順姐の自由恋愛4

我按她的意思替她上诉。我摆出大量事实,都证据确凿,一目了然。摆出了这些事
实,道理不讲自明。中级法院驳回大小姐的原诉,判定顺姐的子女没有义务还债;但如
果出于友爱,不妨酌量对他们的姐姐给些帮助。
我看了中级法院的判决,十分惬意,觉得吐了一口气。可是顺姐并不喜形于色。我
后来猜想:顺姐为这事,一定给大小姐罚跪,吃了狠狠的一顿嘴巴子呢。而且她的子女
并不感谢她。他们自愿每月贴大姐一半工资。

私は彼女の意思を受け告訴した。確証があり一目瞭然の大量の事実を並べた。提出したこれらの事柄は論じるまでもなく道理が通っていた。中級裁判所はお嬢さんの訴えを却下し、順姐の子供たちには返済の義務がないとの判決を出した。しかし肉親の情を持って彼らが姉を援助するのは構わない、と。
中級裁判所の決定に私は満足し、安堵した。けれど順姐は顔に出している程は喜んでいなかった。後の推測であるが、順姐はこの件でお嬢さんに土下座させられ、情け容赦なくひっぱたかれたに違いなかったろう。しかも子供たちは順姐に感謝もせず、姉に収入の半分を進んで差し出した事だったろう。

我设身处地,也能体会那位大小姐的恚恨,也能替她暗暗咒骂顺姐:“我们好好一
个家!偏有你这个死不要脸的贱丫头,眼睛横呀横的,扁着身于挤进我们家来。你算挣
气,会生儿子!我妈妈在封建压力下,把你的子女当亲生的一般抚养,你还不心足?财
产原该是我的,现在反正大家都没有了,你倒把陈年宿帐记得清楚?”

お嬢さんの立場になって考えてみれば、その恨みは理解できるし、順姐を心の中で罵る事さえできる。「家は立派な家庭なのよ!選りによってお前みたいな厚かましくて卑しい横目の女中が無理やり入り込んで来るなんて。計算づくで子供まで生んで!お母さまは封建的な縛りの中でお前の子供を自分の子のように育てたのよ、それでも足りないというの?いずれにせよ今は無くなってしまったけど財産は元々私の物の筈よ、それなのに長年の貸し借りをはっきり覚えてるですって?」

不记得哪个节日,顺姐的儿女到我家来了。我指着顺姐问他们:“她是你们的生身
妈妈,你们知道不知道?”
他们愕然。他们说不知道。能不知道吗?我不能理解。但他们不知道,顺姐当然不
敢自己说啊。
顺姐以后曾说,要不是我当面说明,她的子女不会认她做妈。可思顺姐仍然是个
“幺幺”。直到文化大革命,顺姐一家(除了她的一子二女)全给赶回家乡,顺姐的
“姐姐”去世,顺姐九死一生又回北京,她的子女才改口称“妈妈”。不过这是后话了。

何時の節季だか覚えていないのだが、順姐が娘たちを連れて遊びに来た時の事だ。私は順姐を指して聞いた、「あなた達を産んだお母さんだって事、知っているの?」
娘たちはびっくりし、知らなかったと言った。知らない筈があろうかと、私には理解できなかった。しかし彼女たちは知らなかったし、順姐が自分からは言えなかったのは勿論の事である。
後に順姐が言ったことだが、直に私が話さなかったら子供たちは彼女が母親だとは認めなかっただろう、まだ“ねえや”だと思っていただろうと。文化大革命の始まる前、順姐の一家(彼女の息子一人と娘二人を除いて)は、直ちに田舎に戻された。“姐姐”が亡くなって順姐は危ういところで北京に戻り、娘たちはやっと順姐を“お母さん”と呼ぶようになった。しかしこれは後の話である。

顺姐日夜劳累,又不得睡觉,腿上屈曲的静脉胀得疼痛,不能站立。我叫她上协和
医院理疗,果然有效。顺姐觉得我花了冤钱,重活儿又不是我家给她干的。所以我越叫
她休息,她越要卖命。结果,原来需要的一两个疗程延伸到两三个疗程才见效。我说理
疗当和休息结合,她怎么也听不进。

順姐は昼も夜も働き睡眠もとれず、足の静脈瘤が痛くて立てなくなった。私は彼女に共和病院の物理療法科に行くように進め、案の定良くなった。彼女は私に散財させてしまったと思い、私の家だけでなく他家でも仕事をするようになった。そこで彼女に休むように言ったが彼女は更に一生懸命に働いた。その結果、本来は1,2クールの治療で済むはずの物が、効果がでるまでに3クールとなった。私は治療と休息はセットなのだと説いたが、彼女はどうしても聞き入れなかった。

