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順姐の自由恋愛1

                           顺姐的“自由恋爱”             楊絳 

那天恰是春光明媚的好天气,我在卧房窗前伏案工作。顺姐在屋里拖地,墩布作在
地下,她倚着把儿,一心要引诱我和她说话。
“太太”(她很固执,定要把这个过时的尊称强加于我),“你今晚去吃喜酒吗?”
我说:“没请我。”
“新娘子已经来了,你没看见吗?”
“没看。”
“新郎五十,新娘子才十九!”
我说:“不,新郎四十九。”我还是埋头工作。
顺姐叹息一声,没头没脑地说:“新娘子就和我一样呢!”
我不禁停下笔,抬头看着她发愣。人家是年轻漂亮、华衣美服的风流人物,顺姐却
是个衣衫褴褛、四十来岁的粗胖女佣,怎么“一样”呢?

まさしく麗らかな春の日であった。私は寝室の窓辺の机に向かい仕事をしていた。順姐(シュンジエ)は部屋で拭き掃除をしていたが、モップの手を止めて棒に寄り掛かり、私をお喋りに誘いこもうとしていた。
「奥さん」(彼女は頑固に、この時代遅れの尊称を私に使っていた)、「今晩のお祝いに行きなさるか?」
「呼ばれていないわ。」と私は答えた。
「お嫁さんはもう来てるけど、見なさったか?」
「まだよ。」
「婿さんは五十で、嫁さんはやっと十九なんですよネ!」
「違うわ、お婿さんは四十九よ。」私はまだ仕事に没頭しながら言った。
順姐はため息をつき、唐突に「嫁さんとあたしはおんなじですネ!」と言った。
私は思わず筆を置き、あっけにとられて彼女を見た。お嫁さんは若い器量よしで、装いも華やかに美しく風雅である。順姐はと云えば着古した服の四十にもなろうという太ったお手伝いさん、一体どこが「おんなじ」なのか?

顺姐看出她已经引起我的兴趣,先拖了几下地,缓缓说:
“我现在也觉悟了呢!就是贪享受呢!”(顺姐的乡音:“呢”字用得特多。)
我认为顺姐是最勤劳、最肯吃苦的人。重活儿、脏活儿她都干,每天在三个人家帮
佣,一人兼挑几人的担子。她享受什么?

私の関心を引いたのを見て取った順姐はまた少し床を拭き、間をとってから言う、
「あたしも今じゃ分かったんですよネ!楽しみを欲張ったネ!」(順姐は国訛りで語尾にネを多用する)
私は彼女が大そう勤勉で苦労を厭わないのを知っている。力仕事も汚れ仕事もし、毎日、三軒の家で働き、数人分の仕事を一人で担っている。いったい何を楽しんだのか?

顺姐曾告诉我,她家有个“姐姐”。不久我从她的话里发现:她和“姐姐”共有一
个丈夫,丈夫已去世。“姐姐”想必是“大老婆”的美称。随后我又知道,她夫家是大
地主——她家乡最大的地主。据她告诉我,她是随她妈妈逃荒要饭跑进那个城市的。我
不免诧怪:“‘姐姐’思想解放,和顺姐姐妹相称了?”可是我后来渐渐明白了,所谓
“姐姐”,只是顺姐对我捏造的称呼,她才不敢当面称“姐姐”。

順姐は家に“姐姐(お姉さん)”がいると話した事がある。程なくして彼女の話から分かった事は、夫はもう亡くなっていたが、彼女と“姐姐”はその夫を共有していたという。きっと“姐姐”とは“本妻”のことだろう。その後、夫の家は大地主だったことも分かった-----故郷で一番の大地主であった。彼女の話に依れば、母親と飢饉を逃れその町に来たそうだ。私は訝しく思わずにはいられなかった。“姐姐”は思想解放がされていて順姐にそう呼ばせているのだろうか? 次第に明らかになったのだが、この“姐姐”とは順姐が私に話す時の言い方であって、本人に向かって“姐姐”と呼ぶなど順姐に出来はしなかった。

我说:“你怎么贪享受啊?”
她答非所问,只是继续说她自己的话:
“我自己愿意的呢!我们是自由恋爱呢!”
我忍不住要笑。我诧异说:“你们怎么自由恋爱呢?”我心想,一个地主少爷,一
个逃荒要饭的,哪会有机会“自由恋爱”?
她低头拖几下地,停下说:
“是我自己愿意的呢。我家里人都反对呢。我哥哥、我妈妈都反对。我是早就有了
人家的,可是我不愿意——”
“你定过亲?怎么样的一个人?”
“就那么个人呢。我不愿意,我是自由恋爱的。”
“你怎么自由恋爱呢?”我想不明白。
“嗯,我们是自由恋爱的。”她好像怕我不信,加劲肯定一句。
“你们又不在一个地方。”
“在一块儿呢!”她立即回答。

「どう楽しんだの?」私は聞いた。
彼女の返事は答えになっていなかった。ただ自分の話を続けただけだった。
「あたしは自分で決めたんですよネ!あたしらは自由恋愛だったですネ!」
私は我慢できずに笑ってしまい、不思議に思って聞いた「あなた達がどうして自由恋愛なの?」片や地主の若旦那、片や飢饉で逃げてきた乞食娘である。どこに“自由恋愛”の余地があるのかと心で呟いた。
彼女はうつむいて床を少し拭くと、手を止めて言った、
「あたしが望んだんですよネ。家の者はみな反対したけどネ。兄さんも母さんも反対。あたしにはもう決った人が居たけど、だけどあたしは嫌だった----」
「婚約していたの?どんな人と?」
「とにかく唯の人でネ。あたしは嫌だった、あたしは自由恋愛ですよ。」
「どんな自由恋愛だったの?」どうにも分からない。
「ええ、あたしらは自由恋愛だった。」まるで私が信じないのを危ぶむように、彼女は力を込めて言った。
「あなた達は同じ所に居もしなかったじゃないの。」
「一緒にいましたともネ!」彼女はすぐさま答えた。

我想了一想,明白了,她准是在地主家当丫头的。我没有再问,只觉得很可笑:既
说“贪享受”,又说什么“自由恋爱”。
我认识顺姐,恰像小孩子玩“拼板”:把一幅图板割裂出来的大小碎片凑拼成原先
的图西。零星的图片包括她自己的倾诉,我历次和她的问答,旁人的传说和她偶然的吐
露。我由这一天的谈话,第一次拼凑出一小部分图面。

暫く考えて、分かった。彼女は地主の家の使用人だったのだ。私はもう尋ねなかった。「楽しんだ」に「自由恋愛」である、只々可笑しかった。
私は順姐を、まるで子供がジクソーパズルで遊ぶように知っていった。一幅の絵が大小に砕け、寄せ集められ、つなぎ合わされて、元の絵と成る。バラバラの絵の断片には彼女の思いの丈がこもっているのだ。これまでの彼女との会話や、人から伝え聞いたこと、彼女が偶々洩らした事。この日の会話で、わたしは初めてパズルの小さな一片を嵌めたのだった。

她初来我家,是我们搬到干面胡同那年的冬天。寒风凛冽的清早,她拿着个隔宿的
冷馒头,顶着风边走边吃。这是她的早饭。午饭也是一个干冷的馒头,她边走边吃,到
第二家去,专为这家病人洗屎裤子,因为这家女佣不肯干这事。然后她又到第三家去干
一下午活儿,直到做完晚饭,洗过碗,才回自己家吃饭。我问她晚上吃什么。她说“吃
饭吃菜”。什么菜呢?荤的素的都有,听来很丰盛。

彼女が初めて家に来たのは、私たちが干面フートンに越してきた年の冬であった。寒風肌を刺す早朝に、彼女は前の晩の冷たいマントウを手にし、風を受け歩きながら食べていた。それが彼女の朝食であった。昼食も乾いて冷たいマントウを歩きながら食べていた。二軒目の家ではもっぱら病人のおむつを洗った。その家のお手伝いが洗おうとしなかったからだ。そのあと、彼女は三軒目に行き午後中仕事をする。晩御飯を作って皿を洗い終え、やっと帰ってご飯を食べる。晩ご飯に何を食べるのか聞いたことがある。彼女は「ご飯とおかず。」と答えた。どんなおかずか?肉に魚に野菜と、聞いたところでは充分そうだった。

“等着你回家吃吗?”
她含糊其辞。经我追问,她说回家很晚,家里已经吃过晚饭了。
“给你留着菜吗?”
她又含含糊糊。我料想留给她的,只是残羹冷炙和剩饭了。
我看不过她冷风里啃个干馒头当早饭。我家现成有多余的粥、饭、菜肴和汤汤水水,
我叫她烤热了馒头,吃煮热的汤菜粥饭。中午就让她吃了饭走。这是她和我交情的开始。

「あなたが帰るのを待ってから食べるの?」
彼女は言葉を濁した。私が更に聞くと帰るのは遅いので家族は先に済ませていると答えた。
「おかずはあなたに取って置いてあるの?」
やはり彼女ははっきり言わない。彼女の食事は余って冷えた残りものであろうと思われた。
私は彼女が寒風の中、冷たいマントウを朝食にするのを見過ごせなかった。家にはもうできているお粥とご飯やお菜とスープがある。彼女にマントウを温めさせて、熱くしたスープやお粥を出した。お昼も私の家で食べてから行くようにさせた。こうやって彼女との付き合いが始まった。
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by dangao41 | 2011-08-23 10:33 | 楊絳 | Comments(2)

順姐の自由恋愛2

她原先每星期的上午分别在几家做,逐渐把每个上午都归并到我家来。
她家人口不少。“姐姐”有个独生女,最高学府毕业,右派分子,因不肯下乡改造,
脱离了岗位。这位大小姐新近离婚,有一个女儿一个儿子,都归她抚养,离异的丈夫每
月给赡养费。顺姐自己有个儿子已高中毕业,在工厂工作;大女儿在文工团,小女儿在
上学。

始め彼女は午前は曜日決めでに何軒かの家の仕事をしていたが、次第に毎日私の家だけに来るようになった。彼女の家族は多かった。“姐姐”には最高学府を出た一人娘がいて、右派分子の下放改造を受け入れなかったため、失職していた。このお嬢さんは離婚していて息子と娘を自分が引き取って育て、元夫からは毎月の養育費を受けていた。順姐自身には高校を出て働いている息子と、演芸団員の長女と学生の次女がいた。

我问顺姐:“你‘姐姐’早饭也吃个馒头吗?”
“不,她喝牛奶。”
“白牛奶。”
“加糖。”
“还吃什么呢?”
“高级点心。”
那时候还在“三年困难”期间,这些东西都不易得。我又问别人吃什么,顺姐支吾其辞,
可是早饭、午饭各啃一个冷馒头的,显然只顺姐一人。
“你的钱都交给‘姐姐’?”
“我还债呢,我看病花了不少钱呢。”
我当时没问她生什么病,只说:“她们都不干活儿吗?”
她又含含糊糊,只说:“也干。”

「あなたの“姐姐”も朝マントウを食べるの?」と聞くと、
「いや、あの人は牛乳を飲むんです。」
「そのままで?」
「砂糖をいれて。」
「他に何か食べるの?」
「上等な点心。」
まだ“三年困難”な時期であったからそう云った物を手に入れるのは易しい事ではなかった。他の家族は何を食べるのかとも聞くと、順姐は言葉を濁したが、朝も昼も冷たいマントウをかじっているのが彼女だけなのは明らかであった。
「あなたのお給料はみんな“姐姐”に渡すの?」
「まだ借りがあるんでネ。病気でお金をたくさん使ったですからネ。」
私はこの時は何の病気だったか聞かないで、ただ「みんなは働かないの?」と聞いた。
彼女はやはり歯切れも悪く、「働いてる。」とだけ答えた。

有一天,她忽从最贴身的内衣口袋里掏出一个破烂的银行存折给我看,得意地说:
“我自己存的钱呢!”
我一看存折是“零存零取”,结余的钱不足三元。她使我想起故事里的“小癫子”
把私房钱藏在嘴里,可惜存折不能含在嘴里。
我说:“你这存折磨得字都看不清了,还是让我给你藏着吧。”
她大为高兴,把存折交我保管。她说,她只管家里的房租、水电、煤火,还有每天
买菜的开销;多余的该是她的钱。她并不花钱买吃的,她只想攒点儿钱,梦想有朝一日
攒得一笔钱,她就是自己的主人了。我因此为她加了工资,又把过节钱或大热天的双倍
工资等,都让她存上。她另开了一个“零存整取”的存单。

ある日、彼女はいきなり下衣のポケットからよれよれの預金通帳を出して私に見せ、得意そうに
「自分で貯めたお金ネ!」と言った
見ると“少額を入れたり出したり”で残高は三元にも満たないのだ。口の中にへそくりを隠す“小狂人”の話を思い出させたが、残念ながら通帳は口に入らない。
「あなたの通帳は擦れて字がはっきりしないわ、私がしまっておいてあげましょうか?」
彼女はとても喜んで通帳を私に預けた。家賃、電気水道、石炭、毎日の食費の支払いは彼女が受け持ち、余ったお金が彼女のものと云う。決して食べ物を買ったりしないでお金を貯める事だけ考えていた。そしてそれがまとまった金額になる日を夢見ていた。そうしたら彼女が自分の主人になれるのだ。お金を貯められるよう私は彼女の給金を上げ、節句や酷暑の日には倍の支払いをした。彼女は新しく“積立”の口座を作った。

