用”を読む者あり、“厥土下上上错厥贡苞茅橘柚”を読む者あり・・・・先生も自分の本を読む。少しすると生徒の声は低くなっていき、やがて静まってしまう。先生だけが大きな声で読み続ける-----“铁如意,指挥倜傥,一座皆惊呢~~;金叵罗,颠倒淋漓噫,千杯未醉嗬~~……”
私はこれはきっと素晴らしい文章なのに違いない、と思った。というのはこの部分にくると先生はいつも笑みを浮かべ、顔を仰向けて体をどんどん後ろへ反らせたからである。
 
  先生读书入神的时候,于我们是很相宜的。有几个便用纸糊的盔甲套在指甲上做戏。我是画画儿,用一种叫作“荆川纸”的,蒙在小说的绣像上一个个描下来,象习字时候的影写一样。读的书多起来,画的画也多起来;书没有读成,画的成绩却不少了,最成片断的是《荡寇志》和《西游记》的绣像,都有一大本。后来,因为要钱用,卖给一个有钱的同窗了。他的父亲是开锡箔店的;听说现在自己已经做了店主,而且快要升到绅士的地位了。这东西早已没有了罢。         九月十八日                                                       
先生が朗読に没頭している時、これは私たちには好都合であった。紙と糊で兜を作り指に嵌め遊んでいる者もいたが、私は絵を描いた。“荆川纸”と呼ばれた紙を小説の挿絵に重ねてなぞった。習字の時なぞるのと同じようにである。本が多くなれば挿絵も多くなる。本は読み切れないのに絵は沢山描いた。通して描いて完成させたのは《荡寇志》と《西游記》の挿絵である。二冊とも長い本だった。その後お金が必要となって金持ちの同級生に売ってしまった。彼の父親は錫箔店を経営していた。聞くところによると彼が今は主人だそうで、おまけにもうすぐ「紳士」にまでなるらしい。あの写し絵はもう無くなっているであろうな。                                2010/9
                                              (《朝花夕拾》)
原文 http://www.xys.org/xys/classics/Lu-Xun/Zhaohua/baicao.txt
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# by dangao41 | 2011-08-16 14:16 | 魯迅 | Comments(10)

落花生  

                落花生   許地山

  我們屋後有半畝隙地。母親說: 「讓它荒蕪著怪可惜, 既然你們那麼愛吃花生, 就闢來做花生園罷。」我們姊弟幾個都很喜歡, ──買種的買種,動土的動土,灌園的灌園;過不了幾個月,居然收穫了!
  媽媽說:「今晚我們可以做一個收穫節,也請你們爹爹來嘗嘗我們的新花生,如何?」我們都答應了。母親把花生做好成好幾樣食品,還吩附這集會要在園裏的茅亭舉行。
  
  那晚上的天色不大好,可是爹爹也到了,實在很難得!爹爹說:「你們愛吃花生嗎?
我們都爭著答應:「愛!」
「誰能把花生的好處說出來?」
姐姐說:「花生的氣味很美。」
哥哥說:「花生可以製油。」
我說:「無論何等人都可以用賤價買它來吃;都喜歡吃它。這就是它的好處。」

  爹爹說:「花生的用處固然很多,但有一樣是很可貴的。這小小的豆不像那好看的蘋果、桃子、石榴,把它們的果實懸在枝上,鮮紅嫩綠的顏色,令人一望而發生羨慕的心;它只把果子埋在地下,等到成熟,才容人把它挖出來。你們偶然看見一棵花生瑟縮的長在地上,不能立刻辨出它有沒有果實,必得等到你接觸它,才能知道。」

  我們說:「是的。」母親也點點頭。爹爹接下去說:「所以你們要像花生;因為它是有用的,不是偉大、好看的東西。」我說:「那麼人要做有用的人,不要做偉大、體面的人了。」爹爹說:「這是我對於你們的希望。」
  我們談到夜闌才散,所有的花生食品雖然沒有了,然而父親的話現在還師在我心版上。

