心の中の風景

          心の中の風景            在我心中的风景                     毛丹青

外へ出てスケッチをするのは、趣味に過ぎないのだが、幼いころを思い出す。ときにはひとりで遠いところまで行った。

去外边写生,对我来说只是一种爱好,让我想起小的时候。那是我常常一个人去很远的地方。

油絵の道具箱を抱えて、いい場所が見つからないときには座ってまず空を見る。空を見ていた時間はとても長かった。当時、北京の豫王墳に住んでいて、家は二閘河沿い(現在は通慧河というはずだが)にあった。近くには大きな製粉工場があって、夏になるといつも変な匂いがした。臭いというわけでもいい香りというわけでもなく、とにかく変だった。

我抱着油画用具箱,找不到适合的地方时,先坐下抬头看天空。仰视天空的时间很长。当时,我住在北京的豫王坟,房子就在二閘河旁边(应该现在的通慧河)。附近有一座很大的面粉厂,夏天到来总是散发出奇怪的气味儿。那不是臭味也不是芳香,反正是一种奇怪的气味儿。

それから数10年の時が流れた。今日の午後もおなじように近所にスケッチするポイントを選んだ。油絵の道具は持たず、少年時代のように大げさなものではない。じつは絵を描くとき使っていた小さな木箱は中学生まで使っていたが、その後触っていない。小学校の美術の先生は薜先生といって、スマートな身体に黒縁の眼鏡をかけていた。私と話をしているときに笑うととてもやさしい顔になって、幼稚園で世話をしてくれるお姉さんみたいだった。先生はいまも元気にしておられるだろうか?

如今已经过去几十年了。今天下午我像往常一样在近处挑选画素描的地点。没带油画用具,不是少年时代那么郑重其事。说实话画画儿使用的小木盒子我一直使用到上初中,那以后再也没有碰过。小学美术老师姓薜,修长的身材,戴着黑框的眼镜。跟我说话时笑起来的表情很温柔,好像在幼儿园关照孩子们的姐姐一样。老师现在还好吗?

中学の美術の先生はあまり印象に残っていない。たぶん運動場でサッカーばかりしていたからだと思うが、かなり長い期間、一人で静かに地面に座って絵を描くということが好きではなかった。きっと少年時代の反抗期だったのだろう。しかし、最近中学時代の先生に会ったときに聞くと、当時の私はちょっといたずらっ気があったものの、やはり内向的なこどもだったそうだ。

初中的美术老师却没有那么深的印象。大概因为我总是在运动场踢足球,相当长期,我不喜欢一个人在外边儿安静地坐在地上画画儿。一定少年时代逆反心理吧。不过最近见到初中时代老师,听他说,虽然那时我有点儿淘气,不过还算个是性格内向的孩子。

雨があがった。夕陽が海面を紅く染めている。空を仰げば、ちょうど雁の群れが飛んでいくところだった。なぜか一瞬、目の前にあるのが日本の神戸の海岸であることを忘れそうだった。自分が長年渡り鳥のように旅を続けているのも忘れて、着地点を探し当てたかのような気持ちになった。しかしまた、それほど帰る場所を渇望しているようでもないのだ。

雨停了。夕阳染红了海面。仰望天空,恰好雁群正在飞过去。不知为什么,一瞬间我仿佛忘掉眼前的大海是日本神户。忘掉多年候鸟那样旅居他乡,感觉就像找到了着陆点似的。然而并没那么渴望落户的地方。

風景は毎日輝くときがある。私がこういうのは、人が風景のなかに入り込んだときにはじめて輝きを感じ取ることができるからだ。

有时风景每天辉煌。我之所以这样讲,因为人们只有融合在风景里时,才能感觉到光芒。
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by dangao41 | 2011-10-30 14:17 | その他 | Comments(6)

言語の直観力 

言語の直観力              2010-04-07

言語に対する人間の直感力は、そのほとんどが少年時代に培われたかもしれない。私の場合、子供のときからとりわけ言葉に敏感だったということではなく、音声や画像を受け止める特殊な能力があったということでもない。世の中には、生まれつき絶対音感を持つ人というのがあり、彼または彼女は、聴覚でとらえたすべての音声を一つひとつの音符にすることができる。夏に飛びまわる蚊の羽音でさえもきわめて正確に半音まで聞き分けるだろう。これは間違いなくひとつの技能であるが、しかし同時に一種の苦痛でもある。こういう人にあっては、時と場所を選ばず襲ってくる音符は、ときにはするどい針となって自分の聴覚に突き刺さるものとなるからだ。 

人们 对于语言的直觉,多半是会在少年期培养的。对我来说,我并不是那种从小就对语言特别敏感的,或者是对音乐美术有特殊能力的人。人世间有些人天性具有绝对乐感,他或者她能把听觉捕捉到的声音都变换成一个一个的音符。甚至连夏天飞来飞去的蚊子的嗡嗡声都能听得出半个音节的区别。这肯定一种本领,同时也是一种痛苦。因为对这样的人来说,不分时间和地点袭击而来的音符,有时就像针尖一样刺激你的听觉。
 
子供の頃、北京に住んでいた私は、ほとんど毎朝のように祖母と一緒に近くの公園へ通った。祖母には、子供は早起きをして外の新鮮な空気を吸うべし、太陽の温かさを感じることは朝から晩まで教室にいるより意味がある、という昔ながらの考えがあった。越劇の好きな祖母は、冬になるといつも早朝の公園で喉を鍛えるのだった。私は不思議に思って尋ねた。

小时候我住在北京,差不多每天早上都跟祖母一起去附近的公园。她有一些旧的老观念,孩子们应该早起去外边呼吸新鲜空气,感受太阳的温暖比整天在教室里更有意义。她非常喜欢越剧,每到冬天总是在早晨的公园里吊嗓子。我奇怪地问她。  

「おばあちゃんはどうして、わざわざ冬に喉を鍛えるの?」
祖母はゆったりと、バケツを下げながら答えた。
「公園に行ってみれば分かるよ」

“奶奶,为什么要在冬天吊嗓子?”
她慢悠悠地提起水桶回答。
“等到公园就知道了。”

