小姨全文  why

①小姨长我八岁。我从小就是小姨的跟屁虫,小姨走到哪里,我就跟到哪里。我说小姨小姨,我最最想你,比想我妈还想你。小姨说我也是。

有一次跟着小姨回乡下,走在村头小路上,眼前是棵大柳树,小姨走在前,从右边绕过,我走在后,从左边绕过。小姨看见了,急忙退回来,也绕到左边。小姨告诉我,两个人不从一边儿走,将来要分心的。从此以后,不论和谁走在一起,我再也不敢绕开走。

大年初一那天,乡下人不兴洗衣服,大概是怕初一做家务,一年吃苦。可是过年那天,天大亮,我醒来睁开眼一看,小姨搬来两个洗脸盆正在洗我的脏衣物。

小姨回乡下常常领着我,我们一起去看露天电影,一起去供销社买零食,听她的小姐妹们七嘴八舌地讨论一张牡丹花图案的包袱皮儿为什么找不到了。和她们一起猜字谜,我经常是最快举手,于是小姨就显得很开心很自豪,心安理得的样子等着小姐妹们夸奖我。小姨还悄悄告诉我那个丢了包袱皮儿的最温柔可爱的女孩正在暗恋着小舅舅。到了晚上,小姨把火炕烧得热乎乎的,我们就钻进暖和的被窝里一起读三姨手抄的刑侦小说,什么『一双绣花鞋』呀,什么『梅花档案』呀之类的。

小姨那时风华正茂,也爱美。有一年街上开始流行高跟塑料凉鞋,小姨也买了一双白凉鞋回来,穿上了又觉得太招摇,借了父亲的小钢锯,二话不说就把鞋跟锯掉了半截。小姨的漂亮衣服,往往不出两个月,就穿在我身上了。她经常指着自己的衣服对我说:“这件儿也是你的”。

不过这些开心的回忆都远远比不上去小姨学生宿舍的那些日子。小姨学习成绩优异,高中考上了城里最好的一所学校,寄宿制。从我家到小姨的学校步行只要1个小时左右,于是我如鱼得水,常常让小姨接我去她的集体宿舍住。每当回忆起那段日子,至今让我激动不已。对于一个还在上小学的毛孩子来说,那些情窦初开的大姐姐们每个人都罩着一圈淡黄色的光环,她们细腻的皮肤,优美的曲线,圆润的胳膊和肩膀,丰满挺拔的胸部,还有各式各样花衬衫里时隐时现的内衣的轮廓,无不让我感到一种紧张而又神秘无穷的魅力。我躺在小姨的床上,默不作声却又全神贯注地听她们唱歌,讨论班里的男生,模仿生物老师的滑稽动作,房间里弥漫着雪花膏甜丝丝的香味儿和一种说不出的体香,让人窒息。这时仿佛我的每一个毛孔都沉浸在一个陌生的流体世界里,这就是青春吗?青春,这是一个多么触目惊心的词眼儿,让我觉得如此遥不可及,又有些迫不及待。在大姐姐们此起彼伏的笑声里,我的心怦怦跳个不停,我屏住呼吸,静悄悄地等待属于我的青春的到来,可是每次总是等不到什么,不知不觉中就睡着了。

后来小姨最好的一个朋友爱上了班主任,两人经历了一段短暂而又惊心动魄的爱情之后,以班主任调离而告终。多年以后,母亲谈起一个熟人说,对了,他当年还是你小姨的班主任呢。母亲的一句话立刻把我带回那拥挤的女生宿舍,我仿佛又闻到了空气里游丝般漂浮的友谊牌雪花膏的清香。


②初中毕业后,我也升入同一所高中,那时我家已经搬到了离学校只有10分钟的地方,根本不需要寄宿。可是我还是在升入高三后执意办理了住校手续。時隔八年,小姨和小姨的同学们早就离开学校各奔东西了,当年的女生宿舍也改成了体育教室,我们住的是新建的宿舍楼,十分气派,我却再也没有找到小姨和她的同学们曾经拥有过的那一块小小的空间。也许是因为我和小姨的那段回忆在她离开学校那天,就已经被我打上了封条,所有的笑声和空气还有点点滴滴的往事我都小心翼翼地珍藏着,却从来舍不得打开。

