離歌2

  三爷在门前收拾小黑船时——多日不用,里头满是树叶与蛛网,甚至还长出几簇野菇——彭老人出现在河对岸,带了个小木凳,坐下来,掏出水烟壶,像是要跟三爷长谈。
 
三爺が戸口前で黒い小船の手入れをしていると-----長いこと使っていなかったので中は木の葉やクモの巣で一杯であったし、茸すら幾つか生えていた-----彭老人が向こう岸に姿を見せ、持ってきた小さな腰かけに座り、水煙管を取りだした。三爺とゆっくり話をするつもりのようであった。

  彭老人七十有三,比三爷整大上十岁,可身体真是好,他在河对面说话,那样响亮亮的:“这两天没事儿?”
  “也说不好。所以我得把船侍弄好,往后要靠它了。”
  “怎么的,这桥不修了?”
  “就我一人在河西……噢,还有那半片山。”三爷回头努努嘴。
  “不管河东河西,那也是咱东坝呀。”
  “要能修那是敢情好。不过划船也成。”
  “我替你找人去。这桥怎能不修呢……”彭老人凹着腮咕噜噜抽烟。
 
 彭老人は七十三歳で三爷より十歳上だが、体はいたって丈夫であった。向こう岸から大きな声で話し掛けた。「ここのところ何もないか?」
 「まぁ何とも言えないな。それで船の準備をしている。これからは必要だから。」
 「なんでだ、橋を直さないのか?」
 「俺ひとりしか河の西側にいないし・・・ああ、あの山の半分もあるけどな。」三爷は顔を山の方に向けて答えた。
 「河の東だろうが西だろうが、俺たちの東堰じゃないか。」
 「修理できればそれに越した事はないが,船を漕げばそれでも済む。」
 「俺が誰か探してきてやる。この橋を直さないで済むものか・・・」彭老人は頬を窪ませてくうくうと煙草を吸った。

  这个彭老人,三爷知道的,并不能算是个热心人物。他发妻早故,两子一女都在不得了的大城市里发达,要接他同去享福,可他脾气固执,偏要独自留在东坝因子女出息,他颇受尊重,不过,这桥,就是他去找人恐怕也是没用的。

 彭老人は親切とは言えない人だと三爷は思っていた。早くに妻を亡くし、一男一女は大都会で功を成していた。子供たちは一緒に楽な生活をと誘ったが老人は頑なに東堰で一人で暮らしていた……子供たちの出世で人々は老人に一目置くようにはなっていた。しかしこの橋は、老人が人探しをしたとて無理であったろう。

   ——其实,桥塌的第二天,整个东坝就都知道了,大人小孩没事时,就在河对面站一站望一望……哎呀,连个桥桩都没得了!冲得干干净净的……可不是吗!冲得干干净净的,连个桥桩都没得了!大家就这样热闹地说说,有的还跟三爷打个招呼,问他半夜里有没有听到动静,然后平常地就走了。
  没人提修桥的事,就跟棵大树给雷劈倒了似的,难道还要去扶起来不成。

 ——実際、橋が壊れた翌日、東堰の人々は皆それを知って、大人も子供も暇があれば河の向こうに立ち、眺めていたのである……あれま、橋げたまで無くなった!きれいさっぱり流されたもんだ……全くな!きれいさっぱり橋桁までだよ!人々はこの様に賑やかに喋くり、三爷に挨拶して夜中に物音を聞いたかと問う者すらいたが、その後は何事もなかったように立ち去るのであった。
 誰も橋の修理の事など持ち出さなかった。大木が雷に打たれて倒れるように、どうしようもないだろう、というわけだ。

  “算了,你不是不知道,他们管这桥叫奈何桥。就算修了,也没人走……”三爷可不愿让老人费神。
  彭老人摇摇头,不肯接话。他扯起别的。
  六月的阳光有些烫地照下来,河对面的青草绿得发黑,难得有人陪三爷聊天——人们日常见了他,看看他的手,总觉得凉丝丝的,有些惊惶,不知说什么才对——他便进屋里拿了家伙们出来扎。蓝的屋、黄的轿、红的人、白的马……五颜六色的扎纸排在地上,煞是好看。

 「いいんだ、あんたも分かっているだろう、みながこの橋を“しょうもない橋”と呼んでいるのを。だからもういい、直したところで誰も渡らないのだから……」三爷は老人を煩わせたくなかった。 
 彭老人は頭を振ったが、返事はせず話題を変えた。
 六月の太陽は火傷しそうなくらいに照りつけ、河の向こうの草の色を深くした。三爷に話し相手がいる事はめったにない——人々は常日頃、三爷に行きあって彼の手を見ると、どうしたものか薄ら寒さを覚え、些かうろたえるのだった——三爷は家から紙細工の道具類を持ち出し作り始めた。藍色の家、黄色い輿、赤い服の人、白い馬……色とりどりの紙類は地面に並べられて、とても美しかった。

  彭老人看了也欢喜,好奇地问这问那,好啊,三爷顶喜欢人跟他谈扎纸……金山银山、高头骏马、八抬大轿、宽宅院子、箱柜床铺、红漆马桶、绿衣丫头,好比另一个物事齐全的花花世界,热闹极了……送到主家那里,排在院子里,大人孩子先就围上来,指指点点,莫不赞叹,那才是三爷最得意的时分。

 彭老人もそれを目にすれば面白く、興味深げにあれこれと問いかけた。よし、いいぞ、三爷は紙の副葬品を話題に人と話すのが好きだった……金の山銀の山、堂々とした駿馬、立派な輿、広い邸宅、箱に箪笥に寝台、赤漆のおまる、緑の服の娘さん、あたかも一切合財揃った楽園のようで、賑やかな事この上ない……喪主の家に届けて庭に広げれば、大人も子供も我先にと取り囲み、指さして感心しない者はいない。これこそが三爷の最も満足の時であった。
[PR]
Commented by why at 2011-08-16 08:47 x
おはようございます!本当に立派な大作ですね。何度読んでもすごいなと、心から尊敬します。

>他们管这桥叫奈何桥
ここの訳、参考になりました。日本ではよく三途の川といいますが、ここの「奈何桥」は言ってみれば、三途の川に架かる橋のことですね。だから、修理しても、誰も渡りたがらないだろうというくだりが続くんですね。

楊绛さんの『孟婆茶』を思い出しました。この橋を渡る前にお茶を勧められるんですね。

>彭老人看了也欢喜,好奇地问这问那,好啊,三爷顶喜欢人跟他谈扎纸
ここの「好啊」は多分、三爺の心理を表していると思います。老人からあれこれ聞かれるのはまんざらでもない、喜んで答えようじゃないかという気持ちでしょうね。
Commented by dangao41 at 2011-08-17 08:02
コメントありがとうございます!「奈何桥」を三途の川とまでは読めていませんでした。その意味合いを持たせるともっと深くなりますね。そのニュアンスを含んだ呼び方を考えたいです。「好啊」も三爺の気持ちとは読めていなかったです。直しましょうっと。ブログは簡単に編集ができて便利です。ここを見てもらえただけでも嬉しいのに、いただいたご指摘で理解を深められるのが有難いです。
by dangao41 | 2011-08-15 13:18 | 魯敏・離歌  | Comments(2)