北京の冬は冷たく、道には氷が張り、そのうえたいへん乾燥しているので、公園に来る老人の持ち寄る綿入れの座布団さえ、うっかりすると静電気がおこるほどだ。祖母は公園の朽ちかけた壁の前までくると、通路脇の蛇口からバケツ一杯の水を汲み、壁に撒いた。水はすぐに凍りついた。

北京的冬天非常冷,道路上结冰,加上空气非常干燥,不小心的话,连老人们带的棉座垫也会产生静电。祖母到了公园半壁断墙边,从路旁边的水龙头用水桶打了一桶水,把水泼到了墙上。水马上就结冰了。

祖母は足に力を入れてしっかりと立ち、壁に広がる氷に向かって突然大きな声で歌い始めた。一つひとつの音声が、白い息の熱気のなかから発せられ、ひとつ、またひとつと波が広がり、優雅な声の波状が形作られた。祖母は発声に没頭していった。やがて壁面の氷が祖母の吐く熱気に震え、とうとう水に変っていった。私は傍らに立ち、祖母の起伏に富む発声を聞きながら、融けた水の滴り落ちる波紋を凝視していた。

她脚上用力站稳,突然朝着结了冰的墙大声地唱起来了。一字一句声音带着白色的哈气,展开了一道又一道的波浪,形成了优雅的声波。她渐渐全神贯注地练习发声。不久呼出的气就把墙上的冰变成了水。我站在她旁边,一边听她婉转的发声,一边注视墙上水滴落下来的样子。

祖母は江蘇省武進県(現在の常州市)の生まれだったが、彼女の発音、とくに越劇を歌うときの高音部は日本語の発音にとても近かった。学者の説では、日本語のなかの呉音は、実際に中国の江南から伝わったという。

祖母祖母是江苏省武进人,她的发音,特别是唱越剧时的高音部和日语的发音非常相似。据学者见解,日语里的吴音确实是从江南传来的。
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by dangao41 | 2011-10-09 11:17 | その他 | Comments(25)

匆匆

                               匆匆               朱自清

燕子去了,有再来的时候;杨柳枯了,有再青的时候;桃花谢了,有再开的时候。但是,聪明的,你告诉我,我们的日子为什么一去不复返呢?——是有人偷了他们罢:那是谁?又藏在何处呢?是他们自己逃走了罢:现在又到了哪里呢?

 飛び去ったツバメは再び渡来します。葉を落とした柳は再び芽吹きます。散った桃の花は再び咲きます。しかし、聡明である、あなたは私に教えてください、私たちの日々は過ぎ去ったらなぜ戻ってこないのでしょうか?-----盗んだ人がいるのなら、それは誰でしょうか?そしてどこかに隠しているのでしょうか?彼らが自分で逃げて行ったのでしょうか?今はどこ迄行ってしまったのでしょうか?
    
  我不知道他们给了我多少日子;但我的手确乎是渐渐空虚了。在默默里算着,八千多日子已经从我手中溜去;像针尖上一滴水滴在大海里,我的日子滴在时间的流里,没有声音,也没有影子。我不禁头涔涔而泪潸潸了。

 どれほどの日々を私が与えられているのかは知らないが、私の手元が次第にからっぽになっているのは確かだ。心の中で数えてみれば、すでに8千余りの日々が私の手からこぼれ落ちている。針先ほどの一滴の水が大海に滴るように、私の日々は時間の流れの中に滴り落ちる。音もなく、影すら見せずに。堪えきれず私は項垂れてはらはらと涙を流す。
  
  去的尽管去了,来的尽管来着;去来的中间,又怎样地匆匆呢?早上我起来的时候,小屋里射进两三方斜斜的太阳。太阳他有脚啊,轻轻悄悄地挪移了;我也茫茫然跟着旋转。于是——洗手的时候,日子从水盆里过去;吃饭的时候,日子从饭碗里过去;默默时,便从凝然的双眼前过去。我觉察他去的匆匆了,伸出手遮挽时,他又从遮挽着的手边过去,天黑时,我躺在床上,他便伶伶俐俐地从我身上跨过,从我脚边飞去了。等我睁开眼和太阳再见,这算又溜走了一日。我掩着面叹息。但是新来的日子的影儿又开始在叹息里闪过了。

 去るものは去り、来るものは来る、しかし過去と未来の間は何故に又このように慌ただしいのか?朝に目覚める頃、部屋に低く射し込んでくる陽の光。太陽には足があって、静かにこっそりとその足を動かす。私はぼうっとその動きを追う。そして----顔を洗う時に、時間は水桶の中から去る。食事の時に、時間は茶碗の中から去る。ただ黙っている時、見詰めている目の前から去っていく。彼がそそくさと去ってしまうのを察知して、手を伸ばし引きとめようとした時には、その引きとめる手からも去ってしまう。夜がきて床に横になれば、素早く私の体を跨いで、足のあたりから飛び去っていく。私が目を覚まして再び太陽を見たときは、また一日がこっそりと逃げ去ったわけである。私は顔を覆ってため息をつく。しかし新しくやってきた日々の影もすぐにため息の中からさっと逃げていく。
  
  在逃去如飞的日子里,在千门万户的世界里的我能做些什么呢?只有徘徊罢了,只有匆匆罢了;在八千多日的匆匆里,除徘徊外,又剩些什么呢?过去的日子如轻烟,被微风吹散了,如薄雾,被初阳蒸融了;我留着些什么痕迹呢?我何曾留着像游丝样的痕迹呢?我赤裸裸来到这世界,转眼间也将赤裸裸的回去罢?但不能平的,为什么偏要白白走这一遭啊?