小姨升入高三后,不知为什么,患上了严重的脑神经痛,疼起来有时用头撞墙。母亲安排小姨住院检查治疗,几个月后病情虽然有所缓解,病根却留了下来,学业再也无法继续下去了。小姨无奈放弃高考机会,回乡下老家。

过了一段日子,亲朋好友们开始忙着给小姨提亲,左一个右一个,条件都不错,可小姨就是不答应。大家都说,这孩子真犟,看来是被我们惯坏了。后来小姨终于主动坦白,她早就喜欢上了一个初中同学。不久,未来的小姨父给领来了,是乡里的小学教师,个子不高,浓眉大眼,总是笑眯眯的,很和善,一看就是个忠厚老实人。小姨原来已经有心上人,这对我简直是个晴天霹雳,我和小姨那么好,她却从来没有跟我提起过。这个我不认识的人,却可以在小姨的心里占据比我还要大的空间,这令我十分难过,充满妒意。我不甘心地问他,小姨上初中时什么样,他眯着眼睛很幸福的样子说,你小姨很淘气,每天中午休息时都往我的鞋壳里灌满沙子。

那时候社会还很保守,青年男女难得有机会约会,母亲有意给小姨和男朋友一点单独时间,腾出一个房间让他们慢慢谈,我傻乎乎地像从前一样,也跟了过去,被母亲一把拉回来,骂我不懂事。

③就这样,小姨顺理成章地嫁给了小姨父,相继生了两个表妹。我上大学时,表妹们大概有三四岁,小姨是家庭主妇,姨父一个人的薪水养活四口人,生活想必十分拮据。我有时给小姨写信,告诉她一些学校的趣闻,回信大多是小姨父,说小姨已经看过信了,大家都很欣慰,让我注意身体,用功学习,团结同学。小姨父也写一手好字,令我钦佩不已。只有一次,我意外的接到一封小姨亲笔写的挂号信,信封比平时厚,打开一看,里边除了便笺,还有大大小小几张纸币,数了数有三十块钱,除了两张面值十块的,还有一张五块的和几张一块的。小姨说钱虽然不多,是小姨的一点心意,让我不要告诉母亲。那时在北京,一个普通大学生的月生活费需要八十块左右,小姨从她一家微薄的生活费里攒下来这笔私房钱该有多么不容易,想到这些,我的心都要碎了,那笔钱很长时间我都舍不得花。

后来我来到日本,经济上自立后,生活宽裕了,一次回国探亲时,母亲说你小姨家表妹考上了省重点中学,初中就开始住校,他们又要盖房子,开销很大,帮帮他们吧。我托母亲捎过去一笔钱,小姨很高兴,逢人就说,我外甥女惦记我呢。我想哪怕现在我能给她更多的钱,永远也比不上当年小姨寄给我的三十块钱,比不上那五张一块钱人民币的价值。

小姨排行最小,哥哥姐姐们都说她争强好胜,性格急躁,是他们凡事让着小妹,结果把她给惯坏了。因为小姨对我从来都是百依百顺,言听计从,所以我没见过小姨发脾气。但是据母亲和三姨讲,小姨说话尖刻,得理不让人,像三姨父那样万人之上的人,回到家里却能被小姨气得直流眼泪,说不出话来。这些哥哥姐姐们谁也不敢惹她,谁惹她骂谁,只有母亲因为是长女,小姨敬畏她三分,不高兴也不敢骂,顶多怄气,不说话就是了。

小姨父工作努力,尽职尽责,因此在小学任教一段时间后,提拔到中学任校长,后来调到政府部门管财会。那时乡下家家大兴土木盖新房。小姨也坐不住了,筹划着翻盖房子。小姨虽然没工作,但是家里有不少耕地,她勤俭持家,吃苦耐劳,不知不觉已经攒下了一笔不小的积蓄,加上兄弟姐妹们的赞助,又跟大伯子借了一笔钱,足够盖房子了。不过考虑到姨父工作性质,为了避免让别人怀疑挪用公款,揩国家油,大家劝小姨暂缓一下,不要太招摇,等街坊邻居都住进新房之后再开工也不迟。

