孔慶東 2008
  
  韩国人是奴性心态的两面,一方面极度仇视日本,另一方面又极度巴结日本。我在韩国两年,参加汉学学术会议时,韩国主办者都是先请日本学者上车,鞠躬90度,然后请台湾学者上车,不鞠躬。最后轮到大陆学者,车就不够了,长者还可以挤一辆,年轻的就自己打车走了。而私下,他们又大骂日本,一副不共戴天的样子,说得日本一无是处。这都是殖民地心态的表现,也许过二三十年才能缓过来。不要怪韩国,生气也没用,中国自己搞好了,韩国这种趋炎附势的国家自然会浪子回头的。

 韓国人の奴隷根性には二つの面がある。一方では日本を極度に敵視し、その一方では極度にへつらう。二年間の韓国滞在中、漢学学術会議に出席した事がある。韓国側主催者は何れも先ず日本人学者を車に乗せ90度のお辞儀をし、次に台湾人学者をお辞儀無しで乗せた。最後が大陸中国人の番で、車が十分になければ年輩の人でさえ一台に詰め込まれ、若い人は自分でタクシーを拾った。そのくせ蔭では悪口で、日本は何もかも間違っていると、共存できないかの様である。これは全て植民地意識の表れで二、三十年もしたら緩和するかもしれない。韓国をおかしいと思うことはないし腹を立てる事もない。中国はきちんとやればいいのだ。韓国のようなおべっか使いは自然と変わっていくものだ。
  
  电视剧是一个国家的隐私。换句话说,要想了解一个民族就要先从它的电视剧看起。印像中,日剧非常平素,里面的人都是平民,生活不怎么讲究,吃饭时也不会像韩剧里的人一样把苹果削成N块,或者是摆一满桌的菜,他们吃就吃,一个苹果拿到手里一口咬到底。看日剧你绝不会感到一种对富贵的炫耀,一种对精美的刻意修饰,因为它的镜头多数是和你我一样的普通人。房子也许很大,但却不夸大,有时房子很小但却相当的素实。

 テレビドラマはその国の私生活を映す。言い変えると、その国民を理解したければ、先ずその国のテレビドラマを見ると云う事だ。日本のドラマは日常的な映像である。登場人物はみな普通の人々であり、暮らし振りもさほど凝っていない。食事シーンも韓国ドラマのようにリンゴを飾り切りしてNにしたりはしないし、テーブル一杯に料理を並べることもなく、食べるは食べる事であって、リンゴは手に持ち一口ずつ齧っていく。日本のドラマから金満のひけらかしや、精美な意匠を凝らした装飾は全く感じられない。なぜなら場面の人々はあなたや私のような普通の人々だからである。部屋は広かったとしても広すぎることはないし、時には部屋はかなり狭く、それがまたリアリティを出している。

  这是我小时对日本的最初的印像,那时正是日剧流行的时候,由于年龄尚小,至今只留下模糊的影子。不知道为什么,成为发达国家的日本人喜欢把镜头对准那些与自己身份无法匹配的平民,一如中国总会把镜头对准贫穷的西部,落后的农村,对准荒芜的生命。今天的中国,都市青年在崛起,电影中,.国现代化进程的少之又少,好像中国人无法把握这种进程!日剧里似乎很少有奢华的场面、故作声势的浩大、故作高雅的男人和女人,一切都是真实的。日剧中的女人为男人端水,直接端过去;日剧中的女人为男人做饭,不需要说今天是生鱼片还是中国菜或者意大利面。这一点与韩剧正好相反,韩剧充满了无时无刻的炫耀。日剧中的女人去开门,不需要装腔作势地看着显示频问,“是妈妈吗?”日剧里平民们没有按在门上的显示频,他们是随和的,无法理解日剧里那些小得不能再小的屋子,那些单调得不能再单调的风景,那些贫穷得不能再贫穷的人们,难道还有更高的隐寓?就像不能理解中国影视中的干枯的身躯,饥渴的眼睛,寸草不生的大地。前几年,中央电视台似乎放了一个日剧,当时我没看,因为想着没有什么改变也就罢了。也许是因为习惯了韩剧梦幻般的煽情。

 これが私が小さい時の日本の第一印象だ。その頃日本のドラマがちょうど流行っていて、まだ子供だったから今ではその印象もおぼろげに残っているだけだ。なぜか分からないが、発達した国の日本人が好んでレンズを貧しく苦労している人々に合わせる。同様に中国もいつでもレンズを貧しい西部、遅れている農村、荒れ果てた生命に向ける。今日の中国には、都会青年も出現しているのに、映画の中には現代的な映像は極めて少なく、まるで中国人はこのような現代を把握できないかのようである。日本のドラマには贅沢な場面や、わざとらしい強い台詞の調子や、不自然に優雅すぎる人物などはとても少ないようであって、リアリティがある。女性は男性にお茶を運んであげる。女性は男性のために食事の支度をするが、今どきの事、刺身から中華料理からスパゲッティまで料理するのは言うまでもない。この点に於いていつ何時も眩い韓国ドラマとまさに正反対である。日本ドラマの女性はドアを開けに行って、もったいぶったポーズでインターホンに向けて「お母さんなの?」などと聞いたりしない。劇中の庶民はドアのインターホンを押したりしない。彼らは人付き合いがよく、これ以上小さくしようのない部屋で、これまた単調しごくな情景と、貧しいことこの上ない人々、何か深い意味でもあるのだろうか?があるとでもいうのか?これは中国映画のやせ細った体、飢えた眼差し、草も生えない大地が理解できないのと同じようなものだ。数年前、中央テレビが日本のドラマを放映したようだが、当時の私はたいして変わりがないと思っていたので見なかった。多分、韓国の非現実的な情緒ドラマに慣れ切っていたからかもしれない。
 
  再说韩剧,太多了,然而一个模式,一个样子,所有的演员大大的眼睛,性感的双唇,考究的打扮。一百个韩剧,就有一百个住在别墅一样屋子里的男女主人,其实真实的韩国并非如此,真实的韩国就像日剧中的普通的男女。有趣的是,现实里的日本却像韩剧中的男女,考究的饮食,讲究的服饰和美丽的住宅。 关于韩剧我不想多说,大家心理难道想的不多吗?网上关于韩剧与韩国的讨论难道还少吗?看的韩剧越多的人越是对真实的韩国失望,对真实的韩国失望就会丧失对这个国家和这个民族最初的美好感情。一个国家的美,不是靠电视,不是靠包装,而是靠那些远到而来的客人。到过韩国的人都说韩国没有韩剧中的美,到过日本的人惊叹日本的富有和人民的素养,而这似乎很少在日剧中表达。这是何等的反差,越是将自己摆得高高在上,越是让人无法忍受。韩剧中经常会流露出韩国作为富有国度的自负和对他国的无知,比如《人鱼小姐》中,女主角说:“中国菜有什么好吃的,换来换去就是那几样。”而日剧似乎从未有过,至少在我看过的所有日剧中,它从未流露过对他国文化的贬损和自以为是的无知。

 韓国ドラマに話を戻せば、数は多くても画一的であり、俳優はみな大きな瞳にセクシーな唇で、装いは凝っている。百の韓国ドラマがあれば、別荘のような家に住む男女が主人公のドラマが百である。しかし実際の韓国は全くそのような事はなく、日本のドラマと同様な普通の人々なのである。興味深いことに、実際の日本は却って韓国ドラマのようなのである。手の込んだ食事にお洒落な服と小ぎれいな家。韓国のドラマに関して多くは語りたくないが、みなさんも疑問は沢山あるでしょう?ネット上で韓国ドラマと韓国に関しての討論が少ないとでも思いますか?韓国ドラマを見る人は増せば増すほど本当の韓国に失望する人も増えている。真実の韓国に対する失望とは、彼らが初めに抱いていた韓国と韓国人への好感情の喪失につながるかもしれない。一国家の美点はテレビに依るものでも、イメージに依るものでもなく、遠くから訪れてくれる客人に依るのである。韓国を訪問した人々は皆、ドラマほど美しがないという。日本への訪問者は日本の豊かさと人々の教養に感嘆するが、これとて日本のドラマに表れる事は少ないのだ。自分を高く高くと置けば置くほど、他人は耐えがたくなると云うこのギャップは何なのであろう。韓国ドラマから常に醸し出される、自国を富んでいると見なす自負と、他国に対する無知は《人鱼小姐》のヒロインの台詞:「中国料理のどこが美味しいの、とっかえひっかえ同じような物じゃないの。」日本のドラマでは見たことがない、少なくとも私が見た物の中には、他国の文化を貶めて自国の無知をさらけ出すようなものはなかった。
 
  说了日剧,说了韩剧,再说说我们中国人自己的影视。很奇妙的组合,有时朴实无华,房子小小的,人物小小的。有时又气势恢宏,浩大的房子,奢侈的打扮。有时炫耀,有时不想炫耀,有时神秘,有时又不想神秘。但是都不会去伪装,直接告诉世界,“我就是这个样子!” 日本人也许不善于用电视的形式炫耀,他永远就像一条溪流,爱不爱他都要流过。 韩国人骨子里的自卑却是一个时时想着炫耀的民族,韩剧里的韩国人永远比日本人富有。 至于中国人,溪流也有,大海也有。不遮掩自己的贫穷,也绝不掩饰自己的富有。面对今天中国经济的高速发展,中国导演仍然时常将镜头对准中国的另一面,直面我们国家的现实。坦率地说,中国的电视剧比韩剧深刻得多。面对历史和过去,中国导演也常常将镜头对准我们国家的另一面,一个极端到另一个极端,是贫脊与辉煌。去韩国之前,我是从韩国的电视剧中了解韩国的。刚开始新鲜,想知道韩国是什么样子,可是现在,我绝对不会花一点时间在韩剧上,简直是浪费时间,觉得跟中国的电视剧简直没得比,无论是场景还是演员的表演都没有比可性,他们永远也拍不出像《大宅门》、《红楼梦》这样经典的电视连续剧。不过韩剧的编剧真的很强,有事没事都能给你拍出80集,我看韩剧总结出的经验是,如果是80集的韩剧,你只须看第1集,第10集,第25集,第50集和第80集即可。