接下就来了“文化大革命”。院子里一个“极左大娘”叫顺姐写我的大字报。顺姐
说:写别的太太,都可以,就这个太太她不能写。她举出种种原因,“极左大娘”也无
可奈何。我陪斗给剃了半个光头(所谓阴阳头),“极左大娘”高兴得对我们邻居的阿
姨说:“你们对门的美人子,成了秃瓢儿了!公母俩一对秃瓢儿!”那位阿姨和我也有
交情,就回答说:“这个年头儿,谁都不知道自己怎样呢!”顺姐把这话传给我听,安
慰我说:“到这时候,你就知道谁是好人、谁是坏人了。不过,还是好人多呢。”我常
记着她这句话。

続いて「文化大革命」が起こった。敷地内に“極左おばさん”がいて、私の告発を書くよう順姐に迫った。順姐は別の人のなら書くけれどあの奥さんのは書けないと言い、色々と理由をあげたが“極左おばさん”は承知しなかった。私の夫は髪を半分剃られていたので(いわゆる陰陽頭)、“極左おばさん”は私の近所の人に「向かいの気どりや夫人は禿げ頭になるわ!夫婦揃って禿げ頭よ!」と愉快そうに言った。その人は私と仲良しだったので、すぐにこう言った、「このご時世だもの、誰だってどうなるか分かるものですか!」順姐はこの話を私に聞かせて慰めるように言った。「こうなってみると誰が好い人で誰が悪い人か分かります。でも、やはり好い人のほうが多いですよネ。」私はこの言葉をいつも思い出す。

红卫兵开始只剪短了我的头发。顺姐为我修齐头发,用爽身粉掸去头发楂子,一面
在我后颈和肩背上轻轻摩挲,摩挲着自言自语:
“‘他’用的就是这种爽身粉呢。蓝腰牌,就是这个牌子呢。”
大约她闻到了这种爽身粉的香,不由得想起死去的丈夫,忘了自己摩挲的是我的皮
肉了。我当时虽然没有心情喜笑,却不禁暗暗好笑,又不忍笑她。从前听她自称“我们
是自由恋爱”,觉得滑稽,这时我只有怜悯和同情了。

紅衛兵が私の髪を短く刈った。順姐は私の髪を整えるために天花粉を付けて細かい毛を払い、後ろ首と肩を優しく揉みながら独りごちた。
「“彼”が使っていたのもこの天花粉だわネ。藍腰印、これだったわネ。」
天花粉の香りで思わず夫を思い出したのだろう、私の体を揉んでいる事を忘れてしまった。その時の私は笑えるような心情ではなかったのだが、忍び笑いを禁じ得なかった。以前彼女が「私たちは自由恋愛なんです」と言った時は可笑しかったが、この時の私はただ可哀想にと思い遣ったのである。

红卫兵要到她家去“造反”,同院住户都教她控诉她家的大小姐。顺姐事先对我说:
“赶下乡去劳动我不怕,我倒是喜欢在地里劳动。我就怕和大小姐在一块儿。”那位大
小姐口才很好,红卫兵去造反,她出来侃侃而谈,把顺姐一把拖下水。结果,大小姐和
她的子女、她的妈妈,连同顺姐,一齐给赶回家乡。顺姐没有控诉大小姐,也没为自己
辩白一句。

紅衛兵が彼女のところに「造反」にやって来た時、そこに住む人々はお嬢さんの事を告発しろと勧めた。彼女は事に先立ち私に言っていた、「下放されて働くのは怖くないどころか、野良仕事は好きなんですよ。お嬢さんと一緒に行かされるのが嫌なんです。」お嬢さんは口が達者で紅衛兵がやって来ると、出て来て臆せずに談判し、順姐を巻き添えにした。その結果、お嬢さんとその子供、本妻と共に、順姐も一緒に田舎へ帰る破目になった。順姐はお嬢さんを訴える事もせず、一言の自己弁護もしなかった。

“文革”初期,我自忖难免成为牛鬼蛇神,乘早把顺姐的银行存单交还她自己保管。
她已有七百多元存款。我教她藏在身边,别给家人知道,存单的帐号我已替她记下,存
单丢失也不怕,不过她至少得告知自己的儿子(她儿子忠厚可靠,和顺姐长得最像)。
我下干校前曾偷偷到她家去探看,同院的人说“全家都给轰走了”。我和顺姐失去了联
系。

「文革」初期、私は自分が知識人とみなされるのを免れないと考え、早々に彼女の預金証書を自分で管理するよう渡しておいた。彼女の蓄えはすでに七百元余りとなっていた。身につけて仕舞っておくよう、家の人に知られないように注意を与え、番号はもう私が控えてあるから証書を失くしても心配しないように伝えた。しかし息子(正直で温厚で信頼できる、最も順姐似であった)にだけは教えておくようにと言った。
私が幹校に行かされるま前に、こっそりと彼女の家の様子を見に行った事がある。隣人は「一家全員追い出された」と言う。順姐との繋がりは切れてしまった。