④大家劝小姨暂缓一下,不要太招摇,等街坊邻居都住进新房之后再开工也不迟。但是小姨是个急性子,雷厉风行,想好的事就是九头牛也拦不住。施工队很快就请来了,每天上午要干多少,下午要干多少,给每个人分派硬性任务,小姨是怕是怕施工队磨洋工,让姨父监工,不完成任务不给开饭。姨父自己也吃不着饭,对建筑工们又十分过意不去,只好陪着他们一起干,直到完成任务。因此据说施工队对小姨颇有微词,看在忠厚的姨父的面子上,才没说什么。母亲有时苦笑着提起这件事,她知道我和小姨的感情,不好多说,只是说:“唉,你小姨越来越厉害了。”她其实是想说小姨对人不应该太刻薄。

房子盖好后,果然有人告小姨父假公济私,上级派人调查,尽管没有查出什么,但为了避嫌,只好把小姨夫调离财政部门,回教育口当中学校长。对这件事,不知小姨是怎么想的,小姨可能根本没有时间去想,因为她又开始忙着攒钱还大伯子的债了。大伯子就是小姨夫的大哥,本来是外科医生,后来弃医从政,有权有势,是医科大学的校长,也是省级最大综合医院的院长,不缺那点儿钱,也没有跟亲弟弟催债的迹象。大家劝小姨都是自家人,不必忙着还钱,别把身体累坏了要紧。小姨执意不从,咬着牙忙里忙外,早出晚归,硬是攒够了一笔钱,还清了大哥的债,这才心里一块石头落了地。

现在两个表妹长大成人了,大表妹也在学校任教,小表妹聪明伶俐,中学打了六年球,直到高考的前一个星期还有人见她在球场看球呢,好像不费吹灰之力大学就考上了。表妹有前途,我曾经和母亲商量是不是叫她来日本留学,母亲劝我慎重考虑,小姨是个烈性子,办好了,没问题;如果万一有什么闪失,就怕影响我和小姨的关系。不过后来小表妹还是去国外留学了,两个表妹都有出息了,我想小姨这下该松口气了吧,母亲说未必,你小姨是闲不住的人,没事儿干,倒难受呢。

前些天,母亲苦笑着说,听说你小姨父有“女朋友”了。我笑了:“听谁说的?”“还有谁,听你小姨说的呗。”“那是好事啊,证明我小姨父这把年纪还有人看得上呢。”“嗨,你小姨可不这么想。疑神疑鬼的,学校的女同事来了几条短信,就变成女朋友了。要是光看看你小姨父的手机,那还好说,就怕她火头上跑到学校闹事,那你小姨父这校长以后还怎么当啊。”

我倒是觉得就算小姨父的女朋友是真的,也不足为奇。此时此刻,他一定很需要一点心灵的慰藉,一点温情,而小姨已经付出了太多太多,经历了生活的坎坷,岁月的磨砺,小姨再也不是那个往男生的鞋壳里灌沙子的淘气的小女孩儿了。(完)
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by dangao41 | 2012-04-15 15:22 | why | Comments(0)

                  叔母さん              家有三姨                     why

   三姨是个马大哈。小时候,三姨给我们烧菜,不小心菜刀割破了手指头,出血的本来是中指,结果她找来两片创可贴,把无名指包了个严严实实。

 三叔母はそそっかしい。私たちが子供のころ、三叔母は食事を作ってくれた時、うっかりして包丁で指を切ってしまった。血が出たのは中指なのだが叔母はバンドエイド二枚を薬指にしっかりと貼った。

   三姨12岁那年,正赶上文化大革命如火如荼。我父亲因为加入某地下党派的莫须有罪名,身陷囹圄。那些日子,据说姥姥负责照顾母亲,三姨小小年纪,担负起了给父亲送饭的重任,每天长途跋涉,往返20里地。那时还没有我呢,后来,三姨常常跟我提起,这辈子见过的最可怕的一张脸就是你爸。你爸爸放出来那天,回家来我们都不认识了,头肿得足有常人的两个那么大,把我吓哭了。

 三叔母が12歳の年は文化大革命が真っ最中の時期であった。私の父は地下活動に係わったという、でっちあげの罪状で投獄された。当時、祖母は私の母の面倒を見なければならず、まだ小さかった三叔母が父に食事を届けるという役目を負って、毎日往復10キロもの道のりを歩いて通った。私はまだ生まれていなかった。後に三叔母はよく言っていた。今までに見てきたなかで一番恐ろしかった顔は、あなたのお父さんの顔よ。あの日お父さんが釈放されて帰宅した時、家族は誰も見分けがつかなかった、頭は普通の倍にも腫れあがってね、私は脅えて泣いてしまったの、と。