  
            落花生     許地山
 
 家の裏には半畝の空き地がありました。母は「荒れたままにして置くのはもったいないわ。うちでは皆、落花生が好きだから畑にして落花生を植えましょう。」と言いました。私たち兄弟はみな喜んで、それ種を買いに行こう、さあ土を耕して、ほら水をやってと働きました。幾月も経たないで何と収穫となりました。
 「今夜は収穫祭をしましょう。お父さんもお呼びしてみんなで作った落花生を味わっていただきましょうよ。どう?」と母が言い、私たちみんなが賛成しました。母は落花生でいくつもの料理を作り、その上、裏庭の東屋で食事をしましょうと言いいました。
 
 その晩の空もようはさして良くはありませんでしたが父も来てくれました、実に珍しいことなのです!
父は「お前たちは落花生が好きかい?」と聞きました。 私たちはみな口々に「好き!」と答えました。 
 「誰か落花生の好いところを言えるかな?」
 「とても美味しいです。」と姉が言いました。
 「油を絞ることも出来ます。」と兄が言いました。
 「誰でも少しのお金で買って食べることができて、誰もが好きです。これが好いところです。」と私が言いました。

  父は「むろん落花生は様々に使えるね、でももっと評価されるべきところがあるのだよ。この小さな実は、林檎や桃や石榴のようにきれいではない。木に成る果実は鮮やかな色合いで見ただけで人に欲しいと云う気持ちを起こさせるね。しかし落花生はね、土の中で熟すのを待ってやっと人は掘り出すことができる。お前たちがもし落花生が縮こまって生えているのを見たとして、実があるかないか直ぐに見分けるのは無理だろう。掘ってみて初めて分かるのだよ。」

 「本当ですね。」と私たちは言いました。母も頷きました。父は続けてこう言いました。「だからお前たちも落花生のようであるべきなのだ。落花生は小さくて、きれいでもないが有用なのだよ。」「役に立つ人間になるべきなのですね。立派である必要はなく、中身のある人間ですね。」と私は言い、父は「私はその様にお前たちに望むのだよ。」と言いました。

 私たちは夜更けまで話し続けました。落花生のお料理は全部食べてしまいましたが、父の話は未だ私の心に刻まれています。
                                                        2009・12


我们 家 的 屋 後 有 半 亩 隙 地 。 母亲 说 : 「 让 它 荒芜 着 怪 可惜 , 既然 你们 那么 爱 吃 花生 , 就 辟 来 做 花生 园 罢 。 」
 
wǒmen jiā de wū hòu yǒu bàn mǔ xì dì . mǔqīn shuō : 「 ràng tā huāngwú zhe/zhuó guài kěxī , jìrán nǐmen nàme ài chī huāshēng , jiù pì lái zuò huāshēng yuán ba . 」

我们 姊 弟 几 个 都 很 喜欢 , ─ ─ 买 种 的 买 种 , 动土 的 动土 , 灌 园 的 灌 园 ; 过 不了 几 个 月 , 居然 收 穫 了 ! 妈妈 说 : 「 今晚 我们 可以 做 一个 收 穫 节 , 也 请 你们 父亲 来 尝尝 我们 的 新 花生 , 如何 ? 」 我们 都 答应 了 。 母亲 把 花生 做 好 成 好几 样 食品 , 还 吩 附 这 集会 要 在 园 里 的 茅 亭 举行 。

wǒmen zǐ dì jǐ gè dōu hěn xǐhuān , ─ ─ mǎi zhǒng de mǎi zhǒng , dòngtǔ de dòngtǔ , guàn yuán de guàn yuán ; guò bùliǎo jǐ gè yuè , jūrán shōu 穫 le ! māma shuō : 「 jīnwǎn wǒmen kěyǐ zuò yīgè shōu 穫 jié , yě qǐng nǐmen fùqin lái chángcháng wǒmen de xīn huāshēng , rúhé ? 」 wǒmen dōu dāying le . mǔqīn bǎ huāshēng zuò hǎo/hào chéng hǎojǐ yàng shípǐn , hái/huán fēn fù zhè jíhuì yào zài yuán lǐ de máo tíng jǔxíng .