每逢过节,她照例要求给假一天。我说:“你就在我家过节不行吗?”她又大为高
兴,就在我家过节,还叫自己的两个女儿来向我拜节。她们俩长得都不错,很斯文,有
点拘谨,也带点矜持。顺姐常夸她大女儿刻苦练功,又笑她小女儿“虚荣呢”。我给顺
姐几只半旧的手提包,小女儿看中一只有肩带的,挂在身上当装饰。我注意到顺姐有一
口整齐的好牙齿,两颊两笑涡,一对耳朵肥厚伏贴,不过鼻子太尖瘦,眼睛大昏浊,而
且眼睛是横的。人眼当然是横生的,不知为什么她的眼睛叫人觉得是横的,我也说不明
白。她的大女儿身材苗条,面貌秀丽;小女儿是娇滴滴的,都有一口好牙齿。小女儿更
像妈妈;眼神很清,却也横。

節句の度にいつも彼女は一日の暇を願い出た。「ここでお節句をするのはどう?」と言うと、彼女はやはりとても喜んで、私の家で過ごすようになった。二人の娘も私に挨拶するように連れてきた。二人とも上品で生真面目で自尊心も持っていた。長女は骨身を惜しまず稽古に励んでいると、順姐はいつも言っていた。そして次女は“ええかっこしい”だと笑っていた。私が順姐にお古の手提げを幾つかあげると、次女は中の一つで肩掛けの付いているのが気にいり、身につけた。私は順姐の綺麗に揃った歯と、両頬の笑くぼ、形のよいふっくらした耳に気が付いた。けれど細い鼻は尖がり目は澄んでいなかった。しかも目が横に平たいのだ。人の目はもちろん横についているのだから、なぜ彼女の目が特に横の感じを与えるのか私には分からない。長女は華奢な体に美しい顔立ちで、次女は愛嬌があり、二人とも綺麗な歯をしていた。次女は母親に似て、澄んではいたがやはり横になった目をしていた。  (目が横???)

顺姐常说我喝水太多,人都喝胖了。
我笑问:“你胖还是我胖?”
她说:“当然你胖啊!”
我的大棉袄罩衣,只能作她的紧身衬衣。我瞧她裤子单薄,给了她一条我嫌太大的
厚毛裤,她却伸不进腿去,只好拆了重结。我笑着拉了她并立在大镜子前面,问她谁胖。
她惊奇地望着镜子里的自己,好像从未见过这种发胖的女人。我自从见了她的女儿,才
悟到她心目中的自己,还像十几岁小姑娘时代那么苗条、那么娇小呢。

順姐はいつも私が水分を取りすぎると言っていた、太ると言うのだ。
私は笑って言った「あなたと私とどちらが太っているかしら?」
「もちろん奥さんですよ!」
私の綿入れの上着は、彼女にはぴたぴたの下着にしかならない。彼女が薄手のズボンを穿いていたので、私には大きすぎるので好きではない厚手の毛織のズボンをあげた。だが足が入らない、縫い目を解くしかないだろう。私が笑いながら彼女を鏡の前に引っ張っていき、どっちが太っているかと尋ねたると、まるで見知らぬ太った女を見るように、彼女は不思議そうに鏡に写った我が身をながめていた。彼女の娘たちに会ったからこそ私には理解できたのだが、彼女の心にあるのは未だ10代だった娘の頃の、あんなにもほっそりとした、あんなにも愛らしかった自分の姿だったのである。

我为她攒的钱渐渐积到一百元。顺姐第一次见到我的三姐姐和七妹妹,第一句话都
是“太太给我攒了一百块钱呢!”说是我为她攒的也对,因为都是额外多给的。她名义
上的工资照例全交给“姐姐”。她的存款逐渐增长,二百,三百,快到四百了,她家的
大小姐突然光临,很不客气,岸然进来,问:

彼女のために貯めておいたお金はようやく百元になった。順姐が私の三姐や七妹に初めて会った時の第一声はいずれも「奥さんが百元貯めてくれたんですよネ!」だった。預かってもてもくれたし、何より余分にお給金をくれたから貯まったのだ、と言う。彼女の表向きの給料はいつも“姐姐”に全額行ってしまうのだから。順姐の貯金が二百、三百と次第に増えて四百元になろうとする頃、本妻のお嬢さんが突然にお出でになった。たいそう無遠慮に取り澄ましてやってくると尋ねた。

“我们的顺姐在你家做吧?”
她相貌端庄,已是稍为发福的中年人了,虽然家常打扮,看得出她年轻时准比顺姐
的大女儿还美。我请她进来,问她有什么事。
她傲然在沙发上一坐,问我:“她每月工钱多少?”
我说:“你问她自己嘛。”
“我问她了,她不肯说。”她口齿清楚斩截。
我说:“那么,我没有义务向你报告,你也没有权利来调查我呀。”
她很无礼地说:“唷!你们倒是相处得很好啊!”
我说:“她工作好,我很满意”。
她瞪着我,我也瞪着她。她坐了一会儿,只好告辞。

「家の順姐はお宅で働いておりますね?」
端正な顔立ちの、いささか福々しい中年女性で、普段着であったが若い頃は順姐の長女よりも更に美しかったに違いないと見てとれた。私は招き入れ要件を尋ねた。
お嬢さんはソファに傲然と座ると「あの人の月々のお給料はいかほどでしょうか?」と聞いた。
「ご自分でお聞きになってくださいな。」と私は言った。
「聞きましたけど、言おうとしません。」彼女は言葉もはっきりと答える。
「では、私は答える義務はないし、あなたも聞く権利はありません。」
「まあ、なんて仲良くやっている事!」彼女は言った。
「よく働いてくれて、満足していますよ。」私は言う。
彼女は私を睨みつけ、私も見返した。彼女はしばらく居座っていたが、暇を告げるしかなかった。

这位大小姐,和顺姐的大女儿长得比较相像。我因此猜想:她们的爸爸准是个文秀
的少爷。顺姐年轻时准也是个玲珑的小丫头。
据顺姐先后流露,这位大小姐最利害,最会折磨人。顺姐的“姐姐”曾给她儿子几
件新衬衫。大小姐想起这事,半夜三更立逼顺姐开箱子找出来退还她。顺姐常说,她干
活儿不怕累,只求晚上睡个好觉。可是她总不得睡。这位大小姐中午睡大觉,自己睡足
了,晚上就折腾顺姐,叫她不得安宁。顺姐睡在她家堆放箱笼什物的小屋里。大小姐随
时出出进进,开亮了电灯,翻箱倒柜。据同住一院的邻居传出来,这位小姐经常半夜里
罚顺姐下跪、打她耳光。我料想大小姐来我家凋查顺姐工资的那天晚上,顺姐准罚跪并
吃了耳光。可是她没有告诉我。

お嬢さんは順姐の長女とよく似ていた。このことから私は、子供たちの父親は眉目秀麗な若旦那だったのだろうと思った。順姐も若い時は美しい娘であったろう。
順姐がその前後に洩らした事によれば、このお嬢さんは最悪でひどく意地悪だという。“姐姐”が息子に新しいシャツを数枚くれた事があった。お嬢さんはこれを思いだすと、真夜中に返せと順姐に迫り、箱を開けて探させた。夜ぐっすり睡眠をとれさえすれば、仕事で疲れるのは構わないと順姐はいつも言っていた。しかしこれでは全く眠れない。お嬢さんは昼寝をするので寝足りている。夜になると順姐を苛めるので彼女は安眠できない。順姐は物置部屋に寝ているのである。お嬢さんは好きに出入りし、浩々と灯りをつけ物入れをかき回す。近所の噂によればお嬢さんはしょっちゅう夜なかに順姐を叱って土下座させひっぱたくという。お嬢さんが我が家に給金の額を調べにやって来たあの晩も、順姐は座らせられて頬を張られた事であろうと私は思った。けれど彼女が私にそれを告げる事はなかった。 
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by dangao41 | 2011-08-23 09:48 | 楊絳 | Comments(0)

順姐の自由恋愛3

顺姐常强调自己来北京之前,在家乡劳动多年,已经脱掉地主的帽子。据她后来告
诉我,全国解放时,她家大小姐在北京上大学,立即把她妈妈接到北京(她就是个逃亡
地主婆)。她丈夫没有被镇压,只是拘捕入狱,死在监牢里了。顺姐顶缸做了地主婆。
当时她的小女儿出生不久,她就下地劳动,得了子宫高度下垂症。这就是她治病花了不
少钱的缘故。她虽然动了手术,并没有除净病根。顺姐不懂生理学,只求干脆割除病根,
就可以轻轻松松干活儿,她还得了静脉曲张的病,当时也没理会,以为只需把曲曲弯弯
的筋全部抽掉就行。

北京に来る前に地方で長いこと労働をしたので地主の汚点は取れている、と順姐は常に強調していた。後に私に告げたところに依ると、全国解放時にはお嬢さんは北京の大学に行っていて、即刻母親を北京に迎えた。(すなわち本妻は逃亡した地主妻である)夫は弾劾はされなかったが捕らえられて牢に入れられ、そこで死亡した。順姐は代わりに女地主の立場になった。それは次女が生まれて間もない頃で、労働のため重症の子宮下垂となってしまった。これが治療に少なからずのお金を使った所以である。手術もしたのだが病根は取り除けなかった。彼女は生理学は理解しないまま、ただ悪いところを取りさえすれば具合が良くなると思っていた。静脈瘤も患ったが、当時はこの事も分かっていなくて、くねくね曲がった血管を全部取りさえすればいいのだと思っていた。

我常夸顺姐干活勤快利索,可当劳模。她叹气说,她和一个寡妇亲戚都可以当上劳
模,只要她们肯改嫁。她们俩都不肯。想娶顺姐的恰巧是管她劳动的干部,因为她拒绝,
故意刁难她,分配她干最重的活儿,她总算都顶过来了。我问她当时多少年纪。她才三
十岁。

順姐は精を出してきびきびと仕事に励む、模範労働者になれると私はいつも褒めた。彼女はため息をついて、彼女ともう一人、親戚の寡婦は再婚さえすれば模範労働者になれるだろう、でも二人とも再婚はしたくない。順姐を望んだのは職場の幹部で、断わったがために嫌がらせに一番きつい仕事を割り当てたそうだ。彼女はやっとのことでそれに耐えた。その頃、幾つだったのと私は尋ねた。彼女がまだ30歳の時であったという。

她称丈夫为“他”,有时怕我不明白,称“他们爹”或“老头子”。她也许为“他”
开脱地主之罪,也许为了卖弄“他”的学问,几次对我说,“他开学校,他是校长呢!”
又说,她的“公公”对待下人顶厚道,就只“老太婆”利害。(顺姐和我逐渐熟了,有
时不称“姐姐”,干脆称“老太婆”或“老婆子”。)这位太太是名门之女,有个亲妹
妹在英国留学,一直没有回国。

彼女は夫を“彼”と呼んだが、時々私にはっきり分かるように“子供たちの父親”とか“じじい”とかとも呼んだ。もしかしたら“彼”が地主だった罪を弁護するため、或いは“彼”の学歴をひけらかすためか、幾度か「彼は学校を作った。校長だったですネ!」と言った。また、“じいさん”は雇い人に親切だったが、”ばあさん“はひどかったと言った。(順姐は私と慣れるにつれて、時には”姐姐“とは呼ばずに、あっさりと”ばあさん“とか”ばばあ“を使った)この人は名門の子女で、イギリスに留学して一度も帰国しない妹がいるという。

有一天,顺姐忽来向我报喜,她的大女儿转正了,穿上军装了,也升了级,加了工
资。我向她贺喜,她却气得淌眼抹泪。
“一家人都早已知道了,只瞒我一个呢!”
她的子女,一出世就由大太太抱去抚养:孩子只认大太太为“妈妈”,顺姐称为
“幺幺”(读如“夭”),连姨娘都不是。他们心上怎会有什么“幺幺”啊!

ある日、順姐はだし抜けに長女が正規職員となったと喜ばしい報告をした。軍服を着られるし昇進して給料も増える。私はお祝いを述べたが、彼女はしょんぼりと涙を拭いている。
「家のみんなはとっくに知ってたんです。あたしだけがつんぼ桟敷だったんですよネ!」
彼女の娘は生まれ落ちるや正妻が連れて行って育て、子供は正妻を“お母さん”と呼び順姐を”ねえや”と呼んだ。彼女は妾ですらなかったのだ。彼らの心をどうして”ねえや”が占められるであろうか!