  三姨谈恋爱时,我刚上小学。未来的三姨父分配工作到水利局不长时间。三姨领着我去男朋友的宿舍玩儿。我少不经事,不懂大人是怎么回事,只是看墙上贴了很多文字材料,那个时代的人们喜欢写钢笔字,我看了一会儿,有点烦,就不看了。三姨问写得怎么样?我心不在焉地回答说:内容还凑合,就是字写得不太好看。未来的三姨父哈哈大笑,然后就出门砍劈柴去了。三姨红着脸批评我,你真不会说话,那是"他"写的材料啊。
 
 私がちょうど小学校に上がった頃、三叔母は恋愛していた。未来の三叔父は水道局に配置されて間がなかった。叔母は私を連れてボーイフレンドの寮に遊びに行った。壁には字を書いた紙がたくさん貼ってあった。当時の人たちは万年筆で書くのを好んでいた。まだ幼かった私は、大人たちの事情が良く分からないまま、ちょっと眺めていたが見飽きて止めた。叔母は感想は?と聞いた。私は上の空で、書いてある文章は良いけれども字が良くないと答えた。叔父となる人は大笑いして、薪を割りに出て行った。叔母は真っ赤になって私を叱った。「あなたは本当に口下手ね、あれは“彼”が書いたのよ。」

  后来三姨结婚,准三姨父转正变成了三姨父,再后来表妹出生,表弟出生。三姨一家过来玩儿,我每次都发现一件怪事,姨父抱着孩子时,手指就不停地在孩子身上比比划划,吃饭时,就在桌上比比划划。后来我恍然大悟,原来姨父是在练字。三姨和姨父两人的字漂亮得都可以当字帖,不过我至今相信姨父的一手好字和我有直接关系。
 
 後に叔母は結婚して 準三叔父は正式に三叔父となり、従妹弟たちが生まれた。叔母一家が家に遊びに来るたび、私は不思議な光景を見た。叔父は子供を抱きながら指を子供の体に這わせ動かしている、食事をしながら指はテーブルをなぞる。後に私はハッと気が付いた、叔父は漢字の練習をしていたのだ。叔母も叔父もお手本帖になるくらいの上手な字だが、叔父の達筆には私も直接に関わっていたのだと今に至るまで信じている。

  高一那年暑假,我一个人坐长途汽车去三姨家玩儿。三姨高兴地每天领着我和表弟表妹们去逛街,到了晚上,三姨父就买回很多好吃的东西摆上满满一桌,不停地催着我多吃点,多吃点。三姨说我们去照相馆拍张纪念照吧。照相馆离三姨家很近,照相师傅是熟人,照好了,说什么也不肯收钱,三姨执意要给,两个人拉拉扯扯争了半天,三姨说如果你是自家买卖,不给也就算了,国家单位,怎么能不给钱呢?其实我知道,如果真的是自家买卖,三姨一定又会说:如果是国家单位,不交钱也就算了,怎么能让你个人吃亏呢?三姨就是这样的性格,从来不肯占别人一分钱的便宜。

 高一の夏休み、長距離バスに乗り一人で叔母の家に遊びに行った。三叔母は大喜びで毎日私と従妹弟を連れて街に出かけ、夜には叔父が美味しい物を買ってきてテーブル一杯に並べ、ひっきりなしにもっと食べなさいと促した。叔母は皆で写真館へ行き記念写真を撮りましょうと言った。写真館は家から近くて、顔なじみのカメラマンは撮り終ると、どうしても代金を受け取ろうとしなかった。三叔母も頑として払うと言い、二人はお互いに譲らず長いことやりあったすえ、叔母はこう言った。もしお宅が自営業ならば甘えられるけれど、国営ですもの、お支払しない訳にはいきませんでしょう、と。けれど私には分かっていた、もし店が個人営業であったら叔母はこう言ったに違いない。国営店なら払わなくても済むけれど、あなたにご損はさせられない、と。叔母はこのような性格で、ちょっとでもうまい汁を吸うような事を決してしなかった。