那 晚上 的 天色 不 大好 , 可是 爹爹 也 到 了 , 实在 很 难得 ! 父亲 说 : 「 你们 爱 吃 花生 吗 ? 」 我们 都 争 着 答应 : 「 爱 ! 「 谁 能 把 花生 的 好处 说 出来 ? 」 姐姐 说 : 「 花生 的 气味 很 美 。 」 哥哥 说 : 「 花生 可以 製 油 。 」 我 说 : 「 无论 何等 人 都 可以 用 贱价 买 它 来 吃 ; 都 喜欢 吃 它 。 这 就是 它 的 好处 。 」

nà wǎnshàng de tiānsè bù dàhǎo , kěshì diēdiē yě dào le , shízai hěn nándé ! fùqin shuō : 「 nǐmen ài chī huāshēng ma ? 」 wǒmen dōu zhēng zhe/zhuó dāying : 「 ài ! 「 shuí néng bǎ huāshēng de hǎochù shuō chūlái ? 」 jiějie shuō : 「 huāshēng de qìwèi hěn měi . 」 gēge shuō : 「 huāshēng kěyǐ 製 yóu . 」 wǒ shuō : 「 wúlùn héděng rén dōu kěyǐ yòng jiànjià mǎi tā lái chī ; dōu xǐhuān chī tā . zhè jiùshì tā de hǎochù . 」

父亲 说 : 「 花生 的 用处 固然 很多 , 但 有 一样 是 很 可贵 的 。 这 小小的 豆 不 像 那 好看 的 蘋 果 、 桃子 、 石榴 , 把 它们 的 果实 悬 在 枝 上 , 鲜红 嫩绿 的 颜色 , 令 人 一 望 而 发生 羡慕 的 心 ; 它 只 把 果子 埋 在 地下 , 等到 成熟 , 才 容 人 把 它 挖 出来 。 你们 偶然 看见 一 棵 花生 瑟缩 的 长 在 地上 , 不能 立刻 辨 出 它 有 没有 果实 , 必得 等到 你 接触 它 , 才能 知道 。 」 我们 说 : 「 是的 。 」 母亲 也 点点头 。

fùqin shuō : 「 huāshēng de yòngchu gùrán hěnduō , dàn yǒu yīyàng shì hěn kěguì de . zhè xiǎoxiǎode dòu bù xiàng nà hǎokàn de 蘋 guǒ 、 táozi 、 shíliu , bǎ tāmen de guǒshí xuán zài zhī shàng , xiānhóng nènlǜ de yánsè , lìng rén yī wàng ér fāshēng xiànmù de xīn ; tā zhī/zhǐ bǎ guǒzi mái zài dìxia(dìxià) , děngdào chéngshú , cái róng rén bǎ tā wā chūlái . nǐmen ǒurán kànjiàn yī kē huāshēng sèsuō de cháng/zhǎng zài dìshàng , bùnéng lìkè biàn chū tā yǒu méiyǒu guǒshí , bìděi děngdào nǐ jiēchù tā , cáinéng zhīdào . 」 wǒmen shuō : 「 shìde . 」 mǔqīn yě diǎndiǎntóu .

父亲 接 下去 说 : 「 所以 你们 要 像 花生 ; 因为 它 是 有用 的 , 不是 伟大 、 好看 的 东西 。 」 我 说 : 「 那么 人 要 做 有用 的 人 , 不要 做 伟大 、 体面 的 人 了 。 」 父亲 说 : 「 这 是 我 对 於 你们 的 希望 。 」 我们 谈到 夜阑 才 散 , 所 有的 花生 食品 虽然 没有 了 , 然而 父亲 的话 现在 还 师 在 我 心 版 上 。

fùqin jiē xiàqù shuō : 「 suǒyǐ nǐmen yào xiàng huāshēng ; yīnwèi tā shì yǒuyòng de , bùshi wěidà 、 hǎokàn de dōngxi(dōngxī) . 」 wǒ shuō : 「 nàme rén yào zuò yǒuyòng de rén , bùyào zuò wěidà 、 tǐmiàn de rén le . 」 fùqin shuō : 「 zhè shì wǒ duì wū/yū nǐmen de xīwàng . 」 wǒmen tándào yèlán cái sǎn/sàn , suǒ yǒude huāshēng shípǐn suīrán méiyǒu le , rán'ér fùqin dehuà xiànzài hái/huán shī zài wǒ xīn bǎn shàng .
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# by dangao41 | 2011-08-16 12:07 | 許地山 | Comments(5)