不久后,她告诉我,她家大小姐倒运了,那离了婚的丈夫犯下错误,降了级,工资
减少了,判定的赡养费也相应打了折扣。大小姐没好气,顺姐难免多受折磨。有一天,
她满面忧虑,又对我说起还债,还给我看一份法院的判决书和一份原告的状子。原来她
家大小姐向法院告了一状,说自己现在经济困难,她的弟弟妹妹都由她抚育成人,如今
二人都已工作,该每月各出一半工资,偿还她抚养的费用。这位小姐笔头很健,状子写
得头头是道。还说自己政治上处于不利地位,如何处处受压。法院判令弟妹每月各将工
资之半,津贴姐姐的生活。我仔细看了法院的判决和原告的状子,真想不到会有这等奇
事。我问顺姐:

暫くして順姐は、お嬢さんの運が変わったのだと私に告げた。離婚した夫は過ちを犯して格下げされ給料も減り、決められていた養育費もかなり減額となった。お嬢さんは不気嫌となり、順姐は彼女の腹いせを避けられなかった。ある日、憂鬱な顔で借金の話をし、裁判所の判決文と原告の起訴状を見せた。お嬢さんは裁判所に訴えを出していたのだった。現在経済的に困窮している、自分が弟妹を養なった、今は二人とも働いているのであるから、毎月給料の半を出して、姉に養育の費用を返す、と云うものであった。このお嬢さんは頗る筆が立っていて、書状の道理は通っている。そして自分は政治的に不利な立場にあっていろいろ圧力を受けているとも述べていた。裁判所は弟妹に毎月の給料の半分を、 姉の生活費に充てるように命じていた。私は仔細に判決文と起訴状を読んだが、まさかそんな事ははないだろうと順姐に尋ねた。

“你的孩子是她抚养的吗?”
顺姐说,大小姐当大学生时期,每年要花家里多少多少钱;毕业后以至结婚后,月
月要家里贴多少多少钱,她哪里抚养过弟弟妹妹呢!她家的钱,她弟弟妹妹就没份吗?
至于顺姐欠的债,确是欠了。她顶缸当地主婆,劳累过度,得了一身病;等到脱掉地主
的帽子,她已经病得很厉害,当时丈夫已经去世,她带了小女儿,投奔太太和大小姐。
她们把她送进医院,动了一个不小的手术,花了不少钱——这就是她欠的债,天天在偿
还。

「あなたの子供も彼女が面倒をみたの?」
順姐は、お嬢さんはその頃大学生で毎年かなりのお金を家から出してもらっていた、卒業して結婚してからも家からお金をもらっていた、弟妹を養うなんて事あるものですかネ!と言う。弟妹たちは家の財産を分けてもらわなかったのか?順姐の借金について言えば、確かに借りたのであろう。地主の身代わりになった為の過度の労苦で彼女は体を悪くした。地主の汚名が取れた時には病はたいそう進んでいた。夫は既にこの世を去り、子供を連れて正妻とお嬢さんの所へ身を寄せたのだった。彼らは順姐を医者にかからせ、そこで簡単とはいえない手術を受け、少なからずの費用がかかった。これが順姐の借金であり、ずっと返済してきたのだった。

顺姐叙事交代不清,代名词所指不明,事情发生的先后也没个次序,得耐心听,还
得费很多时间。经我提纲挚领地盘问,知道她在地主家当丫头时,十四岁就怀孕了。地
主家承认她怀的是他们家的子息,拿出三十元给顺姐的男家退婚,又出三十元给顺姐的
妈,把她买下来。顺姐是个“没工钱、白吃饭的”。她为主人家生儿育女,贴身伺候主
人主妇,也下地劳动。主人家从没给过工资,也没有节赏,也没有月例钱,只为她做过
一身绨料的衣裤。(这大约是生了儿子以后吧?)她吃饭不和主人同桌,只站在桌旁伺
候,添汤添饭,热天还打扇。她是个三十元卖掉终身的女奴。我算算她历年该得的最低
工资,治病的费用即使还大几倍,还债还绰有余裕。她一天帮三家,赚的钱(除了我为
她存的私房)全供家用开销。抚育她儿女的,不是她,倒是她家的大小姐吗?

順姐の説明ははっきりせず、誰が誰を指しているのか分からなかった。事の次第も連脈がないので辛抱を要し、かなりの時間も費やした。要点をかいつまんで問いただして分かった事は、地主の家で働いていた時分、14歳で妊娠してしまった。地主は彼女を孕ませたのは息子だと承知して、三十元を順姐の約束相手に払い婚約を解消させ、彼女の母親にも三十元を渡して順姐を買ったのだ。彼女は“給金無しで食事だけ”の者となった。主人の家で出産し子供を育てるため、主人夫婦の世話も畑仕事もした。給料も節気の小遣いも月々の係りも貰えず、ただ衣服だけを与えられた。(多分、これは息子を産んだ後の事であろうか)彼女は主人一家と食卓を共にせず、傍に給仕として侍り、夏には団扇で扇いだりと仕えた。三十元で生涯を奴婢として売られたのだ。私は彼女のこれまでの最低賃金を計算したが、治療費をとっくに数倍も超えていて余りある。彼女は毎日三件の家庭で働き、得たお金を(私が預かっているへそくりを除いて)全部家計に出している。子供の養育をしたのが彼女でなくて、お嬢さんだとでも言うつもりか?

看来,大小姐准料定顺姐有私蓄,要逼她吐出来;叫她眼看儿女还债,少不得多拿
出些钱来补贴儿女。顺姐愁的是,一经法院判决,有案可稽,她的子女也就像她一样,
老得还债了。
我问顺姐,“你说的事都有凭有据吗?”
她说:“都有呢。”大小姐到手的一注注款子,何年何月,什么名目,她历历如数
家珍。
我说:“顺姐,我给你写个状子,向中级人民法院上诉,怎么样?我也能写状子。”
她快活得像翻译文章里常说的“不敢相信自己的耳朵”。

お嬢さんは順姐にへそくりが有りそうだと見て吐き出させようと思ったようだ。子供たちが借金を返済しているのを順姐に見せて、もっとお金を出してその返済に充てなければどうにもならないと言った。順姐が心配していたのは一経法院の判決だった。記録があれば、子供たちも彼女のように返済しなければならない。
「あなたの話には裏付けがあるかしら?」と私は聞いた。
「みんなありますともネ。」と彼女はお嬢さんに渡したその金額、年月日、件名を一つ一つすらすらと列挙した。
「順姐、起訴状を書いてあげる。中級裁判所へ訴えなさい、どう?私だって起訴状を書けるのよ。」
翻訳文によくある「己の耳が信じられない」様子さながらに、彼女は大喜びした。
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by dangao41 | 2011-08-23 08:48 | 楊絳 | Comments(0)

順姐の自由恋愛4

我按她的意思替她上诉。我摆出大量事实,都证据确凿,一目了然。摆出了这些事
实,道理不讲自明。中级法院驳回大小姐的原诉,判定顺姐的子女没有义务还债;但如
果出于友爱,不妨酌量对他们的姐姐给些帮助。
我看了中级法院的判决,十分惬意,觉得吐了一口气。可是顺姐并不喜形于色。我
后来猜想:顺姐为这事,一定给大小姐罚跪,吃了狠狠的一顿嘴巴子呢。而且她的子女
并不感谢她。他们自愿每月贴大姐一半工资。

私は彼女の意思を受け告訴した。確証があり一目瞭然の大量の事実を並べた。提出したこれらの事柄は論じるまでもなく道理が通っていた。中級裁判所はお嬢さんの訴えを却下し、順姐の子供たちには返済の義務がないとの判決を出した。しかし肉親の情を持って彼らが姉を援助するのは構わない、と。
中級裁判所の決定に私は満足し、安堵した。けれど順姐は顔に出している程は喜んでいなかった。後の推測であるが、順姐はこの件でお嬢さんに土下座させられ、情け容赦なくひっぱたかれたに違いなかったろう。しかも子供たちは順姐に感謝もせず、姉に収入の半分を進んで差し出した事だったろう。

我设身处地,也能体会那位大小姐的恚恨,也能替她暗暗咒骂顺姐:“我们好好一
个家!偏有你这个死不要脸的贱丫头,眼睛横呀横的,扁着身于挤进我们家来。你算挣
气,会生儿子!我妈妈在封建压力下,把你的子女当亲生的一般抚养,你还不心足?财
产原该是我的,现在反正大家都没有了,你倒把陈年宿帐记得清楚?”

お嬢さんの立場になって考えてみれば、その恨みは理解できるし、順姐を心の中で罵る事さえできる。「家は立派な家庭なのよ!選りによってお前みたいな厚かましくて卑しい横目の女中が無理やり入り込んで来るなんて。計算づくで子供まで生んで!お母さまは封建的な縛りの中でお前の子供を自分の子のように育てたのよ、それでも足りないというの?いずれにせよ今は無くなってしまったけど財産は元々私の物の筈よ、それなのに長年の貸し借りをはっきり覚えてるですって?」

不记得哪个节日,顺姐的儿女到我家来了。我指着顺姐问他们:“她是你们的生身
妈妈,你们知道不知道?”
他们愕然。他们说不知道。能不知道吗?我不能理解。但他们不知道,顺姐当然不
敢自己说啊。
顺姐以后曾说,要不是我当面说明,她的子女不会认她做妈。可思顺姐仍然是个
“幺幺”。直到文化大革命,顺姐一家(除了她的一子二女)全给赶回家乡,顺姐的
“姐姐”去世,顺姐九死一生又回北京,她的子女才改口称“妈妈”。不过这是后话了。

何時の節季だか覚えていないのだが、順姐が娘たちを連れて遊びに来た時の事だ。私は順姐を指して聞いた、「あなた達を産んだお母さんだって事、知っているの?」
娘たちはびっくりし、知らなかったと言った。知らない筈があろうかと、私には理解できなかった。しかし彼女たちは知らなかったし、順姐が自分からは言えなかったのは勿論の事である。
後に順姐が言ったことだが、直に私が話さなかったら子供たちは彼女が母親だとは認めなかっただろう、まだ“ねえや”だと思っていただろうと。文化大革命の始まる前、順姐の一家(彼女の息子一人と娘二人を除いて)は、直ちに田舎に戻された。“姐姐”が亡くなって順姐は危ういところで北京に戻り、娘たちはやっと順姐を“お母さん”と呼ぶようになった。しかしこれは後の話である。

顺姐日夜劳累,又不得睡觉,腿上屈曲的静脉胀得疼痛,不能站立。我叫她上协和
医院理疗,果然有效。顺姐觉得我花了冤钱,重活儿又不是我家给她干的。所以我越叫
她休息,她越要卖命。结果,原来需要的一两个疗程延伸到两三个疗程才见效。我说理
疗当和休息结合,她怎么也听不进。

順姐は昼も夜も働き睡眠もとれず、足の静脈瘤が痛くて立てなくなった。私は彼女に共和病院の物理療法科に行くように進め、案の定良くなった。彼女は私に散財させてしまったと思い、私の家だけでなく他家でも仕事をするようになった。そこで彼女に休むように言ったが彼女は更に一生懸命に働いた。その結果、本来は1,2クールの治療で済むはずの物が、効果がでるまでに3クールとなった。私は治療と休息はセットなのだと説いたが、彼女はどうしても聞き入れなかった。

接下就来了“文化大革命”。院子里一个“极左大娘”叫顺姐写我的大字报。顺姐
说:写别的太太,都可以,就这个太太她不能写。她举出种种原因,“极左大娘”也无
可奈何。我陪斗给剃了半个光头(所谓阴阳头),“极左大娘”高兴得对我们邻居的阿
姨说:“你们对门的美人子,成了秃瓢儿了!公母俩一对秃瓢儿!”那位阿姨和我也有
交情,就回答说:“这个年头儿,谁都不知道自己怎样呢!”顺姐把这话传给我听,安
慰我说:“到这时候,你就知道谁是好人、谁是坏人了。不过,还是好人多呢。”我常
记着她这句话。

続いて「文化大革命」が起こった。敷地内に“極左おばさん”がいて、私の告発を書くよう順姐に迫った。順姐は別の人のなら書くけれどあの奥さんのは書けないと言い、色々と理由をあげたが“極左おばさん”は承知しなかった。私の夫は髪を半分剃られていたので(いわゆる陰陽頭)、“極左おばさん”は私の近所の人に「向かいの気どりや夫人は禿げ頭になるわ!夫婦揃って禿げ頭よ!」と愉快そうに言った。その人は私と仲良しだったので、すぐにこう言った、「このご時世だもの、誰だってどうなるか分かるものですか!」順姐はこの話を私に聞かせて慰めるように言った。「こうなってみると誰が好い人で誰が悪い人か分かります。でも、やはり好い人のほうが多いですよネ。」私はこの言葉をいつも思い出す。

红卫兵开始只剪短了我的头发。顺姐为我修齐头发,用爽身粉掸去头发楂子,一面
在我后颈和肩背上轻轻摩挲,摩挲着自言自语:
“‘他’用的就是这种爽身粉呢。蓝腰牌,就是这个牌子呢。”
大约她闻到了这种爽身粉的香,不由得想起死去的丈夫,忘了自己摩挲的是我的皮
肉了。我当时虽然没有心情喜笑,却不禁暗暗好笑,又不忍笑她。从前听她自称“我们
是自由恋爱”,觉得滑稽,这时我只有怜悯和同情了。

紅衛兵が私の髪を短く刈った。順姐は私の髪を整えるために天花粉を付けて細かい毛を払い、後ろ首と肩を優しく揉みながら独りごちた。
「“彼”が使っていたのもこの天花粉だわネ。藍腰印、これだったわネ。」
天花粉の香りで思わず夫を思い出したのだろう、私の体を揉んでいる事を忘れてしまった。その時の私は笑えるような心情ではなかったのだが、忍び笑いを禁じ得なかった。以前彼女が「私たちは自由恋愛なんです」と言った時は可笑しかったが、この時の私はただ可哀想にと思い遣ったのである。