 日本と韓国のドラマの話をしたから、我が中国の映画の話をしよう。とても興味深い組み合わせなのだが、時には質朴で地味で、家はとても小さく、人物は庶民出ある。時には意気盛んで堂々とし、大きな家と贅沢な装い。ある時は誇示し、ある時は控えめ、そして神秘的であったり、そうでなかったり。しかし、これらの全ては偽りではない。世界に向かって「これが私だ!」と有りのままを告げているのである。日本人はテレビ形式の自慢が不得意なのかもしれない。永遠にひと筋の渓流のようであり、好む好まざるに係わらず流れて行く。韓国人は骨子にある卑屈さは却って、常に彼らをして誇示させる事になる。韓国ドラマの韓国人はいつまでも日本人より裕福なのだ。中国人についていえば、渓流もあれば大海もある。貧困を隠すことなく、また決して豊かさも隠しはしない。今日の中国経済の発展スピードに向かい合っても、監督はやはり度々そのレンズを別の一面に合わせる、我が国の現実を直視するのである。率直に言って、中国のドラマは韓国と比べるとずっとシリアスである。歴史と過去に向き合い、監督は常にレンズを国の別な面にフォーカスする、極端から極端へ、みすぼらしさから輝かしさへと。 韓国を訪れるまでは、私はテレビドラマで韓国を理解していた。初めは目新しくて、韓国がどんな国かを知りたかったが、今では少しの時間たりとも韓国ドラマに使いたくない、まったくの時間の無駄である。中国のテレビドラマとは比べ物にもならない、場面といい俳優の表情といい質の良さはその比ではない。彼らは永久に《大宅门》や《红楼梦》のような素晴らしい連続ドラマを撮る事はできない。しかし韓国の脚本家は実にたくましい、内容があろうがなかろうがシリーズで80回分も作りだせるのである。韓国ドラマを見た私の経験から総括すると、80回物なら第一回、第10回、第25回、第50回、第80回を見ればそれでよろしい。

 韩国的美容、服饰和电器真的那么时尚和精致吗?我愿意在这里和各位热爱时尚的GGMM们谈谈韩国。我曾经在韩国工作了一年,回国后才发现韩流滚滚,哈韩已经哈到失去理性的程度。美容、服饰要和韩国沾边才有卖点,淘宝网上的商品也要和韩国沾边,整容要标榜韩式整容,甚至有报纸广告荒唐到标注所谓的“韩式割*”,割*也要韩式的?简直荒唐到不知廉耻! 各大电视台纷纷播出韩国电视剧,挤占中国的优秀电视剧。去韩国以前,我所看到的韩剧,是美丽的风景,俊男美女。自从去了韩国,了解韩国以后,我发现自己与这个国家越来越疏远,甚至不喜欢了,尽管韩国比较整洁,环境保护比较好。

 韓国のエステやファッション、家電などそれほど最新で精緻なのであろうか?私は現地で、流行のGGMMのファンの人たちと韓国について話し合いたいと思う。私は以前、韓国で一年間仕事をしたが、帰国して初めて韓流の過剰に気が付いた。韓流ファンはすでに理性を失くしている。美容・服飾においては韓国独自のテイストがセールス・ポイントになっているし、インターネットの淘宝の商品も韓国色を出している。美容整形は韓式を標榜し、新聞広告の中にはでたらめにいわゆる「韓式二重まぶた」をうたっているところもある。「二重」も韓式と言う必要があるのか?全く恥を知らない!大手の各テレビ局は韓国ドラマを次々と放映し、中国の優良ドラマを押しやっている。韓国に行く前に私が見た韓国ドラマは美しい場面と美男美女のものであった。韓国へ行き、韓国を理解してから、私と韓国との距離はますます遠くばかりか、嫌いになってしまった。韓国は割合にきちんとした国で、環境も保たれているにもかかわらず。

  韩国人在这个世界上最怕谁呢?是他们的另一半——北朝鲜!北朝鲜在韩国人的眼中是一条无法控制的疯狗,北朝鲜有核武器,北朝鲜正在挨饿,如果那边的人们饿疯了,也许他们会发动战争,这就是韩国人的思想和他们最担心害怕的事情。所以尽管心中讨厌美军,尽管美军在他们的国土上干了那么多不好的事,但在自己的军备能力不强的情况下,还是愿意美军留下来。自己打不过北朝鲜,唯一的办法就是留住美军,用美国来牵制对方。所以有了韩国人痛哭流涕地挽留美军的场面,如丧考妣的悲痛之下是对战争的恐惧和对自己生活的担忧,他们才不考虑什么国家脸面呢!

 韓国人が世界で最も恐れているのは誰か?それは彼らの半身----北朝鮮である!北朝鮮は韓国人の目から見れば抑えられない狂犬だ。核兵器を保持し、飢えている。もしも向こうの人々が飢えのため錯乱したら、戦争を始めるかもしれない。これが韓国人の心にあって最も心配し恐れている事なのだ。だからいくら本心ではアメリカ軍を嫌っていても、米軍が彼らの国土でどんなに多くの好ましくない事をしでかしても、自国の軍備が十分ではない状況下では、米軍の駐留を願うのだ。自身で北朝鮮を討てないから、唯一の方法は米軍の引き留めである。アメリカを相手との牽制に用いる。だから激しく泣きじゃって米軍を引きとめる韓国人もいるのだが、この親を亡くしたかのような悲嘆のもとにあるのは戦争への恐れと自分たちの生活への憂慮である。彼らは自国の面子など考慮すらしないのである! 

  韩国人不买外国产的汽车是么?韩国人70%买国产车,那余下的30%买外国车的都是些什么人呢?恰恰都是这个社会的有钱人。之所以不买外国车不是因为爱国,而是因为还没有这个经济能力。 韩国人不买日本货是么? 那么每年韩国对日本的巨额贸易逆差是怎么产生的呢? 2005年韩国对日本的贸易逆差是200多亿美元! 日本的服装,化妆品,电器可都是韩国人的最爱。韩国人特别爱国,人人愿意为国家服务是么?可有很多人为了逃避服兵役要抛弃国籍,不做韩国人了。而这些又都是些什么人呢?他们正是官员,律师,教授等上层社会家庭的子女。人们谴责他们也不是因为爱国,而是人们感到了不平等。说韩国人爱国,不如说韩国人更爱自己,就算他们爱国,也并不比我们中国人更爱国。

 韓国人は外国産の自動車を買わないかって?韓国人の70%は国産車を購入する、ではあとの30%の外国産の車を買うのは誰なのだ?もちろん韓国社会で金を持っている人間だ。であるから外国産の車を買わないのは愛国心ではなく、まだその経済力がないからだ。韓国人は日本製品を買わない?それなら、毎年の対日本の巨額な貿易赤字はどうして生まれるのだ?2005年の韓国の日本との貿易逆差は200億ドルを超えた!日本のファッション、コスメ、家電製品などはみな韓国人のお気に入りだ。韓国人の愛国心は際立っていて、人々は国のために尽くす?多くの人間が兵役を回避するためなら国籍を捨て他国人になるだろう。そんなことをするのはどんな人たちか?役人、弁護士、大学教授など上層社会の家庭の子供たちだ。他の人々が彼らを厳しく非難するのは愛国心からではなく、不公平だと思うからだ。韓国人の愛国心を言えば、彼らが自分自身をより愛しているのは言うまでもないが、仮に彼らに愛国心があるとしても、私たち中国人の愛国心とは比べることもできない。

  不要高看了韩国,中国人的豁达,智能,品位,博大韩国人永远也学不到。所以无论是历史还是将来,韩国永远只配跟在中国的后面做小学生。以韩国人的狭隘特性,韩国人永远只能是三流的小国寡民。韩国人喜欢夸耀他们比中国早20年举办奥运会,但是,事实不是这样简单,韩国是1982年获得1988年的汉城奥运会主办权,当时因为举办奥运会是一个亏本买卖,只有日本的名古屋和汉城参与申办,因为日本国民反对,名古屋后来也退出了,汉城也就轻而易举地获得了主办权。因为1984年洛山矶奥运会一举赚钱,主办奥运会又变得炙手可热了。1993年因为悉尼贿赂和不正当竞争,中国仅仅以2票告负。2001年,中国击败强大的巴黎、多伦多,大阪,以绝对优势胜出,与当年汉城的轻而易举不可同日而语。我们要看到自己国家的进步,不要总是抱怨自己的国家。回首看看20多年前的中国是什么样子,因为.错误,国民经济几乎到了崩溃的边缘,落后愚昧。短短20多年,今天的中国发生了翻天覆地的变化,国家在积极进步,一个13亿人口的大国,取得今天的成就是非常不容易的。 国家的发展需要时间,中国现在正处于经济起飞的阶段,再有20年的和平建设,中国将成为一个繁荣富强的伟大国家。
 
 韓国を買い被ってはいけない。中国人の闊達、知能、品位、博識さに、韓国人は永遠に到達できない。であるから、これまでも、これからも韓国は永遠に中国の後塵を拝する小学生なのだ。韓国人はその偏狭性の為、永遠に三流である小国のつまらない民となる。韓国人は中国より20年早くオリンピックを主催したことを自慢するが、事実はそのように単純ではない。韓国が1982年に1988年のソウルオリンピック開催国に選ばれた当時は、オリンピックの主催は収支が赤字であったのだ。日本の名古屋とソウルが立候補し、日本は国民の反対があって退いた。そこでソウルは造作もなく開催の権利を獲得したのだ。しかし1984年のオリンピックでロサンゼルスは一挙に利潤をあげ、オリンピック開催権の獲得が白熱した争いとなっていった。1993年にシドニーの賄賂と不公正な競争のため中国は2票の僅差で負けた。2001年、中国は強力なライバルのパリ・トロント・大阪を圧倒的優勢で打ち破った。ソウルが易々と手に入れた時とは全く比べ物にならないのだ。いつも政府に不満を持ってばかりいないで、私たちは自分の国の発展も認めなければならない。20年前の中国がどんな様子だったか振り返ってみよう。誤った策のために国民の経済は崩壊すれすれであったし、取り残されて愚昧であった。僅か20年余り、今日の中国には非常に大きな変化が起こっている。国家は急速な発展の中にある。人口13億の大きな国が今日の成功を得るのは並大抵のことではない。国家の発展には時間が必要であるが、いま中国は正に経済が大きく飛躍する段階にある。更に20年かけて平和を築きあげれば、中国は富み栄える偉大な国家になるであろう。
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by dangao41 | 2011-09-29 22:09 | その他 | Comments(1)

門前空地

                           門前空地                  王小波

  十年前我在美国,每天早上都要起来跑步,跑过我住的那条街。这条街上满是旧房子,住户一半是学生,另一半是老年人。它的房基高于街道,这就是说,要走上高台阶才到房门口。从房子到人行道,有短短的一道漫坡。这地方只能弄个花坛,不能派别的用场——这就是这条街的有趣之处。这条街上有各民族的住户,比方说,街口住的似是英裔美国人,花坛弄得就很像样子。因为这片空地是漫坡,所以要有护墙,他的护墙是涂了焦油的木材筑成,垒得颇有乡村气氛。花坛里铺了一层木屑,假装是林间空地。中央种了两棵很高的水杉,但也可能是罗汉松——那树的模样介于这两种树之间,我对树木甚是外行,弄不清是什么树。一般来说,美国人喜欢在门前弄片草坪,但是草坪要剪要浇,还挺费事的;种树省心,半年不浇也不会死。
 