 飛ぶように逃げ去っていく日々、この広い広い世の中で私は何か成せるのであろうか?ただ当てもなく徘徊するのみ、ただ忙しなくするのみだ。慌ただしい八千余りの日々を、うろうろする以外に、まだ何かする余地があるだろうか?過ぎ去った日々は煙のように軽く、そよ風に吹かれて散っていく。薄い霧のように、明け方の太陽に照らされて蒸発する。私はどんな痕跡を残してきたのであろうか?くもの糸ほどの痕跡であれ残せるものなのだろうか?私は丸裸でこの世界にやってきて、またたく間に裸のまま去っていくのか?けれど、そんなことはできない、むざむざと無為な日々をどうして送れるものか?
  
  你聪明的,告诉我,我们的日子为什么一去不复返呢?

 聡明なあなた、教えてください、私たちの日々は一旦過ぎてしまったら何故に帰ってこないのですか?
  

  1922年3月28日
  (原载1922年4月11日《时事新报·文学旬刊》第34期)

whyさんの朗読  http://www.youtube.com/watch?v=axnY0DFpFWM&feature=share
  
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by dangao41 | 2011-10-06 17:06 | 朱自清 | Comments(32)

荷塘月色

 
                              荷塘月色             朱自清
 
  这几天心里颇不宁静。今晚在院子里坐着乘凉,忽然想起日日走过的荷塘,在这满月的光里,总该另有一番样子吧。月亮渐渐地升高了,墙外马路上孩子们的欢笑,已经听不见了;妻在屋里拍着闰儿,迷迷糊糊地哼着眠歌。我悄悄地披了大衫,带上门出去。

このところ気持ちが頗る落ち着かない。晩がた庭で涼んでいると、ふいに日々歩いている蓮池が心に浮かんだ。この満月に照らされて別の趣であるに違いない。月は次第に高く昇り、外の道で遊ぶ子供らの明るい笑い声はもう聞こえてこない。妻は部屋で闰儿を寝かしつけており、うとうとと子守唄を歌っている。私はそっと上着を羽おり、戸を閉めて外に出た。
  
  沿着荷塘,是一条曲折的小煤屑路。这是一条幽僻的路;白天也少人走,夜晚更加寂寞。荷塘四面,长着许多树,蓊蓊郁郁的。路的一旁,是些杨柳,和一些不知道名字的树。没有月光的晚上,这路上阴森森的,有些怕人。今晚却很好,虽然月光也还是淡淡的。

 蓮池に沿うのは曲がりくねった石炭屑の小道。ひっそりしたひと筋の道。昼間でも通る人は少ない、夜は更に物寂しい。蓮池の周囲にはたくさんの木が高く育ち生い茂っている。道の傍らにあるのは柳と、あとは名前を知らない木々だ。月のない夜は陰鬱で些か気味が悪い。ところが今夜は大そうよろしい、月の光は淡いのではあるが。

  路上只我一个人,背着手踱着。这一片天地好像是我的;我也像超出了平常的自己,到了另一世界里。我爱热闹,也爱冷静;爱群居,也爱独处。像今晚上,一个人在这苍茫的月下,什么都可以想,什么都可以不想,便觉是个自由的人。白天里一定要做的事,一定要说的话,现在都可不理。这是独处的妙处,我且受用这无边的荷香月色好了。

 道にはただ私一人、後ろ手を組んでそぞろ歩く。此処は私のもののよう、日常を超えて別の世界に入り込んだようだ。賑やかさも好きだが、静けさも好きだ。集うのも好きだが、一人でいるのも好きだ。今宵は独り、蒼々と広がる月光のもと、何を想ってもいい、何を想わなくてもいい、自由な人間なのだと感じていた。昼間はしなければならない事があり、話もしなければならないが、今は何も気にしなくてよい。これは独りの妙味である、暫しこの尽きせぬ蓮の香りと月を楽しもう。
  
  曲曲折折的荷塘上面,弥望的是田田的叶子。叶子出水很高,像亭亭的舞女的裙。层层的叶子中间,零星地点缀着些白花,有袅娜地开着的,有羞涩地打着朵儿的;正如一粒粒的明珠,又如碧天里的星星,又如刚出浴的美人。微风过处,送来缕缕清香,仿佛远处高楼上渺茫的歌声似的。这时候叶子与花也有一丝的颤动,像闪电般,霎时传过荷塘的那边去了。叶子本是肩并肩密密地挨着,这便宛然有了一道凝碧的波痕。叶子底下是脉脉的流水,遮住了,不能见一些颜色;而叶子却更见风致了。

 湾曲した蓮池は、見渡す限り一面の蓮の葉である。葉は水面から高く伸び、しなやかな舞姫の裳のようだ。重なりあった葉の中、所々に白い花が添えられ、たおやかに、或いは恥ずかしげに咲いている。まさに一粒一粒が輝く珠であり、碧い天の星々でもあり、湯あみを終えたばかりの麗人でもある。微かな風が、絶え間なく清々しい香りを送ってくる、まるで遠い高楼からのかすかな歌のようだ。この時、葉と花は共に小さくざわめいて、まるで稲光のよう、瞬時に揺れ伝わって向こうへ消えた。隙間なく重なり合った葉に、深碧色の波さながらの一筋。根元に脈々と流れる水は葉に遮られて見えない。それが却って趣を醸しだす。
  
  月光如流水一般,静静地泻在这一片叶子和花上。薄薄的青雾浮起在荷塘里。叶子和花仿佛在牛乳中洗过一样;又像笼着轻纱的梦。虽然是满月,天上却有一层淡淡的云,所以不能朗照;但我以为这恰是到了好处——酣眠固不可少,小睡也别有风味的。月光是隔了树照过来的,高处丛生的灌木,落下参差的斑驳的黑影,峭楞楞如鬼一般;弯弯的杨柳的稀疏的倩影,却又像是画在荷叶上。塘中的月色并不均匀;但光与影有着和谐的旋律,如梵婀玲上奏着的名曲。

 月の明かりは流れる水のように、静かにこの蓮の葉と花にそそがれる。青みを帯びた薄い霧が蓮池に漂う。葉と花はあたかも乳で洗われたようであり、薄紗に包まれた夢のようでもある。満月とはいえど、空には淡く雲が浮き、朗々と照りはしない。しかし私にはちょうど良いと思われる―――熟睡も必要だが、短い眠りもまた別の味わいがあるではないか。月の光は木々の間から射し、高く群生する灌木が入り混じりまだらに黒い影を落とす、鋭い輪郭が亡霊のようだ。たおやかな柳の清々しく美しい姿が、蓮の葉の上に描かれる。池を照らす月の光は一律ではない。光と影の調和のとれたメロディは、バイオリンが奏でる名曲の如くである。
  