離歌1

                           離歌                       魯敏 

  暴雨下了整整一夜,三爷惦记起东坝的那些坟茔,其下的肉身与骨殖,陪葬衣物,以及棺木,必定也在泥土下湿漉漉地悬浮着吧……他睡不着。
 挨到天亮,起来一瞧,发现门前河上的木桥给冲塌了。腐朽的木板散在河面,流连忘返地打着圈儿,最终与断绳、树枝、蓑草之类的一起,头也不回地漂走了。所幸他那条颜色发了黑的小船还在,水面儿上一上一下地晃着。
  没有人会修这座桥的。

 嵐は一晩中吹き荒れて、三爷(サンイエ)は東の土手の墓地が気がかりだった。仏も埋葬品も棺桶も泥土の中で湿り浮き上がっているのではないだろうか・・・彼は眠れなかった。

 夜が明けて見に行けば、戸口の前の川に掛かる木橋は押し流されていた。朽ちかけた木の板は川面に散在し帰るのも忘れたように回転していたが、終には縄を解き木っ端となり渦を抜け、樹の枝や草々と共に流れていく。幸いにも彼の黒ずんだ小舟はまだそこにあり、上に下にと揺れていた。 
  誰もこの橋を修理しない。  

  这么些年,人们从来都不用过桥,反正桥这边就只三爷一人。找他的就只站在对面,闷着嗓子用那样一种压抑的调子喊:三爷,西头的五姑奶奶过去了。三爷,栓子给电没了。三爷,江大年家的小媳妇喝农药走了。
  不论什么时辰,他即刻便穿了素衣出门去,小木桥摇晃着,河水在下面流,只照着他一个人的身影。人们要瞧见他过桥,便会互相地说:今天,三爷过桥了……这是当消息来说的,说的与听的皆明白:东坝,又有谁,上路去了……
 赶过去,那家里的大人孩子往往木呆呆的——就算平常见过多次邻里办丧,就算是上得了场面的人,临到自家,还是无措。大家都说:每到这个时候,就瞧出三爷的心硬来——他伸手抹一抹脸,几乎面无表情。  
 
もう長い間、村人が橋を渡ることはなかった。いずれにしろ橋のこちら側は三爷ただ一人しかいない。彼に用事なら向こう側に立ち、喉を絞って太い声で叫べばよい。「三爷、西頭の五姑が逝ってしまった~」だの「、三爺、栓子が感電して往生しちまった~」だの「三爷、江大年家の若い嫁が農薬を飲んで事切れた~」といった具合に。

 それが何どきであろうが彼はすぐに喪の服を着て出て行った。小さな木の橋は揺れて、下に流れる川の面はただ彼の影だけを映した。人々は彼が橋を渡るのを見れば行きあった人に話す。今日、三爷が橋を渡った・・・これで話は伝わり、話し手も聞き手も理解している。東堰で、また誰かが旅立ったのだ・・・
 
駆けつければ、往々にしてその家の大人も子供も茫然としている---たとえ、普段から何度も近所の葬式を出すのを見、それに参列していたとしても、自分の家の事となれば狼狽してしまう。人々は言うのである、「いつもその場になると、三爷は根性を据えるね。」--------彼は顔を手で拭って殆ど無表情になる。
 
  头一件事,是替新亡人收拾身子,趁还温软着,给他穿衣戴帽收拾整齐,完了头外脚里,让他躺得端端正正;接着悬挂门幡,设堂供奉,焚香化纸;再坐下开出一条货单,着人上街采买:白布、红布、黑布,各若干;别针;笔墨;黄纸红纸;白烛;大香;纸钱若干;草绳数丈等等。
  再在亲友中物色一个识文断字的,让其主管出入:吊唁的这时陆续赶到,进门便要奉上礼金与纸钱,需由他一一录下。有些远亲,多年不通来往,但只要得了信儿,也必定赶来,叩个头、化个纸。这里头,大有讲究,其严谨程度,远胜婚典。
  接着是找人搭席棚、找念经和尚、找做酒席的、找石匠刻碑、找风水先生、找吹打班子……

  先ず新仏を清めて、まだ温もりのあるうちに服を着せ帽子を被せ、頭から足まで整え終わると仏をきちんと横たえる。続いて入口に幟を掛け祭壇を設え、香を焚き紙銭を燃やす。それから腰を下ろして必要な物をメモし、街に買いに行かせる。買ってくる物は、白布・赤布・黒布に、止め針、筆と墨、黄紙赤紙、白蝋燭、長線香、紙銭、わら縄数尺等々。
 