 10年前アメリカで暮らしていた時、毎朝近所を散歩したものだった。町の道筋は古い家々で占められ、学生とお年寄りが半々くらいに住んでいた。家は道より高く建てられていて、階段を上って玄関に行くようになっていた。建物からは短い緩い勾配で道路へとつながる。そのスペースは花を植えるためであって他の用途には使わないのである。このため通りには趣が添えられる。道沿いには様々な国からの人々が住んでいて、たとえば角の家はイギリス系アメリカ人らしく花壇の様子もそれらしかった。なだらかな傾斜があるため柵が必要だが、この家のものはコールタールを塗った木材で作られていて、田園の雰囲気が強められていた。花壇はチップで覆い林の中のようにして、中央に背の高い二本のメタセコイアを植えていた。或いはマキかもしれない。この二種の中間のような木だったが、木に関して私は素人ではっきりとは分からない。一般的にアメリカ人は前庭に芝を好むという。しかし芝は剪定と水やりが必要でかなりの費用もかかる。木は手入れが楽で半年も水を遣らなかったところで枯れはしない。

  我们门前也是草坪,但里面寄宿的学生,谁也不去理它,结果长出耐旱的篙子和茅草来,时常长到一人多高。再高时,邻居就打电话来抱怨说这些乱草招蚊子,我们则打电话叫来房东,他用广东话嘟嚷着,骂老美多事,把那些杂草砍倒。久而久之,我们门前又出现了个干草垛。然后邻居要抱怨说会失火,然后房东只好来把这些干草运走。上述两栋房子里的人都不想伺候花草,却有这样不同的处理方法。但我们门前比较难看,这是不言而喻的。

 私の住んでいる所は芝生になっているが、下宿している学生は誰も手入れなどしないので、その結果日照りに強いガオズやカヤなどが生え伸びて、時には人の高さほどにもなった。もっと伸びると近所の人が電話を掛けてきて草ボウボウだと蚊が出ると文句を言ってきた。私たちは決まって大家に来てくれるよう電話し、大家は広東語でぶつぶつとアメリカ人は面倒だと罵って雑草を刈り取る。暫くすると今度は前庭に干し草の山が現れる。近所の人は火事になるかもと文句を言ってきたので、大家は仕方なしにやって来て干し草を運ぶしかなかった。この両隣の人たちは花がどうこうではなく、庭の手入れについて其々に言いたかったのである。しかし私たちの前庭の見栄えがさほど良くなかったのは言うまでなかった。 
  
  我们左面住了一家意大利人。男主人黝黑黝黑,长了一头银发,遇上我跑步回来,总要拉着我嘀咕一阵,说他要把花坛好好弄弄。照我看,这花坛还不坏,只是砖护墙有些裂缝,里面的土质也不够好,花草都半死不活。这位老先生画了图给我看,那张图画得太过规范,叫我怀疑他是土木工程师出身。其实他不是,他原来是卖比萨饼的。这件事他筹划来筹划去,迟迟不能开工。

 左側の住人はイタリア人一家であった。ご主人は浅黒く銀髪で、散歩から帰る私に出くわすと、いつも私をちょっと引き止め、花壇を素敵に作り変えたいのだと言った。私の見たところ花壇はまあまあであったが囲いの煉瓦が割れていたし土質も良くなく花は元気がなかった。この老紳士は描いた図を見せてくれたが、図はとても良くできていたので、彼はエンジニアだったのではないかと思った程であったが、実はピザ屋さんだった。花壇の件は、ああでもないこうでもないと遅々として始まらなかった。

  在街尾处,住了一对中国来的老夫妇,每次我路过,都看到他们在修理花园,有时在砌墙,有时在掘土,使用的工具包括了儿童掘土的玩具铲以及各种报废的厨具。有一回我看到老太太在给老头砌的砖墙勾缝,所用的家什是根筷子。总而言之,他们一直在于活,从来就没停过手。门前的护墙就这么砌了出来,像个弥陀佛,鼓着大肚子。来往行人都躲着走,怕那墙会倒下来,把自己压在下面。他们在花园里摆了几块歪歪扭扭的石头,假装是太湖石。但我很怕这些石头会把老两口绊倒,把他们的门牙磕掉……后来,他们把门廊油得红红绿绿,十分恶俗,还挂上了一块破木板钉成的匾,上面写了三个歪歪倒倒的字“蓬莱阁”。我不知蓬莱仙阁是什么样子,所以没有意见。但海上的八仙可能会有不同意见……
 
 通りの奥に住んでいた中国からの老夫婦は、私が通る時はいつも庭の手入れをしていた。壁を積んだり土を返したりしていたが、使っている道具は全て子供のおもちゃのシャベルや要らなくなった台所用品であった。一度、老夫人が煉瓦を積むご主人を手伝ってセメントを塗っているのを見たが、手にしている道具は箸だった。二人はせっせと働いていて手を休めようともしなかった。前庭の塀はこうやって積み上げられたが、まるで弥勒菩薩が太鼓腹を叩いているようであった。塀が崩れて下敷きになるのを恐れて行きかう人はみな身をよけて通った。老夫婦は庭に歪な形の石をいくつか置き、太湖石を模した。しかし私は老夫婦が石につまずいて倒れはしないか、前歯を欠いてしまわないかと心配した・・・・その後老夫婦はポーチに派手なペンキを塗り、それだけでも十分悪趣味なのに板を釘で打ち付けて扁額とし、のたくった字で「蓬莱閣」と書いた。私は蓬莱仙閣がどのような様子か知らないので何とも言えない。けれど海を渡る八仙人なら異なった意見を持つかもしれない・・・

  关于怎样利用门前空地,中国人有各种各样的想法。其中之一是在角落里拦出个茅坑,攒点粪,种菜园子。小时候我住在机关大院的平房里,邻居一位大师傅就是如此行事。他还用废油毡、废铁板在门前造了一间难以言状的古怪房子,用稻草绳子、朽烂的木片等等给自己拦出片领地来,和不计其数的苍蝇快乐地共同生活。据我所见,招来的几乎全是绿荧荧的苍蝇,黑麻蝇很少来。由此可以推断出,同是苍蝇,黑麻蝇比较爱清洁,层次较高,绿豆蝇比较脏,层次也低些。假如这位师傅在美国这样干,有被拉到街角就地正法的危险。现在我母亲楼下住了另一位师傅,他在门前堆满了拣来的易拉罐和废纸板,准备去卖钱。他还嫌废纸板不压秤,老在上面浇水。然后那些纸板就发出可怕的味道来,和哈喇的臭咸鱼极为相似。这位老大爷在美国会被关进疯人院——因为他一点都不穷,还要攒这些破烂。每天早上,他先去搜索垃圾堆,然后出摊卖早点。我认为,假如你想吃街头的早点,最好先到摊主家里看看……我提起这些事,是想要说明:门前空地虽是你自己的,但在别人的视线之中。你觉得自己是个什么人,就怎么弄好了。
 
 家の前のスペースの利用に関しては中国人なら各人各様の考え方を持つだろう。その一つは隅の一角を囲って厠を作り糞尿を集め堆肥とし野菜を育てる。子供のころ住んでいた公社の平屋では隣家に住む料理人がこれをやっていた。彼は廃物のアスファルトや鉄板で門の前に何とも言いようがない風変わりな小屋を立て、藁の縄や朽ちた木端などでその小さな区画を囲う柵を作り、数えきれない程のハエと楽しく暮らしていた。私の見たところ、呼び寄せたのは青緑ハエばかりのようで黒バエはごく少なかった。これから推してハエと云えども黒バエはレベルが高くきれい好きで、青バエは不潔でレベルが低いと言えるのであろう。もしこの料理人がアメリカで同じことをしたとしたら、通りに引き出されてリンチに会う危険がある。私の母の階下に今住んでいる別のコックは拾って来たカンや段ボール紙を換金するために積み上げている。彼はボール紙の目方を増やすためいつも水を掛けていた。それで段ボールは傷んだ塩魚のような嫌な臭いを発した。この老人はアメリカだったら精神病院に閉じ込められるかも知れない。なぜなら彼は全く生活に窮してはいないのにこのような廃品を蓄えるのだから。毎朝、彼は先ずゴミの山を漁り、その後、屋台で朝食を売る。もしあなたが街で朝食を取りたいと思うなら、先ず屋台の主人の住まいを見てからの方がいい、と私は考える・・・私がなぜこの話をしたのか説明したいと思う。すなわち、門前のスペースがあなたの物であるとは云え、そこは他人の目にもはいる場所である。自分がどんな人間か自覚してから、どのようにでもするがよろしい。

  后来,我的意大利邻居终于规划好了一切,开始造他的花坛。那天早上来了很多黑头发的白种男人,在入行道上大讲意大利语。他们从一辆卡车上卸下一大堆混凝土砌块来,打着嘲嘻对行人说“Sorry”,因为挡了别人走路。说来你也许不信,他们还带来几样测绘仪器,在那里找水平面呢。总共五米见方的地面,还非弄得横平竖直不可。然后,铺上了袋装腐植土,种了一园子玫瑰花,路过的人总禁不住站下来看,但这是以后的事。花坛刚造好时,是座庄严的四方形建筑。是一本正经建造的,不是胡乱堆的。过往的行人看到,就知道屋主人虽然老了,但也不是苟活在世上。

 その後、お隣のイタリア人のプランはやっと決まって花壇作りが始まった。その日の朝、大勢の黒髪の白人の男たちがやって来て、街路にはイタリア語が飛びかった。彼らは車から山ほどのコンクリート・ブロックを下ろし、微笑みながら道行く人に「すみません」と言っていた。通路を塞いでいたからだ。信じ難いかもしれないが、彼らは測量機器も持っていて現場を測っていた。合わせて5メートル平方の土地なのに、縦横真っ直ぐでなければならないのだ。次に袋入りの腐葉土を敷きバラを植えた。通る人はみな思わず立ち止まって眺めてしまうようになるのだが、これは後の話。出来上がった花壇は正四角形。きっちりした造りであって、いい加減に積んだものではなかった。行きかう人々はこれを見てこの家の主人は老いてはいても、いい加減な生き方はしていないと知るのである。  

原载《王小波自选集——我的精神家园》,文化艺术出版社,1997年6月,275-277页。
 
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by dangao41 | 2011-09-21 16:51 | 王小波 | Comments(1)

  在美留学时,我打过各种零工。其中有一回,我和上海来的老曹去给家中国餐馆装修房子。这家餐馆的老板是个上海人,尖嘴猴腮,吝啬得不得了;给人家当了半辈子的大厨,攒了点钱,自己要开店,又有点烧得慌——这副嘴脸实在是难看,用老曹的话来说,是一副赤佬像。上工第一天,他就对我们说:我请你们俩,就是要省钱,否则不如请老美。这工程要按我的意思来干。要用什么工具、材料,向我提出来,我去买。别想揩我的油……