  荷塘的四面,远远近近,高高低低都是树,而杨柳最多。这些树将一片荷塘重重围住;只在小路一旁,漏着几段空隙,像是特为月光留下的。树色一例是阴阴的,乍看像一团烟雾;但杨柳的丰姿,便在烟雾里也辨得出。树梢上隐隐约约的是一带远山,只有些大意罢了。树缝里也漏着一两点路灯光,没精打采的,是渴睡人的眼。这时候最热闹的,要数树上的蝉声与水里的蛙声;但热闹是它们的,我什么也没有。

 蓮池は遠く近く、高く低く、全てを木に囲まれているが、柳の木が最も多い。柳は蓮池を幾重にも取り囲んでいる。しかし小道の傍らに幾筋かの隙間を残し、まるで月の光のために空けておいたかのようだ。木々の色は一様に暗く、ちょっと見には霞のようだ。けれど柳の姿は、霞のうちにも見分けがつく。梢の上に幽かにあるのは遠くの山々であるが、ぼんやりと見えるだけだ。木々の間から漏れてくる一つ二つの街灯の明かりはは、打ちしおれて元気がなく、眠たげな人の目である。この時最も賑やかなのは木のセミと水の蛙の声である。しかし賑やかなのは彼らであって、私ではない。
  
  忽然想起采莲的事情来了。采莲是江南的旧俗,似乎很早就有,而六朝时为盛;从诗歌里可以约略知道。采莲的是少年的女子,她们是荡着小船,唱着艳歌去的。采莲人不用说很多,还有看采莲的人。那是一个热闹的季节,也是一个风流的季节。梁元帝《采莲赋》里说得好:

  于是妖童媛女,荡舟心许;鷁首徐回,兼传羽杯;欋将移而藻挂,船欲动而萍开。尔其纤腰束素,迁延顾步;夏始春余,叶嫩花初,恐沾裳而浅笑,畏倾船而敛裾

 急に蓮摘みの情景が浮かんできた。蓮摘みは江南の古い風習であり、かなり昔からの物のようで、六朝の時代に盛んであった。詩歌からその概略を知ることができる。蓮を摘むのは少女たちで、小舟を揺らし恋歌を歌いながら行き来した。蓮摘み人が多いのは言うまでもなく、更にそれを見る人々もいたのである。賑やかな季節であり、恋の季節でもあった。梁元帝の《采莲赋》に見事に歌われている。
 
<于是妖童媛女,荡舟心许;鷁首徐回,兼传羽杯;欋将移而藻挂,船欲动而萍开。尔其纤腰束素,迁延顾步;夏始春余,叶嫩花初,恐沾裳而浅笑,畏倾船而敛裾>

可见当时嬉游的光景了。这真是有趣的事,可惜我们现在早已无福消受了。
  于是又记起《西洲曲》里的句子:
 <采莲南塘秋,莲花过人头;低头弄莲子,莲子清如水。>

 当時の楽しく遊ぶ光景を見る事ができる。真に面白かったであったろう、私たちがもはやこの喜びを享受できないのは残念な事である。そして《西洲曲》の中のこの句、 
<采莲南塘秋,莲花过人头;低头弄莲子,莲子清如水>

  今晚若有采莲人,这儿的莲花也算得“过人头”了;只不见一些流水的影子,是不行的。这令我到底惦着江南了。——这样想着,猛一抬头,不觉已是自己的门前;轻轻地推门进去,什么声息也没有,妻已睡熟好久了。

 もし今宵、蓮摘み人がいたとしたら、この池の蓮の花も人の高さを越しているだろう。ただ、流れる水が見えない事だけは、よろしくない。私は江南をたいそう懐かしく想いだしていた。こんな事を考えながら、不意に顔を上げると、思いがけずも既に我が家の門前だった。そっと戸を押して入れば、何の物音もしない。妻はもうぐっすりと眠っていた。
 
  1927年7月,北京清华园


                        ************
 
<于是妖童媛女,荡舟心许;鷁首徐回,兼传羽杯;欋将移而藻挂,船欲动而萍开。尔其纤腰束素,迁延顾步;夏始春余,叶嫩花初,恐沾裳而浅笑,畏倾船而敛裾>

目がさめるばかりに美しい少年と少女が小舟を揺らしつつ思いを交わす、舟はゆっくりと向きを変え、杯を重ねて愛を伝えあう。櫂を動かすと藻が掛り、舟を進めれば浮草が散る。その細い腰に白の帯を締めた少女は別れの時を引き延ばす;夏は始まったが春の気配も残っている、葉は柔らかく花は開いたばかり、裳裾を濡らすのを気にして小さく微笑み、舟が傾くのを恐れて裾をおさえる。
 


 <采莲南塘秋,莲花过人头;低头弄莲子,莲子清如水。>

蓮を摘む南塘の秋、蓮の花は人の丈より高い。俯いて蓮の実を手にすれば、蓮の実は清いこと水の如く

《采莲赋》——梁元帝
荡舟心许,鹢首徐回,兼传羽杯。棹将移而藻挂,船欲动而萍开。

尔其纤腰束素,迁延顾步。夏始春余,叶嫩花初。恐沾裳而浅笑,

畏倾船而敛裾,故以水溅兰桡,芦侵罗缣。菊泽未反,梧台迥见

,荇湿沾衫,菱长绕钏。泛柏舟而容与,歌采莲于江渚。歌曰:

“碧玉小家女,来嫁汝南王。莲花乱脸色,荷叶杂衣香。因持荐

君子,愿袭芙蓉裳。”


