初恋のきた道

我的父亲母亲            初恋のきた道   息子の語り部分

父亲突然去世了。 我是昨天晚上知道的。 村长给我打了个长途电话, 当时我真不敢相信。 我 的 家在 山区, 一个不大的村子 叫 三合屯。 我 很早 就 离开家乡出来工作了。 因为忙,几年都回不了一次家。 父亲是村里 的 小学老师, 在当地教了一辈子书。 我是父母唯一的孩子, 也是村里唯一念过 大学的。 我 现在最担心的就是母亲, 怕她一下子受不了。

父が突然に亡くなった。昨夜知ったのだ。村長が長距離電話をくれたのだが信じられなかった。私の家は山間の小さな村、三合屯である。若い時に故郷を離れ働いてきた。忙しくてこの数年は全く帰れなかった。父は村の小学校の教師だった。私は一人っ子で、村でただ一人大学へ進学した。今一番の気がかりは母だ。耐えられるだろうか。

我真不想让母亲织着块布。可我不知道怎样劝她。把父亲抬来,似乎是母亲现在唯一的想法。

母に布を織らせたくはなかったが、どう説得できるのか分からなかった。父を連れてくる事だけしか考えていないようであった。。

这张照片还是父亲和母亲结婚那年照的。父亲原来不是我们三合屯的人。他是后来才来的。当年父亲和母亲谈恋爱的事,曾经轰动一时,村里人说来说去的,听起来都像个故事了。那年母亲刚满十八岁,父亲也只有二十岁。听母亲说是一辆马车把父亲拉到了三合屯。

この写真は父と母が結婚した年のものである。父は三合屯の生まれではない。当時の二人の恋愛はかなりの噂になったそうで、村人たちは繰り返し話題にし、その事件を思い起こすのであった。母は満18歳になったばかりで父もまだ20歳であった。父は荷馬車で三合屯にやってきたと母は言った。

姥姥的眼睛那时候已经瞎了。听母亲说,是姥爷死的时候姥姥天天哭把眼睛给哭坏了。姥爷死后,家里就没有其他人了,就母亲陪着姥姥。姥姥一门心事想给母亲个好婆家,提亲的人倒是很多,母亲一个都没看上。父亲已经来了,村里的学校还没有盖好。那几天村长正领着乡亲们赶着盖。照我们当地的习俗,新房盖好的时候都要在梁上裹一块红布,图个吉利。这块布就叫红,通常是由村里最漂亮的姑娘来织。这次织红的事自然又落在了我母亲的身上。也许是因为心理有了父亲的原因吧,这红快,母亲织的格外仔细。当年村里有两口井,以前的井叫前井,后来新打的那口井叫后井。后井近,人们通常都在后井打水。自从父亲来了以后,母亲就改在前井打水了。因为这样会路过学校。・・・・照那时候的规定,凡是盖房这类大事,家家户户都要住往工地上送饭,给干活儿的男人吃,这叫送公饭。那几天母亲尽挑好吃的做。她总希望父亲能吃上她亲手做的饭。听母亲说,以前有挺多事女人都不能上前,比方说盖房子,还有打井这种大事,说怕沾上邪气。所以现在盖学校,村里的妇女们就只能离得远远地在一边看。

祖母の目は当時すでに見えなくなっていた。祖父が亡くなっって祖母は毎日泣き暮らし目を悪くした、と母は言った。祖父が逝った後、家には他の人はいないので母が祖母の面倒をみた。祖母はひたすら母に好い嫁ぎ先をと思い、いろいろと人に頼んだが母は一顧だにしなかった。父はやってきたが村にはまだ学校は建っていなかった。村長はさっそく村人を率いて建て始めた。この地の習慣で新しい家が完成したら、縁起を担いで梁に赤い布を掛けなければならない。この布は「紅」といって村で一番の美しい娘が織るものとされていた。そして「紅」織りは当然に母の役となった。心に父への想いがあったからであろうか、この紅布を母は格別に丁寧に織りあげた。当時村には井戸が二本あり、古い方を前井戸、新しく掘ったものを後井戸と呼んでいた。後井戸は近いので、みんな普通は後井戸で水を汲んだ。父が来てからは母は前井戸を使うようになった。学校を通る道にあったから。・・・・普請などの大事の場合、村の各家は働く男衆に「公飯」という食事を届けるのが決まりであった。母は美味しい物をと精一杯考えて用意した。父が自分の作った物を食べてくれたらいいと望んだのだ。その頃は女達が係われない事がたくさんあった。たとえば普請や井戸掘りといった大事なものは穢れを恐れたのであった。校舎の普請も女たちは遠くから眺めるしかなかった。

小时候听母亲说起过,父亲念书的声音特别好听。母亲不识字,有的课文她也听不懂。但是她觉得父亲的声音是特天底下最好听的声音。从这一天开始,母亲就天天去听。后来村里人习惯了,就没人再去听了,可是母亲还是去听。她一听就听了四十多年。这已经成了她生活中的一部分了。