有一天,我在街上走,忽有个女孩子从我后面窜出来,叫一声“钱姨妈”。我回脸
一看,原来是顺姐的小女儿,她毕业后没升学,分配在工厂工作。据说,他们兄妹三况都在工作的单位寄宿。我问起她家的人,说是在乡下。她没给我留个地址就走了。

街を歩いていたある日、急に後ろから女の子が「銭おばさん」と呼びかけた。振り向くと何と順姐の次女であった。卒業後は進学せず、工場に配置されていたのだ。聞いたところでは兄妹三人はみな職場の寮にいるという。家族のことを尋ねると田舎にいると言った。が、住所は告げずに去って行った。

我从干校回京,顺姐的两个女儿忽来看我,流泪说:她们的妈病得要死了,“那个
妈妈”已经去世,大姐跑得不知去向了。那时,他们兄妹三个都已结婚。我建议她们姐
妹下乡去看看(因为她们比哥哥容易请假),如有可能,把她们的妈接回北京治病。她
们回去和自己的丈夫、哥嫂等商量,三家凑了钱(我也搭一份),由她们姐妹买了许多
赠送乡村干部的礼品,回乡探母。不久,她们竟把顺姐接了出来。顺姐头发全都灰白了,
两目无光,横都不横了,路也不能走,由子女用自行车推着到我家。她当着儿女们没多
说话。我到她住处去看她,当时家里没别人,经我盘问,才知道她在乡间的详细情况。

幹校から北京に戻ると、順姐の二人の娘が突然会いにやってきて、泣きながらお母さんが重い病気で死にそうだと言う。“あのお母さん”はもう既に亡く、お嬢さんは出て行ってしまい行方知らずだという。この頃には三兄妹はみな結婚していた。私は姉妹に田舎に会いに帰るよう勧めた(兄より休暇を取り易いであろうから)。そして可能ならば、お母さんを連れ帰り北京で治療を受ければ、と。娘たちは帰って夫や兄嫁と相談し、三家族がお金を出し合い(私も分担した)、姉妹は村の幹部に贈る沢山の礼品を買い、田舎の母親に会いに行った。程なく、娘たちは母親を連れ帰ってきた。順姐の髪は灰色となり、横だった目は光りが失せ目じりも垂れて、歩くことも出来なかったので自転車に乗せられ押してもらって我が家にやってきた。彼女は娘たちの前では多くを話さなかった。しかし私が彼女の住まいを尋ねたとき、家には誰もいなかったので、私はやっと田舎での詳しい話を聞き出せた。

大小姐一到乡间,就告诉村干部顺姐有很多钱。顺姐只好拿出钱来,盖了一所房子,
置买了家具和生活必需品,又分得一块地,顺姐下地劳动,养活家里人。没多久,“姐
姐”投水自尽了,大小姐逃跑几次,抓回来又溜走,最后她带着女儿跑了,在各地流窜,
撩下个儿子给顺姐带。顺姐干惯农活,交了公粮,还有余裕,日子过得不错。只是她旧
病复发,子宫快要脱落,非医治不可。这次她能回京固然靠了礼品,她两个女儿也表现
特好。虽然从没下过乡,居然下地去劳动。顺姐把房子连同家具半送半卖给生产队,把
大小姐的儿子带回北京送还他父亲。村干部出一纸证明,表扬顺姐劳动积极,乐于助人
等等。

お嬢さんは田舎に着くや村の幹部に順姐がお金をたくさん持っていると言い付けた。順姐は差し出す以外になく、家を建て家具や必要な物を買い、配分された畑で働き家族を養った。暫くして「姐姐」は入水し命を絶った。お嬢さんは幾度か逃亡を企て、捕まってはまたこっそりと逃げた。とうとう娘を連れて出て各地を転々と逃げ回った。息子の方は順姐の元に置いていった。順姐は農村生活に慣れて、税作物を納めても余裕があり、日々の暮らしは悪くなかった。ただ古い病気がぶり返し、子宮脱になりかかり医者でなければ治せない。今回彼女が北京に帰れたのは、ひとえに礼品のお陰であったし、二人の娘も格別に良くやったのである。下放された事もないのに、なんと野良仕事もこなしたのだった。順姐は家と家具を生産隊に半ば上げ半ば売りして、お嬢さんの息子を北京のその父親の元へ連れ帰った。村の幹部は、順姐の勤勉な労働と喜んで人を助けた事に対して、表彰の証明書を出した。
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by dangao41 | 2011-08-23 07:13 | 楊絳 | Comments(0)