翻译版:
漂亮的少年、美貌的少女,心心相印采莲去。首船头来回转,交杯频递笑把爱情传。桨板轻摇水草紧绊,船头微动浮萍才分开。姑娘身材多窈窕,白绸衫儿束细腰。情意绵绵难分割,恋恋不舍把头回。春末夏初好季节啊,叶儿正嫩花儿才开。撩水逗乐笑微微,怕水珠溅身弄湿衣。忽然又觉船儿斜,急忙收起绫罗裙。
紫茎兮文波,红莲兮芰荷。绿房兮翠盖,素实兮黄螺。于时妖童媛女,荡舟心许,(益鸟,音益)首徐回,兼传羽杯。棹将移而藻挂,船欲动而萍开。尔其纤腰束素,迁延顾步。夏始春余,叶嫩花初。恐沾裳而浅笑,畏倾船而敛裾,故以水溅兰桡,芦侵罗(衤荐,音间)。菊泽未反,梧台迥见,荇湿沾衫,菱长绕钏。泛柏舟而容与,歌采莲于江渚。歌曰:“碧玉小家女,来嫁汝南王。莲花乱脸色,荷叶杂衣香。因持荐君子,愿袭芙蓉裳。”
——萧绎(508-554),南兰陵(今江苏常州西北)人,梁武帝第七子,后于江陵称帝,是为梁元帝,在位三年,为西魏军所杀。生平著作甚多,今存《金楼子》辑本。
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by dangao41 | 2011-10-01 14:04 | 朱自清 | Comments(37)

                  叔母さん              家有三姨                     why

   三姨是个马大哈。小时候,三姨给我们烧菜,不小心菜刀割破了手指头,出血的本来是中指,结果她找来两片创可贴,把无名指包了个严严实实。

 三叔母はそそっかしい。私たちが子供のころ、三叔母は食事を作ってくれた時、うっかりして包丁で指を切ってしまった。血が出たのは中指なのだが叔母はバンドエイド二枚を薬指にしっかりと貼った。

   三姨12岁那年,正赶上文化大革命如火如荼。我父亲因为加入某地下党派的莫须有罪名,身陷囹圄。那些日子,据说姥姥负责照顾母亲,三姨小小年纪,担负起了给父亲送饭的重任,每天长途跋涉,往返20里地。那时还没有我呢,后来,三姨常常跟我提起,这辈子见过的最可怕的一张脸就是你爸。你爸爸放出来那天,回家来我们都不认识了,头肿得足有常人的两个那么大,把我吓哭了。

 三叔母が12歳の年は文化大革命が真っ最中の時期であった。私の父は地下活動に係わったという、でっちあげの罪状で投獄された。当時、祖母は私の母の面倒を見なければならず、まだ小さかった三叔母が父に食事を届けるという役目を負って、毎日往復10キロもの道のりを歩いて通った。私はまだ生まれていなかった。後に三叔母はよく言っていた。今までに見てきたなかで一番恐ろしかった顔は、あなたのお父さんの顔よ。あの日お父さんが釈放されて帰宅した時、家族は誰も見分けがつかなかった、頭は普通の倍にも腫れあがってね、私は脅えて泣いてしまったの、と。

  三姨谈恋爱时,我刚上小学。未来的三姨父分配工作到水利局不长时间。三姨领着我去男朋友的宿舍玩儿。我少不经事,不懂大人是怎么回事,只是看墙上贴了很多文字材料,那个时代的人们喜欢写钢笔字,我看了一会儿,有点烦,就不看了。三姨问写得怎么样?我心不在焉地回答说:内容还凑合,就是字写得不太好看。未来的三姨父哈哈大笑,然后就出门砍劈柴去了。三姨红着脸批评我,你真不会说话,那是"他"写的材料啊。
 
 私がちょうど小学校に上がった頃、三叔母は恋愛していた。未来の三叔父は水道局に配置されて間がなかった。叔母は私を連れてボーイフレンドの寮に遊びに行った。壁には字を書いた紙がたくさん貼ってあった。当時の人たちは万年筆で書くのを好んでいた。まだ幼かった私は、大人たちの事情が良く分からないまま、ちょっと眺めていたが見飽きて止めた。叔母は感想は?と聞いた。私は上の空で、書いてある文章は良いけれども字が良くないと答えた。叔父となる人は大笑いして、薪を割りに出て行った。叔母は真っ赤になって私を叱った。「あなたは本当に口下手ね、あれは“彼”が書いたのよ。」

  后来三姨结婚,准三姨父转正变成了三姨父,再后来表妹出生,表弟出生。三姨一家过来玩儿,我每次都发现一件怪事,姨父抱着孩子时,手指就不停地在孩子身上比比划划,吃饭时,就在桌上比比划划。后来我恍然大悟,原来姨父是在练字。三姨和姨父两人的字漂亮得都可以当字帖,不过我至今相信姨父的一手好字和我有直接关系。
 
 後に叔母は結婚して 準三叔父は正式に三叔父となり、従妹弟たちが生まれた。叔母一家が家に遊びに来るたび、私は不思議な光景を見た。叔父は子供を抱きながら指を子供の体に這わせ動かしている、食事をしながら指はテーブルをなぞる。後に私はハッと気が付いた、叔父は漢字の練習をしていたのだ。叔母も叔父もお手本帖になるくらいの上手な字だが、叔父の達筆には私も直接に関わっていたのだと今に至るまで信じている。

  高一那年暑假,我一个人坐长途汽车去三姨家玩儿。三姨高兴地每天领着我和表弟表妹们去逛街,到了晚上,三姨父就买回很多好吃的东西摆上满满一桌,不停地催着我多吃点,多吃点。三姨说我们去照相馆拍张纪念照吧。照相馆离三姨家很近,照相师傅是熟人,照好了,说什么也不肯收钱,三姨执意要给,两个人拉拉扯扯争了半天,三姨说如果你是自家买卖,不给也就算了,国家单位,怎么能不给钱呢?其实我知道,如果真的是自家买卖,三姨一定又会说:如果是国家单位,不交钱也就算了,怎么能让你个人吃亏呢?三姨就是这样的性格,从来不肯占别人一分钱的便宜。