 アメリカにいた時、いろいろなアルバイトをした。その一つに、上海から来た曹さんと一緒やった中華料理店の改修がある。店主は上海人で猿のように頬がこけて醜く、しみったれだった。彼は雇われのコック長として長いこと働いて金を貯め、自分の店を開く段になり些かまごついていた——表情は実に険しく、曹さんに言わせればごろつきの様であった。仕事の第一日目に彼は私たちにこう言い渡した。君たち二人にやらせるのは金を節約するためだ、そうでなければアメリカ人に頼んでいた。仕事は私に聞いてからすること。必要な工具、材料は何でも私に言え。私が買いに行く。ちょろまかそうなどと思ってもだめだ・・・

  以前,我知道美国的科技发达、商业也发达,但我还不知道,美国还是各种手艺人的国家。我们打工的那条街上就有一大窝,什么电工、管子工、木工等等,还有包揽装修工程的小包工头儿;一听见我们开了工,就都跑来看。先看我们抡大锤、打钎子,面露微笑,然后就跑到后面去找老板,说:你请的这两个宝贝要是在本世纪内能把这餐馆装修完,我输你一百块钱。我脸上着实挂不住,真想扔了钎子不干。但老曹从牙缝里啐口吐沫说:不理他!这个世纪干不完,还有下个世纪,反正赤佬要给我们工钱……

 アメリカは科学技術も商業も発達した国だと知ってはいたが、手工業の技術もだったとは知らなかった。私たちが働いた町の通りには、電気工、配管工、大工などうようよ集まっている場所があり、更に改修工事も含めて請け負う親方もいた。職人たちは私たちが仕事を始めたと聞くとすぐに見にやって来た。私たちがハンマーを振いタガネを打つのを見るやニヤニヤし、すぐに裏にいた店主のところに行き、「あんたが頼んだ坊やたちがもし今世紀のうちにこの食堂の工事を終わらせたら、100ドルあげるよ。」と言った。私は恥ずかしくて堪らず、ハンマーを放り出してしまいたかった。けれど曹さんは歯の隙間から唾を飛ばしながら言った。「構うな!この世紀に終わらなくったって次の100年があるさ。どのみち、あの親父は俺たちに金を払うんだ・・・」

  俗话说,没有金刚钻,别揽磁器活。要是不懂怎么装修房子就去揽这个活,那是我们的错。我虽是不懂,但有一把力气,干个小工还是够格的。人家老曹原是沪东船厂的,是从铜作工提拔起来的工程师,专门装修船舱的,装修个餐馆还不知道怎么干吗……他总说,现在的当务之急是买工具、租工具,但那赤佬老板总说,别想揩油。与其被人疑为贪小便宜,还不如闷头干活,赚点工钱算了。

 金剛石無くして陶磁業を請け負うな、と俗に言う。建物の改修をどのようなものか知らずして仕事を請けた、と云う点に於いては私たちの過失だ。とは言え力があれば肉体労働ならできるのではなかろうか。そして曹さんは元々上海東の船工場の銅作工から抜擢されエンジニアになった人で、船の修理が専門であった。食堂の改修をどのように進めるか知らない訳はなかろう・・・差し当たっては早急に工具を買うか借りるかすること、と曹さんはいつも言ったが、店の親父さんもいつも、くすねようなどと思うなよ、と言うのだった。人に疑われるくらいなら少しばかり楽になるより、むしろせっせと働いたほうがよい。工賃を稼げればそれでいい。

  等把地面打掉以后,我们在这条街上赢得了一定程度的尊敬。顺便说一句,打下来的水泥块是我一块块抱出去,扔到垃圾箱里,老板连个手推车都舍不得租。他觉得已经出了人工钱,再租工具就是吃了亏。那些美国的工匠路过时,总来聊聊天,对我们的苦干精神深表钦佩。但是他们说,活可不是你们俩这种干法。说实在的,他们都想揽这个装修工程,只是价钱谈不拢。下一步是把旧有的隔断墙拆了。我觉得这很简单,挥起大锤就砸——才砸了一下,就被老板喝止。他说这会把墙里的木料砸坏。隔断墙里能有什么木料,不过是些零零碎碎的破烂木头。但老板说,要用它来造地板。于是,我们就一根根把这些烂木头上的钉子起出来。美国人见了问我们在干什么,我如实一说,对方捂住肚子往地下一蹲,笑得就地打起滚来。这回连老曹脸上都挂不住了,直怪我太多嘴……

 床を剥がした後、私たちはこの通りの人たちにある程度は認められるようになった。ついでに言うと、掘りだしたセメントを私たちはひと固まりづつ抱えて、ゴミ箱へと運んだのだった。雇い主は手押し車すら借りるのを惜しんだ。すでに工賃を支払った上に、道具を借りるなどなとんでもないと店主は思っていたのだ。アメリカの職人たちは通りかかった時はいつも立ち寄って話しかけ、私たちの辛抱強さに深い敬服の意を表すのであった。しかし彼らは、仕事は私たちのやり方ではダメだと言った。実際のところ、彼らはこの工事の仕事を受けたいのだが、賃金面で折り合わないのだ。仕切り壁を壊すのが次の工程であった。私は簡単だと思いハンマーを振って壊そうとした時、店主が怒鳴って止めた。壁の木材が壊れると言うのである。内部に使える木材がある訳もなく、細々した廃材にすぎない。しかし店主はそれを床板に使えと言う。そこで私たちは廃材の釘を一本一本抜いた。アメリカ人はそれを見て何をしているのかと聞くので、私がありのままを話すと彼らは腹を抱えて笑い転げた。これには曹さんでさえ恥ずかしがり、私のお喋りを咎めた・・・ 

  起完了钉子,又买了几块新木料,老板要试试我们的木匠手艺,让我们先造个门。老曹就用锯子下起料来:我怎么看,怎么觉得这锯子不像那么回事儿,锯起木头来直拐弯儿。它和我以前见过的锯子怎么就那么不一样呢。正在干活,来了一个美国木匠。他笑着问我们原来是干啥的。我出国前是个大学教师,但这不能说,不能丢学校的脸。老曹的来路更不能说,说了是给沪东船厂丢脸。我说:我们是艺术家。这话不全是扯谎。我出国前就发表过小说,至于老曹,颇擅丹青,作品还参加过上海工人画展……那老美说:我早就知道你们是艺术家!我暗自得意:我们身上的艺术气质是如此浓郁,人家一眼就看出来了。谁知他又补充了一句,工人没有像你们这么干活的!等这老美一走,老曹就扔下了锯子,破口大骂起来。原来这锯子的正确用途,是在花园里锯锯树杈……
 
 釘を全て抜き、新材をいくらか買うと、店主は私たちの木工技術を試そうと、先ずドアを作らせた。曹さんは鋸で木を切り始めた。しかしどう見ても、これはまともな鋸ではない、木材に当たると歯が曲がる。私が前に見たことのある鋸と、どうしてそんなにも違っているのか?その最中にアメリカ人の大工が来た。彼は笑いながら、お前たちは元々は何をしていたのだ、と言った。私は国を出る前は大学の教員だったが、それを言うわけにはいかない、学校の面子を潰すことはできない。曹さんのキャリアは更にである、言えば上海の船工場は面目を失う。私たちは芸術家だと言った。これは全くの出鱈目ではない。私は祖国で小説を発表していたし、曹さんに至っては絵画が頗る得意で、作品は上海の労働者画展に展示された事さえある・・・そのアメリカ人は、君たちが芸術家だととっくに分かっていたよ、と言った。私は内心得意であった。私たちの醸す芸術家気質はそんなにも濃厚で、人は一目でわかるのだ、と。彼が一言付け加えようとは誰が知ろうか。彼はこうも言ったのだ、労働者は君達のような仕事はしないよ! アメリカ人が行ってしまうのを待って曹さんは鋸を置き口汚く罵った。この鋸の正しい用途は庭園の木枝を引くものであった・・・

  我们给赤佬老板干了一个多月,也赚了他几百块钱的工钱,那个餐馆还是不像餐馆,也不像是冷库,而是像个破烂摊。转眼间夏去秋来,我们也该回去上学了。那老板的脸色越来越难看,天天催我们加班。催也没有用,手里拿着手锤铁棍,拼了命也是干不出活来的。那条街上的美国工匠也嗅出味来了,全聚在我们门前,一面看我们俩出洋像,一面等赤佬老板把工程交给他们。在这种情况下,连老曹也绷不住,终于和我一起辞活不干了。于是,这工程就像熟透的桃子一样,掉进了美国师傅的怀里。本来,辞了活以后就该走掉。但老曹还要看看美国人是怎么干活的。他说,这个工程干得窝囊,但不是他的过错,全怪那赤佬满肚子馊主意。要是由着他的意思来干,就能让洋鬼子看看中国人是怎么干活的……

 ヒヒ親父のために一カ月余り働き、数百ドルの工賃を稼いだ。その店舗はレストランらしくなく、冷凍倉庫のようでもなく、ぼろい屋台のようであった。あっと言う間に夏が過ぎて秋になる、私たちも学校へ戻らなければならない。店主の顔はますます苦くなり毎日残業を促すのであった。けれど意味もないこと、手にハンマーを握り、一生懸命に働いても終わらなかった。アメリカの大工たちは嗅ぎつけて戸口に集まってきた。私たちのみっともない仕事を眺めながら、ヒヒ親父が彼らに仕事を回してくれないかと待っていた。この状況では曹さんも堪らず、とうとう私と一緒に仕事を辞めてしまった。そこで、熟した桃のように美味しい仕事はアメリカ人親方の物となった。仕事を辞めた後は立ち去るべきだったが、曹さんはやはりアメリカ人がどのように仕事をするか見たかった。曹さんは、仕事がうまくいかなかったのは悔しい、けれど自分の落ち度ではない。全てはヒヒ親父がくだらない事を考えたせいだ。 もし、思い通りにさせてくれていたら、アメリカ人に中国人がどのように仕事するか見せてやれたのに・・・と言った。

  美国包工头接下了这个工程,马上把它分了出去,分给电工、木工、管子工,今天上午是你的,下午是他的,后天是我的,等等。几个电话打出去,就有人来送工具,满满当当一卡车。这些工具不要说我,连老曹都没见过。除了电锯电刨,居然还有用电瓶的铲车,可以在室内开动,三下五除二,就把我们留下的破烂从室内推了出去。电工上了电动升降台,在天花板上下电线,底下木工就在装配地板,手法纯熟之极。虽然是用现成的构件,也得承认人家干活真是太快了。装好以后电刨子一跑,贼亮;干完了马上走人,运走机械,新的工人和机械马上开进来……转眼之间,饭馆就有个样儿了……我和老曹看了一会儿,就灰溜溜地走开了。这是因为我们都当过工人,知道怎么工作才有尊严。
    