私が子供のころ、父の朗読の声は格別に素晴らしかったと母が言うのを聞いた。母は字が読めないし、朗読を聞いても意味が分からない教科書もあっただろう。しかし母は父の朗読は世界で一番だと思っていたのだ。授業が始まったその日から、母は毎日聞きに行った。その後、村の人々は珍しさが薄れて誰も聞きに行かなくなったが、母は通い続けたのだった。40年のあいだ聞き続け、すっかり生活の一部分になっていた。

母亲听说每天放学的时候,父亲都要送几个路远的孩子回家,她就动了心思,想在那条路上碰见父亲。

授業の後、父は遠くから通う子供たちを送って行く、と聞いた母はその路で父にばったり会えるよう考えをめぐらせた。

父亲对我说过,他第一次到母亲家吃派饭的时候,母亲站在门口迎他,他记得母亲扶着门框站在门口的样子,就像一幅画。他说很多年他都忘不了这幅画。

父が私に言った事がある、持ち回りの食事が母の番だった最初の日、母は戸口で出迎えた。戸がまちに手を置いて立っていた母の姿は一幅の絵のようであった、と。その後ずっと忘れられない絵であった、と。

父亲对母亲说过,他给学生上课的时候,一抬眼就能看见粱上那块红,一看见那红,就想起母亲穿红棉袄的样子,后来村长说过好几次要给教室吊个顶棚,都给父亲谢绝了。所以,我们村的这个学校几十年来就一直没有顶棚。 ・・・・那天母亲在教室里一直坐到很晚,教室门开着,被村长看见了。村长这才明白了母亲的心思。村长知道了,村里很快也都知道了。在当年,自由恋爱还是一件很新鲜的事儿,母亲给三合屯了个头。 ・・・・・到了父亲答应回来的日子,母亲一大早就站在那条路上等。她记着父亲说过的那句话,腊月初八一定回来。因为腊月初九学校就放假了,父亲得在放假前赶回来。

授業中、目を上げると梁の紅布が見える、その紅を見ると、綿入れの赤い上着を着ていた母の様子を思い出すと父は母に言っていた。村長は天井を張ろうと何度も言ったのだが、いつも父は断った。それで、村の小学校は数十年もずっと天井が無しなのであった。・・・あの日、母は教室に遅くまで座り続けた。開いていた戸から見た村長は母の想いを知ったのであった。それでじきに村人も知るところとなった。当時、自由恋愛はまだ珍しく、三合屯では母がその第一号であったのだ。・・・・父が約束した日がくると、母は早朝からあの路に経って待った。母は父の師走の初八には必ず帰るとの言葉を忘れなかった。師走初九には学校は休みに入るのだから、父は休みになる前に帰ってこなければならないのだ。

那天母亲没走到县城却晕倒在半路上。有过路人看见给村里捎了信儿。村长和夏大叔他们套上马车连夜把母亲拉了回来。我记得村长后来我说过一次,说那天母亲的两手冰凉冰凉的。在马车上,他用皮袄暖了一路都没暖过来。

その日、母は町まで辿り着けずに道半ばで倒れていた。通りかかった人がいて村に知らせがきた。すぐに村長と夏さんは荷馬車を出し夜も走って母を連れ帰った。母の両手は凍えきっていたと村長から一度聞かされた事がある。馬車に乗せて革上着で覆い温めたが、ちっとも暖かくならなかったそうだ。

天黑前,刚刚回来的父亲就又被叫走了。因为他是偷着跑回来的。他是听说了母亲的情况后,实在忍不住私自跑回来了。由于父亲的这次行为,使他和母亲最后见面的日子又推迟了好几年。后来,我听乡亲们说,当父亲真正和母亲相聚的那一天到来时,母亲又特意穿上了那件父亲喜爱的红棉袄,站在路边等着父亲。从那天起,父亲就再没离开过母亲一步。・・・这就是父亲和母亲的故事。他们相识,相爱的过程都和这条路有关。这是我们村通往县城的一条普通的山路。也许是因为母亲曾经那么殷切,那么长久地在这条路上等待过父亲,所以她还想陪着父亲再从这条路上走过来。

暗くなる前、戻ったばかりの父はまた連れて行かれた。逃げ戻って来たのであった。父は母の様子を聞くと堪らずに勝手に帰ってきたのだった。この行為で二人が会える日は更に数年延ばされしまうのだが。父と母がやっと対面できたその日、母は父が好きだったあの赤い綿入れを着て道に立ち待っていたと、後に村の人々から聞かされた。その日から、父は母から離れたことがなかった。・・・これが父と母の物語である。この道には二人が出会い愛し合ったすべての想いが印されているのだ。これは村と町を結ぶ唯の山道ではある。しかし母がかつてあんなにも切なく、あんなにも長いこと父を待ったのもこの道なのである。だから母は父に付き添ってこの道を歩きたいのであろう。