红卫兵要到她家去“造反”,同院住户都教她控诉她家的大小姐。顺姐事先对我说:
“赶下乡去劳动我不怕,我倒是喜欢在地里劳动。我就怕和大小姐在一块儿。”那位大
小姐口才很好,红卫兵去造反,她出来侃侃而谈,把顺姐一把拖下水。结果,大小姐和
她的子女、她的妈妈,连同顺姐,一齐给赶回家乡。顺姐没有控诉大小姐,也没为自己
辩白一句。

紅衛兵が彼女のところに「造反」にやって来た時、そこに住む人々はお嬢さんの事を告発しろと勧めた。彼女は事に先立ち私に言っていた、「下放されて働くのは怖くないどころか、野良仕事は好きなんですよ。お嬢さんと一緒に行かされるのが嫌なんです。」お嬢さんは口が達者で紅衛兵がやって来ると、出て来て臆せずに談判し、順姐を巻き添えにした。その結果、お嬢さんとその子供、本妻と共に、順姐も一緒に田舎へ帰る破目になった。順姐はお嬢さんを訴える事もせず、一言の自己弁護もしなかった。

“文革”初期,我自忖难免成为牛鬼蛇神,乘早把顺姐的银行存单交还她自己保管。
她已有七百多元存款。我教她藏在身边,别给家人知道,存单的帐号我已替她记下,存
单丢失也不怕,不过她至少得告知自己的儿子(她儿子忠厚可靠,和顺姐长得最像)。
我下干校前曾偷偷到她家去探看,同院的人说“全家都给轰走了”。我和顺姐失去了联
系。

「文革」初期、私は自分が知識人とみなされるのを免れないと考え、早々に彼女の預金証書を自分で管理するよう渡しておいた。彼女の蓄えはすでに七百元余りとなっていた。身につけて仕舞っておくよう、家の人に知られないように注意を与え、番号はもう私が控えてあるから証書を失くしても心配しないように伝えた。しかし息子(正直で温厚で信頼できる、最も順姐似であった)にだけは教えておくようにと言った。
私が幹校に行かされるま前に、こっそりと彼女の家の様子を見に行った事がある。隣人は「一家全員追い出された」と言う。順姐との繋がりは切れてしまった。

有一天,我在街上走,忽有个女孩子从我后面窜出来,叫一声“钱姨妈”。我回脸
一看,原来是顺姐的小女儿,她毕业后没升学,分配在工厂工作。据说,他们兄妹三况都在工作的单位寄宿。我问起她家的人,说是在乡下。她没给我留个地址就走了。

街を歩いていたある日、急に後ろから女の子が「銭おばさん」と呼びかけた。振り向くと何と順姐の次女であった。卒業後は進学せず、工場に配置されていたのだ。聞いたところでは兄妹三人はみな職場の寮にいるという。家族のことを尋ねると田舎にいると言った。が、住所は告げずに去って行った。

我从干校回京,顺姐的两个女儿忽来看我,流泪说:她们的妈病得要死了,“那个
妈妈”已经去世,大姐跑得不知去向了。那时,他们兄妹三个都已结婚。我建议她们姐
妹下乡去看看(因为她们比哥哥容易请假),如有可能,把她们的妈接回北京治病。她
们回去和自己的丈夫、哥嫂等商量,三家凑了钱(我也搭一份),由她们姐妹买了许多
赠送乡村干部的礼品,回乡探母。不久,她们竟把顺姐接了出来。顺姐头发全都灰白了,
两目无光,横都不横了,路也不能走,由子女用自行车推着到我家。她当着儿女们没多
说话。我到她住处去看她,当时家里没别人,经我盘问,才知道她在乡间的详细情况。

幹校から北京に戻ると、順姐の二人の娘が突然会いにやってきて、泣きながらお母さんが重い病気で死にそうだと言う。“あのお母さん”はもう既に亡く、お嬢さんは出て行ってしまい行方知らずだという。この頃には三兄妹はみな結婚していた。私は姉妹に田舎に会いに帰るよう勧めた(兄より休暇を取り易いであろうから)。そして可能ならば、お母さんを連れ帰り北京で治療を受ければ、と。娘たちは帰って夫や兄嫁と相談し、三家族がお金を出し合い(私も分担した)、姉妹は村の幹部に贈る沢山の礼品を買い、田舎の母親に会いに行った。程なく、娘たちは母親を連れ帰ってきた。順姐の髪は灰色となり、横だった目は光りが失せ目じりも垂れて、歩くことも出来なかったので自転車に乗せられ押してもらって我が家にやってきた。彼女は娘たちの前では多くを話さなかった。しかし私が彼女の住まいを尋ねたとき、家には誰もいなかったので、私はやっと田舎での詳しい話を聞き出せた。

大小姐一到乡间,就告诉村干部顺姐有很多钱。顺姐只好拿出钱来,盖了一所房子,
置买了家具和生活必需品,又分得一块地,顺姐下地劳动,养活家里人。没多久,“姐
姐”投水自尽了,大小姐逃跑几次,抓回来又溜走,最后她带着女儿跑了,在各地流窜,
撩下个儿子给顺姐带。顺姐干惯农活,交了公粮,还有余裕,日子过得不错。只是她旧
病复发,子宫快要脱落,非医治不可。这次她能回京固然靠了礼品,她两个女儿也表现
特好。虽然从没下过乡,居然下地去劳动。顺姐把房子连同家具半送半卖给生产队,把
大小姐的儿子带回北京送还他父亲。村干部出一纸证明,表扬顺姐劳动积极,乐于助人
等等。

お嬢さんは田舎に着くや村の幹部に順姐がお金をたくさん持っていると言い付けた。順姐は差し出す以外になく、家を建て家具や必要な物を買い、配分された畑で働き家族を養った。暫くして「姐姐」は入水し命を絶った。お嬢さんは幾度か逃亡を企て、捕まってはまたこっそりと逃げた。とうとう娘を連れて出て各地を転々と逃げ回った。息子の方は順姐の元に置いていった。順姐は農村生活に慣れて、税作物を納めても余裕があり、日々の暮らしは悪くなかった。ただ古い病気がぶり返し、子宮脱になりかかり医者でなければ治せない。今回彼女が北京に帰れたのは、ひとえに礼品のお陰であったし、二人の娘も格別に良くやったのである。下放された事もないのに、なんと野良仕事もこなしたのだった。順姐は家と家具を生産隊に半ば上げ半ば売りして、お嬢さんの息子を北京のその父親の元へ連れ帰った。村の幹部は、順姐の勤勉な労働と喜んで人を助けた事に対して、表彰の証明書を出した。
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by dangao41 | 2011-08-23 07:13 | 楊絳 | Comments(0)

順姐の自由恋愛5 (終)

顺姐在乡间重逢自己的哥哥。哥哥诧怪说:“我们都翻了身,你怎么倒翻下去了
呢?”村干部也承认当初把她错划了阶级,因为她并非小老婆,只是个丫头,当地人都
知道的。这个地主家有一名轿夫、一名厨子还活着,都可作证。“文革”中,顺姐的大
女儿因出身不好,已退伍转业。儿子由同一缘故,未得申请入党。儿女们都要为妈妈要
求纠正错划,然后才能把她的户口迁回北京。

村にいる時に順姐は兄に再会したが、兄は訝しげに言った、「俺たちは解放されたのに、なんでお前は違うんだ?」村の幹部は彼女の階級が初め間違って区分されたのを知っていた。彼女は若奥さんどころか女中に過ぎなかったのだから。地主の家の車夫と料理番がまだ存命で証人となった。「文革」中は順姐の子供たちは出身が悪いため除隊し職を変えた。息子は同自理由で入党願を出せなかった。子供たちも母親の名誉回復が必要だったのである。そしてやっと戸籍を北京に戻すことができた。

他们中间有“笔杆子”,写了申请书请我过目。他们笔下的顺姐,简直就是电影里
的“白毛女”。顺姐对此没发表意见。我当然也没有意见。他们为了纠正错划的阶级,
在北京原住处的居委和乡村干部两方双管齐下,送了不少“人事”。儿子女儿还特地回
乡一次。但事情老拖着。村干部说:“没有问题,只待外调,不过一时还没有机会。”
北京街道上那位大娘满口答应,说只需到派出所一谈就妥。我怀疑两方都是受了礼物,
空口敷衍。

子供の中で「筆の立つ者」が申請書を書き私に目を通してくれと頼んだが、順姐をまさしく映画の「白毛女」に例えていた。彼女はこれに関してなにも言わなかった。私としても異論はない。子供たちは名誉回復を求めるため、北京の元の居住地と村の幹部の双方に等しく少なからぬ「袖の下」を使った。子供たちは特にそのために村を訪れもした。しかし事はなかなか進まない。村の幹部は「問題ない、外部の調査を待っている。しかしまだ機会がない。」と言う。北京のあのご近所の奥さんは、派出所に出向いて話せば済む問題だと言う。双方とも礼品を受け取っておいて、全くの口先ばかりなのかと私は疑惑を持った。

一年、两年、三年过去,事情还是拖延着。街道上那位大娘给人揭发了受贿
的劣迹;我也看到村里一个不知什么职位的干部写信要这要那。顺姐进医院动了手术,
病愈又在我家干活。她白花了两三年来攒下的钱,仍然是个没户口的“黑人”。每逢节
日,街道查户口,她只好闻风躲避。她叹气说:“人家过节快活,就我苦,像个没处藏
身的逃犯。”

一年、二年、三年と過ぎても進展がなかった。ご近所さんは賄賂を受け取った悪事を暴露しろと言う。どんな職務の者かは知らないが、村の幹部があれが欲しいこれが欲しいと寄こした手紙を私も見た事がある。順姐は病院へ行き手術を受け、病気を治してまた私の家で働いていた。彼女は二、三年来貯めたお金を使ったのに、戸籍は以前として「黒い」ままであった。節季ごとに、街の戸籍調べの度、気配を感じると彼女は身を隠すしかなかった。彼女はため息をつき言った。「みんなは節季を楽しめるのにあたしには苦でしかない。まるで隠れる場所がどこにもない逃亡犯のよう。」

那时候我们住一间办公室,顺姐住她儿子家,每天到我家干活,早来晚归。她一天
早上跑来,面无人色,好像刚见了讨命鬼似的。原来她在火车站附近看见了她家的大小
姐。我安慰她说,不要紧,北京地方大,不会再碰见。可是大小姐晚上竟找到她弟弟家
里,揪住顺姐和她吵闹,怪她卖掉了乡间的房子家具。她自己虽是“黑人”,却毫无顾
忌地向派出所去告顺姐,要找她还帐。派出所就到顺姐儿子家去找她。顺姐是积威之下,
见了大小姐的影子都害怕的。派出所又是她逃避都来不及的机关。

その当時、私たちは事務室に暮らし、順姐は子供の家に住んでいた。毎日家に仕事にきて、夕方に帰る。ある日、朝早くやってきたが鬼でも見たかのように顔色を失くしていた。駅の近くであのお嬢さんを見かけたのだった。心配ない、北京は広いのだからまた出会う事もないわよ、と私は慰めた。ところがお嬢さんは晩方には弟の家を探し当ててしまった。順姐を掴んで、なぜ村の家にあった家具を売り払ってしまったかと悶着を起こしたお嬢さんは自分が「黒い」にも係らず派出所に行き、順姐に貸したお金を返させるよう訴えた。職員が息子の家へ順姐を探しに来た。順姐の恐怖は積もり積もっていたし、お嬢さんの影にもひどく怯えていた。派出所ももう避けられない役所であった。

可是逼到这个地步,
她也直起腰板子来自卫了。乡间的房子是她花钱造的,家具什物是她备的,“老太婆”
的遗产她分文未取,因为“剥削来的财物她不要”。顺姐虽然钝口笨舌,只为理直气壮,
说话有力。她多次到派出所去和大小姐对质,博得了派出所同志的了解和同情。顺姐转
祸为福,“黑人”从此出了官,也就不再急于恢复户籍了。

しかし此処に至って順姐は背筋を伸ばし自分を守った。田舎の家は自分のお金で建てたこと、家具什器も自分で買ったこと、「姐姐」の遺産は受け取っていないこと、なぜなら「搾取した財物は欲しくないから」 順姐は訥々とではあるが、はっきり筋を通して語ったので説得力があった。彼女は何度か派出所へ出向きお嬢さんと向き合い、職員の理解と同情を得た。順姐の禍は福と転じ「黒」の身分からから出て公の身分になったばかりか戸籍も回復となった。

反正她在我们家,足有粮食可吃。
到“四人帮”下台,她不但立即恢复户籍,她错划的阶级,那时候也无所谓了。
我们搬入新居,她来同住,无忧无虑,大大发福起来,人人见了她就说她“又胖
了”。我说:“顺姐,你得减食,太胖了要多病的。”她说:“不行呢,我是饿怕了的,
我得吃饱呢!”

