三姨                     

                  叔母さん              家有三姨                     why

   三姨是个马大哈。小时候,三姨给我们烧菜,不小心菜刀割破了手指头,出血的本来是中指,结果她找来两片创可贴,把无名指包了个严严实实。

 三叔母はそそっかしい。私たちが子供のころ、三叔母は食事を作ってくれた時、うっかりして包丁で指を切ってしまった。血が出たのは中指なのだが叔母はバンドエイド二枚を薬指にしっかりと貼った。

   三姨12岁那年,正赶上文化大革命如火如荼。我父亲因为加入某地下党派的莫须有罪名,身陷囹圄。那些日子,据说姥姥负责照顾母亲,三姨小小年纪,担负起了给父亲送饭的重任,每天长途跋涉,往返20里地。那时还没有我呢,后来,三姨常常跟我提起,这辈子见过的最可怕的一张脸就是你爸。你爸爸放出来那天,回家来我们都不认识了,头肿得足有常人的两个那么大,把我吓哭了。

 三叔母が12歳の年は文化大革命が真っ最中の時期であった。私の父は地下活動に係わったという、でっちあげの罪状で投獄された。当時、祖母は私の母の面倒を見なければならず、まだ小さかった三叔母が父に食事を届けるという役目を負って、毎日往復10キロもの道のりを歩いて通った。私はまだ生まれていなかった。後に三叔母はよく言っていた。今までに見てきたなかで一番恐ろしかった顔は、あなたのお父さんの顔よ。あの日お父さんが釈放されて帰宅した時、家族は誰も見分けがつかなかった、頭は普通の倍にも腫れあがってね、私は脅えて泣いてしまったの、と。

  三姨谈恋爱时,我刚上小学。未来的三姨父分配工作到水利局不长时间。三姨领着我去男朋友的宿舍玩儿。我少不经事,不懂大人是怎么回事,只是看墙上贴了很多文字材料,那个时代的人们喜欢写钢笔字,我看了一会儿,有点烦,就不看了。三姨问写得怎么样?我心不在焉地回答说:内容还凑合,就是字写得不太好看。未来的三姨父哈哈大笑,然后就出门砍劈柴去了。三姨红着脸批评我,你真不会说话,那是"他"写的材料啊。
 
 私がちょうど小学校に上がった頃、三叔母は恋愛していた。未来の三叔父は水道局に配置されて間がなかった。叔母は私を連れてボーイフレンドの寮に遊びに行った。壁には字を書いた紙がたくさん貼ってあった。当時の人たちは万年筆で書くのを好んでいた。まだ幼かった私は、大人たちの事情が良く分からないまま、ちょっと眺めていたが見飽きて止めた。叔母は感想は?と聞いた。私は上の空で、書いてある文章は良いけれども字が良くないと答えた。叔父となる人は大笑いして、薪を割りに出て行った。叔母は真っ赤になって私を叱った。「あなたは本当に口下手ね、あれは“彼”が書いたのよ。」

  后来三姨结婚,准三姨父转正变成了三姨父,再后来表妹出生,表弟出生。三姨一家过来玩儿,我每次都发现一件怪事,姨父抱着孩子时,手指就不停地在孩子身上比比划划,吃饭时,就在桌上比比划划。后来我恍然大悟,原来姨父是在练字。三姨和姨父两人的字漂亮得都可以当字帖,不过我至今相信姨父的一手好字和我有直接关系。
 
 後に叔母は結婚して 準三叔父は正式に三叔父となり、従妹弟たちが生まれた。叔母一家が家に遊びに来るたび、私は不思議な光景を見た。叔父は子供を抱きながら指を子供の体に這わせ動かしている、食事をしながら指はテーブルをなぞる。後に私はハッと気が付いた、叔父は漢字の練習をしていたのだ。叔母も叔父もお手本帖になるくらいの上手な字だが、叔父の達筆には私も直接に関わっていたのだと今に至るまで信じている。

  高一那年暑假,我一个人坐长途汽车去三姨家玩儿。三姨高兴地每天领着我和表弟表妹们去逛街,到了晚上,三姨父就买回很多好吃的东西摆上满满一桌,不停地催着我多吃点,多吃点。三姨说我们去照相馆拍张纪念照吧。照相馆离三姨家很近,照相师傅是熟人,照好了,说什么也不肯收钱,三姨执意要给,两个人拉拉扯扯争了半天,三姨说如果你是自家买卖,不给也就算了,国家单位,怎么能不给钱呢?其实我知道,如果真的是自家买卖,三姨一定又会说:如果是国家单位,不交钱也就算了,怎么能让你个人吃亏呢?三姨就是这样的性格,从来不肯占别人一分钱的便宜。

 高一の夏休み、長距離バスに乗り一人で叔母の家に遊びに行った。三叔母は大喜びで毎日私と従妹弟を連れて街に出かけ、夜には叔父が美味しい物を買ってきてテーブル一杯に並べ、ひっきりなしにもっと食べなさいと促した。叔母は皆で写真館へ行き記念写真を撮りましょうと言った。写真館は家から近くて、顔なじみのカメラマンは撮り終ると、どうしても代金を受け取ろうとしなかった。三叔母も頑として払うと言い、二人はお互いに譲らず長いことやりあったすえ、叔母はこう言った。もしお宅が自営業ならば甘えられるけれど、国営ですもの、お支払しない訳にはいきませんでしょう、と。けれど私には分かっていた、もし店が個人営業であったら叔母はこう言ったに違いない。国営店なら払わなくても済むけれど、あなたにご損はさせられない、と。叔母はこのような性格で、ちょっとでもうまい汁を吸うような事を決してしなかった。