 高一の夏休み、長距離バスに乗り一人で叔母の家に遊びに行った。三叔母は大喜びで毎日私と従妹弟を連れて街に出かけ、夜には叔父が美味しい物を買ってきてテーブル一杯に並べ、ひっきりなしにもっと食べなさいと促した。叔母は皆で写真館へ行き記念写真を撮りましょうと言った。写真館は家から近くて、顔なじみのカメラマンは撮り終ると、どうしても代金を受け取ろうとしなかった。三叔母も頑として払うと言い、二人はお互いに譲らず長いことやりあったすえ、叔母はこう言った。もしお宅が自営業ならば甘えられるけれど、国営ですもの、お支払しない訳にはいきませんでしょう、と。けれど私には分かっていた、もし店が個人営業であったら叔母はこう言ったに違いない。国営店なら払わなくても済むけれど、あなたにご損はさせられない、と。叔母はこのような性格で、ちょっとでもうまい汁を吸うような事を決してしなかった。

  姨有句话很经典:男人都是恶狼。多年以后我来到日本,发现居然有这样的歌词,可谓英雄所见略同。
 
 男はみなオオカミよ、叔母のこの言葉は名言である。ずっと後に私は日本に来て、思いがけなくも同じ歌詞に出会った。すぐれた見解は何処も同じと云うべきか。 

  三姨当了大半辈子教员,姨父是小小地方政府的第N把手(虽说是个七品芝麻官,可是看三姨一家的生活水平,就知道在中国给执政党当官实在是个美差)。有一次,三姨出去旅游,姨父同事来送行,随手递过来一个纸包说,拿去用吧。三姨不知是什么东西,后来打开一看,是满满一包人民币,不由得倒吸一口冷气。

  三叔母はずっと教職にあり、叔父は小さな地方都市の役付き公務員であった。(トップ・クラスではないとはいえ叔母一家の生活水準をみれば、中国の役人は実際に実入りの良い職業である) ある時、叔母は旅行に出かけた。見送りにきた叔父の職場の人が、これをお使いくださいと言って紙包みを手渡した。中身は知らずに後で開けてみるとどっさりの人民紙幣で、叔母はびっくりして言葉もなかったという。

 三姨古道热肠,助人为乐,慷慨大方,三姨父更是有过之而无不及。这种性格,当然受益最多的就是她的兄弟姐妹们了。三姨跟我说,我这都是跟你妈学来的,我小时候,家里穷,你妈在城里上班,就是这样帮助我们的。

 叔母は律義で人情に厚く、人を助けることを楽しみとして気前がよかったし、叔父も勝るとも劣らずであった。このような性格で最もお陰を被ったのは当然に兄弟姉妹である。叔母は私に言った、「あなたのお母さんから学んだ事よ、私が小さい時、家は裕福じゃなかった。お姉さんはずっと町で働いて、ちょうどこんな風に私たちを援助してくれたの。」

 表弟结婚,搬出去时,自己用的旧电脑没带走。三姨过意不去,给了他一笔钱。表弟拿着钱高高兴兴买了一台新电脑,用上了。过了几天,表弟回来,
说:“妈,这旧电脑我还是带走吧。”嫁出去的表妹听说了,也回来了:“妈,要不然我也买台新电脑算了”。三姨苦笑着,对母亲说:现在的年轻人,精明着呢。

 従弟が結婚して家を出た時、自分の古いパソコンを置いていった。三叔母は済まないと思って彼にお金をあげた。従弟は受け取って大喜びで新しいパソコンを買い、使い始めた。暫くして従弟はやって来て言った。「お母さん、あの古いパソコン、やっぱり持っていくよ。」 お嫁に行っていた従妹もその話を聞いてやって来た。「お母さん、なんだったら私も新しいパソコンを買っちゃおうかな。」 叔母は苦笑して私の母に言った。「今の若い人はちゃっかりしている事。」

  三姨喜欢旅游,跟着三姨父走遍了大江南北,又开始出境旅游。去年本来准备好随团去台湾,结果一场台风和泥石流,计划泡汤了。大伙商量那就叫他们来日本玩儿吧,于是今年2月份就开始申请访日签证,我还兴致勃勃地准备彻底庸俗一把,领着他们走遍秋叶原、银座、箱根和北海道呢。没想到签证刚批下来,就赶上这千年不遇的地震。三姨十分沮丧,在家里叹气说:唉,我咋这么不走运啊,自然灾害都叫我赶上了。日本去不成了,那咱们就去美国!
我说拜托了三姨!您老人家快闭嘴吧。美国人民已经饱经蹂躏,发生了恐怖事件、金融危机,您还要・・・・・・

 叔母は旅行が好きで叔父と共に国内の津々浦々をまわり、海外にも出掛けるようになった。昨年は台湾ツアーに参加の予定であったが、台風と土砂崩れで流れてしまった。皆で相談し日本へ来れば、となって今年の2月に訪日ピザの申請を出した。私はワクワクとB級に徹したプランを立てた。秋葉原に銀座に箱根に、そして北海道に連れていこう。ビザが下りた途端に千年に一度の地震が起こるなど思いもしなかった。叔母はたいそうがっかりし電話口で溜め息をついて言った。「あ~、どうしてこんない運が悪いのかしら、今度も災害に出くわすなんて。日本には行かれないから、アメリカに行くわ!」
 私は叔母にお願いしましたよ!叔母さん、言っちゃだめ。アメリカはもう充分な目に遭ってるわ。テロがあったし金融危機もあるし、叔母さんこれ以上・・・・
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by dangao41 | 2011-10-01 09:42 | why | Comments(6)

大舅

                     叔父さん         大舅               why 

  北方人喜欢吃发面馒头,小时候,我尤其爱吃馒头皮。乳白色的蒸汽里,新出屉的馒头光滑柔软,薄薄的馒头皮晶莹剔透,又筋道又香甜。后来有个小朋友不知听谁说的,神情紧张地告诉我,“剥馒头皮穷大舅”,再这么吃下去,你大舅要揭不开锅了。从此以后,吃馒头皮时,像基督徒用餐前祷告一样,我总是会感到一点不安,却依然无法抵御那一层薄薄的馒头皮的诱惑。

