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少年凯歌 第1章 天国 2

①一九五二年夏天,我出生在一个电影工作者家庭。我的父母一个是电影导演;一个先在国家电影局工作,以后改做了电影剧本的编辑。抗日战争以后,他们都曾是南京国立戏剧专科学校的学生,父亲又做了教师。他们曾参加反对国民党政府的学生运动,名字列在报纸的通缉令上,于是不得不离开,就到华北参加了革命,中间有一些艰难。一九四九年十月一日毛泽东在天安门城楼上宣布建国时,他们是广场上几十万人中间的两个。我的母亲出身于一个原来富裕的家庭,家里在日军进攻时破产,但她仍有机会在一所美国教会学校念书。一九五O年她回到南京的家中,她的父母却已迁到台湾,连同她的六个兄弟姐妹。她是这个家庭留在大陆的惟一一人。其后的三十九年直到去世,她再也没有机会见到她的父母。在同父母告别时,她二十一岁,天然地向往一个新社会。母亲这样的故事,在中国千千万万,我就是这样的母亲生下的千千万万孩子中的一个。

1952年の夏、私は映画製作に従事する家庭に生まれた。両親は一人は映画監督、もう一人は国立映画局で働いていたが、後に映画脚本の編集者に変わった。抗日戦争以後、両親は南京国立演劇専科学校で学び、父は教師もしていた。二人は反国民党の学生運動に参加していが、指名手配者として新聞に名前が載った。やむなく土地を離れて華北へ行き革命に参加した。苦しい経験であった。1949年10月1日毛沢東が天安門で建国の宣言した時、両親は広場の数十万人の中の二人であった。母の実家は裕福であったが、日本軍の侵攻時に破産した。それでもアメリカ系教会学校で学ぶ事ができた。1950年に母が南京の家に帰った時には、母の両親は台湾へ移住していた。6人の兄弟姉妹も一緒に行ってしまった。母は家族の中で大陸に残った唯ひとりであったのだ。その後の39年間、この世を去るまで母が両親に会う機会はなかった。両親と別れた時の母は21歳、なるほど新社会への憧憬があったのであろう。母のような話は中国に千も万もあった。私はそのような母親の元に生まれた千人万人もの子供たちの一人である。

②据说,我生下来就惯用哭声表达一切。彻夜啼哭常常使母亲无法安睡,是她日后的病因之一。所以长成以后我痛恨一切啼哭不休的电影,算是一点自我反省和否定。那一年,是龙年。

私は生まれると泣声で一切の意思表示をしたという。夜通し泣くので母が安眠できるはずもなく、これが後に母が病を得た一因であろう。だから、成長して後、私は涙が止まらない映画の一切に憤りを感じてきた。この一点をどうやら私は反省し自己を否定しているようだ。この年、辰である。

③我出生前不久,北京召开“亚洲、太平洋地区和平大会”,会标就是毕加索的鸽子。于是父母就给我起了名字叫做“皑鸽”,“皑”就是洁白。父亲名字中也有这个字。他们期待的本来是个女儿,并且准备好了“皑燕”的名字——各从他们的名中取出一字。父亲的名字是“襟怀洁白”的意思,母亲是燕,而且飞驰。当然,这都不是他们父母给的,原名在参加革命时为躲过通缉,改了。“皑燕”这个名字后来给了我的妹妹。我成人以后,却突然听到父亲唤了母亲原来的名字,母亲应了,却两个都无话。那时他们都有些老了。我十三岁时,已经长到一点八米,觉得自己同一只白色的鸽子之间已甚少共同之处,就改掉了这个名字,用了现在的名字在中学注册。我改名,父母没说什么。母亲去世以后,我在美国接到朋友来信,提到,在她弥留之际,喃喃自语:鸽子飞走了,鸽子飞走了我这才明白,世上总有些什么,是不变的。这一年,也是龙年(一九八八年),我不在她身边。