  姨有句话很经典:男人都是恶狼。多年以后我来到日本,发现居然有这样的歌词,可谓英雄所见略同。
 
 男はみなオオカミよ、叔母のこの言葉は名言である。ずっと後に私は日本に来て、思いがけなくも同じ歌詞に出会った。すぐれた見解は何処も同じと云うべきか。 

  三姨当了大半辈子教员,姨父是小小地方政府的第N把手(虽说是个七品芝麻官,可是看三姨一家的生活水平,就知道在中国给执政党当官实在是个美差)。有一次,三姨出去旅游,姨父同事来送行,随手递过来一个纸包说,拿去用吧。三姨不知是什么东西,后来打开一看,是满满一包人民币,不由得倒吸一口冷气。

  三叔母はずっと教職にあり、叔父は小さな地方都市の役付き公務員であった。(トップ・クラスではないとはいえ叔母一家の生活水準をみれば、中国の役人は実際に実入りの良い職業である) ある時、叔母は旅行に出かけた。見送りにきた叔父の職場の人が、これをお使いくださいと言って紙包みを手渡した。中身は知らずに後で開けてみるとどっさりの人民紙幣で、叔母はびっくりして言葉もなかったという。

 三姨古道热肠,助人为乐,慷慨大方,三姨父更是有过之而无不及。这种性格,当然受益最多的就是她的兄弟姐妹们了。三姨跟我说,我这都是跟你妈学来的,我小时候,家里穷,你妈在城里上班,就是这样帮助我们的。

 叔母は律義で人情に厚く、人を助けることを楽しみとして気前がよかったし、叔父も勝るとも劣らずであった。このような性格で最もお陰を被ったのは当然に兄弟姉妹である。叔母は私に言った、「あなたのお母さんから学んだ事よ、私が小さい時、家は裕福じゃなかった。お姉さんはずっと町で働いて、ちょうどこんな風に私たちを援助してくれたの。」

 表弟结婚,搬出去时,自己用的旧电脑没带走。三姨过意不去,给了他一笔钱。表弟拿着钱高高兴兴买了一台新电脑,用上了。过了几天,表弟回来,
说:“妈,这旧电脑我还是带走吧。”嫁出去的表妹听说了,也回来了:“妈,要不然我也买台新电脑算了”。三姨苦笑着,对母亲说:现在的年轻人,精明着呢。

 従弟が結婚して家を出た時、自分の古いパソコンを置いていった。三叔母は済まないと思って彼にお金をあげた。従弟は受け取って大喜びで新しいパソコンを買い、使い始めた。暫くして従弟はやって来て言った。「お母さん、あの古いパソコン、やっぱり持っていくよ。」 お嫁に行っていた従妹もその話を聞いてやって来た。「お母さん、なんだったら私も新しいパソコンを買っちゃおうかな。」 叔母は苦笑して私の母に言った。「今の若い人はちゃっかりしている事。」

  三姨喜欢旅游,跟着三姨父走遍了大江南北,又开始出境旅游。去年本来准备好随团去台湾,结果一场台风和泥石流,计划泡汤了。大伙商量那就叫他们来日本玩儿吧,于是今年2月份就开始申请访日签证,我还兴致勃勃地准备彻底庸俗一把,领着他们走遍秋叶原、银座、箱根和北海道呢。没想到签证刚批下来,就赶上这千年不遇的地震。三姨十分沮丧,在家里叹气说:唉,我咋这么不走运啊,自然灾害都叫我赶上了。日本去不成了,那咱们就去美国!
我说拜托了三姨!您老人家快闭嘴吧。美国人民已经饱经蹂躏,发生了恐怖事件、金融危机,您还要・・・・・・

 叔母は旅行が好きで叔父と共に国内の津々浦々をまわり、海外にも出掛けるようになった。昨年は台湾ツアーに参加の予定であったが、台風と土砂崩れで流れてしまった。皆で相談し日本へ来れば、となって今年の2月に訪日ピザの申請を出した。私はワクワクとB級に徹したプランを立てた。秋葉原に銀座に箱根に、そして北海道に連れていこう。ビザが下りた途端に千年に一度の地震が起こるなど思いもしなかった。叔母はたいそうがっかりし電話口で溜め息をついて言った。「あ~、どうしてこんない運が悪いのかしら、今度も災害に出くわすなんて。日本には行かれないから、アメリカに行くわ!」
 私は叔母にお願いしましたよ!叔母さん、言っちゃだめ。アメリカはもう充分な目に遭ってるわ。テロがあったし金融危機もあるし、叔母さんこれ以上・・・・
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by dangao41 | 2011-10-01 09:42 | why | Comments(6)