いずれにせよ彼女は私の家に住むようになった。食物は足りていたので食べていかれた。
「四人組」が去り、順姐は直ちに戸籍を回復したばかりでなく、その当時は問題にもされなくなっていた間違った身分も元に戻った。私たちは新居に引っ越し、順姐も一緒に暮らした。何の心配もなくなり大きな幸せがやってきた。人は彼女を見ると、「また太ったわね」と言った。「順姐、食事を減らしたほうがいいわ。太りすぎは体に悪いのよ。」と私は言ったが、彼女は「だめですよ、お腹が空くのは嫌なの、お腹いっぱい食べたいです。」と言った。

顺姐对我不再像以前那样爱面子、遮遮掩掩。她告诉我,她随母逃荒出来,曾在别
人家当丫头,可是她都不乐意,她最喜欢这个地主家,因为那里有吃有玩,最自在快活。
她和同伙的丫头每逢过节,一同偷酒喝,既醉且饱,睡觉醒来还晕头晕脑,一身酒气,
不免讨打,可是她很乐。
原来她就是为贪图这点“享受”,“自由恋爱”了。从此她丧失了小丫头所享受的
那点子快活自在,成了“幺幺”。她说自己“觉悟了”,确也是真情。

以前と違い、順姐は私には体裁をつくろわなくなった。彼女が母と飢饉で逃げた時、別の家でも女中として働いた事があると言った。でもそこは良くなかった。彼女が一番好きだったのはあの地主の家、食べられて遊べて、とても気楽で愉快だった。一緒に働く女の子たちと節季毎にこっそりお酒を飲み、酔っぱらってもまだ飲んだ。目が覚めると二日酔いで酒臭くて叱られたけど、すごく楽しかった。
そうだったのか、彼女が求めていたのはこのような「楽しみ」と「自由恋愛」だったのか。そして可愛い女中が楽しんでいたこの気ままな暮らしは失われ、”ねえや”と成り変った。彼女の「あたし分かったんです」、は確かに偽りのない気持ちだったろう。

她没享受到什么,身体已坏得不能再承受任何享受。一次她连天不想吃东西。我急
了。我说:“顺姐,你好好想想,你要吃什么?”
她认真想了一下,说:“我想吃个‘那交’(辣椒)呢。” “生的?还是干的?”
“北阳台上,泡菜坛子里的。”
我去捞了一只最长的红辣椒,她全吃下,说舒服了。不过那是暂时的。不久她大病,
我又一次把她送入医院。这回是割掉了胆囊。病愈不到两年,曲张的静脉裂口,流了一
地血。这时她家境已经很好,她就告老回家了。

彼女は何も楽しめなくなくなった、もう体はどんな楽しみも受けられないほど損なられてしまった。一度、何日も食べ物を欲しがらないない時があった。私は焦って、「さあ考えて、何が食べたい?」と聞いた。
彼女は暫し真剣に考えてから「唐辛子が食べたい。」と言った。
「生の?それとも干したもの?」
「ベランダの、漬物甕のが。」
一番大きな赤い唐辛子を掬ってくると、彼女は全部食べ気分が良くなったと言った。しかしそれも一時の事であった。程なく病は重くなり、私はまた彼女を病院へ行かせた。
今度は胆嚢を切り取ったが、傷口は二年もふさがらなかったし、静脈瘤も切れて血が流れた。この頃は彼女の家の状況も良くなっていたので、家に帰ると言った。

现在她的儿女辈都工作顺利,有的是厂长,有的是经理,还有两个八级工。折磨她
的那位大小姐,“右派”原是错划;她得到落实政策,飞往国外去了。顺姐现在是自己
的主人了,逢时过节,总做些我爱吃的菜肴来看望我。称她“顺姐”的,只我一人了。
也许只我一人,知道她的“自由恋爱”;只我一人,領会她“我也觉悟了呢”的滋味。

                                          
今では子供たちの仕事も順調で、一人は工場長一人は社長で、更に二人は八級工である。あの意地悪なお嬢さんは、元々「右派」に間違って区分されていたが、政策の実施を受けて国外へ飛び去った。順姐も今は自分が主人で、節季になるといつも私の好きな料理を作って会いに来てくれる。順姐と彼女を呼ぶのも私だけとなった。彼女の「自由恋愛」を知っているのも私だけかもしれない。ただ私一人だけが、彼女の「分かったんです」の妙味を知っている。                      
 一九九一年一月一日
           (終)

                                                2011・4   
原文  http://www.5156edu.com/html/15524/40.html        
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by dangao41 | 2011-08-23 06:08 | 楊絳 | Comments(0)

                            凧                魯迅

   北京的冬季,地上还有积雪,灰黑色的秃树枝丫叉于晴朗的天空中,而远处有
一二风筝浮动,在我是一种惊异和悲哀。故乡的风筝时节,是春二月,倘听到沙沙的风轮声,仰头便能看见一个淡黑色的蟹风筝或嫩蓝色的蜈蚣风筝。还有寂寞的瓦片风筝,没有风轮,又放得很低,伶仃地显出樵悴可怜模样。但此时地上的杨柳已经发芽,早的山桃也多吐蕾,和孩子们的天上的点缀照应,打成一片春日的温和。我现在在那里呢?四面都还是严冬的肃杀,而久经诀别的故乡的久经逝去的春天,却就在这天空中荡漾了。

地面にはまだ雪が積もり葉の落ちた木の枝が晴れた空に色濃く浮き、遠く凧がぽつりぽつりと漂う北京の冬に、私は不思議さと悲しさを覚える。 故郷の凧の季節は春二月である。もしシャーシャーと風を切る音が聞こえたなら、仰ぎ見れば濃い灰色の蟹凧や空色の百足凧が見られるだろう。ひっそりとした瓦凧は風を切る音も立てず低く浮かび、独りぼっちで元気もなく哀れを誘う。けれどこの時期にはすでに柳が芽吹き、早咲きの山桃もたくさんの蕾を付けている。空に舞う子供らの凧と共に、春の暖かさを感じさせる一幅となっているのだ。私は今どこに居るのだろう? 厳しい冬の寒々しさの中だというのに見上げた空に、とっくに決別した故郷の過ぎ去って久しい春の日が浮かんでいるではないか。

  但我是向来不爱放风筝的,不但不爱,并且嫌恶他,因为我以为这是没出息孩子所做的玩艺。和我相反的是我的小兄弟,他那时大概十岁内外罢,多病,瘦得不堪,然而最喜欢风筝,自己买不起,我又不许放,他只得张着小嘴,呆看着空中出神,有时至于小半日。远处的蟹风筝突然落下来了,他惊呼;两个瓦片风筝的缠绕解开了,他高兴得跳跃。他的这些,在我看来都是笑柄,可鄙的。

しかし私はもともと凧上げが好きではなかった。好きでないと言うより、嫌悪していた。意気地なしの子供の遊びだと思っていたからだ。相反して弟は、その頃10歳かそこらだったであろうか、病気がちの痩せっぽちで凧上げが一番好きであった。けれど自分では凧を買うことができず、私もさせてやらなかった。弟はポカンと口を開けて憑かれたように空を見上げ、時には半日もそうしている事もあった。遠くの蟹凧が突然落下すると弟はびっくりして声をあげ、絡まった二つの瓦凧がほどければ嬉しくて飛び跳ねた。
弟のこんな様を、私はいつも恥ずべき奴だと冷笑した。

  有一天,我忽然想起,似乎多旧不很看见他了,但记得曾见他在后园拾枯竹。我恍然大悟似的,便跑向少有人去的一同堆积杂物的小屋去,推开门,果然就在尘封的什物堆中发见了他。他向着大方凳,坐在小凳上;便很惊惶地站了起来,失了色瑟缩着。大方凳旁靠着一个蝴蝶风筝的竹骨,还没有糊上纸,凳上是一对做眼睛用的小风轮,正用红纸条装饰着,将要完工了。我在破获秘密的满足中,又很愤怒他的瞒了我的眼睛,这样苦心孤诣地来偷做没出息孩子的玩艺。我即刻伸手折断了蝴蝶的一支翅骨,又将风轮掷在地下,踏扁了。论长幼,论力气,他是都敌不过我的,我当然得到完全的胜利,于是傲然走出,留他绝望地站在小屋里。后来他怎样,我不知道,也没有留心。
 
ある日、気がつくと弟がいない。裏庭で枯れ竹を拾っていたなと思いだし、はっと気がついた。そこで人がめったに行かない物置小屋へ向かった。戸を開けると案の定、埃だらけの什器が積み上げられた部屋の中に弟はいた。大きな方形の台に向かい低い腰かけに座っていた。私を見ると驚いて立ち上がり、青くなって縮こまった。台のかたわらには胡蝶凧の竹枠が立てかけられ、まだ糊付けしていない紙もある。台には一対の目玉となる風輪と、正月用の赤い紙飾りもあって殆ど完成していた。私はしてやったりと満足に浸りつつも、弟が私に隠れ、苦心してこっそりと子供の手業とは思えない物を作っていた事にひどく腹を立てた。私はすぐさま手を伸ばし胡蝶の翅の骨を折り、風輪を地面に投げつけ、ぺしゃんこに踏みつけた。弟は年齢も体力も私に敵う訳もなく、当然のこと完全な勝利を得た私は、呆然と立ちすくむ弟を小屋に残し、傲然と立ち去ったのだった。その後、弟がどうしたか私は知らないし、気にも留めなかった。

  然而我的惩罚终于轮到了,在我们离别得很久之后,我已经是中年。我不幸偶而看了一本外国的讲论儿童的书,才知道 游戏是儿童最正当的行为,玩具是儿童的天使。于是二十年来毫不忆及的幼小时候对于精神的虐杀的这一幕,忽地在眼前展开,而我的心也仿佛同时变了铅块,很重很重的堕下去了。
但心又不竟堕下去而至于断绝,他只是很重很重地堕着,堕着。

けれど私への懲罰は、弟と離別して久しい後になってやって来た。私は既に中年になっていた。遺憾ながら偶然にも一冊、児童書を論述した外国の本を読み、遊びは子供の正当な行為であり、おもちゃは子供のエンゼルであると知るに至った。そして20年間、全く思い出すこともなかった子供時代の精神的虐殺の一幕が、急に目の前に広がり私の心は忽ち鉛の固まりと化したかの如く重く重く沈んでいった。
しかし心は沈んでぷつりと切れてしまう迄には至らない、ただ重く重く落ちて落ちて行く。

  我也知道补过的方法的:送他风筝,赞成他放,劝他放,我和他一同放。我们
嚷着,跑着,笑着。──然而他其时已经和我一样,早已有了胡子了。

埋め合わせ方を私は知ってはいる。弟に凧を与え遊ぶのを認めて揚げるのを励ます、私も一緒に凧を揚げるのだ。紐を引きながら私達は転げ回り、走り、笑う。──-けれども、今の弟は私と同様に髭も生えているのだ。

我也知道还有一个补过的方法的:去讨他的宽恕,等他说,“我可是毫不怪你
呵。”那么,我的心一定就轻松了,这确是一个可行的方法。有一回,我们会面的
时候,是脸上都已添刻了许多“生”的辛苦的条纹,而我的心很沉重。我们渐渐谈
起几时的旧事来,我便叙述到这一节,自说少年时代的胡涂。“我可是毫不怪你呵。”

私は別の償い方も知っている。弟に許しを求めるのだ、弟が「兄さんを責めたりしていない」と言うのを待つのだ。それで私の気持ちはすっかり軽くなる。これは確かに実行可能な方法だ。いつか、会うことがあったとしたら、お互いの顔には“人生”の苦労の皺が刻まれていて、しかも私の心はとても重い。私達の会話は徐々に昔の事になっていく。そこで私はこの事を持ち出し、少年時代の愚かさを自分から話す。弟は「ちっとも兄さんを悪くなんか思ってないよ。」と言う。

  我想,他要说了,我即刻便受了宽恕,我的心从此也宽松了罢。
“有过这样的事么?”他惊异地笑着说,就像旁听着别人的故事一样。他什么
也不记得了。
全然忘却,毫无怨恨,又有什么宽恕之可言呢?无怨的恕,说谎罢了。
我还能希求什么呢?我的心只得沉重着。
现在,故乡的春天又在这异地的空中了,既给我久经逝去的儿时的回忆,而一
并也带着无可把握的悲哀。我倒不如躲到肃杀的严冬中去罢,──但是,四面又明
明是严冬,正给我非常的寒威和冷气。
                                            一九二五年一月二十四日

弟がこう言ったら私はすぐさま彼の許しを受け取り、私の気持ちは軽くなるだろう。
「そんな事あったかな?」と弟は首をかしげ笑いながら言う、まるで別の人の話を聞いたかの様に。何も覚えていないのだ。
すっかり忘れてる、全く恨んでなんてない。だから許すも許さないもないだろう?
怨みがないのに許すなど、嘘にすぎない。
私がこの上何を求められるというのか?私の心はただ重いばかりだ。
今、故郷の春の日がこの異郷の空に映り、過ぎ去って久しい子供時代の思い出を私にもたらした、名状しがたい悲しみを供に。それなら私はむしろ殺伐とした厳冬の中に隠れていたほうがよい──しかし、四面は明々たる厳冬ではなかったか、それが非常な寒さと冷たさを正にもたらしているというのに。
                                                 
2010/3
   
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by dangao41 | 2011-08-17 17:40 | 魯迅 | Comments(0)

凧 読解の参考

三. 阅读下文,回答13—20题(23分)