私が生まれる少し前のこと、北京は「アジア・太平洋地区平和大会」を召集した。大会のシンボル・マークはピカソの鳩(鸽)であった。そこで両親は私を「皑鸽」と名付けた。「皑」は白。父の名前にもこの漢字がある。もともと両親は女の子が欲しかったので「皑燕」という名を考えていた。-----自分たちの名から一字づつ取ったのだ。父の名前は「純白な心」の意味であり、母は燕、更に疾走の意味。もちろん、親から貰った名前ではない、革命軍に参加したとき指名手配を逃れるために、改名した。「皑燕」という名は後に妹が貰った。私は成人してから思いがけなくも、父が母を本来の名で呼んだのを聞いた。母は返事をし、二人ともその事に関して何も言わなかった。当時、二人共に少し老いていた。私は13歳にはもう180センチもあって、自分と白鳩には共通点が殆ど無いと思ったので改名し、現在の名前を中学の手続きの時に使った。名を変えた事に対して、両親は何も言わなかった。母が亡くなり、私はアメリカで友からの手紙を受け取った。母は臨終の際に独り言ちたそうな、鳩は飛んで行ってしまった、鳩が飛んでいって、やっと分かったわ。世の中にはあるのよ、変わらないものが。この年、やはり辰(1988年)、私は母の傍にいなかった。

④我爱北京,不光为了她是我的出生地。在我儿时,北京没有那么多人,没有那么多车辆。更容易看到的是四个轮的小车,竹子做的,里头坐着咿咿呀呀的娃娃,后头推车的是一样咿咿呀呀的老太太。临街的学校书声朗朗,忽而又安静了。老人们坐在中药铺前的台阶上晒太阳,手里捏着两个核桃,转着,虚着眼望着天上飞远了的鸽群,哨音像是云的回声,淡淡的。热闹的地方是庙会。我还记得怎样欠着屁股坐在拉“洋片”的老式镜箱前,盯看一张张画面闪过,不敢眨眼,画面有山水、人物、神话中的故事。拉“洋片”的人一边摇着镜箱上的手柄,一边“嘭嘭”地敲着一面小鼓,被敲乱了心的孩子就交出最后一分钱——更不用说庙会中的玩意儿和吃食了。

私は北京が好きだ、出身地だからというだけではない。私が子供の頃、北京はこんなに人が多くなかった、こんなに車が多くなかった。よく見かけたのは四輪の小さな車、竹で出来ていた。中には「ああうう」言う赤ん坊、それを押すのは同じように「ああうう」言う老夫人。通りに面した学校からは朗々と本を読む声、せわしくもあり穏やかでもあった。年寄りは漢方薬店の前の石段に座って日向ぼっこ、手には胡桃を2個握って回しながら、ぼんやりと遠くの空を飛ぶ鳩の群れを見ていた。さえずりは雲のこだまの様に微かだった。賑やかなのは廟の市。どのようにお尻を伸ばして旧式「幻灯」箱の前に座わり、画面の一枚一枚の閃きに目を凝らし見つめたか、まだ覚えている。瞬きすらせず、風景を、人物を、昔のお話を。「幻灯」の小父さんは箱の上のハンドルを動かしながら「ぺンぺン」と小さな鼓を打つ。その響きにすっかり気持ちを高ぶらせた子供は最後の1分玉を差しだした----言うまでもなく屋台でのおもちゃやおやつ用の小遣いを。

⑤春天,挑着大箩卖小油鸡的汉子走进胡同,不用吆喝就围了一群孩子,托起一只在手上,指指才吐绿的柳枝说:嚯,赛柳絮。孩子们毛茸茸地托着,回家放在鞋盒子里,撒上小米,坐着看,夜深了都不忍睡去。卖小金鱼的担子上,一头是木桶,一头是玻璃缸,圆的,要哪条就捞哪条,注进净水,还有一缕碧绿的水草。一缕碧绿的水草。 槐花落尽的时候,卖花的老汉用丝线把晚香玉一串地穿了,挂在好动的小姑娘头上,一跑,小胡同里就香气弥漫了。夜里,甚至冬天,也能听见卖小吃的吆喝声,推开古旧的院门,看见一盏风灯和一个身影,热气虚虚地晕了灯火,身影悠悠地唱着,悠悠地远了,夜就踏实下来。我躺在床上,闭着眼听,觉出被子的暖和安全。

春になると大きな竹かごを担いだひよこ売りがやって来る。呼び込みをするまでもなく子供たちに取り囲まれると、一羽片手に乗せて、芽吹いたばかりの柳を指差して言う。ほらっ、柳絮よりふわふわだよ。子供たちはふわふわと手に乗せて持って帰り、靴箱に入れて粟を与え、座りこんで見守る。夜になっても寝るどころではなかった。金魚売りは一方に木桶、一方にガラス鉢を担いでくる。丸いガラス鉢に、これが欲しいといえばそれを掬って、きれいな水と青々とした水草も入れてくれる。エンジュの花が散る頃、花売りの小父さんは月下香を絹糸で連ねて冠を作り、元気な女の子に被せてやる。駆けまわれば、そこら一面によい香りが広がる。夜には、冬でさえ点心売りの呼び声が聞こえた。古めかしい門を押し開ければ、灯と人影が一つ。明々と眩しい灯のもと、人影は悠々と歌いなから、悠々と遠ざかっていく。夜もすっかり更けた。私はベッドに横たわり、目を閉じて聞いていた。布団にくるまれて暖かく何の不安もなく。