  姨有句话很经典:男人都是恶狼。多年以后我来到日本,发现居然有这样的歌词,可谓英雄所见略同。
 
 男はみなオオカミよ、叔母のこの言葉は名言である。ずっと後に私は日本に来て、思いがけなくも同じ歌詞に出会った。すぐれた見解は何処も同じと云うべきか。 

  三姨当了大半辈子教员,姨父是小小地方政府的第N把手(虽说是个七品芝麻官,可是看三姨一家的生活水平,就知道在中国给执政党当官实在是个美差)。有一次,三姨出去旅游,姨父同事来送行,随手递过来一个纸包说,拿去用吧。三姨不知是什么东西,后来打开一看,是满满一包人民币,不由得倒吸一口冷气。

  三叔母はずっと教職にあり、叔父は小さな地方都市の役付き公務員であった。(トップ・クラスではないとはいえ叔母一家の生活水準をみれば、中国の役人は実際に実入りの良い職業である) ある時、叔母は旅行に出かけた。見送りにきた叔父の職場の人が、これをお使いくださいと言って紙包みを手渡した。中身は知らずに後で開けてみるとどっさりの人民紙幣で、叔母はびっくりして言葉もなかったという。

 三姨古道热肠,助人为乐,慷慨大方,三姨父更是有过之而无不及。这种性格,当然受益最多的就是她的兄弟姐妹们了。三姨跟我说,我这都是跟你妈学来的,我小时候,家里穷,你妈在城里上班,就是这样帮助我们的。

 叔母は律義で人情に厚く、人を助けることを楽しみとして気前がよかったし、叔父も勝るとも劣らずであった。このような性格で最もお陰を被ったのは当然に兄弟姉妹である。叔母は私に言った、「あなたのお母さんから学んだ事よ、私が小さい時、家は裕福じゃなかった。お姉さんはずっと町で働いて、ちょうどこんな風に私たちを援助してくれたの。」

 表弟结婚,搬出去时,自己用的旧电脑没带走。三姨过意不去,给了他一笔钱。表弟拿着钱高高兴兴买了一台新电脑,用上了。过了几天,表弟回来,
说:“妈,这旧电脑我还是带走吧。”嫁出去的表妹听说了,也回来了:“妈,要不然我也买台新电脑算了”。三姨苦笑着,对母亲说:现在的年轻人,精明着呢。

 従弟が結婚して家を出た時、自分の古いパソコンを置いていった。三叔母は済まないと思って彼にお金をあげた。従弟は受け取って大喜びで新しいパソコンを買い、使い始めた。暫くして従弟はやって来て言った。「お母さん、あの古いパソコン、やっぱり持っていくよ。」 お嫁に行っていた従妹もその話を聞いてやって来た。「お母さん、なんだったら私も新しいパソコンを買っちゃおうかな。」 叔母は苦笑して私の母に言った。「今の若い人はちゃっかりしている事。」

  三姨喜欢旅游,跟着三姨父走遍了大江南北,又开始出境旅游。去年本来准备好随团去台湾,结果一场台风和泥石流,计划泡汤了。大伙商量那就叫他们来日本玩儿吧,于是今年2月份就开始申请访日签证,我还兴致勃勃地准备彻底庸俗一把,领着他们走遍秋叶原、银座、箱根和北海道呢。没想到签证刚批下来,就赶上这千年不遇的地震。三姨十分沮丧,在家里叹气说:唉,我咋这么不走运啊,自然灾害都叫我赶上了。日本去不成了,那咱们就去美国!
我说拜托了三姨!您老人家快闭嘴吧。美国人民已经饱经蹂躏,发生了恐怖事件、金融危机,您还要・・・・・・

 叔母は旅行が好きで叔父と共に国内の津々浦々をまわり、海外にも出掛けるようになった。昨年は台湾ツアーに参加の予定であったが、台風と土砂崩れで流れてしまった。皆で相談し日本へ来れば、となって今年の2月に訪日ピザの申請を出した。私はワクワクとB級に徹したプランを立てた。秋葉原に銀座に箱根に、そして北海道に連れていこう。ビザが下りた途端に千年に一度の地震が起こるなど思いもしなかった。叔母はたいそうがっかりし電話口で溜め息をついて言った。「あ~、どうしてこんない運が悪いのかしら、今度も災害に出くわすなんて。日本には行かれないから、アメリカに行くわ!」
 私は叔母にお願いしましたよ!叔母さん、言っちゃだめ。アメリカはもう充分な目に遭ってるわ。テロがあったし金融危機もあるし、叔母さんこれ以上・・・・
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Commented at 2011-09-24 21:15
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by dangao41 at 2011-10-15 16:42
N番は一番、二番ではないけど役職、役所の中では上の方の
Commented by hanyu07 at 2011-10-15 17:48 x
この文章は、whyさんが中国語で書いて、もといさんが日本語に訳したのですか?
Commented by dangao41 at 2011-10-15 20:09
そうですよ。使わせていただきました。他の叔母さまたちのもありましたよ。hanyuさんもお願いしてみたら如何?2月か3月ころの記事です。
Commented by hanyu07 at 2011-10-16 20:25 x
ああ、そうだったのですか。もといさんは中国語も自由に書けるのですね。わたしは、辞書やテキストのパターンに自分の言葉を置き換えるのが主なので、自分の文章でないと、ボロが出てしまってだめですう!
Commented by dangao41 at 2011-10-16 21:30
何をおっしゃいますか??? あんなに中文でブログを書いているのに。私はできませんよ。これはwhyさんの元の文が中国語ですよ。この「おじさま・おばさまシリーズ」は面白かったです。もっと長いのもありましたが、短いのを選んだのです。この後、やっぱり日本に旅行にいらしたレポートもありましたよ。
by dangao41 | 2011-10-01 09:42 | why | Comments(6)