大舅

                     叔父さん         大舅               why 

  北方人喜欢吃发面馒头,小时候,我尤其爱吃馒头皮。乳白色的蒸汽里,新出屉的馒头光滑柔软,薄薄的馒头皮晶莹剔透,又筋道又香甜。后来有个小朋友不知听谁说的,神情紧张地告诉我,“剥馒头皮穷大舅”,再这么吃下去,你大舅要揭不开锅了。从此以后,吃馒头皮时,像基督徒用餐前祷告一样,我总是会感到一点不安,却依然无法抵御那一层薄薄的馒头皮的诱惑。

 北方では発酵種のマントウが好まれる。子供のころ私はマントウの皮が特に好きだった。白い湯気のなかで蒸し上がったマントウはなめらかで柔らかく、薄い表皮はつやつやと透きとおり、むっちりと甘く美味しい。或る時、誰から聞いたものか友達が表情も硬くこう言った。「“マントウの皮を剥がすと叔父さんが貧乏になる“って、そんな食べ方をしていたらあなたの叔父さんは毎日のご飯も食べられなくなるわよ。」その後、マントウの皮を食べる時はキリスト教徒の食前の祈りのようにお祈りしたが、いつも落ち着かなかった。そのくせ相も変わらずマントウの薄皮の誘惑には抵抗するすべがなかった。

  虽然不至于揭不开锅,多年以来,大舅一家的生活的确十分艰难。有时我甚至自责或许大舅的贫穷真的是因为我馒头皮吃多了。

日々の食事に事欠くとまではならなかったとは云え、長いこと叔父一家の生活は確かに苦しかった。叔父の困窮の真の原因は、私がマントウの皮をたくさん食べたせいではないかと自分を責めたこともあった。

  大舅从小过继给他的大伯,没有感受过太多的父爱母爱的温暖,继父据说是一个极其严厉苛刻的人,在大舅十几岁,刚刚可以自立时,就把他赶出家门,独立生活。加之“家庭成分”不好,大舅在村里备受歧视,饱尝人情冷暖,世态炎凉。大舅是庄稼人,过了一辈子面朝黄土背朝天的生活,一直渴望有一天能翻身过上好日子,可是从来没有过大的起色。

 叔父は小さい頃に大伯父に引き取られ、温かい父母の愛を充分に受けることがなかった。継父は大そう厳しい人だったという。叔父が十幾つかでやっと自立できるようになると、家から追い出して一人で生活させた。その上“家庭区分”が悪かった叔父は村の中で差別を受けて、人の心の変わりやすさ、世間の薄情さを嫌というほど味わった。叔父は農夫であり、面を地に背を天に向けて過ごし、いつか打って変わった良い日がやってくるようひたすら願ったが、今までたいして良くなりもしなかった。

  大舅后来娶了舅母,生了两个表弟,两个表妹。舅母温柔善良,贤惠能干,跟着大舅吃了一辈子苦,但是我没听舅母有过一句怨言。在我的印象里,清瘦的舅母总是笑眯眯的,忙着给孩子们做棉衣,纳鞋底儿,喂猪喂鸡,没日没夜地操劳。

 叔父は結婚し、男女二人ずつのいとこ達も生まれた。叔母となった人は気立てが優しく働き者であった。叔父との生活は苦しかったであろう、だが彼女が愚痴を言うのを聞いたことがない。ほっそりした姿に笑みを絶やさず、子供たちの服を作り、布靴底を刺子に縫い、家畜へ餌を与え一日中働いていた、という印象を私は叔母に持っている。

  在上个世纪的一段漫长的历史过程中,中国生活物资匮乏,国家曾经实行供给制,日用消费品凭票供应。母亲经常省下粮票布票之类,攒一些米面和便宜的棉布找机会给乡下的大舅捎过去,给孩子们改善伙食,做新衣服。那时候,大米白面叫细粮,限量供应;小米玉米面高粱米等等是粗粮,价格便宜,供应量相对充足。有几年的时间,家里只有节假日和乡下来客人时才能吃得上白米饭,所以对我来说,姨和舅舅们来我家意味着要吃好东西了,要过节了。多年以后,读到王小波随笔里的一段记述,有一天少年小波的饭碗里居然放着一块肉,他按捺不住激动的心情,打开窗户对着外面一声大吼:“我家吃肉啦!”