⑥那时北京,仿佛护城河里故宫角楼的倒影,梦一样安详着,小风吹过,晃动了,却不破碎。它的古松和早梅,庭院和街道,都显出古老和平,而且骄傲。

当時の北京は掘に映った故宮のやぐらのようであった。幻のように静かに、軽く風に吹かれて揺れ動くが、崩れはしない。老い松や早咲きの梅も、広場や街路も、みな歴史ある穏やかさを醸し、しかも矜持があった。

⑦我的童年分给了两个幼儿园。那时的孩子大多住在幼儿园里,因为父母忙。第一个是一座四合院,有高大的门楼和小小的石狮子。园长是个严厉的妇女,可只要看见孩子,又笑成一尊佛。记得我们住在北房,一有太阳,阳光就好。后面高高伸出一个平台,有栏杆围着,就在上面游戏玩耍。春日最爱的是养蚕,有时一上午地趴在平台上,看着它们“沙沙”地吃掉一张张漂亮的桑叶,又换上新的。时候一到,蚕箩里一夜之间就寂寞了。早上,我们举着亮晶晶的蚕茧大声问阿姨:蚕宝宝哪儿去了?然后就一二十个地一齐放声大哭。阿姨张开手,眼睛湿湿地笑,不知说什么好。分瓜果的时候,大家就坐成一圈,你一个我一个,白梨、石榴和樱桃,多出来的就分给最小的。夏日,午睡是在院子里的凉棚底下,太阳透过棚顶,在地下洒出许多光斑,风一吹就跑来跑去,睡不着的时候就伸出手,想在空中抓住它们,做个朋友。有一次,我们在游泳池呆得太久,回来的路上遇上了大雨,我们一边叫一边跑,阿姨暂时地做了牧鸭人。然后,在天渐渐黑下来的时候,我们坐在小小的餐室里,一边吃豆沙馅的包子,一边听雷,雷不响的时候就把包子放在嘴边,激动地等待。北京四合院的雨夜,雨点和瓦在房脊上热烈地欢叙,之后又静下来,水珠的滴落声像是在试一张古琴。这时醒来,就能看见值夜阿姨瘦小的背影,浅浅的灯光底下摊开了一本书。我当然不知道,在我做着童年梦的时候,已经有五十五万“右派”分子被逼进了风雨之中,在未来二十二年中苍老或死去。他们的孩子可能就躺在我的身边,不知不觉地受了伤。我不在他们之中, 出于偶然。

私は二カ所の幼稚園に通った。当時子供たちの多くは幼稚園で生活していた、両親は忙しいからだ。最初の幼稚園は四合院で大きな門楼に小さな狛犬がいた。園長は厳格な女性だったが、子供を見ればにこにこと仏様のようになった。私たちの住まいは北棟で、昼間は日あたりが良かった。後ろ側高くの屋上は柵で囲まれ、遊び場となっていた。春、一番の楽しみはお蚕さん。時には午前中ずっと腹這いで蚕が「シャーシャー」ときれいな一枚の桑の葉を食べるのを見ていた。食べ終わるとまた新しい葉をあげた。時が来て、蚕は幻のごとく一夜の内に静まり返ってしまった。朝になって、私たちはきらきらした繭を手に先生に尋ねた。お蚕さんはどこに行ってしまったの?その後で十数人の子供たちは一斉に大声で泣いた。先生は手を広げ眼を潤ませて笑ったが、何と答えればよいのか分からなかった。果物を食べる時はみんなで車座になって平等に一つづつ、梨にザクロにサクランボ、たくさんあっても分ければほんの少しになってしまった。夏、昼寝は庭の日よけの下だった。太陽は隙間から射し込み地面に光の斑点を作り出し、風が吹くと逃げ回った。眠れない時には手を伸ばし、浮いている光を捉まえて友達にしようとした。一度、プール長いこと遊んだあと、帰り道で大雨に出会った。私たちはキャーキャー言いながら走り回り、先生は暫くはアヒルの番人となった。その後、空が段々暗くなって、私たちが小さな食堂で餡饅を食べている時に雷の音を聞いた。雷鳴の響きが消えた時、私たちは口に饅頭をくわえたまま固まっていた。北京の四合院に夜、雨が降ると雨粒はまず瓦に熱烈に歓迎された後、静かになり、雨垂れはまるで古琴の音色のように滴った。夜に目を覚ますと、先生の痩せた小さな背中と淡い灯りの元に開かれた本が見えた。もちろん私は知らなかったが、私が子供時代の夢を結んでいたこの時代、既に五十五万の「右派」分子は風雨の中に追いやられて、続く二十二年間の内に老いるか死ぬかしていくのである。彼らの子供たちも私の傍で寝ていたのかも知れないし、知らず覚えずに傷ついていたのかも知れない。私がその子供たちでなかったのは、偶然にすぎない。