 北方では発酵種のマントウが好まれる。子供のころ私はマントウの皮が特に好きだった。白い湯気のなかで蒸し上がったマントウはなめらかで柔らかく、薄い表皮はつやつやと透きとおり、むっちりと甘く美味しい。或る時、誰から聞いたものか友達が表情も硬くこう言った。「“マントウの皮を剥がすと叔父さんが貧乏になる“って、そんな食べ方をしていたらあなたの叔父さんは毎日のご飯も食べられなくなるわよ。」その後、マントウの皮を食べる時はキリスト教徒の食前の祈りのようにお祈りしたが、いつも落ち着かなかった。そのくせ相も変わらずマントウの薄皮の誘惑には抵抗するすべがなかった。

  虽然不至于揭不开锅,多年以来,大舅一家的生活的确十分艰难。有时我甚至自责或许大舅的贫穷真的是因为我馒头皮吃多了。

日々の食事に事欠くとまではならなかったとは云え、長いこと叔父一家の生活は確かに苦しかった。叔父の困窮の真の原因は、私がマントウの皮をたくさん食べたせいではないかと自分を責めたこともあった。

  大舅从小过继给他的大伯,没有感受过太多的父爱母爱的温暖,继父据说是一个极其严厉苛刻的人,在大舅十几岁,刚刚可以自立时,就把他赶出家门,独立生活。加之“家庭成分”不好,大舅在村里备受歧视,饱尝人情冷暖,世态炎凉。大舅是庄稼人,过了一辈子面朝黄土背朝天的生活,一直渴望有一天能翻身过上好日子,可是从来没有过大的起色。

 叔父は小さい頃に大伯父に引き取られ、温かい父母の愛を充分に受けることがなかった。継父は大そう厳しい人だったという。叔父が十幾つかでやっと自立できるようになると、家から追い出して一人で生活させた。その上“家庭区分”が悪かった叔父は村の中で差別を受けて、人の心の変わりやすさ、世間の薄情さを嫌というほど味わった。叔父は農夫であり、面を地に背を天に向けて過ごし、いつか打って変わった良い日がやってくるようひたすら願ったが、今までたいして良くなりもしなかった。

  大舅后来娶了舅母,生了两个表弟,两个表妹。舅母温柔善良,贤惠能干,跟着大舅吃了一辈子苦,但是我没听舅母有过一句怨言。在我的印象里,清瘦的舅母总是笑眯眯的,忙着给孩子们做棉衣,纳鞋底儿,喂猪喂鸡,没日没夜地操劳。

 叔父は結婚し、男女二人ずつのいとこ達も生まれた。叔母となった人は気立てが優しく働き者であった。叔父との生活は苦しかったであろう、だが彼女が愚痴を言うのを聞いたことがない。ほっそりした姿に笑みを絶やさず、子供たちの服を作り、布靴底を刺子に縫い、家畜へ餌を与え一日中働いていた、という印象を私は叔母に持っている。

  在上个世纪的一段漫长的历史过程中,中国生活物资匮乏,国家曾经实行供给制,日用消费品凭票供应。母亲经常省下粮票布票之类,攒一些米面和便宜的棉布找机会给乡下的大舅捎过去,给孩子们改善伙食,做新衣服。那时候,大米白面叫细粮,限量供应;小米玉米面高粱米等等是粗粮,价格便宜,供应量相对充足。有几年的时间,家里只有节假日和乡下来客人时才能吃得上白米饭,所以对我来说,姨和舅舅们来我家意味着要吃好东西了,要过节了。多年以后,读到王小波随笔里的一段记述,有一天少年小波的饭碗里居然放着一块肉,他按捺不住激动的心情,打开窗户对着外面一声大吼:“我家吃肉啦!”

 前世紀の歴史の長い一過程で、中国では生活物資が欠乏していた。政府は配給制を実施し、日常品に切符が必要だった。母は節約して穀物や布類の券を節約し、米や小麦粉、安価な木綿を貯めておいて、何かの折を見つけては郷里の叔父に送った。子供たちによりましな食事を、新しい服も作れるように、と。当時、米や小麦粉は「细粮」といって供給量には限りがあった。粟やトウモロコシ粉や高粱の実などは「粗粮」といって値段が安く供給も充分であった。その頃、家では祝祭日やお客さんが来た時だけ白米を食べた。だから私にとって、叔母や叔父が家に来る事は美味しい食べ物を意味し、ハレの日であった。ずっと後に王小波のエッセイを読んだのだが、子供の時のある日、お茶碗に思いがけなくも肉を見つけると、嬉しさを抑えきれず窓を開け外に向かって大声でどなったという。「家じゃ肉を食べるんだよ!」

  虽然这样的日子我没有经历过,不过我知道在王小波为一块红烧肉而激动不已的二十年之后,大米和猪肉在中国的大部分地区仍然是供百姓打牙祭的上等货。

 私はこの様な経験をしなかったとはいえ、王小波が肉の醤油煮込みに興奮を押さえられなかったその20年後でさえ、白米や豚肉が中国のかなりの地域で、庶民にはたまのご馳走だったことは知っている。

  每当要过大年的时候,大舅就会带着大包的年货过来看望母亲。有舅母蒸的黄米面豆包,家养的新鲜猪肉,大舅会挑最瘦的精肉送过来,自家舍不得吃,留下肥肉榨油,还有大舅和舅母亲手灌的香肠。这是大舅一年当中唯一可以表达心意的一次机会,所以总是显得很高兴。

 毎年の大晦日、叔父はたくさんの年越しのお土産を持って母に会いに来た。中身は叔母の蒸したキビの餡饅頭に屠ったばかりの豚肉。肉は赤味を選って持って来てくれた。叔父は自家用には赤味肉は勿体なくて食べられず、ラードを作る脂身だけを自分たちに残した。他に叔父と叔母手作りの腸詰めもあった。これは叔父が気持ちを表せる年に一度だけの機会であったから、いつもとても嬉しそうにしていた。
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by dangao41 | 2011-10-01 08:43 | why | Comments(2)