 アメリカ人親方は仕事を受けると直ちに電気工、木工、配管工と分配し、今日の午前は誰、午後は誰、明後日は自分等々と段取りした。電話を幾つか掛けトラック一杯の工具を届けさせた。これらの工具は、私はもちろんのこと、曹さんでさえ見たことがない物であった。電気鋸と電気カンナの他に、なんとバッテリー付きのショベルカーまであり、屋内でも動かせて造作もなく私たちが残していったゴミを推し出した。電気工は電動リフトに乗って天井板上下の電線を、足元では大工が床板を張る、と熟練の技量であった。新式の建築資材を使うとは云え、彼らの仕事が実に早いことは認めざるを得ない。貼り終わると電気カンナを当て、見事な仕上がりである。仕事が完了するとすぐに器具を運び出し立ち去る。そして、別の職人が来て器具が運び込まれる・・・瞬く間に店舗はそれらしくなった・・・曹さんと私は暫く見ていたが、すごすごと離れた。私たちは二人とも労働者を経験し、どのような仕事振りが尊ばれるのかを理解したのだった。

  
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by dangao41 | 2011-09-21 15:58 | 王小波 | Comments(1)

祝福1

               祝 福 1               鲁迅 
旧历的年底毕竟最像年底,村镇上不必说,就在天空中也显出将
到新年的气象来。灰白色的沉重的晚云中间时时发出闪光,接着一声
钝响,是送灶的爆竹;近处放燃的可就更强烈了,震耳的大音还没有
息,空气里已经散满了幽微的火药香。我是正在这一夜回到我的故乡
鲁镇的。虽说故乡,然而已没有家,所以只得暂寓在鲁四老爷的宅子
里。他是我的本家,比我长一辈,应该称之曰“四叔”,是一个讲理
学的老监生。他比先前并没有什么大改变,单是老了些,但也还末留
胡子,一见面是寒暄,寒暄之后说我“胖了”,说我“胖了”之后即
大骂其新党。但我知道,这并非借题在骂我:因为他所骂的还是康有
为。但是,谈话是总不投机的了,于是不多久,我便一个人剩在书房
里。

旧暦の大晦日はさすがに年の暮れである、村や町は言うまでも無く、大気さえも新年を迎える雰囲気を醸している。薄い灰色の重たげな夕方の雲間に時おり閃光が走り、続いて鈍い音が響く。かまどの神様をお送りする爆竹である。近くで放たれるとこれは強烈で耳を震わせる大音声である。音の響きが消え去る間もなく微かな火薬の匂いが空気中に広がって満ちる。私はちょうどその日に故郷の鲁镇に着いた。故郷とはいっても既に生家はないので、魯四伯父の家に暫時厄介になった。本家である爺さんは私より一世代上の人だ。「四叔」と呼ぶべきだが理学を説く老監生である。さほど変わっておらず、少し年老いただけで未だ髭を蓄えてはいなかった。挨拶をすると私が「太った」と言い、その後すぐに、かの新党の悪口を言った。けれど私には分かっていた、伯父はそれにかこつけて私を叱ったのである。なぜなら伯父が怒ったのは康有为だったのだから。しかし話は弾まず暫くすると私は一人書斎に残された。

第二天我起得很迟,午饭之后,出去看了几个本家和朋友;第三
天也照样。他们也都没有什么大改变,单是老了些;家中却一律忙,
都在准备着“祝福”。这是鲁镇年终的大典,致敬尽礼,迎接福神,
拜求来年一年中的好运气的。杀鸡,宰鹅,买猪肉,用心细细的洗,
女人的臂膊都在水里浸得通红,有的还带着绞丝银镯子。煮熟之后,
横七竖八的插些筷子在这类东西上,可就称为“福礼”了,五更天陈
列起来,并且点上香烛,恭请福神们来享用,拜的却只限于男人,拜
完自然仍然是放爆竹。年年如此,家家如此,——只要买得起福礼和
爆竹之类的——今年自然也如此。天色愈阴暗了,下午竟下起雪来,
雪花大的有梅花那么大,满天飞舞,夹着烟霭和忙碌的气色,将鲁镇
乱成一团糟。我回到四叔的书房里时,瓦楞上已经雪白,房里也映得
较光明,极分明的显出壁上挂着的朱拓的大“寿”字,陈抟老祖写的,
一边的对联已经脱落,松松的卷了放在长桌上,一边的还在,道是“
事理通达心气和平”。我又无聊赖的到窗下的案头去一翻,只见一堆
似乎未必完全的《康熙字典》,一部《近思录集注》和一部《四书衬》
。无论如何、我明天决计要走了。

 翌朝、私は遅く起き、昼食のあと本家の人々や友達に会いに出掛けた。3日目もそのように過ごした。彼らはみな大して変ってはいなかった。少し老いただけである。どの家も「祝福」の準備で忙しくしていた。鲁镇の年末の大典である。礼を尽くして福の神をお迎えし来る年の幸運を願うのだ。鶏を絞め鵞鳥をつぶし豚肉を買い求めて丁寧に洗う。女たちの腕は水に浸かってすっかり赤くなる。女たちの中には細い銀の腕環を付けた者さえもいる。よく煮た後に何本もの箸を突きさす。これを「福礼」と称し、五更の時に供えて香を焚く。福の神が迷わずお出でになれるように。しかし祀るのは男衆に限られ、終われば当然に爆竹が放たれる。年々斯くの如し。どの家々も斯くの如し。福礼や爆竹などを賄えさえすれば、今年もまた自ずと斯くの如し。空は次第に暗くなり午後には何と雪となった。雪粒は大きなものは梅の花ほどもあって、空一面に飛び舞う。煙の靄と慌ただしさに包まれて鲁镇はごった返していた。四叔の書斎に戻った時分には雪は屋根瓦に積もり、雪の反射は部屋を明るく照らしていた。充分に明るい壁に掛けられた大きな「寿」の朱拓は陈抟老祖の書である。片側の対聯は既に外され、ゆるく巻かれて卓の上に置かれている。もう片方はまだ掛かっていて「事理通达心气和平道理」と在る。他にすることもないので窓の下の卓を探したが、揃ってはいなさそうな《康熙字典》の一山に《近思録集注》と《四書衬》だけがあるばかり。何が何でも、明日は行かなくては。     

况且,一直到昨天遇见祥林嫂的事,也就使我不能安住。那是下
午,我到镇的东头访过一个朋友,走出来,就在河边遇见她;而且见
她瞪着的眼睛的视线,就知道明明是向我走来的。我这回在鲁镇所见
的人们中,改变之大,可以说无过于她的了:五年前的花白的头发,
即今已经全白,会不像四十上下的人;脸上瘦削丕堪,黄中带黑,而
且消尽了先前悲哀的神色,仿佛是木刻似的;只有那眼珠间或一轮,
还可以表示她是一个活物。她一手提着竹篮。内中一个破碗,空的;
一手技着一支比她更长的竹竿,下端开了裂:她分明已经纯乎是一个
乞丐了。
 
しかも昨日偶然に出会った祥林嫂の事もあって穏やかではいられなかった。それは午後の事だったが、町の東外れまで友に会いに出掛けて川辺で彼女を見かけたのだ。その見開いた目は明かに私の方に向けられていた。今回の帰郷で会った人々の中では、大そう変化は大きかったが彼女だと分かった。五年前の白髪混じりの髪は真っ白となり四十前後の人とは見えなかった。やつれ果てた顔は黄土色で以前の悲しげな表情は消え失せ、さながら木彫りのようであった。ただ時々動く目の玉だけが彼女が生きている事を示していた。片手に持った竹笊には欠けた空の茶碗が一つ入っていて、もう片方の手に持った背丈より長い竹竿は下の方が裂けていた。全くの菰被りである。
 
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by dangao41 | 2011-09-07 22:00 | 魯迅 | Comments(2)

祝福2

我就站住,豫备她来讨钱。
“你回来了?”她先这样问。
“是的。”
“这正好。你是识字的,又是出门人,见识得多。我正要问你一
件事——”她那没有精采的眼睛忽然发光了。
我万料不到她却说出这样的话来,诧异的站着。
“就是——”她走近两步,放低了声音,极秘密似的切切的说,
“一个人死了之后,究竟有没有魂灵的?”

私はすぐ歩みを止めた。彼女が金を無心すると思ったのだ。 
「お帰りなさったか?」 彼女は先ずこう尋ねた。
「うん。」
「それはよかった。坊っちゃんは学があるし、外へ出て広く見聞もしなさった。ひとつ坊っちゃんに聞きたいのだけれど」  彼女の精彩を欠いた眼は急に生き生きとなった。
このように話をされるとは思ってもいなかったので戸惑いつつ立ち止まっていた。
「それはね……」 彼女は数歩近づき低い声で、秘密でも漏らすように切々と言った。「人は死んだあと、 結局のところ霊魂はあるのかね?」

我很悚然,一见她的眼钉着我的,背上也就遭了芒刺一般,比在
学校里遇到不及豫防的临时考,教师又偏是站在身旁的时候,惶急得
多了。对于魂灵的有无,我自己是向来毫不介意的;但在此刻,怎样
回答她好呢?我在极短期的踌躇中,想,这里的人照例相信鬼,“然
而她,却疑惑了,——或者不如说希望:希望其有,又希望其无……,
人何必增添末路的人的苦恼,一为她起见,不如说有罢。
 
私はぞくっとし、彼女がしかと私に目を当てているので、背中にとげでも刺さったかのごとく落ち着かない気持ちであった。学校で不意打ちのテストがあった時、先生がまたいやに私の傍ばかりに立っている時よりなお狼狽した。霊魂の有無など私は全く意に介した事がなかった。しかしここで何と彼女に答えればいいのだろうか?私は一瞬迷ったが、この里の人々が幽霊を信じている事を考えて「ある」と答えた。しかし彼女は疑わしそうであった、……或いは望んでいるとは言わないまでも、霊魂が有って欲しいのか。それとも無い方がいいのか……末路の人間に苦悩を増してやることはない、彼女の為には有ると言うに越したことはない。
  
“也许有罢,——我想。”我于是吞吞吐虹的说。
“那么,也就有地狱了?”
“啊!地狱?”我很吃惊,只得支吾者,“地狱?——论理,就
该也有。——然而也未必,……谁来管这等事……。”
“那么,死掉的一家的人,都能见面的?”
“唉唉,见面不见面呢?……”这时我已知道自己也还是完全一
个愚人,什么踌躇,什么计画,都挡不住三句问,我即刻胆怯起来了,
便想全翻过先前的话来,“那是,……实在,我说不清……。其实,
究竟有没有魂灵,我也说不清。”

「あるかも知れない。…そう思う」そこで私は口ごもりながら言った。
「なら、地獄もあるね?」
「ええ!地獄?」私はびっくりして言葉を濁すしかなかった、「理屈から言えば、ある筈だが……けれど必ずしもそうとは限らない、……誰も知らないのだから… 」
「それなら、死んでしまった家族のみんなと会えるかね?」
「うーん、会えるか会えないかだって?…」この時の私は全くの馬鹿者であった。ためらっても考えても、歯が立たない。私は怯んで先ほど言ったことを覆えそうと思った。「それは、…実際、はっきり言えないのだが…実のところ、いったい霊魂があるかないか、それも良くは分からない」。」