 前世紀の歴史の長い一過程で、中国では生活物資が欠乏していた。政府は配給制を実施し、日常品に切符が必要だった。母は節約して穀物や布類の券を節約し、米や小麦粉、安価な木綿を貯めておいて、何かの折を見つけては郷里の叔父に送った。子供たちによりましな食事を、新しい服も作れるように、と。当時、米や小麦粉は「细粮」といって供給量には限りがあった。粟やトウモロコシ粉や高粱の実などは「粗粮」といって値段が安く供給も充分であった。その頃、家では祝祭日やお客さんが来た時だけ白米を食べた。だから私にとって、叔母や叔父が家に来る事は美味しい食べ物を意味し、ハレの日であった。ずっと後に王小波のエッセイを読んだのだが、子供の時のある日、お茶碗に思いがけなくも肉を見つけると、嬉しさを抑えきれず窓を開け外に向かって大声でどなったという。「家じゃ肉を食べるんだよ!」

  虽然这样的日子我没有经历过,不过我知道在王小波为一块红烧肉而激动不已的二十年之后,大米和猪肉在中国的大部分地区仍然是供百姓打牙祭的上等货。

 私はこの様な経験をしなかったとはいえ、王小波が肉の醤油煮込みに興奮を押さえられなかったその20年後でさえ、白米や豚肉が中国のかなりの地域で、庶民にはたまのご馳走だったことは知っている。

  每当要过大年的时候,大舅就会带着大包的年货过来看望母亲。有舅母蒸的黄米面豆包,家养的新鲜猪肉,大舅会挑最瘦的精肉送过来,自家舍不得吃,留下肥肉榨油,还有大舅和舅母亲手灌的香肠。这是大舅一年当中唯一可以表达心意的一次机会,所以总是显得很高兴。

 毎年の大晦日、叔父はたくさんの年越しのお土産を持って母に会いに来た。中身は叔母の蒸したキビの餡饅頭に屠ったばかりの豚肉。肉は赤味を選って持って来てくれた。叔父は自家用には赤味肉は勿体なくて食べられず、ラードを作る脂身だけを自分たちに残した。他に叔父と叔母手作りの腸詰めもあった。これは叔父が気持ちを表せる年に一度だけの機会であったから、いつもとても嬉しそうにしていた。
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by dangao41 | 2011-10-01 08:43 | why | Comments(2)

大舅(2)

                 叔父さん 2                             why

大舅经常过来,而我们却很少有机会去大舅家。在我的记忆里,有一年小学放暑假,母亲领着我和妹妹去大舅家,走進舅舅家院子,远远地看见舅母从里面跑着迎了出来,一边小声叫着“姐姐来了姐姐来了”,一边紧紧抱住母亲,泪流满面。

叔父はよく家に来たが私たちが叔父の所に行くことはあまりなかった。思いだすのは小学生の時の或る夏休みのこと、母は私と妹たちを連れて叔父の家に行った。叔父さんの家の庭入ると、遠くから叔父と叔母は小走りで出迎えに来て、小さな声で姉さんが来てくれた、と言いながら母をしっかり抱きしめた。顔は涙でくしゃくしゃであった。

那天晚上,我和表弟表妹们在院子里铺了几张席子,躺在上面一起看星星。夜色如水,月光如霜,夜晚的天空是深不可测的藏蓝色,拳头大的星星仿佛伸手可及,空气里弥漫着蒿草和夜露清凉的气息。

その晩、私はいとこ達と庭に広げた茣蓙に寝転がって星を眺めた。夜の色は水のようで、月の光は霜のようで、夜の空は果てしないほどに深い藍色で、大きな星々は手を伸ばせば届きそうであった。大気は 蒿草と夜露の爽やかな香りに満ちていた。

第二天,舅母早早起床挤一桶牛奶倒在大锅里用慢火熬,水分蒸发掉了,就是鲜奶酪,我们叫奶豆腐,刚出锅的新鲜东西城里是吃不到的。如今舅母早已离开人世了,每当想起舅母,我总是会想起她守着大锅,手把手教我们熬牛奶,做奶豆腐。