北京的冬季,地上还有积雪,灰黑色的秃树枝丫叉于晴朗的天空中,而远处有一二风筝浮动,在我是一种惊异和悲哀。

故乡的风筝时节,是春二月,倘听到沙沙的风轮声,仰头便能看见一个淡墨色的蟹风筝或嫩蓝色的蜈蚣风筝。还有寂寞的瓦片风筝,没有风轮,又放得很低,伶仃地显出憔悴可怜的模样。但此时地上的杨柳已经发芽,早的山桃也多叶蕾,和孩子们的天上的点缀相照应,打成一片春日的温和。我现在在哪里呢?四面都还是严冬的肃杀,而久经诀别的故乡的久经逝去的春天,却就在这天空中荡漾了。

但我是向来不爱放风筝的,不但不爱,并且嫌恶他,因为我以为这是没有出息的孩子所做的玩艺。和我相反的是我的小兄弟,他那时大概十岁内外罢,多病,瘦得不堪,然而喜欢风筝,自己买不起,我又不许放,他只得张着小嘴,呆看着空中出神,有时至于小半日。远处的蟹风筝突然落下来了,他惊呼;两个瓦片风筝的缠绕解开了,他高兴得跳跃。他的这些,在我看来都是笑柄,可鄙的。

有一天,我忽然想起,似乎多日不很看见他了,但记得曾见他在后园拾枯竹。我恍然大悟似的,便跑向少有人去的一间堆积杂物的小屋去,推开门,果然就在尘封的什物堆中发现了他。①大方凳旁靠着一个蝴蝶风筝的竹骨,还没有糊上纸,凳上是一对做眼睛用的小风轮,正用红纸条装饰着,将要完工了。②我即刻伸手折断了蝴蝶的一支翅骨,又将风轮掷在地下,踏扁了。③他向着大方凳,坐在小凳上;便很惊惶地站了起来,失了色瑟缩着。④论长幼,论力气,他是敌不过我的,我当然得到完全的胜利,于是傲然走出,留他绝望地站在小屋里。⑤我在破获得秘密的满足中,又很愤怒他的瞒了我的眼睛,这样苦心了孤诣地偷做没出息孩子的玩艺。⑥后来他怎样,我不知道,也没留心。

然而我的惩罚终于轮到了,在我们离别得很久以后,我已经是中年。我不幸偶尔看了一本外国的讲论儿童的书,才知道游戏是儿童最正当的行为,玩具是儿童的天使。于是二十年来毫不忆及的幼小时候对于精神的虐杀的这一幕,忽地在眼前展开,而我的心也仿佛同时变了铅块,很重地堕下去了。

但心又不竟堕下去而至于断绝,他只是很重地堕着,堕着。

我也知道补过的方法:送他风筝,赞成他放,劝他放,我和他一同放。我们跳着,跑着,笑着。——然而他其时已和我一样,早已有了胡子了。

我也知道还有一个补过的方法:去讨他的宽恕,等他说,“我可毫不怪你呵。”那么,我的心一定就轻松了,这确是一个不可行的方法。有一回,我们会面的时候,是脸上都已添刻了许多“生”的辛苦的条纹,而我的心很沉重。我们渐渐谈起儿时的旧事来,我便叙述到这一节,自说少年时代的糊涂。“我可是毫不怪你呵。”我想,他要说了,我即刻便受了宽恕,我的心从此也是宽松了罢。

“有过这样的事么?”他惊异地笑着说,就像旁听着别人的故事一样,他什么也不记得了。

全然忘却,毫无怨恨,又有什么宽恕之可言呢?无怨的恕,说谎罢了。

我还能希求什么呢?我的心只得沉重着。

现在,故乡的春天又在这异地的空中了,既给我久经逝去的儿时的回忆,而一并也带着无可把握的悲哀。我倒不如躲到肃杀的严冬中去罢,——但是,四面又明明是严冬,正给我非常的寒威和冷气。


13. 文章开头写看见了风筝,“在我是一种惊异和悲哀。”这是为什么?结合全文内容简要回答。(4分)

答:

14. 第②段描写故乡放风筝的情景,表达了“我”什么情感?这段描写对下文起什么作用?(2分)

答:

15. 文中第④段标有①—⑥序号的语序被打乱,调整后正确的语序是( )(3分)

A. ②③⑤④①⑥ B. ③①⑤②④⑥

C. ③②④⑤①⑥ D. ②①⑤③④⑥

16. 第⑤段中说“然而我的惩罚终于轮到了”,“我的惩罚”指的是:(2分)



17. 第⑥段说,“但心又竟堕下去而至于断绝”,是因为:(2分)

__ 。

18. “脸上都已添刻了许多‘生’的辛苦的条纹”的含义是:(3分)



19. “无可把握的悲哀”是指( )(3分)

A. 把握不住的悲哀 B. 无可奈何的悲哀

C. 无法解脱的悲哀 D. 无处诉说的悲哀

20. 文末写道:“四面又明明是严冬,正给我非常的寒威和冷气。”这里仅指自然气侯吗?为什么?(4分)

__ 。



三. 阅读下文,回答13—20题(23分)

13. 在寒冷的北京看见风筝,使“我”想起故乡和故乡的春天,因而惊异;又因风筝勾起了“我”对儿时那“精神虐杀”一幕的回忆,又感到悲哀。

14.

① 表现“我”对故乡的怀念和对故乡春天的向往之情。

② 为下文的怀念作铺垫。

15. B

16. 当“我”明白对小弟的粗暴干涉是对儿童的天性的压抑时,我所受到的悔恨和痛苦的折磨。

17. 还希望找到补过的机会。

18. 为生活忙碌奔波,随岁月流逝,年纪大了。

19. C

20. 不仅指自然气候,还指当时的社会环境,表现封建传统势力还很强大,封建伦理道德及教育思想还严重地束缚着人们,以致小弟受了“精神虐杀”还不自觉。
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by dangao41 | 2011-08-17 17:35 | 魯迅 | Comments(2)

百草園

       百草園から三味書屋へ  (从百草园到三味书屋)  鲁迅

  我家的后面有一个很大的园,相传叫作百草园。现在是早已并屋子一起卖给朱文公的子孙了,连那最末次的相见也已经隔了七八年,其中似乎确凿只有一些野草;但那时却是我的乐园。
 
 私の家の裏には広い庭があり百草園と呼びならわされていた。今は既に家と一緒に朱文公の子孫に売却してしまったが最後に見たのは7,8年のことである。たしかに雑草しか生えていない庭であったと思うが、あの当時は私の楽園であったのだ。

  不必说碧绿的菜畦,光滑的石井栏,高大的皂荚树,紫红的桑椹;也不必说鸣蝉在树叶里长吟,肥胖的黄蜂伏在菜花上,轻捷的叫天子(云雀)忽然从草间直窜向云霄里去了。单是周围的短短的泥墙根一带,就有无限趣味。油蛉在这里低唱,蟋蟀们在这里弹琴。翻开断砖来,有时会遇见蜈蚣;还有斑蝥,倘若用手指按住它的脊梁,便会拍的一声,从后窍喷出一阵烟雾。何首乌藤和木莲藤缠络着,木莲有莲房一般的果实,何首乌有拥肿的根。有人说,何首乌根是有象人形的,吃了便可以成仙,我于是常常拔它起来,牵连不断地拔起来,也曾因此弄坏了泥墙,却从来没有见过有一块根象人样。如果不怕刺,还可以摘到覆盆子,象小珊瑚珠攒成的小球,又酸又甜,色味都比桑椹要好得远。
 
 緑の野菜畑は言うに及ばず、井戸の滑らかな石の欄干、大きなトウサイカチの木、赤紫の桑の実。セミは木の葉の陰で鳴き続け、丸々とした雀蜂は菜の花に隠れ、すばしっこい雲雀は急に草間から逃げ出て高い空に真っ直ぐに飛んでいく。周囲の所々崩れた土塀の根もとでさえも限りなく面白かった。ブヨは低く歌い、蟋蟀は楽器を奏でる。割れた煉瓦をひっくり返せば、ムカデに遭遇する時もあった。ハンミョウもいて、指でその背中を押すと尻からピュッと体液を噴射する。ツルドクダミと木蓮の蔓は絡みあっていた。木蓮は蓮の花托のような果実を付け、ツルドクダミは膨らんだ根っこをもっていた。ツルドクダミの根には人間の形をしているものもあって、食べれば仙人になれると聞いた。そこで私は根を引っこ抜き始め、次々と抜いたので土壁を壊してしまったが、人の形の根を一個だって見つけた事はなかった。もし刺されるのを厭わないなら、トックリイチゴを摘む事もできた。小さな珊瑚玉を集めたような球形で、酸っぱくて甘く、色合いも味わいも桑の実よりずっと良かったのだ。

  长的草里是不去的,因为相传这园里有一条很大的赤练蛇。
  长妈妈曾经讲给我一个故事听:先前,有一个读书人住在古庙里用功,晚间,
在院子里纳凉的时候,突然听到有人在叫他。答应着,四面看时,却见一个美女的脸露在墙头上,向他一笑,隐去了。他很高兴;但竟给那走来夜谈的老和尚识破了机关。说他脸上有些妖气,一定遇见“美女蛇”了;这是人首蛇身的怪物,能唤人名,倘一答应,夜间便要来吃这人的肉的。他自然吓得要死,而那老和尚却道无妨,给他一个小盒子,说只要放在枕边,便可高枕而卧。他虽然照样办,却总是睡不着,——当然睡不着的。到半夜,果然来了,沙沙沙!门外象是风雨声。他正抖作一团时,却听得豁的一声,一道金光从枕边飞出,外面便什么声音也没有了,那金光也就飞回来,敛在盒子里。后来呢?后来,老和尚说,这是飞蜈蚣,它能吸蛇的脑髓,美女蛇就被它治死了。

草が生い茂っているところへは行かなかった。この庭には大きな赤斑が一匹いるとの言い伝えがあったからだ。 
長妈妈が話してくれたのだが、昔、一人の書生が古廟に住み込み学んでいたという。晩方に庭で涼んでいると不意に誰かが彼の名を呼ぶ、返事してあたりを見回すと、美しい女が塀の向こうで彼に笑いかけると姿を消した。彼はたいそう嬉しくなった。しかしこの晩の事を聞いた和尚は女の実態を見破った。書生の顔には妖気があった、“美女蛇”に出くわしたのだろう。これは人間の顔を持った蛇の妖怪であり、相手の名前をもって呼びかける。もし返事をしてしまったら、夜更けにその者を食べにやって来るという。書生は当然に恐れ慄いたが、大丈夫だと和尚は小箱を書生に与え、これを枕元に置きぐっすり眠るがいいと言った。書生は言われた通りにしたものの寝つけなかった。眠れないのも無理はなかろう。夜も更けた頃、果たしてそれはやって来た。シャシャシャッ~!戸の外では風雨の様な音がする。書生が縮こまって震えていると、フッと箱が開く音がして、ひと筋の金色の光が枕元から飛び出していった。そとでは何の物音もしない。金の光もすぐ戻ってきて箱の中に収まった。それからは、って?和尚が言ったその続き、「あれは空飛ぶムカデで蛇の脳髄を吸うことができる。美しい蛇女はムカデに退治されたのだ。」

  结末的教训是:所以倘有陌生的声音叫你的名字,你万不可答应他。

  教訓:であるから、もしも見知らぬ人に名を呼ばれても、絶対に返事をしてはいけない。

  这故事很使我觉得做人之险,夏夜乘凉,往往有些担心,不敢去看墙上,而且极想得到一盒老和尚那样的飞蜈蚣。走到百草园的草丛旁边时,也常常这样想。但直到现在,总还没有得到,但也没有遇见过赤练蛇和美女蛇。叫我名字的陌生声音自然是常有的,然而都不是美女蛇。
 
この話は私に世の中は怖いと思わせた。夏の夜に涼んでいる時など、よくよく心配で塀に目を向けられなかったし、果てには和尚の飛ぶムカデの箱がとても欲しかった。百草園の草むらの傍に行った時はいつもそう思っていた。しかし今に至るまで、なにも起こらなかったし、赤斑蛇にも美しい蛇女にも出くわさなかった。私の名を呼ぶ見知らぬ人の声など自然に常となったが、美しい蛇女だった事などはない。
 
  冬天的百草园比较的无味;雪一下,可就两样了。拍雪人(将自己的全形印在雪上)和塑雪罗汉需要人们鉴赏,这是荒园,人迹罕至,所以不相宜,只好来捕鸟。薄薄的雪,是不行的;总须积雪盖了地面一两天,鸟雀们久已无处觅食的时候才好。扫开一块雪,露出地面,用一支短棒支起一面大的竹筛来,下面撒些秕谷,棒上系一条长绳,人远远地牵着,看鸟雀下来啄食,走到竹筛底下的时候,将绳子一拉,便罩住了。但所得的是麻雀居多,也有白颊的“张飞鸟”,性子很躁,养不过夜的。
 
冬の百草園は少しつまらない。だが雪が降れば一変した。雪人型(雪に全身を押しつけて人型をつける)や雪だるま作りは、出来上がれば人に見せたいが、荒れた庭で人はめったに通らないから相応しい場所ではなかった。それで鳥を捕るしかなかった。薄っすらの雪ではいけない。一日二日と一面に降り積もり、鳥たちがもう何処にも餌を探せなくなった頃がチャンスであった。一塊の雪を除き地面を露出し、その場を覆う大きな竹笊を短い棒で支えて穀物をばら撒く。棒には長い縄を結び、離れた場所で縄を持つ。鳥がやってきて啄み竹笊の下に入った時、縄を引いて覆い被せる。しかし捕れるのはたいてい雀だった。頬の白い張飛鳥も捕まえたが、気が短い鳥でその日の内に死んでしまった。 

  这是闰土的父亲所传授的方法,我却不大能用。明明见它们进去了,拉了绳,
跑去一看,却什么都没有,费了半天力,捉住的不过三四只。闰土的父亲是小半天便能捕获几十只,装在叉袋里叫着撞着的。我曾经问他得失的缘由,他只静静地笑道:你太性急,来不及等它走到中间去。
 
これは闰土の父親に教わった方法だが、私はあまり上手にできなかった。鳥が入って来たのをしっかり見て縄を引く、飛んで行って見れば何も無い。長い時間を費やして三、四羽しか捕ることができなかった。闰土の父親は私よりずっと短い時間で幾十羽も捕ることができて、袋の中でビービーバタバタとしていた。
どうして私には出来ないか理由を尋ねた事がある。彼は静かに微笑んで言った。坊っちゃんはせっかち過ぎて、鳥が真ん中に入るまで待てないからですよ。 

  我不知道为什么家里的人要将我送进书塾里去了,而且还是全城中称为最严厉的书塾。也许是因为拔何首乌毁了泥墙罢,也许是因为将砖头抛到间壁的梁家去了罢,也许是因为站在石井栏上跳下来罢,……都无从知道。总而言之:我将不能常到百草园了。Ade,我的蟋蟀们!Ade,我的覆盆子们和木莲们!
  