我乘她不再紧接的问,迈开步便走,勿勿的逃回四叔的家中,心
里很觉得不安逸。自己想,我这答话怕于她有些危险。她大约因为在
别人的祝福时候,感到自身的寂寞了,然而会不会含有别的什么意思
的呢?——或者是有了什么豫感了?倘有别的意思,又因此发生别的
事,则我的答活委实该负若干的责任……。但随后也就自笑,觉得偶
尔的事,本没有什么深意义,而我偏要细细推敲,正无怪教育家要说
是生着神经病;而况明明说过“说不清”,已经推翻了答话的全局,
即使发生什么事,于我也毫无关系了。
 
彼女がそれ以上は直ぐに問わなかったのに乗じて、私は歩きだし、そそくさと四叔の家に逃げ戻ったが、心は乱れていた。思うに、あのように答えたのは彼女を些か不安定にさせたのではないだろうか。人々が“祝福の”最中に、自分を寂しく感じたのだろうが、それとも別の意味があったのだろうか?何か予感でもあったのだろうか?仮に他の意味があったとして、これによって何か事が起こったら、私の返答は若干の責任を負うものとなるのは確かだ…。しかし直ぐに自分を嗤った。偶然だろう、深い意味などありはしない。私は殊更に事細かく熟考し、これは専門家だったら、間違いなく生来の神経病だ、と言うと思った。まして確かに「はっきり分からない」として前言を取り消したのだから、もし何かが起こったとしても全く私のせいではない。
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by dangao41 | 2011-09-07 21:05 | 魯迅 | Comments(0)

祝福3

我因为常见些但愿不如所料,以为未毕竟如所料的事,却每每恰
如所料的起来,所以很恐怕这事也一律。果然,特别的情形开始了。
傍晚,我竟听到有些人聚在内室里谈话,仿佛议论什么事似的,但不
一会,说话声也就止了,只有四叔且走而且高声的说:
 
そうならないで欲しいと願う事が、まさかそのような結果にはならないだろうと思った事が、常々必ず起こってしまう。今回もそうではないかと恐れた。果たして、尋常でない事態が始まった。晩方、ついに私は奥の部屋での会話を耳にしてしまった。なにか取りざたしているようであったが、すぐに会話は途絶え四叔だけが歩きながら声高に話している。

“不早不迟,偏偏要在这时候——这就可见是一个谬种!”
我先是诧异,接着是很不安,似乎这话于我有关系。试望门外,
谁也没有。好容易待到晚饭前他们的短工来冲茶,我才得了打听消息
的机会。
  
「早く遅くもなく生憎とこの時期に、出来そこない奴が!」
私は先ず何事かと思い、次に私に関係があるのではないかと不安を覚えた。外を窺ってみたが誰もいない。仕方なく待つしかなく、夕飯時分に節季の雇い人がお茶を注いでくれた時、やっと尋ねる事ができた。

“刚才,四老爷和谁生气呢?”我问。
“还不是和样林嫂?”那短工简捷的说。
“祥林嫂?怎么了?”我又赶紧的问。
“老了。”
“死了?”我的心突然紧缩,几乎跳起来,脸上大约也变了色,
但他始终没有抬头,所以全不觉。我也就镇定了自己,接着问:
“什么时候死的?”
“什么时候?——昨天夜里,或者就是今天罢。——我说不清。”
“怎么死的?”
“怎么死的?——还不是穷死的?”他淡然的回答,仍然没有抬
头向我看,出去了。

 「さっき四叔父は誰を怒っていたのだい?」
 「样林嫂に決ってるじゃないですか。」雇い人は直截に答えた。
 「样林嫂?どうして?」私は慌てて問うた。
 「亡くなりました。」
 「死んだ?」私の心は急に締めつけられ、飛び上がりそうになった。顔色も変えていたであろうが、雇い人はずっと下を向いていたので全く気付かれなかった。そこで私は気持を静めて尋ねた。
 「いつ死んだの?」
 「何時、ですか?昨夜か、或いは今朝か…私ははっきり知りません。」
 「なんで死んだのだろう?」
 「なんで死んだかって?・・・窮してでしょう?」彼はあっさりと答え、やはり下を向いたままで私を見ずに出て行った。

然而我的惊惶却不过暂时的事,随着就觉得要来的事,已经过去,
并不必仰仗我自己的“说不清”和他之所谓“穷死的”的宽慰,心地
已经渐渐轻松;不过偶然之间,还似乎有些负疚。晚饭摆出来了,四
叔俨然的陪着。我也还想打听些关于祥林嫂的消息,但知道他虽然读
过“鬼神者二气之良能也”,而忌讳仍然极多,当临近祝福时候,是
万不可提起死亡疾病之类的话的,倘不得已,就该用一种替代的隐语,
可惜我又不知道,因此屡次想问,而终于中止了。我从他俨然的脸色
上,又忽而疑他正以为我不早不迟,偏要在这时候来打搅他,也是一
个谬种,便立刻告诉他明天要离开鲁镇,进城去,趁早放宽了他的心。
他也不很留。这佯闷闷的吃完了一餐饭。
 
しかし私の驚きと慄きは一時の事に過ぎなかった。同時に予感の事も心をよぎったが、もう終わった事だ。まして私は「分からない」と言った、そして雇い人の「窮して」の言葉、これを拠り所に安堵して心は次第に軽くなっていった。しかし偶然とは言うものの、些かの後ろめたさはあった。夕飯になり四叔父は厳めしく同席した。私は祥林嫂の事を尋ねたかったが、叔父は「鬼も神も気の持ちよう」と読んではいても、物忌みの多いことを知っていたし、「祝福」の時期を間直にした今である。喪や疾病の話題は万に一つも持ち出せず、止む無い場合でも忌み言葉を使わなければならない。口惜しいことにどう言えばいいか分からず、何度も聞きたくは思ったが結局は止めた。叔父の厳めしい顔付きから、私がぐずぐずしていると思っているのではないかと云う疑いが急に生じた。こんな時期に厄介を掛けている、やはり一種の出来そこないである。そこで明日、鲁镇を立ち町に行くと伝えて、叔父の心を軽くしてあげた。叔父はたいして引き留めもしなかった。このように鬱々と食事を済ませた。

冬季日短,又是雪天,夜色早已笼罩了全市镇。人们都在灯下匆
忙,但窗外很寂静。雪花落在积得厚厚的雪褥上面,听去似乎瑟瑟有
声,使人更加感得沉寂。我独坐在发出黄光的莱油灯下,想,这百无
聊赖的祥林嫂,被人们弃在尘芥堆中的,看得厌倦了的陈旧的玩物,
先前还将形骸露在尘芥里,从活得有趣的人们看来,恐怕要怪讶她何
以还要存在,现在总算被无常打扫得于干净净了。魂灵的有无,我不
知道;然而在现世,则无聊生者不生,即使厌见者不见,为人为己,
也还都不错。我静听着窗外似乎瑟瑟作响的雪花声,一面想,反而渐
渐的舒畅起来。
 
冬の日は短いし雪であるから町はすっかり夜の闇に覆われた。人々は灯りの中で忙しくしていたが、窓の外は静かであった。厚く積もった雪の上に雪の花が舞い落ち、その音が聞こえてくるようで、更にひっそりと感じられた。私は黄色く照らす油灯の下に独り座って想った。する事が何もなかった祥林嫂を。捨てられた塵芥の山、飽きらてしまった古い玩具、ちりあくたの中形骸を晒している。楽しく生きている人から見れば、恐らく何故まだ生きていたいのか、と訝しげに聞くところだろう。今、亡くなってやっときれいさっぱり掃き清められた。魂が有るか無いか私は知らない。しかしこの世では、無聊な人間は活きていないとすれば、見飽きた者は見えなくなる。人のため己のためだ。それも悪くはなかろう。私は静かに窓の外のさらさらとした雪の花の降る音を聞きながら思い耽ったが、かえって次第に気持ちは晴れていった。
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by dangao41 | 2011-09-07 20:09 | 魯迅 | Comments(0)

祝福4

然而先前所见所闻的她的半生事迹的断片,至此也联成一片了。

她不是鲁镇人。有一年的冬初,四叔家里要换女工,做中人的卫
老婆子带她进来了,头上扎着白头绳,乌裙,蓝夹袄,月白背心,年
纪大约二十六七,脸色青黄,但两颊却还是红的。卫老婆子叫她祥林
嫂,说是自己母家的邻舍,死了当家人,所以出来做工了。四叔皱了
皱眉,已经知道了他的意思,是在讨厌她是一个寡妇。但是她模
样还周正,手脚都壮大,又只是顺着限,不开一句口,很像一个安分
耐劳的人,便不管四叔的皱眉,将她留下了。试工期内,她整天的做,
似乎闲着就无聊,又有力,简直抵得过一个男子,所以第三天就定局,
每月工钱五百文。
 
しかしながら以前に見聞きした彼女の今までの事跡断片が、ここに至って一つに繋がった。
 
彼女は鲁镇人ではなかった。ある年の初冬、四叔父の家では女の使用人を雇い換えた時、口利きの衛婆さんが連れてきたのだ。髪を白紐で結え、黒のスカートに紺の袷と薄い藍色の上着、年の頃は二十六か七、顔色は悪かったが両頬は赤かった。衛婆さんは彼女を祥林嫂と呼んでいて、婆さんの実家の隣人で夫が死んだので出稼ぎに来たのだと言った。四叔父は渋い顔をした。四婶には夫の気持ちが分かっていた。寡婦だから嫌なのだ。けれど祥林嫂の様子はきちんとして体も大きく丈夫そうであった。心得もあって口数は少なく、労苦を厭わないようであった。そこで四叔父の苦い顔にも関わらず、彼女は止め置かれた。御目見えの期間、暇なのを嫌うように一日中働き、力も強く、まったく男としても通るほどあった。それで三日目に、一か月の賃金五百文で雇われることとなった。

大家都叫她祥林嫂;没问她姓什么,但中人是卫家山人,既说是
邻居,那大概也就姓卫了。她不很爱说话,别人问了才回答,答的也
不多。直到十几天之后,这才陆续的知道她家里还有严厉的婆婆,一
个小叔子,十多岁,能打柴了;她是春天没了丈夫的;他本来也打柴
为生,比她小十岁:大家所知道的就只是这一点。
 
人は彼女を祥林嫂と呼び姓は尋ねなかったが、前に述べた仲介の隣人が衛姓だから、多分彼女も衛であろう。無口で人に話し掛けられなければ喋らなかったし、返事も短かった。10日余りが過ぎてやっと郷にはきつい姑と柴刈をしている十幾つかの夫の弟がいると分かった。この春に夫を亡くしたが、夫はやはり柴刈が生業だったこと、彼女より10歳年下だったこと、皆が知ったのはこれだけであった。