次に親戚のなかで読み書きの出来る者を探し、金銭の管理を任せる。弔問客がその頃には続々と駆け付け入口で香典や紙銭を納めるので書き留めなければならない。遠い親戚の中には、長いこと行き来のない者もいるが、知らせを受ければ、必ず駆けつけて、叩頭し紙を燃やす。この土地ではその式次第はたいそう重んじられ、厳粛さにおいて婚礼をはるかに勝っていた。 
 
また、アンペラ小屋を組む者、経を読む和尚、清めの席を設える者、墓石を彫る者、風水を観る者、楽器の奏者をと、其々手配する・・・
  
  这样吩咐了一大圈,家里人慢慢镇定下来,前来帮忙的邻居们也各自得了事情,场面有些像个样子了。妇女们分成几堆,或围在厨房择菜洗涮,或在院中撕剪孝布,或在堂屋里叠做纸元宝,她们这时总会热烈地怀念新死者,于此种谈论中,后者皆可获得新的生命与新的品性:性情温和、节俭克己、心灵手巧……
  而这时,三爷也才终于得了空,问过主家的意愿,他便要过河回家扎纸人纸马了——三爷打小就是靠扎纸活儿谋生的,只因见的丧葬多了,又无家室,慢慢儿的,顺带着张罗起东坝人家丧葬的大小仪式。

 これらの指図がひと通り済むと、家族は次第に落ち着き、先から手伝いに来ていた隣人たちも各自の分担を心得て、場はそれなりの様子になっていった。女たちは幾つかに分かれて台所で菜の下ごしらえ、庭で孝布の準備、室内では紙金の整えと働き、作業をしながら彼女たちは死者を心から悼む、ここでの語らいのなか、逝った者は新しい生命と新しい人格を得る。穏やかで、つましく我慢強く、頭がよくて手先が器用だったね・・・

 これで三爷はやっと手が空く。喪主に断わって、河を渡り家に戻り紙銭紙馬を束ねる---- 三爷は子供の時から紙銭作りで生計を立ててきた。係わった葬儀は多かったし、家族がいないこともあり、徐々に東堰の人々の葬式の大なり小なりを取り仕切るようになっていった。
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# by dangao41 | 2011-08-15 14:58 | 魯敏・離歌  | Comments(0)

離歌2

  三爷在门前收拾小黑船时——多日不用,里头满是树叶与蛛网,甚至还长出几簇野菇——彭老人出现在河对岸,带了个小木凳,坐下来,掏出水烟壶,像是要跟三爷长谈。
 
三爺が戸口前で黒い小船の手入れをしていると-----長いこと使っていなかったので中は木の葉やクモの巣で一杯であったし、茸すら幾つか生えていた-----彭老人が向こう岸に姿を見せ、持ってきた小さな腰かけに座り、水煙管を取りだした。三爺とゆっくり話をするつもりのようであった。

  彭老人七十有三,比三爷整大上十岁,可身体真是好,他在河对面说话,那样响亮亮的:“这两天没事儿?”
  “也说不好。所以我得把船侍弄好,往后要靠它了。”
  “怎么的,这桥不修了?”
  “就我一人在河西……噢,还有那半片山。”三爷回头努努嘴。
  “不管河东河西,那也是咱东坝呀。”
  “要能修那是敢情好。不过划船也成。”
  “我替你找人去。这桥怎能不修呢……”彭老人凹着腮咕噜噜抽烟。
 
 彭老人は七十三歳で三爷より十歳上だが、体はいたって丈夫であった。向こう岸から大きな声で話し掛けた。「ここのところ何もないか?」
 「まぁ何とも言えないな。それで船の準備をしている。これからは必要だから。」
 「なんでだ、橋を直さないのか?」
 「俺ひとりしか河の西側にいないし・・・ああ、あの山の半分もあるけどな。」三爷は顔を山の方に向けて答えた。
 「河の東だろうが西だろうが、俺たちの東堰じゃないか。」
 「修理できればそれに越した事はないが,船を漕げばそれでも済む。」
 「俺が誰か探してきてやる。この橋を直さないで済むものか・・・」彭老人は頬を窪ませてくうくうと煙草を吸った。