家人がどうして私を塾に行かせたのか分からない。しかもそれは町で一番厳しい塾であった。何首鳥を引きぬいて土壁を壊したからか、煉瓦を投げて隣の梁家との仕切り壁を壊したせいか、井戸の柵に上って飛び降りたせいか、・・・知るすべもない。要するに私は百草園にしょっちゅうは行かれなくなった。
さらば、私の蟋蟀よ!さらば、私の覆盆子よ、木蓮よ!

  出门向东,不上半里,走过一道石桥,便是我的先生的家了。从一扇黑油的竹门进去,第三间是书房。中间挂着一块扁道:三味书屋;扁下面是一幅画,画着一只很肥大的梅花鹿伏在古树下。没有孔子牌位,我们便对着那扁和鹿行礼。第一次算是拜孔子,第二次算是拜先生。

門を出て東に向かい200メートル程行き石橋を渡ると先生の家だった。黒光りした竹の入口から入って三つ目の部屋がが教室であった。真ん中には「三味本屋」の額が掛かっていて、その下には大きな梅花鹿が古木の元に座っている一幅の絵があった。孔子の位牌はなかったので、私たちはその額と鹿に向かってお辞儀した。一回目は孔子への礼で、二回目は先生への礼であった。

  第二次行礼时,先生便和蔼地在一旁答礼。他是一个高而瘦的老人,须发都花白了,还戴着大眼镜。我对他很恭敬,因为我早听到,他是本城中极方正,质朴,博学的人。
  
二度目の礼の時、先生は穏やかに返礼した。先生は背が高い痩せた老人で髭も髪も半白で大きな眼鏡をかけていた。私はたいそう礼儀正しくしていた。先生が町でも極めて公正・質朴・博学の人であると、とっくに聞き知っていたからだ。

  不知从那里听来的,东方朔也很渊博,他认识一种虫,名曰“怪哉”,冤气所化,用酒一浇,就消释了。我很想详细地知道这故事,但阿长是不知道的,因为她毕竟不渊博。现在得到机会了,可以问先生。
   “先生,‘怪哉’这虫,是怎么一回事?……”我上了生书,将要退下来的时候,赶忙问。
  “不知道!”他似乎很不高兴,脸上还有怒色了。

どこで私が耳にしたものか分からないが、東方朔も該博で“怪哉”という名の虫を知っていたという。これは恨みつらみが化けた虫で、酒を浴びせると溶けてしまうという。私はこの話を詳しく知りたかったのだが、長おばさんは博識ではなかったので知らなかった。さあ、今なら先生に聞ける。
 「先生、‘怪哉’という虫はいったい何なのですか?・・・」初めての授業が終って帰りの時間になった時、心逸らせ尋ねた。
 「知りません!」先生はとても不愉快そうで、顔に怒りの色さえみえた。

  我才知道做学生是不应该问这些事的,只要读书,因为他是渊博的宿儒,决不至于不知道,所谓不知道者,乃是不愿意说。年纪比我大的人,往往如此,我遇见过好几回了。
  
そこで私は生徒は勉強だけするべきで、このような事を聞いてはいけないのだなと理解した。なぜなら先生は該博の老学者で知らない事などない。知らないというのは即ち言いたくないのだ。大人は往々にしてこのようである、私は何度もそんな場面に出くわした。

  我就只读书,正午习字,晚上对课。先生最初这几天对我很严厉,后来却好起来了,不过给我读的书渐渐加多,对课也渐渐地加上字去,从三言到五言,终于到七言。
 
私は勉強だけするようになり、昼には字を習い晩には教科書を読んだ。先生は最初の幾日かは私に大変厳格であったが、その後は和らいでいった。しかし私に読ませる本は段々に多くなり、授業も次第に難しくなって三言から五言に、とうとう七言になっていった。

  三味书屋后面也有一个园,虽然小,但在那里也可以爬上花坛去折腊梅花,在地上或桂花树上寻蝉蜕。最好的工作是捉了苍蝇喂蚂蚁,静悄悄地没有声音。然而同窗们到园里的太多,太久,可就不行了,先生在书房里便大叫起来:
—“人都到那里去了?”
 
三味書屋の後ろには庭があり、小さいとはいえ花壇に登って蝋梅の枝を折れたし、地面で木犀の枝やセミの抜け殻を探すことができた。一番楽しいのは蝿を捕まえて蟻の餌にすることで、静かに声を出さずにやる。しかし多くの同級生が庭に出るので、長く居るのは無理であった。教室の先生の大声が聞こえてくる、「みんなどこへ行ったのか?」

  人们便一个一个陆续走回去;一同回去,也不行的。他有一条戒尺,但是不常用,也有罚跪的规矩,但也不常用,普通总不过瞪几眼,大声道:——“读书!”

生徒は一人また一人と続いて戻っていく、一緒に戻らなくてはならない。先生はお仕置き棒を持っているが常に使いはしない。罰として膝まずかせる習わしもあるが常にさせはしない。普通はカッと目を開き大声でこう言った——「本を読みなさい!」

  于是大家放开喉咙读一阵书,真是人声鼎沸。有念“仁远乎哉我欲仁斯仁至矣”的,有念“笑人齿缺曰狗窦大开”的,有念“上九潜龙勿用”的,有念“厥土下上上错厥贡苞茅橘柚”的……先生自己也念书。后来,我们的声音便低下去,静下去了,只有他还大声朗读着:——
“铁如意,指挥倜傥,一座皆惊呢~~;金叵罗,颠倒淋漓噫,千杯未醉嗬~~……”
 我疑心这是极好的文章,因为读到这里,他总是微笑起来,而且将头仰起,摇着,向后面拗过去,拗过去。

そこで生徒は声を振り絞って朗読し、まさしく人声沸き立つのである。“仁远乎哉我欲仁斯仁至矣”を読む者あり、“笑人齿缺曰狗窦大开”を読む者あり、“上九潜龙勿用”を読む者あり、“厥土下上上错厥贡苞茅橘柚”を読む者あり・・・・先生も自分の本を読む。少しすると生徒の声は低くなっていき、やがて静まってしまう。先生だけが大きな声で読み続ける-----“铁如意,指挥倜傥,一座皆惊呢~~;金叵罗,颠倒淋漓噫,千杯未醉嗬~~……”
私はこれはきっと素晴らしい文章なのに違いない、と思った。というのはこの部分にくると先生はいつも笑みを浮かべ、顔を仰向けて体をどんどん後ろへ反らせたからである。
 
  先生读书入神的时候,于我们是很相宜的。有几个便用纸糊的盔甲套在指甲上做戏。我是画画儿,用一种叫作“荆川纸”的,蒙在小说的绣像上一个个描下来,象习字时候的影写一样。读的书多起来,画的画也多起来;书没有读成,画的成绩却不少了,最成片断的是《荡寇志》和《西游记》的绣像,都有一大本。后来,因为要钱用,卖给一个有钱的同窗了。他的父亲是开锡箔店的;听说现在自己已经做了店主,而且快要升到绅士的地位了。这东西早已没有了罢。         九月十八日                                                       
先生が朗読に没頭している時、これは私たちには好都合であった。紙と糊で兜を作り指に嵌め遊んでいる者もいたが、私は絵を描いた。“荆川纸”と呼ばれた紙を小説の挿絵に重ねてなぞった。習字の時なぞるのと同じようにである。本が多くなれば挿絵も多くなる。本は読み切れないのに絵は沢山描いた。通して描いて完成させたのは《荡寇志》と《西游記》の挿絵である。二冊とも長い本だった。その後お金が必要となって金持ちの同級生に売ってしまった。彼の父親は錫箔店を経営していた。聞くところによると彼が今は主人だそうで、おまけにもうすぐ「紳士」にまでなるらしい。あの写し絵はもう無くなっているであろうな。                                2010/9
                                              (《朝花夕拾》)
原文 http://www.xys.org/xys/classics/Lu-Xun/Zhaohua/baicao.txt
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by dangao41 | 2011-08-16 14:16 | 魯迅 | Comments(10)

落花生  

                落花生   許地山

  我們屋後有半畝隙地。母親說: 「讓它荒蕪著怪可惜, 既然你們那麼愛吃花生, 就闢來做花生園罷。」我們姊弟幾個都很喜歡, ──買種的買種,動土的動土,灌園的灌園;過不了幾個月,居然收穫了!
  媽媽說:「今晚我們可以做一個收穫節,也請你們爹爹來嘗嘗我們的新花生,如何?」我們都答應了。母親把花生做好成好幾樣食品,還吩附這集會要在園裏的茅亭舉行。
  
  那晚上的天色不大好,可是爹爹也到了,實在很難得!爹爹說:「你們愛吃花生嗎?
我們都爭著答應:「愛!」
「誰能把花生的好處說出來?」
姐姐說:「花生的氣味很美。」
哥哥說:「花生可以製油。」
我說:「無論何等人都可以用賤價買它來吃;都喜歡吃它。這就是它的好處。」

  爹爹說:「花生的用處固然很多,但有一樣是很可貴的。這小小的豆不像那好看的蘋果、桃子、石榴,把它們的果實懸在枝上,鮮紅嫩綠的顏色,令人一望而發生羨慕的心;它只把果子埋在地下,等到成熟,才容人把它挖出來。你們偶然看見一棵花生瑟縮的長在地上,不能立刻辨出它有沒有果實,必得等到你接觸它,才能知道。」

  我們說:「是的。」母親也點點頭。爹爹接下去說:「所以你們要像花生;因為它是有用的,不是偉大、好看的東西。」我說:「那麼人要做有用的人,不要做偉大、體面的人了。」爹爹說:「這是我對於你們的希望。」
  我們談到夜闌才散,所有的花生食品雖然沒有了,然而父親的話現在還師在我心版上。

  
            落花生     許地山
 
 家の裏には半畝の空き地がありました。母は「荒れたままにして置くのはもったいないわ。うちでは皆、落花生が好きだから畑にして落花生を植えましょう。」と言いました。私たち兄弟はみな喜んで、それ種を買いに行こう、さあ土を耕して、ほら水をやってと働きました。幾月も経たないで何と収穫となりました。
 「今夜は収穫祭をしましょう。お父さんもお呼びしてみんなで作った落花生を味わっていただきましょうよ。どう?」と母が言い、私たちみんなが賛成しました。母は落花生でいくつもの料理を作り、その上、裏庭の東屋で食事をしましょうと言いいました。
 
 その晩の空もようはさして良くはありませんでしたが父も来てくれました、実に珍しいことなのです!
父は「お前たちは落花生が好きかい?」と聞きました。 私たちはみな口々に「好き!」と答えました。 
 「誰か落花生の好いところを言えるかな?」
 「とても美味しいです。」と姉が言いました。
 「油を絞ることも出来ます。」と兄が言いました。
 「誰でも少しのお金で買って食べることができて、誰もが好きです。これが好いところです。」と私が言いました。

  父は「むろん落花生は様々に使えるね、でももっと評価されるべきところがあるのだよ。この小さな実は、林檎や桃や石榴のようにきれいではない。木に成る果実は鮮やかな色合いで見ただけで人に欲しいと云う気持ちを起こさせるね。しかし落花生はね、土の中で熟すのを待ってやっと人は掘り出すことができる。お前たちがもし落花生が縮こまって生えているのを見たとして、実があるかないか直ぐに見分けるのは無理だろう。掘ってみて初めて分かるのだよ。」

 「本当ですね。」と私たちは言いました。母も頷きました。父は続けてこう言いました。「だからお前たちも落花生のようであるべきなのだ。落花生は小さくて、きれいでもないが有用なのだよ。」「役に立つ人間になるべきなのですね。立派である必要はなく、中身のある人間ですね。」と私は言い、父は「私はその様にお前たちに望むのだよ。」と言いました。