日子很快的过去了,她的做工却毫没有懈,食物不论,力气是不
惜的。人们都说鲁四老爷家里雇着了女工,实在比勤快的男人还勤快。
到年底,扫尘,洗地,杀鸡,宰鹅,彻夜的煮福礼,全是一人担当,
竟没有添短工。然而她反满足,口角边渐渐的有了笑影,脸上也白胖
了。
 日々はたちまちに過ぎたが、彼女は少しも仕事を怠けず、食事が何であろうと力を出し惜しむ事がなかった。人々は鲁四老が雇った女は、全く男より役に立つと噂した。年末になれば掃除、畑の始末、鶏や鵞鳥の準備、徹夜で祝福の料理と全て独りでやり、節季雇いの手伝いを付ける要もなかった。しかし彼女は事も無げで、色白のぽっちゃりした顔に微かな笑み浮かべるだけだった。
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by dangao41 | 2011-09-07 19:20 | 魯迅 | Comments(0)

祝福5

新年才过,她从河边掏米回来时,忽而失了色,说刚才远远地看
见几个男人在对岸徘徊,很像夫家的堂伯,恐怕是正在寻她而来的。
四婶很惊疑,打听底细,她又不说。四叔一知道,就皱一皱眉,道:
“这不好。恐怕她是逃出来的。”
她诚然是逃出来的,不多久,这推想就证实了。
 
正月も過ぎた頃、彼女は川辺での米とぎから顔色を変えて大急ぎで戻ってきた。岸の向こう遠くに数人の男がうろついているのを見た、夫の従兄弟が彼女を探しに来たのではないかと思うと言った。四婶が訝しく思って詳しく聞いても答えない。四叔はすぐにピンときて眉をしかめ言った。
 「まずいな。あれは逃げて来たのだろう。」
なるほど彼女は逃げてきたのだった。間もなくこの推量の正しい事が分かった。

此后大约十几天,大家正已渐渐忘却了先前的事,卫老婆子忽而
带了一个三十多岁的女人进来了,说那是详林嫂的婆婆。那女人虽是
山里人模样,然而应酬很从容,说话也能干,寒暄之后,就赔罪,说
她特来叫她的儿媳回家去,因为开春事务忙,而家中只有老的和小的,
人手不够了。

 10日余り経って人々がこの件を忘れかけてきたころ、衛婆さんが慌ただしく30過ぎの女を連れてやって来た。详林嫂の姑だと言う。その女はなるほど様子こそ山家者であったが、落ち着いた振る舞いで弁も立ち、挨拶をすると詫びを言い、息子の嫁を連れ戻しにきた、年が明けて忙しいし、家には老人と子供しかなく手が足りないと言う。

“既是她的婆婆要她回去,那有什么话可说呢。”四叔说。
于是算清了工钱,一共一千七百五十文,她全存在主人家,一文
也还没有用,便都交给她的婆婆。那女人又取了衣服,道过谢,出去
了。其时已经是正午。
“阿呀,米呢?祥林嫂不是去淘米的么?……”好一会,四婶这
才惊叫起来。她大约有些饿,记得午饭了。
于是大家分头寻淘箩。她先到厨下,次到堂前,后到卧房,全不
见掏箩的影子。四叔踱出门外,也不见,一直到河边,才见平平正正
的放在岸上,旁边还有一株菜。
 
「姑が連れ帰りたいと言うのなら、仕方ないだろう。」と四叔は言う。
 そこで賃金を計算すると全部で千七百五十文となった。彼女は住み込みで働いていたので一文の金も使わなかったのだ。姑は金を受け取り衣服も取り纏め、謝って帰って行った。もう昼時になっていた。
 「あら、お米は?祥林嫂は米を研ぎに言ったはず…」 暫く経ってから四婶は騒ぎだした。腹が空いて昼だと気が付いたのだろう。
そこで皆は手分けして笊を探した。彼女は先ず厨に行き、母屋、寝室と見たが笊の影もない。四叔が門の外を歩いてみたがやはり無い。川辺まで行ってみて、岸にきちんと置かれているのを見つけた。傍には一株の菜っ葉も置いてあった。
 
看见的人报告说,河里面上午就泊了一只白篷船,篷是全盖起来
的,不知道什么人在里面,但事前也没有人去理会他。待到祥林嫂出
来掏米,刚刚要跪下去,那船里便突然跳出两个男人来,像是山里人,
一个抱住她,一个帮着,拖进船去了。样林嫂还哭喊了几声,此后便
再没有什么声息,大约给用什么堵住了罢。接着就走上两个女人来,
一个不认识,一个就是卫婆于。窥探舱里,不很分明,她像是捆了躺
在船板上。
 
見ていた人がいてこう言った。昼前には白苫の船が泊まっていた。苫で覆われていたので中に人がいたかどうかは知らないが、事を起こす前ではあっても彼を気にして出てきた者はいなかった。祥林嫂が米を研ぎに出て来てしゃがみ込んだその時、船から山家らしい男が二人飛び出して一人が彼女を抱え込み一人が手を貸して船にと引きずり込んだ。彼女は泣き叫んだが、その後声がしなくなった。多分何かで口を塞がれたのだろう。それから女が二人出てきた。一人は知らないが、一人は衛婆さんだった。船を覗き見るとはっきりはしないが祥林嫂は縛られて船板に転がされていたようだ、と。

“可恶!然而……。”四叔说。
这一天是四婶自己煮中饭;他们的儿子阿牛烧火。
午饭之后,卫老婆子又来了。
“可恶!”四叔说。
“你是什么意思?亏你还会再来见我们。”四婶洗着碗,一见面
就愤愤的说,“你自己荐她来,又合伙劫她去,闹得沸反盈天的,大
家看了成个什么样子?你拿我们家里开玩笑么?”
“阿呀阿呀,我真上当。我这回,就是为此特地来说说清楚的。
她来求我荐地方,我那里料得到是瞒着她的婆婆的呢。对不起,四老
爷,四太太。总是我老发昏不小心,对不起主顾。幸而府上是向来宽
洪大量,不肯和小人计较的。这回我一定荐一个好的来折罪……。”
“然而……。”四叔说。
于是祥林嫂事件便告终结,不久也就忘却了。

「酷いな!しかし…」と四叔は言った。
この日は四婶が料理をし、息子の阿牛が竈番をした。
午後、衛婆さんが又やって来た。
「憎たらしい奴が!」四叔は言った。
「どういう積もり? よくもまた顔を出せたものね。」四婶は茶碗を洗いながら、顔を向けると怒って言った。「あなた自分で紹介しておいて、ぐるになって無理やり連れ戻すなんて。大騒ぎに周りがここの様子を見ているわ。家を嗤いものにしようとしたの?」
 「いえいえ、あたしも全く騙されましたよ。この度は、ですからこうやって説明に参ったんです。私に頼んで来た時、祥林嫂は姑を誤魔化しきたなって、そこでピンとこなきゃいけなかったんですよ。旦那さん、奥さん、済みませんでした。やはりあたしはぼんやりで用心が足りなかった。お得意様に申し訳なかったです。幸いにもお宅は今までずっとお心が広くていらした。けちな連中ともめたりなさらないでしょう。必ず埋め合わせに好いのを連れてきますから…」
 「しかしな…」と四叔は言ったが、祥林嫂の件はこのようにして終わり、すぐに忘れられてしまった。

只有四嫂,因为后来雇用的女工,大抵非懒即馋,或者馋而且懒,
左右不如意,所以也还提起祥林嫂。每当这些时候,她往往自言自语
的说,“她现在不知道怎么佯了?”意思是希望她再来。但到第二年
的新正,她也就绝了望。
  
ただ一人四嫂だけは、次に来た雇い人の大抵が、なまけ者でなければ意地汚く、或いは意地汚くしかもなまけ者で、いずれにしても気に要らない。祥林嫂の事をまだ持ちだしてはその度に「あの人今ごろどうしているかしら?」と独り呟いた。祥林嫂に戻って欲しかったのだろう。しかし翌年の正月になると彼女も諦めた。
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by dangao41 | 2011-09-07 18:29 | 魯迅 | Comments(1)

祝福6

新正将尽,卫老婆子来拜年了,已经喝得醉醺醺的,自说因为回
了一趟卫家山的娘家,住下几天,所以来得迟了。她们问答之间,自
然就谈到祥林嫂。
 
正月も終わるころ、衛婆さんがすっかり酔っぱらって新年の挨拶にやってきた。山の実家に行って数日泊まったので来るのが遅くなったと言う。やり取りの中で、自然と祥林嫂の話になった。

“她么?”卫若婆子高兴的说,“现在是交了好运了。她婆婆来
抓她回去的时候,是早已许给了贺家坳的贸老六的,所以回家之后不
几天,也就装在花轿里抬去了。” 
 
「あの人?」衛婆さんは嬉しそうに「今じゃ運の好いことで。姑さんが戻しに来た時はもう賀家窪地の貿老六に遣るって決っていてね。だから帰ってすぐに輿に乗って行きましたよ。」

“阿呀,这样的婆婆!……”四婶惊奇的说。
“阿呀,我的太太!你真是大户人家的太太的话。我们山里人,
小户人家,这算得什么?她有小叔子,也得娶老婆。不嫁了她,那有
这一注钱来做聘礼?他的婆婆倒是精明强干的女人呵,很有打算,所
以就将地嫁到里山去。倘许给本村人,财礼就不多;惟独肯嫁进深山
野坳里去的女人少,所以她就到手了八十千。现在第二个儿子的媳妇
也娶进了,财礼花了五十,除去办喜事的费用,还剩十多千。吓,你
看,这多么好打算?……”
“祥林嫂竟肯依?……”
 
「まあ、そんな姑って!・・・」四婶は訝しげに言った。
 「そうなんですよ、奥さん。奥さんとこは大家ですが、あたしら山の人間は貧乏ですからね、どうすればいいんですか?夫の弟がいて嫁を娶らなきゃならない。祥林嫂を嫁に出さなければ、結納の金が何処からも来やしませんでしょ?あの姑は頭も切れるし仕事もできる、計算高いからすぐあの人を山里へ嫁がせた。もし村に嫁にやったら結納金は少ないですから。辺鄙な地の偏屈男に嫁いでもいいって人はあまりいない、だから8万文も手に入れたんですよ。今じゃ二番目の息子も嫁を貰ったけど結納金は5万文。婚礼の掛かりを別にしてもまだ一万もっとも残る。驚くじゃありませんか、こんなに上手くいくなんてね?・・・」
 「あの人はどうして承知したのかしら?・・・」