翌日、叔母は早朝に起きて桶一杯の牛乳を搾り、大鍋に移しとろ火にかけた。水分が蒸発すれば柔らかなミルクのチーズになるのだ。私たちは牛乳豆腐と呼んでいた。出来たてのそれは都市では絶対に味わえないものであった。叔母はもう他界したが思い出す度にいつでも、大鍋の様子をみつつ、手を取って私たちに加減を教えながら牛乳豆腐を作ってくれた叔母の様子が目に浮ぶ。

有一年冬天,庄稼收成好,大舅家有了一笔令人喜出望外的收入,舅母领着表弟表妹们进城采购年货,给每个孩子都买了几件新衣服,欢天喜地地回家过年。这是我见过的舅舅舅母花钱最大方的一次,在舅母有生之年里,他们再也没有过这样的好日子。

ある年の冬、作物の出来が良くて叔父一家は思いがけない収入を得た。叔母はいとこたちを連れて町へ年末の買い物に出かけた。子供たちはみな新しい服を数着買ってもらい、大喜びで家へ帰りお正月を迎えた。叔父と叔母が気前よく散財したのを私が見たのは、この時の一度だけである。その後、叔母の生きている間にこのようなことは二度となかった。

或许是积劳成疾,舅母住进了医院。那时我上高中,有时陪母亲一起去医院看望舅母,每次总是看到舅母和病友们慢声细语地聊家常。母亲去了,舅母很高兴,又很过意不去。一次,母亲用小砂锅炖了一只鸡端到病房给舅母补养身体,母亲走后,舅母打开砂锅才发现粗心大意的母亲炖鸡时忘了剔内脏,舅母怕给病友们看到笑话母亲不懂烹调,一个人偷偷地把鸡一点一点吃掉了。出院后,舅母回家养病,不久就去世了。病床上的舅母成了我对她的点点滴滴记忆中最后一个定格。

苦労を重ねたためか叔母は病に倒れ入院した。その当時、私は高校生で時々母と一緒に見舞いに行った。いつも叔母は同室の人たちとおっとりとお喋りしていた。母が行くと叔母はたいそう喜んだが、とても済まながりもした。一度、栄養をつけるようにと母は土鍋でトロトロ煮込んだ鶏を届けた。母が帰ってから叔母は鍋を開けて、そそっかしい母が内臓を取り忘れていた事に気がついた。母が料理を知らないと同室の病友に笑われるかもと心配した叔母は、一人でその鶏をこっそりと少しづつ全部食べた。退院後、家に帰って養生していたが、程なくして亡くなった。病院のベッドの叔母が、断片的な想い出の中での最後の姿として焼きついている。

母亲觉得大舅不争气,不自强,眼看着舅舅生活艰难,不管,于心不忍;管,又有些恨铁不成钢。大舅的兄弟姐妹们家境殷实,现在都可以帮助舅舅,大舅缺钱了,拎着一只空包去这些亲戚家转一圈,回来时包就满了,大家也不强求他还,母亲说久而久之,大舅产生了依赖心理,越来越不上进了。可是我想,也许家家都会有一个穷亲戚,这个人可能是大舅小叔,也可能是大姨小姑,或许是命中注定我的大舅一个人默默承受了他的兄弟姐妹们所有的艰辛坎坷。

叔父は甲斐性がなくて頑張る事をしないと母は思っていた。叔父の苦しい生活を見れば、知らない振りでは忍びなく、しかし心を砕けばそれだけ歯がゆさも増したのだろう。叔父の兄弟姉妹は暮らしむきが豊かで今は叔父を援助できる。手元不如意の時は空の袋を持って親戚を一回りすれば、帰るときには袋はいっぱいになる。みな返してねとは言わない。だから長い間に叔父には依存心ができて、ますます努力をしなくなってしまったのだと母は言う。けれど私は思うのだ、どの家庭にも生活の苦しい親戚はいるものだろう。その人は他の叔父だったかもしれないし、叔母だったかも知れない。誰でもが成りうるのだけれど、天の定めに命じられて叔父は一人静かに他の兄弟姉妹の艱難辛苦を引き受けてくれているのではなかろうか。
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by dangao41 | 2011-10-01 07:17 | why | Comments(4)