大舅(2)

                 叔父さん 2                             why

大舅经常过来,而我们却很少有机会去大舅家。在我的记忆里,有一年小学放暑假,母亲领着我和妹妹去大舅家,走進舅舅家院子,远远地看见舅母从里面跑着迎了出来,一边小声叫着“姐姐来了姐姐来了”,一边紧紧抱住母亲,泪流满面。

叔父はよく家に来たが私たちが叔父の所に行くことはあまりなかった。思いだすのは小学生の時の或る夏休みのこと、母は私と妹たちを連れて叔父の家に行った。叔父さんの家の庭入ると、遠くから叔父と叔母は小走りで出迎えに来て、小さな声で姉さんが来てくれた、と言いながら母をしっかり抱きしめた。顔は涙でくしゃくしゃであった。

那天晚上,我和表弟表妹们在院子里铺了几张席子,躺在上面一起看星星。夜色如水,月光如霜,夜晚的天空是深不可测的藏蓝色,拳头大的星星仿佛伸手可及,空气里弥漫着蒿草和夜露清凉的气息。

その晩、私はいとこ達と庭に広げた茣蓙に寝転がって星を眺めた。夜の色は水のようで、月の光は霜のようで、夜の空は果てしないほどに深い藍色で、大きな星々は手を伸ばせば届きそうであった。大気は 蒿草と夜露の爽やかな香りに満ちていた。

第二天,舅母早早起床挤一桶牛奶倒在大锅里用慢火熬,水分蒸发掉了,就是鲜奶酪,我们叫奶豆腐,刚出锅的新鲜东西城里是吃不到的。如今舅母早已离开人世了,每当想起舅母,我总是会想起她守着大锅,手把手教我们熬牛奶,做奶豆腐。

翌日、叔母は早朝に起きて桶一杯の牛乳を搾り、大鍋に移しとろ火にかけた。水分が蒸発すれば柔らかなミルクのチーズになるのだ。私たちは牛乳豆腐と呼んでいた。出来たてのそれは都市では絶対に味わえないものであった。叔母はもう他界したが思い出す度にいつでも、大鍋の様子をみつつ、手を取って私たちに加減を教えながら牛乳豆腐を作ってくれた叔母の様子が目に浮ぶ。

有一年冬天,庄稼收成好,大舅家有了一笔令人喜出望外的收入,舅母领着表弟表妹们进城采购年货,给每个孩子都买了几件新衣服,欢天喜地地回家过年。这是我见过的舅舅舅母花钱最大方的一次,在舅母有生之年里,他们再也没有过这样的好日子。

ある年の冬、作物の出来が良くて叔父一家は思いがけない収入を得た。叔母はいとこたちを連れて町へ年末の買い物に出かけた。子供たちはみな新しい服を数着買ってもらい、大喜びで家へ帰りお正月を迎えた。叔父と叔母が気前よく散財したのを私が見たのは、この時の一度だけである。その後、叔母の生きている間にこのようなことは二度となかった。

或许是积劳成疾,舅母住进了医院。那时我上高中,有时陪母亲一起去医院看望舅母,每次总是看到舅母和病友们慢声细语地聊家常。母亲去了,舅母很高兴,又很过意不去。一次,母亲用小砂锅炖了一只鸡端到病房给舅母补养身体,母亲走后,舅母打开砂锅才发现粗心大意的母亲炖鸡时忘了剔内脏,舅母怕给病友们看到笑话母亲不懂烹调,一个人偷偷地把鸡一点一点吃掉了。出院后,舅母回家养病,不久就去世了。病床上的舅母成了我对她的点点滴滴记忆中最后一个定格。

苦労を重ねたためか叔母は病に倒れ入院した。その当時、私は高校生で時々母と一緒に見舞いに行った。いつも叔母は同室の人たちとおっとりとお喋りしていた。母が行くと叔母はたいそう喜んだが、とても済まながりもした。一度、栄養をつけるようにと母は土鍋でトロトロ煮込んだ鶏を届けた。母が帰ってから叔母は鍋を開けて、そそっかしい母が内臓を取り忘れていた事に気がついた。母が料理を知らないと同室の病友に笑われるかもと心配した叔母は、一人でその鶏をこっそりと少しづつ全部食べた。退院後、家に帰って養生していたが、程なくして亡くなった。病院のベッドの叔母が、断片的な想い出の中での最後の姿として焼きついている。

母亲觉得大舅不争气,不自强,眼看着舅舅生活艰难,不管,于心不忍;管,又有些恨铁不成钢。大舅的兄弟姐妹们家境殷实,现在都可以帮助舅舅,大舅缺钱了,拎着一只空包去这些亲戚家转一圈,回来时包就满了,大家也不强求他还,母亲说久而久之,大舅产生了依赖心理,越来越不上进了。可是我想,也许家家都会有一个穷亲戚,这个人可能是大舅小叔,也可能是大姨小姑,或许是命中注定我的大舅一个人默默承受了他的兄弟姐妹们所有的艰辛坎坷。

叔父は甲斐性がなくて頑張る事をしないと母は思っていた。叔父の苦しい生活を見れば、知らない振りでは忍びなく、しかし心を砕けばそれだけ歯がゆさも増したのだろう。叔父の兄弟姉妹は暮らしむきが豊かで今は叔父を援助できる。手元不如意の時は空の袋を持って親戚を一回りすれば、帰るときには袋はいっぱいになる。みな返してねとは言わない。だから長い間に叔父には依存心ができて、ますます努力をしなくなってしまったのだと母は言う。けれど私は思うのだ、どの家庭にも生活の苦しい親戚はいるものだろう。その人は他の叔父だったかもしれないし、叔母だったかも知れない。誰でもが成りうるのだけれど、天の定めに命じられて叔父は一人静かに他の兄弟姉妹の艱難辛苦を引き受けてくれているのではなかろうか。
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by dangao41 | 2011-10-01 07:17 | why | Comments(4)