  这个彭老人,三爷知道的,并不能算是个热心人物。他发妻早故,两子一女都在不得了的大城市里发达,要接他同去享福,可他脾气固执,偏要独自留在东坝因子女出息,他颇受尊重,不过,这桥,就是他去找人恐怕也是没用的。

 彭老人は親切とは言えない人だと三爷は思っていた。早くに妻を亡くし、一男一女は大都会で功を成していた。子供たちは一緒に楽な生活をと誘ったが老人は頑なに東堰で一人で暮らしていた……子供たちの出世で人々は老人に一目置くようにはなっていた。しかしこの橋は、老人が人探しをしたとて無理であったろう。

   ——其实,桥塌的第二天,整个东坝就都知道了,大人小孩没事时,就在河对面站一站望一望……哎呀,连个桥桩都没得了!冲得干干净净的……可不是吗!冲得干干净净的,连个桥桩都没得了!大家就这样热闹地说说,有的还跟三爷打个招呼,问他半夜里有没有听到动静,然后平常地就走了。
  没人提修桥的事,就跟棵大树给雷劈倒了似的,难道还要去扶起来不成。

 ——実際、橋が壊れた翌日、東堰の人々は皆それを知って、大人も子供も暇があれば河の向こうに立ち、眺めていたのである……あれま、橋げたまで無くなった!きれいさっぱり流されたもんだ……全くな!きれいさっぱり橋桁までだよ!人々はこの様に賑やかに喋くり、三爷に挨拶して夜中に物音を聞いたかと問う者すらいたが、その後は何事もなかったように立ち去るのであった。
 誰も橋の修理の事など持ち出さなかった。大木が雷に打たれて倒れるように、どうしようもないだろう、というわけだ。

  “算了,你不是不知道,他们管这桥叫奈何桥。就算修了,也没人走……”三爷可不愿让老人费神。
  彭老人摇摇头,不肯接话。他扯起别的。
  六月的阳光有些烫地照下来,河对面的青草绿得发黑,难得有人陪三爷聊天——人们日常见了他,看看他的手,总觉得凉丝丝的,有些惊惶,不知说什么才对——他便进屋里拿了家伙们出来扎。蓝的屋、黄的轿、红的人、白的马……五颜六色的扎纸排在地上,煞是好看。

 「いいんだ、あんたも分かっているだろう、みながこの橋を“しょうもない橋”と呼んでいるのを。だからもういい、直したところで誰も渡らないのだから……」三爷は老人を煩わせたくなかった。 
 彭老人は頭を振ったが、返事はせず話題を変えた。
 六月の太陽は火傷しそうなくらいに照りつけ、河の向こうの草の色を深くした。三爷に話し相手がいる事はめったにない——人々は常日頃、三爷に行きあって彼の手を見ると、どうしたものか薄ら寒さを覚え、些かうろたえるのだった——三爷は家から紙細工の道具類を持ち出し作り始めた。藍色の家、黄色い輿、赤い服の人、白い馬……色とりどりの紙類は地面に並べられて、とても美しかった。

  彭老人看了也欢喜,好奇地问这问那,好啊,三爷顶喜欢人跟他谈扎纸……金山银山、高头骏马、八抬大轿、宽宅院子、箱柜床铺、红漆马桶、绿衣丫头,好比另一个物事齐全的花花世界,热闹极了……送到主家那里,排在院子里,大人孩子先就围上来,指指点点,莫不赞叹,那才是三爷最得意的时分。

 彭老人もそれを目にすれば面白く、興味深げにあれこれと問いかけた。よし、いいぞ、三爷は紙の副葬品を話題に人と話すのが好きだった……金の山銀の山、堂々とした駿馬、立派な輿、広い邸宅、箱に箪笥に寝台、赤漆のおまる、緑の服の娘さん、あたかも一切合財揃った楽園のようで、賑やかな事この上ない……喪主の家に届けて庭に広げれば、大人も子供も我先にと取り囲み、指さして感心しない者はいない。これこそが三爷の最も満足の時であった。
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# by dangao41 | 2011-08-15 13:18 | 魯敏・離歌  | Comments(2)