“这有什么依不依。——闹是谁也总要闹一闹的,只要用绳子一
捆,塞在花轿里,抬到男家,捺上花冠,拜堂,关上房门,就完事了。
可是详林嫂真出格,听说那时实在闹得利害,大家还都说大约因为在
念书人家做过事,所以与众不同呢。太太,我们见得多了:回头人出
嫁,哭喊的也有,说要寻死觅活的也有,抬到男家闹得拜不成天地的
也有,连花烛都砸了的也有。样林嫂可是异乎寻常,他们说她一路只
是嚎,骂,抬到贺家坳,喉咙已经全哑了。拉出轿来,两个男人和她
的小叔子使劲的捺住她也还拜不成夭地。他们一不小心,一松手,阿
呀,阿弥陀佛,她就一头撞在香案角上,头上碰了一个大窟窿,鲜血
直流,用了两把香灰,包上两块红布还止不住血呢。直到七手八脚的
将她和男人反关在新房里,还是骂,阿呀呀,这真是……。”她摇一
摇头,顺下眼睛,不说了。
 
「承知も不承知も、誰だって一悶着を起こします。縄で括って輿に押し込み相手の所へ運んで、頭飾りを押さえつけて被せ婚礼の拝をさせ戸を閉めて、それで済ませるだけです。だけど详林嫂は別格でした、実際すごい騒ぎだったそうで。学者さんの家で働いてたから、そこらの衆とは違うんだろうってみんな言ってました。奥さん、あたしも随分と見てきました。二度目の嫁入りで泣き叫ぶのもあれば、死ぬの生きると騒ぐのもいたし。相手の家に着いてもどうしても叩頭をしないのも、婚礼の蝋燭を投げつけたのもいましたよ。だけど样林嫂はそんなものじゃなかったって。途中ずっと喚き罵り続け賀家窪地に着いた時は喉が涸れて声も出ない。輿から引きずり出して男衆二人と弟が押えつけてもお辞儀はしない。男たちはちょっと油断して手を緩めてしまったから、ああナンマイダ、详林嫂は祭壇の角に頭を一突きして、頭を大きく凹ませてしまってね。血がどくどく流れて香灰を二掴みかけて赤い布を二枚巻いても血が止まらなかった。男衆が寄ってたかって新婚部屋にt閉じ込めてもまだ悪態ついていてね、ああ、まったくね・・・」婆さんは頭を振って目を伏せて口を噤んだ。

“后来怎么样呢?”四婢还问。
“听说第二天也没有起来。”她抬起眼来说。
“后来呢?”
“后来?——起来了。她到年底就生了一个孩子,男的,新年就
两岁了。我在娘家这几天,就有人到贺家坳去,回来说看见他们娘儿
俩,母亲也胖,儿子也胖;上头又没有婆婆,男人所有的是力气,会
做活;房子是自家的。——唉唉,她真是交了好运了。”
从此之后,四婶也就不再提起祥林嫂。

「それからどうなったの?」四婢は聞いた。
「翌日は出て来なかったそうですよ。」婆さんは眼を上げて言った。
「それで?」 
「その後?…大丈夫。年の暮れには男の子が生まれて明けて二歳です。私はここ数日娘の所にいますが、賀家に行った人が戻って来て言うには母親も赤子も丸々としていたそうですよ。気詰りな姑もいないし夫は気力もあって仕事もできる。家も自分の物ですしね。ええ、ええ、ほんとに運が向いてきました。」
 その後、四婢も祥林嫂の事を言わなくなった。
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by dangao41 | 2011-09-07 17:08 | 魯迅 | Comments(0)

祝福7

但有一年的秋季,大约是得到祥林嫂好运的消息之后的又过了两
个新年,她竟又站在四叔家的堂前了。桌上放着一个荸荠式的圆篮,
檐下一个小铺盖。她仍然头上扎着白头绳,乌裙,蓝夹祆,月白背心,
脸色青黄,只是两颊上已经消失了血色,顺着眼,眼角上带些泪痕,
眼光也没有先前那样精神了。而且仍然是卫老婆子领着,显出慈悲模
样,絮絮的对四婶说:
  
しかし一年が過ぎた秋、祥林嫂の幸運を聞いてからほぼ二年経った正月、彼女は再び四叔の家にやって来たのであった。黒クワイの丸笊を台に置き、庇の下には薄い布団があった。彼女はやはり白布を頭に締め、黒いスカートに青い袷と白い上着で、顔色は悪く頬の色は失せていた。眼を見れば、以前のような活気は無く、涙の跡があった。やはり衛婆さんが一緒で哀れっぽくくどくどと泣きついた。

“……这实在是叫作‘天有不测风云’,她的男人是坚实人,谁
知道年纪青青,就会断送在伤寒上?本来已经好了的,吃了一碗冷饭,
复发了。幸亏有儿子;她又能做,打柴摘茶养蚕都来得,本来还可以
守着,谁知道那孩子又会给狼衔去的呢?春天快完了,村上倒反来了
狼,谁料到?现在她只剩了一个光身了。大伯来收屋,又赶她。她真
是走投无路了,只好来求老主人。好在她现在已经再没有什么牵挂,
太太家里又凄巧要换人,所以我就领她来。——我想,熟门熟路,比
生手实在好得多……。”
 
「…ほんとにこれこそ“天に不慮の風雲あり”で、亭主は丈夫だったから、若くして腸チフスで逝ってしまうなんて誰が思ったことか。とっくに治ってる筈だったのに、冷や飯を食べてぶり返したんです。幸いにも息子がいたし、この人も働ける。柴刈や茶摘みにお蚕とやっていける筈でした。子供が狼に食われちまうなど誰が知りましょう。春も終わるころ狼が村に現れるなど予想もしなかった事で。今じゃこれはたった独りぼっちです。親戚が来て家を取った上に追い出したんです。行くところがなくて以前のご主人にすがるしかないんです。もう面倒を起こすこともないでしょう。奥さんとこはちょうど人手が必要だし、それで連れてきました。----考えたんですが、勝手が分かっているから新米よりよっぽどいいって・・・」

“我真傻,真的,”祥林嫂抬起她没有神采的眼睛来,接着说。
“我单知道下雪的时候野兽在山坳里没有食吃,会到村里来;我不知
道春天也会有。我一清早起来就开了门,拿小篮盛了一篮豆,叫我们
的阿毛坐在门槛上剥豆去。他是很听话的,我的话句句听;他出去了。
我就在屋后劈柴,掏米,米下了锅,要蒸豆。我叫阿毛,没有应,出
去口看,只见豆撒得一地,没有我们的阿毛了。他是不到别家去玩的;
各处去一问,果然没有。我急了,央人出去寻。直到下半天,寻来寻
去寻到山坳里,看见刺柴上桂着一只他的小鞋。大家都说,糟了,怕
是遭了狼了。再进去;他果然躺在草窠里,肚里的五脏已经都给吃空
了,手上还紧紧的捏着那只小篮呢。……”她接着但是呜咽,说不出
成句的话来。
 
「あたしが馬鹿だったです、全く」祥林嫂はぼんやりした眼を上げると言った。雪の時期には獣は山に食べ物が無いから村に来ることもあるって知ってはいた。でも春にも来るなんて知らなかった。朝早く起きて直ぐ戸を開けて、小笊に豆を盛り、阿毛に柵に座って皮を剥くように言ったんです。よく言い付けを聞く子で、すぐ外に出た。あたしは裏で薪を切り、米を研いで鍋に入れて、豆を蒸そうと思って阿毛を呼んだが返事がない。出てみると豆が散らばっているだけであの子はいなかった。他所の家に遊びにでも行ったかと、聞いて回わったけどいなかった。急いで人を頼んで探してもらったんです。長いこと探して探して谷間まで行くと、あの子の小さな沓が枝に刺さってました。しまった、狼にやられたんじゃないかと皆が言って。もっと奥へ進むと、あの子が草むら横たわってました。五臓は食われて空っぽで、手にはまだ小笊をしっかり握って。……彼女は嗚咽で話が続けられなかった。

  四婶起刻还踌踌,待到听完她自己的话,眼圈就有些红了。她想
了一想,便教拿圆篮和铺盖到下房去。卫老婆子仿佛卸了一肩重相似
的嘘一口气,祥林嫂比初来时候神气舒畅些,不待指引,自己驯熟的
安放了铺盖。她从此又在鲁镇做女工了。
 大家仍然叫她祥林嫂。

四婶は少し迷っていたのだが、祥林嫂の話を聞き終われば、目もとは赤くなっていた。ちょっと考えてから、荷物と布団を部屋に入れるように指図した。衛婆さんは肩の荷を下ろしたようにほっと一息つき、祥林嫂も最初の時と比べれば緊張もなく、案内も待たずに勝手知った様子で布団を運び、再び鲁镇で働く事となった。
 彼女は相変らず祥林嫂と呼ばれた。

然而这一回,她的境遇却改变得非常大。上工之后的两三天,主
人们就觉得她手脚已没有先前一样灵活,记性也坏得多,死尸似的脸
上又整日没有笑影,四婶的口气上,已颇有些不满了。当她初到的时
候,四叔虽然照例皱过眉,但鉴于向来雇用女工之难,也就并不大反
对,只是暗暗地告诫四姑说,这种人虽然似乎很可怜,但是败坏风俗
的,用她帮忙还可以,祭祀时候可用不着她沾手,一切饭莱,只好自
已做,否则,不干不净,祖宗是不吃的。
 
しかし今度は、彼女の様子はすっかり変わっていた。働き出して数日で叔父たちは彼女が以前ほどきびきびしていなくて、物覚えも悪くなっていたのに気づいた。無表情な顔には一日中笑みの影すらなく、四婶は口ぶりに大いに不満を含ませた。彼女がやって来た時、四叔は例によって眉をしかめたが手伝い女を雇うのが難しい事を考えて、大して反対はしなかった。しかし陰で四姑にこう注意した。とても可哀想ではあるが、崩れてしまっている。働かせるのはよいとしても祭事の時は使うな。炊飯も自分の分だけさせる事、さもないと穢くてご先祖様に供えられない。

四叔家里最重大的事件是祭祀,祥林嫂先前最忙的时候也就是祭
祀,这回她却清闲了。桌子放在堂中央,系上桌帏,她还记得照旧的
去分配酒杯和筷子。
“祥林嫂,你放着罢!我来摆。”四婶慌忙的说。
她讪讪的缩了手,又去取烛台。
“祥林嫂,你放着罢!我来拿。”四婶又慌忙的说。
她转了几个圆圈,终于没有事情做,只得疑惑的走开。她在这一
天可做的事是不过坐在灶下烧火。
 
祭事は四叔家の最も大切な行事である。祥林嫂が以前いた頃、一番忙しくしたのは祭事であったが今回はすることがない。卓は部屋の中央に置かれ、布
で覆われている。彼女は前の事を覚えていて猪口や箸を用意しようとした。
 「祥林嫂、しなくていいわ。私がするから。」四婶は慌てて言った。
 彼女はきまり悪そうに手を引いて、蝋燭を取りに行った。
 「いいってば、私がするわ。」四婶がまた慌てて言う。祥林嫂はうろうろしていたが、とうとう何も出来ずに、訝しがりながらも出て行った。この日一日中、彼女は竈前に座り火を焚いていただけであった。
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by dangao41 | 2011-09-07 16:15 | 魯迅 | Comments(0)