大舅

                     叔父さん         大舅               why 

  北方人喜欢吃发面馒头,小时候,我尤其爱吃馒头皮。乳白色的蒸汽里,新出屉的馒头光滑柔软,薄薄的馒头皮晶莹剔透,又筋道又香甜。后来有个小朋友不知听谁说的,神情紧张地告诉我,“剥馒头皮穷大舅”,再这么吃下去,你大舅要揭不开锅了。从此以后,吃馒头皮时,像基督徒用餐前祷告一样,我总是会感到一点不安,却依然无法抵御那一层薄薄的馒头皮的诱惑。

 北方では発酵種のマントウが好まれる。子供のころ私はマントウの皮が特に好きだった。白い湯気のなかで蒸し上がったマントウはなめらかで柔らかく、薄い表皮はつやつやと透きとおり、むっちりと甘く美味しい。或る時、誰から聞いたものか友達が表情も硬くこう言った。「“マントウの皮を剥がすと叔父さんが貧乏になる“って、そんな食べ方をしていたらあなたの叔父さんは毎日のご飯も食べられなくなるわよ。」その後、マントウの皮を食べる時はキリスト教徒の食前の祈りのようにお祈りしたが、いつも落ち着かなかった。そのくせ相も変わらずマントウの薄皮の誘惑には抵抗するすべがなかった。

  虽然不至于揭不开锅,多年以来,大舅一家的生活的确十分艰难。有时我甚至自责或许大舅的贫穷真的是因为我馒头皮吃多了。

日々の食事に事欠くとまではならなかったとは云え、長いこと叔父一家の生活は確かに苦しかった。叔父の困窮の真の原因は、私がマントウの皮をたくさん食べたせいではないかと自分を責めたこともあった。

  大舅从小过继给他的大伯,没有感受过太多的父爱母爱的温暖,继父据说是一个极其严厉苛刻的人,在大舅十几岁,刚刚可以自立时,就把他赶出家门,独立生活。加之“家庭成分”不好,大舅在村里备受歧视,饱尝人情冷暖,世态炎凉。大舅是庄稼人,过了一辈子面朝黄土背朝天的生活,一直渴望有一天能翻身过上好日子,可是从来没有过大的起色。

 叔父は小さい頃に大伯父に引き取られ、温かい父母の愛を充分に受けることがなかった。継父は大そう厳しい人だったという。叔父が十幾つかでやっと自立できるようになると、家から追い出して一人で生活させた。その上“家庭区分”が悪かった叔父は村の中で差別を受けて、人の心の変わりやすさ、世間の薄情さを嫌というほど味わった。叔父は農夫であり、面を地に背を天に向けて過ごし、いつか打って変わった良い日がやってくるようひたすら願ったが、今までたいして良くなりもしなかった。

  大舅后来娶了舅母,生了两个表弟,两个表妹。舅母温柔善良,贤惠能干,跟着大舅吃了一辈子苦,但是我没听舅母有过一句怨言。在我的印象里,清瘦的舅母总是笑眯眯的,忙着给孩子们做棉衣,纳鞋底儿,喂猪喂鸡,没日没夜地操劳。

 叔父は結婚し、男女二人ずつのいとこ達も生まれた。叔母となった人は気立てが優しく働き者であった。叔父との生活は苦しかったであろう、だが彼女が愚痴を言うのを聞いたことがない。ほっそりした姿に笑みを絶やさず、子供たちの服を作り、布靴底を刺子に縫い、家畜へ餌を与え一日中働いていた、という印象を私は叔母に持っている。

  在上个世纪的一段漫长的历史过程中,中国生活物资匮乏,国家曾经实行供给制,日用消费品凭票供应。母亲经常省下粮票布票之类,攒一些米面和便宜的棉布找机会给乡下的大舅捎过去,给孩子们改善伙食,做新衣服。那时候,大米白面叫细粮,限量供应;小米玉米面高粱米等等是粗粮,价格便宜,供应量相对充足。有几年的时间,家里只有节假日和乡下来客人时才能吃得上白米饭,所以对我来说,姨和舅舅们来我家意味着要吃好东西了,要过节了。多年以后,读到王小波随笔里的一段记述,有一天少年小波的饭碗里居然放着一块肉,他按捺不住激动的心情,打开窗户对着外面一声大吼:“我家吃肉啦!”

 前世紀の歴史の長い一過程で、中国では生活物資が欠乏していた。政府は配給制を実施し、日常品に切符が必要だった。母は節約して穀物や布類の券を節約し、米や小麦粉、安価な木綿を貯めておいて、何かの折を見つけては郷里の叔父に送った。子供たちによりましな食事を、新しい服も作れるように、と。当時、米や小麦粉は「细粮」といって供給量には限りがあった。粟やトウモロコシ粉や高粱の実などは「粗粮」といって値段が安く供給も充分であった。その頃、家では祝祭日やお客さんが来た時だけ白米を食べた。だから私にとって、叔母や叔父が家に来る事は美味しい食べ物を意味し、ハレの日であった。ずっと後に王小波のエッセイを読んだのだが、子供の時のある日、お茶碗に思いがけなくも肉を見つけると、嬉しさを抑えきれず窓を開け外に向かって大声でどなったという。「家じゃ肉を食べるんだよ!」

  虽然这样的日子我没有经历过,不过我知道在王小波为一块红烧肉而激动不已的二十年之后,大米和猪肉在中国的大部分地区仍然是供百姓打牙祭的上等货。

 私はこの様な経験をしなかったとはいえ、王小波が肉の醤油煮込みに興奮を押さえられなかったその20年後でさえ、白米や豚肉が中国のかなりの地域で、庶民にはたまのご馳走だったことは知っている。

  每当要过大年的时候,大舅就会带着大包的年货过来看望母亲。有舅母蒸的黄米面豆包,家养的新鲜猪肉,大舅会挑最瘦的精肉送过来,自家舍不得吃,留下肥肉榨油,还有大舅和舅母亲手灌的香肠。这是大舅一年当中唯一可以表达心意的一次机会,所以总是显得很高兴。

 毎年の大晦日、叔父はたくさんの年越しのお土産を持って母に会いに来た。中身は叔母の蒸したキビの餡饅頭に屠ったばかりの豚肉。肉は赤味を選って持って来てくれた。叔父は自家用には赤味肉は勿体なくて食べられず、ラードを作る脂身だけを自分たちに残した。他に叔父と叔母手作りの腸詰めもあった。これは叔父が気持ちを表せる年に一度だけの機会であったから、いつもとても嬉しそうにしていた。
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Commented at 2011-09-23 19:37
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by dangao41 at 2011-10-15 09:10
沢山の包みを持って  沢山のお土産
切符無しでも買えた木綿  少ない切符でたくさん買えた、安い
温柔善良,贤惠能干 これは決まり言葉、気立てがやさしく働き者
by dangao41 | 2011-10-01 08:43 | why | Comments(2)