那天抬棺来了一百多个人。听村长说,他们都是父亲的学生。他们知道了这件事就都赶来了。有很多人都是从外地赶回来的。也有从市里坐着小车来的。村长说最远的从广州赶过来的。还有几个人被风雪误在了半路上,没有来得及。来的人大部分我都不认识,有的人比我大得多。我不知道他们都是父亲哪一年的学生。也不知道该怎么称呼他们。村长说,反正都是骆先生的学生嘛。

その日、棺を運びに百人以上の人が来てくれた。みんな父の生徒だったと村長から聞いた。父の事を聞くとすぐに駆けつけてくれたのだ。多くは村の外から来てくれた。町から車で来た人もいた。遠い人は広州からだと村長は言った。その他に吹雪で足止めされて間に合わなかった人達もいた。その大部分は私の知らない人たちであったし、私より大分年上の人もいた。みんなが何時の教え子だったのか、なんと呼んだらいいのかも分からなかった。何にしろ皆は父の教え子だと村長は言った。

按着母亲的意思,父亲就安葬在前井旁边。村里有了自来水,井就荒了,早就没人再跳水了。母亲说,在这儿父亲可以天天看到学校。母亲还说,将来她也要跟父亲埋在一起。办完父亲的后事,村长特意来说起了盖学校的事。他说县里拨了款,村里家家户户也都捐了钱,说乡亲们无论如何也要完成父亲的心愿。

母の希望で父は前井戸の傍に葬られた。村には水道が引かれて、井戸は荒れはてもはや水を汲む人もいない。其処なら父は毎日学校を見ることができると母は言う。母はいずれ自分も一緒に埋めてくれとも言った。父の葬儀が済むと、村長は学校の建て替えの件で来てくれた。県から割り当て金も出たし、村でも各戸全部がお金を寄付してくれた、皆も何が何でも父の悲願を叶えたいのだと言う。

明天我就要走了。母亲让我陪她再去一趟学校。母亲说,等下次我再回来时,这所学校就看不到了。

私は明日は戻らなければならない。母は一緒にもう一度学校へ行こうと言った。次に来た時はこの校舎を見られないのだからと言う。

我一大早就让村长把学生们集合起来,我说我要给学生们上一节课。村长问我为什么?我说我是为了母亲,也是为了父亲。我就站在父亲常站的地方,父亲在这站一辈子。我想此时此刻,父亲一定能听见我和孩子们念书的声音吧。我念的就是当年父亲在开学第一天念的那片课文,其实这不是正式的课文,这是父亲自己编的一段识字歌儿。

私は村長に、早朝子供たちを集めてもらいたいと頼んだ。1時間の授業をさせてくれと言った。なぜかと村長に聞かれ、母と父のために、と私は答えた。父のいつも立っていた場所に私も立った、父が一生涯立っていた場所に。この時、私は思ったのだ。父の耳に私と子供たちの本を読む声は必ず届いているだろうと。私が読むのはあの年、父が始めての授業で使った教科書だ。正式の教科書ではないとはいえ、父が自ら編んだ識字の歌なのだから。
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Commented by dangao41 at 2011-11-30 20:10
春月さん どうもありがとうございました。ですが、申し訳ない事に、セリフはどうにも難しくこの部分だけになりました。それでも、虫食いにしろ済ませた分はとても勉強になりましたし、じっくり読んだことで映画の音声も少しは聞き取れるのが嬉しいです。

Commented by hanyu07 at 2011-11-30 22:55 x
結局、全部翻訳されたのですね。すばらしいです。
今更ですが、この脚本は本当によく出来ていますね。
あの、母が父を担ぎたいという理由が彼にも納得できたところの台詞が、ホントにすばらしい、
和訳しながら、けっこう、ジンときてしまいました。
あと、今回見ていて好きな映像は、葬式の行列で、雪の中を村人が競うように棺を担ぐ場面でしょうか。
昔と、今ではわたしの感じ方もずいぶん変わりました。
Commented by 春月 at 2011-12-01 06:36 x
私は村に学校ができて、最初の授業を村の大人たちが外で聞いている場面が、いちばんグッときます。大人たちは字が読めない人ばかり、でも子ども達には教育を、という場面。

いま見ているドラマ「野鴨子」の主人公も、養父母に「招弟」という名前を付けられていました。「なんだ女の子か、次は弟を」という名前。この祖母も同じですね、女ヘンがついているけど。

何度か見ていると、細かいところまでよく出来た映画だな、と思います。
Commented by dangao41 at 2011-12-02 09:49
娣とは変わった漢字だと思ってましたが、そういう意味でしたか。これから生まれてくる弟の「お姉ちゃん」となるのかしら。思うところは反対ですが、日本でも昔は末や留が名前に使われてましたっけ。今の命名からは想像もつかない事です。
全部を訳したわけではないです。出来るところだけボツボツとやりました。パソコンだとそういうの、しやすいですしね。一番のネックは村長の喋りでした。もう映画は自分勉強だけにします。(念のためもう一度、ね)
by dangao41 | 2011-11-30 20:02 | その他 | Comments(4)