⑧麻雀被宣布为敌人,它就不再是一只鸟。它的存在即是罪恶,为了消灭罪恶就必须消灭它。而在我还弱小时已不能怜悯弱小,实在能对我日后的强壮指望些什么呢?

雀は敵だと宣言されると、もはや一羽の鳥ではなくなった。雀の存在自体が罪悪となった。罪悪を撲滅するために雀を撲滅せねばならない。私は自分がまだ弱く小さい時すでに、弱く小さい他者を可哀そうに思う事ができなかった。そのことが後年の私の強健指向に些かは影響しているのであろうか?

⑨第二个幼儿园也是四合院,只是没有门楼和石狮子。门与墙一般高,漆成红色。最让我惊喜的是这里居然有个小小的动物园,里面却只有两样动物:白兔和鸭子,也是白的。我们喜欢在临睡前探看它们,尤其是停电的夜晚(那时常常停电,也许是已经“大跃进”了的缘故)。手电筒的光亮里是几对宝石一样的眼睛,自然是红的,于是大家“呀”地一声赞叹,都不说话了。鸭子不然,一见光亮就聒噪起来,这抗议直到我们匆匆逃走才停下。找不到手电筒的时候,就由阿姨领着,一人点起一根蜡烛,穿过不矮的松墙,踽踽地去又踽踽地回来,有谁不小心遇见了鬼突然大叫一声,大家就也叫了,兴奋地奔逃。把鸭和兔放在一起,是谁的主意?长了羽毛只会聒噪不会飞的;长了一双看什么都是红色的眼睛却无法开口的,我以后明白了,不仅是兔和鸭。

二つ目の幼稚園も四合院で、ただ冠木門と狛犬がないだけであった。門と囲いは普通の高さで紅漆だった。私を一番喜ばせたのは、なんと小さな動物園があった事だった。中にいたのは二種の動物だけ。白ウサギとアヒルで、白かった。みんな寝る前に彼らを見に行くのが好きだった。別けても停電の夜に(当時はしょっちゅう停電があった。多分「大躍進」のせいであろう)。懐中電灯の明りの中のいく対かの目は勿論赤かった。みんなは「わぁ」と感嘆し、言葉もなかった。がアヒルの方は、明るい光を見るや騒然となり、その抗議は私たちが慌てて逃げ去るまで続いた。懐中電灯が見つからないときは、先生に付いてきてもらい、一人がロウソクを手に、低くはない松囲いを抜けて、とぼとぼと行って又とぼとぼと戻ってくる。臆病者が鬼だと突然叫んだりすると、みなも叫び慌てふためいて逃げた。アヒルとウサギは一緒に飼うと、誰が決めたのだろうか?羽が生えそろってもただ騒ぐだけで飛べない。なんでも赤く見える目を持ち、しかも口をきくすべもない。私は後に理解したのだが、それはウサギとアヒルに限った事ではなかった。
Commented by dangao41 at 2012-01-04 12:50
4 一人点起一根蜡烛  一人一本のろうそく、有一个人だと一人だけ
9长了一双看什么都是红色的眼睛却无法开口的
Commented by dangao41 at 2012-01-09 11:46
4拉“洋片”的老式镜箱
5指指才吐绿的柳枝
5赛柳絮
5看见一盏风灯和一个身影,热气虚虚地晕了灯火,身影悠悠地唱着,悠悠地远了
5觉出 觉出被子的暖和安全
6早梅, 它的古松和早梅 庭院
7分给、 我的童年分给了两个幼儿园

by dangao41 | 2011-12-25 12:00 | 陈凯歌 | Comments(2)