 私たちは夜更けまで話し続けました。落花生のお料理は全部食べてしまいましたが、父の話は未だ私の心に刻まれています。
                                                        2009・12


我们 家 的 屋 後 有 半 亩 隙 地 。 母亲 说 : 「 让 它 荒芜 着 怪 可惜 , 既然 你们 那么 爱 吃 花生 , 就 辟 来 做 花生 园 罢 。 」
 
wǒmen jiā de wū hòu yǒu bàn mǔ xì dì . mǔqīn shuō : 「 ràng tā huāngwú zhe/zhuó guài kěxī , jìrán nǐmen nàme ài chī huāshēng , jiù pì lái zuò huāshēng yuán ba . 」

我们 姊 弟 几 个 都 很 喜欢 , ─ ─ 买 种 的 买 种 , 动土 的 动土 , 灌 园 的 灌 园 ; 过 不了 几 个 月 , 居然 收 穫 了 ! 妈妈 说 : 「 今晚 我们 可以 做 一个 收 穫 节 , 也 请 你们 父亲 来 尝尝 我们 的 新 花生 , 如何 ? 」 我们 都 答应 了 。 母亲 把 花生 做 好 成 好几 样 食品 , 还 吩 附 这 集会 要 在 园 里 的 茅 亭 举行 。

wǒmen zǐ dì jǐ gè dōu hěn xǐhuān , ─ ─ mǎi zhǒng de mǎi zhǒng , dòngtǔ de dòngtǔ , guàn yuán de guàn yuán ; guò bùliǎo jǐ gè yuè , jūrán shōu 穫 le ! māma shuō : 「 jīnwǎn wǒmen kěyǐ zuò yīgè shōu 穫 jié , yě qǐng nǐmen fùqin lái chángcháng wǒmen de xīn huāshēng , rúhé ? 」 wǒmen dōu dāying le . mǔqīn bǎ huāshēng zuò hǎo/hào chéng hǎojǐ yàng shípǐn , hái/huán fēn fù zhè jíhuì yào zài yuán lǐ de máo tíng jǔxíng .

那 晚上 的 天色 不 大好 , 可是 爹爹 也 到 了 , 实在 很 难得 ! 父亲 说 : 「 你们 爱 吃 花生 吗 ? 」 我们 都 争 着 答应 : 「 爱 ! 「 谁 能 把 花生 的 好处 说 出来 ? 」 姐姐 说 : 「 花生 的 气味 很 美 。 」 哥哥 说 : 「 花生 可以 製 油 。 」 我 说 : 「 无论 何等 人 都 可以 用 贱价 买 它 来 吃 ; 都 喜欢 吃 它 。 这 就是 它 的 好处 。 」

nà wǎnshàng de tiānsè bù dàhǎo , kěshì diēdiē yě dào le , shízai hěn nándé ! fùqin shuō : 「 nǐmen ài chī huāshēng ma ? 」 wǒmen dōu zhēng zhe/zhuó dāying : 「 ài ! 「 shuí néng bǎ huāshēng de hǎochù shuō chūlái ? 」 jiějie shuō : 「 huāshēng de qìwèi hěn měi . 」 gēge shuō : 「 huāshēng kěyǐ 製 yóu . 」 wǒ shuō : 「 wúlùn héděng rén dōu kěyǐ yòng jiànjià mǎi tā lái chī ; dōu xǐhuān chī tā . zhè jiùshì tā de hǎochù . 」

父亲 说 : 「 花生 的 用处 固然 很多 , 但 有 一样 是 很 可贵 的 。 这 小小的 豆 不 像 那 好看 的 蘋 果 、 桃子 、 石榴 , 把 它们 的 果实 悬 在 枝 上 , 鲜红 嫩绿 的 颜色 , 令 人 一 望 而 发生 羡慕 的 心 ; 它 只 把 果子 埋 在 地下 , 等到 成熟 , 才 容 人 把 它 挖 出来 。 你们 偶然 看见 一 棵 花生 瑟缩 的 长 在 地上 , 不能 立刻 辨 出 它 有 没有 果实 , 必得 等到 你 接触 它 , 才能 知道 。 」 我们 说 : 「 是的 。 」 母亲 也 点点头 。

fùqin shuō : 「 huāshēng de yòngchu gùrán hěnduō , dàn yǒu yīyàng shì hěn kěguì de . zhè xiǎoxiǎode dòu bù xiàng nà hǎokàn de 蘋 guǒ 、 táozi 、 shíliu , bǎ tāmen de guǒshí xuán zài zhī shàng , xiānhóng nènlǜ de yánsè , lìng rén yī wàng ér fāshēng xiànmù de xīn ; tā zhī/zhǐ bǎ guǒzi mái zài dìxia(dìxià) , děngdào chéngshú , cái róng rén bǎ tā wā chūlái . nǐmen ǒurán kànjiàn yī kē huāshēng sèsuō de cháng/zhǎng zài dìshàng , bùnéng lìkè biàn chū tā yǒu méiyǒu guǒshí , bìděi děngdào nǐ jiēchù tā , cáinéng zhīdào . 」 wǒmen shuō : 「 shìde . 」 mǔqīn yě diǎndiǎntóu .

父亲 接 下去 说 : 「 所以 你们 要 像 花生 ; 因为 它 是 有用 的 , 不是 伟大 、 好看 的 东西 。 」 我 说 : 「 那么 人 要 做 有用 的 人 , 不要 做 伟大 、 体面 的 人 了 。 」 父亲 说 : 「 这 是 我 对 於 你们 的 希望 。 」 我们 谈到 夜阑 才 散 , 所 有的 花生 食品 虽然 没有 了 , 然而 父亲 的话 现在 还 师 在 我 心 版 上 。

fùqin jiē xiàqù shuō : 「 suǒyǐ nǐmen yào xiàng huāshēng ; yīnwèi tā shì yǒuyòng de , bùshi wěidà 、 hǎokàn de dōngxi(dōngxī) . 」 wǒ shuō : 「 nàme rén yào zuò yǒuyòng de rén , bùyào zuò wěidà 、 tǐmiàn de rén le . 」 fùqin shuō : 「 zhè shì wǒ duì wū/yū nǐmen de xīwàng . 」 wǒmen tándào yèlán cái sǎn/sàn , suǒ yǒude huāshēng shípǐn suīrán méiyǒu le , rán'ér fùqin dehuà xiànzài hái/huán shī zài wǒ xīn bǎn shàng .
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by dangao41 | 2011-08-16 12:07 | 許地山 | Comments(5)

離歌1

                           離歌                       魯敏 

  暴雨下了整整一夜,三爷惦记起东坝的那些坟茔,其下的肉身与骨殖,陪葬衣物,以及棺木,必定也在泥土下湿漉漉地悬浮着吧……他睡不着。
 挨到天亮,起来一瞧,发现门前河上的木桥给冲塌了。腐朽的木板散在河面,流连忘返地打着圈儿,最终与断绳、树枝、蓑草之类的一起,头也不回地漂走了。所幸他那条颜色发了黑的小船还在,水面儿上一上一下地晃着。
  没有人会修这座桥的。

 嵐は一晩中吹き荒れて、三爷(サンイエ)は東の土手の墓地が気がかりだった。仏も埋葬品も棺桶も泥土の中で湿り浮き上がっているのではないだろうか・・・彼は眠れなかった。

 夜が明けて見に行けば、戸口の前の川に掛かる木橋は押し流されていた。朽ちかけた木の板は川面に散在し帰るのも忘れたように回転していたが、終には縄を解き木っ端となり渦を抜け、樹の枝や草々と共に流れていく。幸いにも彼の黒ずんだ小舟はまだそこにあり、上に下にと揺れていた。 
  誰もこの橋を修理しない。  

  这么些年,人们从来都不用过桥,反正桥这边就只三爷一人。找他的就只站在对面,闷着嗓子用那样一种压抑的调子喊:三爷,西头的五姑奶奶过去了。三爷,栓子给电没了。三爷,江大年家的小媳妇喝农药走了。
  不论什么时辰,他即刻便穿了素衣出门去,小木桥摇晃着,河水在下面流,只照着他一个人的身影。人们要瞧见他过桥,便会互相地说:今天,三爷过桥了……这是当消息来说的,说的与听的皆明白:东坝,又有谁,上路去了……
 赶过去,那家里的大人孩子往往木呆呆的——就算平常见过多次邻里办丧,就算是上得了场面的人,临到自家,还是无措。大家都说:每到这个时候,就瞧出三爷的心硬来——他伸手抹一抹脸,几乎面无表情。  
 
もう長い間、村人が橋を渡ることはなかった。いずれにしろ橋のこちら側は三爷ただ一人しかいない。彼に用事なら向こう側に立ち、喉を絞って太い声で叫べばよい。「三爷、西頭の五姑が逝ってしまった~」だの「、三爺、栓子が感電して往生しちまった~」だの「三爷、江大年家の若い嫁が農薬を飲んで事切れた~」といった具合に。

 それが何どきであろうが彼はすぐに喪の服を着て出て行った。小さな木の橋は揺れて、下に流れる川の面はただ彼の影だけを映した。人々は彼が橋を渡るのを見れば行きあった人に話す。今日、三爷が橋を渡った・・・これで話は伝わり、話し手も聞き手も理解している。東堰で、また誰かが旅立ったのだ・・・
 
駆けつければ、往々にしてその家の大人も子供も茫然としている---たとえ、普段から何度も近所の葬式を出すのを見、それに参列していたとしても、自分の家の事となれば狼狽してしまう。人々は言うのである、「いつもその場になると、三爷は根性を据えるね。」--------彼は顔を手で拭って殆ど無表情になる。
 
  头一件事,是替新亡人收拾身子,趁还温软着,给他穿衣戴帽收拾整齐,完了头外脚里,让他躺得端端正正;接着悬挂门幡,设堂供奉,焚香化纸;再坐下开出一条货单,着人上街采买:白布、红布、黑布,各若干;别针;笔墨;黄纸红纸;白烛;大香;纸钱若干;草绳数丈等等。
  再在亲友中物色一个识文断字的,让其主管出入:吊唁的这时陆续赶到,进门便要奉上礼金与纸钱,需由他一一录下。有些远亲,多年不通来往,但只要得了信儿,也必定赶来,叩个头、化个纸。这里头,大有讲究,其严谨程度,远胜婚典。
  接着是找人搭席棚、找念经和尚、找做酒席的、找石匠刻碑、找风水先生、找吹打班子……

  先ず新仏を清めて、まだ温もりのあるうちに服を着せ帽子を被せ、頭から足まで整え終わると仏をきちんと横たえる。続いて入口に幟を掛け祭壇を設え、香を焚き紙銭を燃やす。それから腰を下ろして必要な物をメモし、街に買いに行かせる。買ってくる物は、白布・赤布・黒布に、止め針、筆と墨、黄紙赤紙、白蝋燭、長線香、紙銭、わら縄数尺等々。
 
次に親戚のなかで読み書きの出来る者を探し、金銭の管理を任せる。弔問客がその頃には続々と駆け付け入口で香典や紙銭を納めるので書き留めなければならない。遠い親戚の中には、長いこと行き来のない者もいるが、知らせを受ければ、必ず駆けつけて、叩頭し紙を燃やす。この土地ではその式次第はたいそう重んじられ、厳粛さにおいて婚礼をはるかに勝っていた。 
 
また、アンペラ小屋を組む者、経を読む和尚、清めの席を設える者、墓石を彫る者、風水を観る者、楽器の奏者をと、其々手配する・・・
  
  这样吩咐了一大圈,家里人慢慢镇定下来,前来帮忙的邻居们也各自得了事情,场面有些像个样子了。妇女们分成几堆,或围在厨房择菜洗涮,或在院中撕剪孝布,或在堂屋里叠做纸元宝,她们这时总会热烈地怀念新死者,于此种谈论中,后者皆可获得新的生命与新的品性:性情温和、节俭克己、心灵手巧……
  而这时,三爷也才终于得了空,问过主家的意愿,他便要过河回家扎纸人纸马了——三爷打小就是靠扎纸活儿谋生的,只因见的丧葬多了,又无家室,慢慢儿的,顺带着张罗起东坝人家丧葬的大小仪式。

 これらの指図がひと通り済むと、家族は次第に落ち着き、先から手伝いに来ていた隣人たちも各自の分担を心得て、場はそれなりの様子になっていった。女たちは幾つかに分かれて台所で菜の下ごしらえ、庭で孝布の準備、室内では紙金の整えと働き、作業をしながら彼女たちは死者を心から悼む、ここでの語らいのなか、逝った者は新しい生命と新しい人格を得る。穏やかで、つましく我慢強く、頭がよくて手先が器用だったね・・・

 これで三爷はやっと手が空く。喪主に断わって、河を渡り家に戻り紙銭紙馬を束ねる---- 三爷は子供の時から紙銭作りで生計を立ててきた。係わった葬儀は多かったし、家族がいないこともあり、徐々に東堰の人々の葬式の大なり小なりを取り仕切るようになっていった。
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by dangao41 | 2011-08-15 14:58 | 魯敏・離歌  | Comments(0)